Ca(か)
2025-10-10 01:12:51
5218文字
Public haikaveh SS
 

Coffee Time Anecdotes

期間限定でコーヒーマシンを迎えるふたりの話 (※きみさえプチ サンプル)


1


 コーヒー豆を計量し、マシンの投入口にざらざらと流し込む。同じく計った水をセットして、抽出ボタンを押下するとまもなく力強く豆が挽かれていく音がした。いつもなら手挽きでごりごりやっている作業も、このエスプレッソマシンにかかればボタンひとつであっという間に微粉末だ。周囲の湿度を測定してベストな粒度に仕上げる……なんて機能もあるらしく、便利なものだなと考えている間に豆はすっかり粉になったらしい。
 豆を挽き終わったマシンからは、一拍置いてしゅうっ、と短く蒸気が吐き出された。マシンの奥のほうではかすかにぐつぐつと煮える音が聞こえ、隙間から挽かれたばかりのコーヒー粉の香りが鼻に届く。もうじき最初の一滴が落ちてくる頃だ。なかなか優雅なひとときに口の端を緩めながら油断していると、突如としてマシン背部のスピーカーから歌謡曲のサビの伴奏がジャンジャカ流れ始めたので、ぎょっとして危うく食器を取り落とすところだった。驚きのあまり肌がびりびりするのをさすって宥めていたところに、ふとこのマシンの正式名称——『ミュージカルエスプレッソマシン・五号』が脳裏をかすめ、なるほどそういうことかと合点がいった。「抽出中にランダムな一曲を流し、キッチンに楽しい時間をもたらす」と開発者が言っていたのはこのことらしい。
 使用者の生活に花を添えたいという思いは素敵なものだ。実現の方向性にはおおいに再考の余地があるけれど。

「朝から賑やかだな。うちのキッチンはいつからカラオケボックスになった?」

 広げた朝刊の端から、アルハイゼンがため息混じりにこちらを覗く。僕はボリュームのつまみが見当たらないマシンのスピーカーにタオルを押し付け、なんとか音を小さくしながら苦笑した。

「いや、まったく学生の発想の自由さには恐れ入るよ。アーカーシャが廃止になってからのほうが面白いアイデアが出るようになったんじゃないか」
「アーカーシャがあった頃から突飛な案を出す学生はいたよ。鏡を見てみるといい」
「はは! それなら、そっちもそっちで鏡がいるんじゃないか。僕の記憶ではもうひとり突拍子もないやつがいたぞ。今もだけど」

 ジャジャン、と演奏が終わり、抽出の終わったカップをトレイに乗せる。もう一杯分を抽出する前に念入りにスピーカーにタオルを当てスイッチを押すと、もがもがと不明瞭な音楽とともに僕のぶんのコーヒーが注がれていく。最後の一滴がカップに落ちるのを待ってからトレイに載せ、テーブルへと運んだ。

「はい、お待たせ。さっそく飲んでみようじゃないか」
「ふむ……一杯あたりの抽出時間は一分と少しか。なかなか悪くない」
「香りもちゃんと立ってるな。でもいちばん大事なのは味だ。テスターとして、そこも厳しく見ないとな」

 我が家の朝は一杯のコーヒーから始まる。だが、今日のコーヒーには目覚ましのほかに、大事な試飲の意味合いもあった。
 あの一風変わったコーヒーマシンが僕らのもとに来たのにはちょっとしたいきさつがある。たった今抽出を終えたばかりのこの一杯は、果たして毎朝飲み続けるに値するかを判定するための重要な一杯というわけだ。
 さて、味のほどは——と、あのマシンを引き受けるに至った一週間前の出来事を思い浮かべながら、僕らはほぼ同時にカップを傾けた。


◇◇◇


「お願いです! どうか僕らのマシンのテスターになってください、カーヴェ先輩!」

 あれは僕が教令院から依頼された、客員教授としての講義をすべて終えた日のことだった。受け持った講義をすべて終えた旨を学務課に報告して、さて帰ろうかと院内を歩いていたところ、中庭のベンチでうなだれる学生に出くわした。体調が悪いのかと声をかけたところ、彼は僕の顔を見るやいなや神様でも見るかのような目をして開口一番そう叫んだのだった。

「ちゃんと報酬は出します! 論文の後ろには協力者としてお名前も書かせていただきます! いちばん大きく、金色のインクで書きます!」
「いや、書式は揃えたほうがいいけど……いったいどうしたんだ。研究がうまく行ってないのか?」
「ええと、ようやくうまく行ったところ、という感じでしょうか。マシンの試作に長らく行き詰まっていましたが、この度ようやく完成したんです」

 学生はそう言うと、ベンチのとなりに置いていた箱の蓋を開けた。中にはなにやらスタイリッシュなかたちの機械が収められていて、謎のハンドルやタンクらしきパーツが備わっている。

「これは?」
「名付けて、ミュージカルエスプレッソマシン・五号です。豆を挽いてコーヒーを抽出するあいだ、音楽を流して使用者の気分を向上させる効果が見込めます」
「へえ、面白いな。じゃあこの五号、というのは?」
「そのまま『五号機』ということです。一号機から四号機までは爆発してしまったので」
……なんだって?」

 聞き捨てならない単語が聞こえ、思わず半歩後ずさる。学生は慌てて「この五号機は大丈夫ですから!」と付け加えた。

「少し前までは、試作機を全部吹き飛ばしてしまって途方に暮れていたんですが……あるとき、幸運にもあの旅人とパイモンに出会って、マシンの改良に必要な部品を取ってきてもらったんです。遺跡ドレイクのコアを組み込んだこの五号機は、今や四体の遺跡重機に襲われながらでもコーヒーを抽出できるんですよ」

 どんな状況だ、それは。心臓がヒヤッとするようなブレイクタイムを想像して足元が寒くなった。

……うん? その様子だと、実用テストはそこで済んだんじゃないのか」
「それが、長期間使用した場合のデータはまだ取れていないんです。できれば引き続き旅人たちにテストしてもらえたら良かったんですけど、近々ナド・クライに発つそうで、僕らとこのマシンをやり取りするのは難しいと」
「周りの人は?」
「えっと、一号機から四号機までの爆発の印象が拭えないみたいで、みんな引き受けてくれなくて……

 応援はしてくれてるんですけど、と困り眉で付け加えるのがなんとも切ない。見れば、学生のそばには「頑張れ」「なんとかなる」などのメッセージがくっつけられたお菓子がいくつも置かれていた。こうなると誰も悪い人がいないぶん、やるせなさが増してこちらの胸まで痛くなる。痛くなってしまう。
 つまり、見事に絆されてしまうということだ。ああ、だめだ、この展開——と、僕は腕を組んだまま深く嘆息した。
 教令院から依頼された講義がすべて終わったからといって、しばらく暇になるわけではない。本業の締切だってあるし、別件のクライアントとの打ち合わせまでにまだ詰めておかねばならない案もある。腕は二本しかないのだから、人間ひとりに抱えられるものは限られているわけで、ここにきて新たに学生の課題の手伝いをする余裕はない。そんなことは身に沁みてわかっている。
 わかっているけど、放っておけるわけないだろ、こんなの。

……期間は?」
「え?」
「テスト運用期間だ。具体的にどのくらいを考えてる?」
「さ、三週間です。できれば毎日……せめて三日に一回は使ってみてほしいっていうか」
「外部から部品を取ってきたと言ったな。食品衛生の問題は?」
「すべての部品は洗浄と殺菌処理をしたうえで、表面コーティングをしてます。専門機関に依頼して、食品衛生基準クリアの認証ももらいました」
「テスト結果の報告は?」
「ここにテンプレートがあるので、アンケート形式で書いてもらうつもりです。いくらかは聞き取りでも話を聞くとは思いますが……えっと、カーヴェ先輩?」

 もしかして——と、期待を隠しきれない目で学生が僕を見上げる。暗中に垂れ下がる蜘蛛の糸を崇めるみたいにきらきらした瞳の中に、ぐうと歯を食いしばる、いかにもちょろそうな顔をした自分がいた。ああ、もう。いつもこうやって押し負けてしまうから、毎回あいつに呆れられてしまうのだ。
 けれど目の前の彼が今歩んでいる道は、自分たちがいつか来た道だ。後進が困っているときに先達が手を伸ばしてやることのなにが悪い。妙論派の星だなんて呼ばれているなら、こういうときこそ道を照らしてやらなければ名折れというものだ。
 とはいえ、目下最重要項目を確認しておかないことには、さすがの僕もやすやすと引き受けることはできないのだった。

……爆発は、絶対に、しないんだな?」

 念入りに確認する僕に、しません、と半泣きで叫びながら万の言葉で感謝を述べる学生には、もはや苦笑する以外なかった。
 さて、あいつになんて言おうか。どんな言葉を並べても小言を返されてしまうのは目に見えている。けれどこれまで、やめろと言われたり取り上げられたりしたことはない。だからたぶん今回も最低一回はなんだかんだで付き合ってくれるはずだ。それから先はマシンの性能次第だけれど。
 こういうことするから、僕もあいつの妙ちきりんな買い物を許さざるを得ないんだよな。つまりは似た者同士ということで、それならまあ仕方がないかあ、と僕は空を仰いだ。
 

◇◇◇


……うん。なかなかいいんじゃないか」

 ふっくらとした香りと、すきっとした後味。機械仕事だからどこか角のある味わいになるのでは——とも思われたが、実際はそんなことはなかった。普段の手挽きとはまた違う味わいだが、これはこれで悪くない。君はどうだ、とアルハイゼンの方を覗けば、ひとくち目をこくんと飲み干したあとにじっとカップの中を覗いていた。

「七十点」
「お、及第点」
「抽出中のやかましさを差し引くと落第だがな」
「はは……まあ、ただコーヒーマシンを作っただけじゃしょうがないからな。なにか付加価値を付けなきゃだめだって思ったんだろう」

 僕に声をかけてきた学生たちのチームは、妙論派・生論派・因論派の混成だった。彼らは人々の暮らしに深く根ざしたコーヒーに着目して、QOLのさらなる向上をテーマに「人が心地よいと感じるもの」をコーヒーマシンに組み込んだのだという。その流れでなぜカラオケ音源が組み込まれているのかについてはおいおい聞くとして、自分たちの手で人々の生活を良くしたいという志そのものはまっとうで、尊いものに違いない。
 新薬の開発や未踏の遺跡の発見のように、それ自体が学術的な躍進に直接結びつかなくても、老若男女すべての人がしなければならない「生活」を潤す試みもまた、人の心を豊かにする学問のかたちだ。スメールの繊維や建築を担ってきた妙論派の系譜としてもその視点は決して的外れではないし、いつか雨林と砂漠の隔てなく、そういった研究が実を結んで皆の生活が豊かになればいいと思う。

「あ、そういえばこのマシン、スチームもできるんだってさ。ミルクをスチームしてエスプレッソに載っければ、カフェラテとかカプチーノも作れるぞ」
「凝り性の誰かさんが喜びそうなことだ」
「うん? 別に君だって、飲むぶんにはきらいじゃないだろ。昔、君がカプチーノを飲んだことがないって言うから、テスト期間が終わってから一緒に飲みに行ったじゃないか。ちょっと飲みにくそうにしてミルクのひげを作ってたの忘れたのか?」

 懐かしい思い出をひとつ取り出せば、アルハイゼンはふん、と鼻を鳴らした。忘れろと言いたいのだろうが、残念ながらそうは行かない。今はこんなにでかくても昔は僕より背の低い子どもだったのだ。かわいい頃の記憶は何度だってなぞっていたい。
 にまにまと頬の緩んだ僕を見てアルハイゼンが大げさなため息をついて立ち上がった。カップの中身はとっくに空だ。二杯目は?と聞くと、自分でやる、と取扱説明書を手に今度はアルハイゼンがキッチンへと消えていく。なんだかんだ自分も触ってみたいのだ。あの頭のてっぺんの癖っ毛もこころなしか興味深そうにふよふよ揺れている気がして、口端がさらにむくくと上がるのを誤魔化しながらカップを傾けた。

 かくして期間限定のコーヒーマシンとの生活は幕を開けた。
 コーヒーを飲む前に抱いていた「やっぱり安請け合いしちゃったかも」という迷いはすでに小さくなって、今では次になにを飲もうかと空いたカップに思いを馳せている。こうなったら、これからの三週間は手挽きとマシンを行き来しながら、存分に家カフェを堪能しよう。エスプレッソ、マキアート、カフェラテにカプチーノ。家ではなかなかお目にかかれない本格的なものにも挑戦してみたりして、生活を潤してもらおうじゃないか。

 キッチンのほうからはベベン、と民謡チックなイントロが流れ始め、アルハイゼンがため息を付きながらタオルを押し付けている。そんな妙ちきりんな光景にもわくわくしながら、僕は二杯目のコーヒーを待っていた。