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那須野
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寿月
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ふゆにほどけて
【寿月】数年後同棲プロ時空*「夏咲く夜に」後日談/浴衣自宅デートをするふたり。
※「夏咲く夜に」後日談
仕立てを依頼していた浴衣が毛利寿三郎の自宅に届いたのは、吹き抜ける風に冬の気配が混ざり始めたある日のことだった。
二組あるそれは夏の終わりに越知とともに都内の呉服店へ注文したもので、標準規格外の体格の自分たちのためにいくらか重ねての手間がかけられた大変ありがたい品々である。
『着るだけやったらいつでもできますけど、せっかくならオフ日の前がええですよね』。
胸を弾ませながら包みを開けたあと、気なしにそう口にしてしまったものの、いま思えばあまりにも下心が透けて見えるような物言いではなかったろうか。
あくまで「明日の予定を気にせずふたりでゆっくり過ごしたい」という意味だったのだけれども、いわゆる下心なるたぐいの期待がまったく存在していないといえば嘘になる。
短く頷いてみせた彼は普段通りの様子だったから、自身の発言がどう受け取られたかもわからない。とはいえわざわざ蒸し返して尋ねては、下心を自己申告することと大差ない。多少なりと事実を含んでいるとしても、焦がれてやまない彼の手前、ささやかな見栄のためにもそれは避けたいところだった。
自身の迂闊さに悶々とする内心をどうにか押し込んで、月暦とスケジュールを突き合わせ
――
かくて。
彼とふたり、真新しい浴衣に袖を通して過ごす晩は、つつがなく自分たちの元にやってきたのだった。
着替えに使っていた脱衣所から、そろりと顔を出す。
浴衣でも快適に過ごせるよう充分に空調を流しておいたので、普段は少々冷たい空気が漂う廊下もほんのりとあたたかい。浮ついた気分のままぺたぺたと素足で廊下を進み、リビングへ繋がる扉の前で立ち止まった。
浴衣の生地の色柄については店舗でお互い選びあったものだから、彼がどんな浴衣を着ているかは自分もすでに知っている。逆もまた然りだ。
知らないのは、寝室へ着替えに行った彼の着姿それ自体だけである。
深呼吸をひとつ。
申し訳程度の心の準備を試みて、視線を足元へ下ろしたままドアノブに手をかける。なるようになれ、と勢い任せに扉を押し開け
――
直後に目に映った素足の指先に、弾かれるようにおもてを上げた。
「
…………
!!!」
「
……
、どうした」
なかなかリビングへ入ってこない自身を気にかけて、彼は扉のそばまで来ていたらしい。
突然開いた扉を避けて半歩下がった彼の姿を認めた瞬間、案の定用意していた言葉をすべて取り落とした。
「さっ
……
すが
月光
つき
さんやわ
………………
」
「
……
なにがだ」
「いや、あの、」
「
………………
」
「ほんま、ホンマよう似合うてはります、
月光
つき
さん」
深い夜の色をした濃藍の生地が、彼の長躯をゆったりと上品に包んでいる。普段しっかりと着込んでいることの多い彼のしろい素肌と、雪色の髪が深い藍にさらによく映えて、恋人の贔屓目抜きにうつくしかった。
半ば呆然としつつもどうにか心からの賛辞を伝えると、ありがとう、とひとまずちいさな応えが返る。長い前髪の奥の切れ長のひとみが擽ったげにわずかに細まって、気を取り直すように改めてこちらへ視線が向いた。
「お前もよく似合っている。見立て以上だな」
「あっ、あんがとございます! なんや照れますね、へへ
……
」
彼が自身に見繕ってくれたのはやわらかな淡いベージュ(生成り色というのだと、彼は注文が済んでから教えてくれた)の、落ち着いた風合いの浴衣で、なにやらすこし大人びた心地がする。
二年分の年の差をはっきりと意識する場面は学生時代と比べれば随分少なくなったけれども、埋めようがない時間であることには変わりない。ほんのわずかの背伸びでも、かれに近付けるなら嬉しかった。
「ふたりじめやね」
「
……
そうだな」
自分しか、彼しか知らない相手の姿が、いま確かにここにある。
それがなぜだかとても特別なことのように思うのは、プロとしての仕事の幅が広がってきたからかもしれなかった。試合中継以外にもスポンサー商品のイメージモデルや一般誌の取材など、不特定多数の人々の目に触れる内容も、このごろでは少しずつ増えている。むろんありがたい話ではあるものの、
――
けれども、だからこそ。
こころを揺らす喜びのままに彼の指先をすいとさらって、五指を絡める。
静かな冬の夜、あたたかい家のなかに彼とふたりきり。
人目を気にかける必要はない。かるく手を引いただけで応えるように背を屈めてくれた彼も、同じ気持ちだと思って良いのだろうか。
「ふ、」
少しかさついた唇をやわく食み、窘める声が聞こえないのを口実にもう一歩深く身を寄せる。零れた呼吸ごと掬いとるようにして口腔へ潜り込むと、絡めた指がかすかに揺れた。
「
…………
」
「
……
つきさん?」
息継ぎの合間、間近に見える切れ長のひとみがふいに物言いたげに眇まったことに気がついて彼の名を呼ぶ。は、と浅い息をひとつ吐いて呼吸を整えた彼が、そのままの近さで静かに口を開いた。
「
……
こうしていたくないわけではないが」
「?」
「これでは、あまり浴衣が見えない気がする」
「
――
、」
聞こえたそれに、まばたきをひとつ。
彼の温度の心地よさに正直すでに離れがたいが、確かに彼の言う通りだ。思わず「ホンマやね」と言って笑うと、わずかに表情を和らげた彼から目元にキスが降ってくる。間の抜けた声を上げて固まった自身を、宥めるように彼が呼んだ。毛利。
「少し、ここで月を見ていっても構わないか」
「
……
っ、はい! そらもちろん!」
この家のリビングからは、夜空に浮かぶ月がよく見える。部屋の明かりを落としカーテンを開いてソファに座れば、それだけで四季折々の夜を楽しめるところを、彼も自分もいたく気に入っていた。
片手は自身に委ねたまま、ドアのすぐそばにある照明のパネルに彼の長い腕がつと伸びた。
ぱち、ぱち、と何度かちいさな音がして、室内灯がすべて消える。
明かりを落とした室内を迷いのない足取りで進む彼と連れ立って、窓辺まで歩み寄る。そっとカーテンを開いたかれの輪郭を、窓から差し込むあわい月明かりがなぞっていく。
暦によれば満月は二日後にあたるらしい。わずかに満ちきる前の、未完成の月を、それでも彼は満足げに見上げる。きれいだ、と、ただ思った。
色素の薄い雪色の髪を月明かりに滲ませて、彼が言う。
「ソファでしばらく話して、そうしたら」
「
…………
、」
「あとはお前の好きにしてかまわない」
「
……
ええんですか、そないなこと言うて」
「さして問題ない」
着るだけならいつでもできるが、せっかくの休日前だからな。
そう続ける彼の声が、どこか悪戯めかして聞こえたのは気のせいだったろうか。自分が浮かれすぎていて思い至るのが遅れたが、
……
今夜は彼も随分と上機嫌なようだった。
「ほんま、さすが
月光
つき
さんやわ
……
」
「何の話だ」
「
……
ッ、ああもう、」
――
月光
つき
さんがだいすきですっちゅう話!
上機嫌なときの彼の素直さの威力には、こうでもしないとかなわない。しなやかな腕を引き寄せて間近で視線をぶつけると、切れ長の双眸がうすく細まる。
夜の色をしたひとみのなかに、澄んだ冬の月がとけている。