いたずら

ドロライのお題でした
ファーストキスの話、ポリネシアンセックス導入編でもある
関係構築の初手をすっとばしてた二人

 橋本治 『人はなぜ「美しい」がわかるのか』
 ──「美に関する知識」だけは持っていて、そのくせ「美しい」がピンとこない人は、いくらでもいます。



 ベッドの上。松田の目に止まったのは、朝焼けのまだまばらな太陽の光が肌をなでる山田の、睫毛まつげだった。短いようでいて、末端にかけて細く長い。珍しい形をしている。根本が薄く、毛先が太い。そういう端々はしばしが見えるほど、二人は距離が近かった。今さら、なにを近いことに照れ臭さを持っているのか。昨夜は散々だったというのに。
 昨日は若干、酒の力を借りた。大人は不都合や言いづらいことが降り積もると適当にごまかせるように、あるいは相手にも話半分で聞いてもらうために酒を勧める。そんなのは山田ももういい年だからわかっているだろう、なにも聞かずに注がれるビールを黙って飲んでいたように見えた。酒が入ってきた折の陽気な態度は、緊張の裏返しでもあった。松田もそれを、特に指摘せずにいてやった。自分も同じだったからだ。
 大体、いい大人が一つ屋根の下に住み、なんとなく日々を過ごしてきてあれこれと世話を焼き焼かれ。居心地がいいのか悪いのか、そのままだらだらと数年共にいたのであれば、相手の考えや思惑が読めてくるものだろう。
 互いの気持ちは、もう決まっているも同然だと松田は勝手に思っている。恋だの愛だの口にしたことはないが、ただこうして数年過ごしてみて、この先相手のいない未来を考えるのを躊躇ちゅうちょするくらいには、大切にしてきたつもりだ。
(それを、この山田は)
 ここまで考えて今、目の前で惰眠をむさぼる男の鼻を明かしてやりたくなった。自分だけがこの関係を気に入って、引きずり回しているのではないかと──柄にもなく確認したくなったからだ。
 けれどどうすればいいのか。この男は頭が回り、口も回り、例えるなら狐に似ている。記事の執筆中の、毒を吐くような文は蛇かなにかで、気まぐれ具合は猫だ。
(俺はキメラと同居しとんのかもな)
 と、肩をすくめる。
 松田の知識上キメラといえば、神話の中の生き物か、古代ギリシャの美術や彫刻に残されているそれが当てはまる。三種から五種ほどの生物からなる大型の生き物で、大体は四つ足、尾があり、空も飛べる。はっきり言って、人間の理想のためにその形が描かれたようなものだ。実際彼らがそれを、実は動きづらいと思っていて、本当は尾が無い方がいいだとか、羽ももっと違う種族のものがいいだとか、不平不満があるかもしれない。
 人間のエゴはどこまでも広がる。そこにはある種の、醜さを認められない、あるいは認めたとしても遠ざけるような心理状態があったのだろう。どこの国も同じことをしてきた。
 今、松田の前に横たわっているのはただの人間だ。醜いかと問われれば首を横に振るし、尾があるか、羽があるか? と聞かれたらノーと言える。松田という人間は、勝手だが山田の造形はこれで完璧だと頷いているのだ。
 ──けれど山田は、さっき見た睫毛を、もしかしたら気に入っていないかもしれない。
 酒を飲んだあとの肌を嫌がって見せなかったのも、山田のコンプレックスを刺激してしまったのかもしれない。
 いつものようなセックスへの誘いを、なんとなくすぐにと言わずに数分はぐらかしたのも、山田にとって思うところがあったのかもしれない。
 美と醜、是と非。多面的な情報を持つのが人間で、松田も山田もおんなじだ。だとすると、さまざまな感情が揺れ動く自分たちの内面こそ、実はキメラなのではないか。その中に、山田を憎からず思う気持ちと、俺のところなんぞに来てアホやなァという同情とが含まれる。
 ……その人間の中にさっきまで押し入って、精液までぶちまけた自分を堂々と棚にあげ、山田の内面を思う存分思案したあと、では外面はどうなのかとふたたび見つめてみた。
 自分とは正反対の姿形をしている。つり目、表情に合わせてよく動く眉、松田よりは白めの肌、細身の太りづらい体に、指、足先まで。ないものねだり、とは言わないが、自分と真逆の性質を欲しいと思うのは道理だ。自分がそうなりたいと思うのではなく、そばにいろと誓わせる方の。そううまい理屈を探して、松田は山田の鼻を明かすのに、良いいたずらを思いついた。
 普段からあまり色のない唇に触れる。そういえば、こういうたわむれを自分たちはいっさいしてこなかった。軽く拭うように舐めとると、唇を合わせる。山田はもう眠りが浅かったのか、ぴくりと反応を返した。
……まつださん?」
 と掠れた声を塞ぎ、静かな朝を迎える。焼けた空は窓から光を差し込ませる。秋は日が短く、太陽が近いように感じた。それなのに涼やかに感じるのは、きっとこちらに興味がないのだろう。その隙を見計らって、ずいぶんただれた一日の始まりになった。
 湿り気のある空気を含んだ室内に、山田の息の音がする。フローリングまで朝日が伸びたころ、ようやく山田が腕を回し、松田にすがりついた。
「キスしたの、初めてだね」
「忘れとったわ、こんなのも」
「んー……でも、なんかいいね」
 嬉しいよ。と笑う山田の頬は少し赤い。オレンジがかった赤さだ。太陽のせいだろう。
「僕ね、不安だったから」
「そうなん?」
「松田さん、なんで僕を抱くんだろうって思ってた」
……そら」
 そうやろ。と喉元まで出かかり、松田は堪えた。
「だから昨日もまた、松田さんが誘ってくれて、セックスするんだよなって考えると、いろいろ……複雑でさ」
「やから、渋ったんか?」
「うん、ごめん」
 要は、性欲処理だけだと思っていたのだろう。
(順序を間違えたな)
 と松田は自分の頭をがしがしとかいた。それから、山田の丸い頭を寄せる。なんの抵抗もなく、素直に引き寄せられたところを見ると、案外山田はセックスよりも、こうした触れ合いだけでじゅうぶんに満足するのかもしれない。
「今度あれやろうよ、ポリネシアンセックス」
「なんやそれ」
「調べてみて。その間こうしてていい?」
 今度は山田が頬にキスをしてくる。裸のままでは寒かったのか、より身を寄せて、毛布を上から被せてきた。松田は手近にあった山田の下着とシャツを放ってやり、横で着替えている間にスマートフォンを触る。
 ──大体の概要を知ったところで、山田がニヤリと笑っていた。そういういたずらっぽい笑みのとき、今のところ、この美しいキメラは心底楽しみにしているらしい。それを知るくらいには、長い間過ごしてきた。