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ロンド
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グランドオーダー
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満ち満ちて枯れ尾花(原藤&彦+勝)
藤堂と原田が特異点鹿鳴館に潜入する話。薄っすらと付き合ってる原藤。+彦斎と勝先生とぐだ子。
鏡台にはむすっとした顔の令嬢が写映っている。
令嬢が着るのは、一般にバッスル・スタイルと呼ばれる、腰の後ろからボリュームたっぷりに盛り上がった西洋のドレスだ。急ごしらえで用意されたにしては良い物なのだろう、と藤堂は逃避する。紫色の光沢ある生地も切り替えに足された赤い布地も、生前に触れたことがないほどすべらかな触り心地であったし、ドレスと同じ生地で作られたリボンと手編みだろうレースがふんだんについている。
藤堂は袖口から覗くレースの模様が眼を凝らさなければならないほどきめ細かなものであるのを眺め、飽きて鏡を見直す。この格好への不満を隠し切れない藤堂の顔が映っていた。
「可愛いお顔がだいなしですよ、お嬢様」
「クソ野郎
……
」
「こら。お嬢様がそんな悪辣な言葉遣いはだぁめ。はしたないですよ」
「お嬢様じゃない。その喋り方ムカつくからやめろ」
ぱちくり、と仕上げの髪結いに興じていた原田が手をとめる。器用なことに、結い上げるには短いだろうごわごわした癖っ毛も大量のピンでそれらしい形になっている。いまは後れ毛がどうとか云って整えられている最中だ。鏡台の小皿には、最後に飾られるであろう大ぶりの藤の髪飾りと畳んだ黒手袋が置いてあった。
原田は猫のように
——
彼自身は赤狼だが
——
きゅうと半月に目を細めた。
「慣れですよ、慣れ。必要なときにボロ出さないようにするには反復練習が重要なんです。実戦っつーのもいきなり刀振れば斬れるもんじゃなくて、日々の稽古の延長線にあるでしょう?」
「
……
僕の知ってる実戦と稽古じゃない
……
」
「あ、頭振らないでください。飾り落ちますんで」
できうるものなら鏡台の机に突っ伏したい。頭は重たいし、顔は粉っぽくて触るのも気が引けるし、なにより首から下は窮屈な西洋のドレスに覆われている。
藤堂は深々とため息をつきたくなった。
コルセットを原田に蹴られながらギチギチに引き締められたせいで息をするのも苦しい。サーヴァントの呼吸はあくまで人間を模したものでしかないとはいえ。腰や背中を無茶な具合に締めつけられて動きが大幅に制限されているような気がするのだ。
「なぜ僕が女装なんだ
……
他に適任者いただろ
……
」
「マスターに最前線の潜入なんて危険やらせるわけにはいかねえっしょ。彦斎の姉さんなら、あのひとに務まると思います?」
『わかったわ。
——
マナーなんてわずらわしいから、斬る』
淡々とした口調ながら物騒な言葉がありありと再生できて藤堂は眉を上げる。あれはお嬢様なんていう可愛げのある生き物ではない。以前、自ら進んでメイドを演じたときは接客態度も愛想もやる気があるのかというくらいの出来栄えだった。
原田はいよいよ藤の花の髪飾りの位置を調整している。鏡越しの藤堂の恨めしげな視線とは合わない。
「まあ姉さんも焚きつけることは可能でしょうけど、根本的に、一日叩き込んだ付け焼き刃のダンスがまともに見れるものになったかっていうと別の問題ありますからね」
「なんかぜんぜん嬉しくない評価」
「胸張ってくださいよ。俊才の魁先生。それとも、俺と新婚夫婦役はお嫌ですか?」
ふだんは話題の彦斎と同じくらいに死んでいる眼に、悪戯なきらめきが灯る。今夜の設定を思い出させられてうっと藤堂の喉が詰まった。
藤堂が答えぬ間に背後の扉が開いた。別途張り込みをする計画を立てていたはずのマスターたちがわらわらと入ってきて、マスターの藤丸が飛び上がらんばかりに駆け寄ってくる。
「おわー! すごい! 藤堂君すっごい可愛い! 深窓のご令嬢って感じ!」
「ほんと。馬子にも衣装」
「上手いこと化けたねえ。額の傷は前髪で隠したの?」
「そうっす。化粧でも誤魔化してもいるんで、ぱっと見じゃバレやしねえと思いますよ。元の素材がいいんであんま手を入れずに生かしました」
「へえ
……
。藤堂君けっこう鍛えていたと思うんだけど、袖の膨らみと首のレースで隠してるんだ。胸も詰め物入ってる? 喉仏も目立たなくなって、黙ってればそれっぽくも見えるもんだねえ」
勝の無遠慮な指が首元のレースに伸ばされる。思わず藤堂は肩を跳ねさせて身を引こうとすれば、直前で阻止された。骨が潰れそうな音がした。
ギチギチと青筋を立てる原田がにこりと口角を上げる。
「勝先生。淑女にお触りは厳禁です」
「いや待ってさっきまできみも」
だらだらと汗をかく勝。心なしか生気が萎えている。
「先生、アウトよ」
じっとりと睨みながら鍔に指をかける彦斎。
助けを求めるように勝の視線が藤丸にずらされる。藤丸はもじもじと指を組んで苦笑いをした。
「勝先生。だめですよ、可愛いからってすぐ手を出しちゃ」
一切の情けなし。トドメの一言に勝は崩れ落ちた。
茶番のようなやりとりに藤堂は白い眼で見やる。正直、慣れないドレスに姿勢を維持するのに精一杯で、体育座りでうずくまっている涙目の中年男を可哀想と思えるような余裕は浮かばなかった。
*
二十世紀初頭、東京。
明治も終わりに近づくこの時代、本来の歴史では役割を終えたはずの鹿鳴館がいまだ外交の中心となっている微小特異点。
夜な夜な舞踏会が開かれては多くの文化人が集っている。しかし、鹿鳴館にはそのような歴史はない。通信におけるダ・ヴィンチの見解では。なにより、聞き捨てならないような噂が立っていた。
——
曰く、招待客から毎夜ひとりずつ、願いを叶えてもらえるのだと。
「眉唾ですね」
「十中八九、特異点の聖杯だよな」
どこをどうやったのやら、勝が用立ててくれた招待状を手に藤堂と原田は馬車の中で向かい合っている。
手に入った招待状は男女一組分だった。内部で何が起こるのかわからない状況で、マスターを守りながら対処するのは一騎だけでは心もとない。かといって、唯一の女性同行サーヴァントの彦斎はダンスの素養が絶望的になかった。
よって、やけくそまぎれに礼儀作法と基本のワルツを会得した藤堂が女装、潜入作戦に向いた原田の二人が新婚夫婦を装って舞踏会に堂々と正面から忍び込むことになった。万が一バレた場合、男女で捜索されるだろうことから、ある程度の時間稼ぎが狙えるという合理的な理由もある。舞踏会の間、藤丸と彦斎と勝の三人は周辺に張り込んでいる手筈だ。
藤堂は初っ端から後悔し始めていた。
藤丸に帰還後の高級チョコアイス進呈込みで頼み込まれては断れるはずもない。もとより藤堂は勉強も鍛錬も好きで、サーヴァントの聖杯知識も入ってたやすいことだと引き受けたはずだったが。
(原田さんが似合いすぎて、僕が不釣り合いだよ)
ドレスアップした藤堂と同じく、原田も夜会用の漆黒のイヴニング・コートを着込んでいた。日頃の目元が隠れるようなざんばらの髪でなく、後ろにきっちり撫でつけているせいで精悍な顔立ちがあらわになっている。原田は大柄な男だ。藤堂であれば背伸びをしたようにしかならないだろう西洋人の改まった衣装を、彼は惚れ惚れするほど完璧に着こなしていた。
「平助」
「ひゃい!」
呼びかけられてあやうく藤堂は飛び上がるところだった。動きづらいドレスは衣擦れを立てただけだったが。
「ぼうっとしてたろ。つらくないか?」
「だ、大丈夫です。原田さんは
……
」
「呼び方なんだが。ちゃんと名前で呼んでくれるか?」
原田はまるでほんとうの紳士のように、あらたまったやさしい声色をしていた。その声が恥ずかしさを沸き立たせてきて藤堂の白粉を塗った頬は紅に染まる。
引き受けたからには役になりきらなければ。任務への意気込みが藤堂を奮い立たせた。
「さ、左之助、さん。
……
どう、ですか?」
「
……
おう」
なぜか原田も照れたように腕を組んで頬をかいている。藤堂は座り悪く姿勢を直した。逡巡し、原田は首をかたむける。
「そんじゃ、平助ってのも変だし、
……
藤子」
「安直すぎません?」
「突発的な潜入ならすぐ口につくような単純なのがいいんだよ。耳の反応もいい」
なるほど、密偵らしい観点だと藤堂が素直に感心していると、馬車がガタンと前後に揺れる。ずっと続いていた地鳴りのような音が静まり、原田がカーテンの隙間を開けて外を覗く。気楽に笑っていたような原田の眼が細められて、藤堂は気を引き締めて両膝の拳を握った。
「着いたようだな。いいな?」
「
……
ああ」
「お嬢様、言葉遣い」
「
……
わかりましたわ」
雇いの御者が扉を開ける。いつもの癖で真っ先に藤堂が飛び降りようとして原田に制止され、原田が降りてから手を差し伸べられる。そういう作法なのだと理解するまでに数秒を要した。
藤堂は低めのヒールながら裾を踏みつけないようにと注意して立ち上がり、黒手袋をはめた指先で原田の手を支えに地面に降り立つ。慣れない衣装に一瞬くらりときたときも原田が背中を支えてくれて踏ん張れた。
自然に腕を絡められる。顔を上げると原田があんまりやさしい顔をしていたので、藤堂もらしくなく微笑んだ。
「行こうか、藤子」
「はい。左之助さん」
招待状はつつがなく通された。鹿鳴館は煉瓦造りの西洋風の外観にたがわず、内装もまた異国に訪ったと思えそうなほど
外国
とつくに
をよく模していた。天井から垂れ下がるガラス細工のシャンデリア、草花の壁紙に金の装飾、ところどころに飾られる高価そうな壺や絵画。花と咲く男女がざわめきを作っている。
藤堂は努めて微笑みを維持しながら原田にエスコートされて玄関ホールをゆっくりと移動した。傍目には仲睦まじい夫婦に見えたことだろう。
招待客たちは顔見知り同士もいれば初対面もいるようで、人の動きは流動的だった。共通しているのは、全員が眼に欲を孕んでいることで、ひそひそ声で互いの腹を探り合うように語り合っている。
……
昨夜はどなたが選ばれたの。どんな方が特別に
……
ええ、絶対に叶うんですってよ
……
。私なんて一か月も通いつめている
……
。藤堂は他人の願いごとにはなんの感慨も湧かなかった。
英霊は願いをかけて聖杯戦争に現れる。藤堂もまたひとつの望みを持っていた。奇跡でも起きなければけっして叶わないような夢、手の届くはずがない高望み、もしも本気で取り組むのであればカルデアを裏切るのも辞さない欲望。それに正義なぞ建前もなかった。人理の英霊たちが集うカルデアに所属している間は忘れられるような儚い夢だ。
そう、ほんとうにどんな願いも叶えるのであれば
——
。
恩讐の炎がささやく。
「藤子、階段気をつけて」
「
……
っ、はい」
正装の客人が昇り降りするために階段の段差は低かったが、二階まで上がるのに藤堂は原田のがっしりした腕に捕まらなければならない。歩くたびに義足が靴に擦れる音がするのではないかと恐れた。
最後の一段を登り終え、ほっと息をつこうとして、目の前の光景に藤堂は圧倒された。
玄関ホールもすばらしいものだったが、舞踏室はさらに贅を極めたような壮観だった。
すべてが光りまばゆいている。百坪をはるかに超える広さのホール。かぐわしい香りが鼻をくすぐり、西洋音楽とともに男女が優雅に舞っている。傷ひとつない大理石の床を踏むのに脚がすくみそうになる。息を呑んで固まってしまった藤堂に、原田は身をかがめた。機械の造りものではない、手袋越しの右の指に触れる。
「緊張してる? なんて云ったって鹿鳴館だものな。でもせっかく招待状を父上からいただいたんだ、楽しもうじゃないか」
出立前に頭に叩き込んだ設定を反芻しながら、藤堂は軽く頷いた。原田に手を引かれてまずは全体を見渡せる端に陣取る。
新しい客を狙ってすぐさまボーイが銀の盆を手に近づいてきた。
「旦那様、オレンジのジェラートはいかがでしょう」
「ああ、いいな。ひとついただこう」
ジェラートと聞いて欲しくなった藤堂をよそに原田はひとつグラスをもらっている。頭上のやりとりを恨めしく思っていると、一口舐めた原田は表情をやわらげた。
「これは美味いな。藤子、おまえもどうだ。これなら食べられるだろ」
さじを口元に差し出されて藤堂は戸惑った。原田は妻をいたわる旦那を装ったまま、唇だけが『毒はない』と動く。毒味をしてくれたのだと藤堂は気づいた。
つい、とさじをついばむ。爽やかな冷たい甘味が舌に溶けていって、藤堂も頬が緩んだ。
「美味しいです」
「よかった」
どことなく気が緩みそうになって、これではいけないと任務に集中しようとするとまたさじが降りてくる。
結局ぜんぶ食べさせてもらって、食器を下げてもらうころには、藤堂は別の意味で緊張を強いられているような気がしてきた。
(近い
……
ずっとぴったりくっついてるし! そりゃ夫婦役だけど! それに、このひとだけ余裕たっぷりなのも腹立つ
……
!)
さすがは生前、間諜であることを一切悟られなかった原田だ。思ったことがすぐ顔に出てしまう藤堂と違って、演技が板についている。とんだ役者だ。服装も振る舞いも口調も、これほど近くにいるというのに別人のようだった。
この、余裕綽々な原田にどうにか仕返しをしてやりたい。
任務の目的からややズレた激情を胸に、藤堂は行動に出た。
「は、
……
左之助さん。わたしたちも、踊りませんか」
藤堂は可憐な令嬢を意識して袖を引く。精一杯に背伸びをして。原田はきょとんと眼をまるくして、それから相好を崩して、正式なお辞儀とともに手袋の先にキスを落とした。
「もちろんだ」
オーケストラの曲が入れ替わる。
藤堂と原田はホールの中央に躍り出た。
ウィンナー・ワルツ。もっとも有名でスタンダードな西洋ダンスのひとつ。三拍子のリズムを数えながら、藤堂は原田のリードに沿って胸をはわせる。コルセットを装着した背中にてのひらが回されて、ぞくりとした気配が駆け巡った。
ゆったりとしたターンに身体を慣らしていく。ヒールのある靴のおかげで、いつもなら原田と並び立つときには胸板に邪魔される視界がわずかに広い。
原田は藤堂を気遣っているように見せかけて、藤堂に倣って客の様子をチェックしているようで、視線は合わない。曲に合わせてくるくると回転しつつ、ときに大胆に移動する。ステップについていくだけで藤堂は必死だ。ターン、スイング、ターン。ぎこちなかったステップは次第に息が合ってきた。
髪を上げた原田の顔に見惚れるだけの余裕も生まれてきていて、藤堂は自分の場違いさにまたも思ってため息をついた。
(踊るなら、女装の僕じゃなくてマスターみたいな可愛い女の子がいいよなあ
……
)
「どうした?」
「いいえ。わたしはこんなに胸が張り裂けそうなのに、あなたは、ずうっと澄ましていらっしゃるのだもの。お気にかかることがあって?」
芝居がかったような口調を意識して藤堂は唇をとがらせてみる。内心では心臓がばくばくと跳ねていた。少しでも動揺を誘えたら溜飲は下がるのに。
原田がじっと覗き込んでくるので、藤堂は負けじと見つめ返した。こういうときには眼を逸らした方が負けだ。おざなりなステップを踏みながら、端から端まで踊っていく。
ややあって、原田がふいと首を明後日の方向に逸らした。
「
……
いまさら、緊張することもねえだろ。だって、俺は
——
」
『レディース・アン・ジェントルメン。今宵もようこそ鹿鳴館においでくださいました』
突然に音楽がかき消えた。照明が一点にしぼられる。人々にざわめきがあがり、波が湧き上がるようにホールは盛大な拍手に包まれる。
瞬時にけわしくなったことを周囲に悟られぬよう原田に抱き込まれ、藤堂は瞼を閉じてひと呼吸で令嬢役を取り繕った。拍手がやむころに腕の中から抜け出すと、オーケストラは立ち去り、そこに主催と思わしきヴェネツィア仮面をつけた女性がスポットライトを浴びて立っていた。藤堂と原田が立つ位置からちょうど斜め前だ。数人が前に立っているおかげであちらからは二人が見えづらいだろう。
仮面の女性は不思議と全体に響き渡る甘い声で、挨拶の口上を述べている。物音も許されないようなしんと静まり返ったホールには焦らされるような異様な雰囲気が広がって、招待客みなが欲に濡れた表情で聞き入っていた。
『さて、大変長らくお待たせいたしました。みなさまお待ちかねのものが今宵もご用意できましたので、ご案内いたします。みなさまは『願いごと』をおひとつ、心にお決めでしょうか?』
こくりと藤堂は息を呑む。目的のものは現れた。藤丸に頼まれたように真実をつまびらかにすることに専念しなければならない。一言も聞き漏らすまいと耳をかたむける。
仮面の女性は大仰な手振りとともににこやかに告げた。
『初めてご招待させていただきました方のために、ご忠告を申し上げます。
一、願いごとはおひとりのみを選ばせていただきます。
二、選ばれた方は、どんなに途方もない願いごとでもおひとつ叶えて差し上げます。
三、願いごとは今夜、いますぐに叶います。
四、願いごとの取り消しはできません。
五、願いごとには代償に
——
『大切な方のお命』を支払っていただきます。
以上、五点をご了承いただき願います』
どよめきがあちこちから上がる。おそらくは初見の客なのだろう。ほとんどの客は、概要を知っていたのか黙りこくっていた。
(命を捧げる
……
聖杯の炉にくべるつもりなのか。だけど、人間ひとり分程度では聖杯の力を発揮するにはぜんぜん足りない
……
どんなからくりなんだ
……
)
原田に意見を訊いてみたかったが、いつの間にか寿司詰めのように観客が増えていて身じろぎが取れない。離ればなれにならないよう、原田に抱き寄せられたままじっと機会をうかがうほかない。
しばしの逡巡の間、舞踏室を出ていった招待客はそう何人もいないようだった。音を立ててホールの大扉が閉じられる。
完全に閉じ込められた形となった。
仮面の女性は慇懃な一礼をする。くるりと手首を回すと、白い月明かりに似た球が浮かんだ。灯りの落ちた室内ではいっそう光り輝いていた。ほうっと物欲しそうなため息がさざめいていく。
魔術にうとい藤堂でも機械で改造された手足の軋みで直感的に感じるほどの魔力のかたまりであることがわかる。特異点に生まれ落ちた聖杯の欠片であるのは間違いない。
『それでは、当夜の幸運なお方にお印を贈呈いたします』
光の球は仮面の女性の手から離れ、視線を一手に集めながらまっすぐに選ばれた者のもとへと向かってゆく。
藤堂のもとに。
息をつめていた藤堂の頭上から、光の球はちょうど目線の先で浮かんで止まった。招待客たちが輪をつくるように離れていく。うらやましい、そんな声が耳に届く。原田が肩に食い込むほど爪を立てているせいで痛いはずなのに、藤堂は光の球から眼が離せなかった。
藤子、と原田が焦ったような声を出す。こんな最悪の状況にも、「まさか妻が選ばれると思ってもみなかった夫」の役者をかぶっていることに藤堂は頭の片隅で少しのおかしさを感じていた。まさか原田自身も藤堂が選ばれるとは思っていなかったに違いない。藤堂もその可能性を喪失していた。いまのいままで。
『おめでとうございます。願いごとを、どうぞ、はっきりとお伝えください』
願いごと
——
望みならばあった。
聖杯にかけたいほど餓えた、大それた願いが。起こるべきでない奇跡が。
藤堂のエーテルでできた内蔵に潜む恩讐の炎が、光の球に映し出されたように揺らめいているようだった。
「わたし、
……
僕、の願い
——
は
——
」
云ってはならない。それは途方もない裏切りだ。頭では警告音がしきりに鳴っているというのに、口は勝手に動き出して舌が言葉をかき鳴らす。
「伊東先生、とみんなが
……
」
生き返ってほしい?
それとも、もう一度会いたい?
否、否
——
アヴェンジャーの炎は否を発して嗤う。
そんなちゃちな願いではないだろう。
さあ、望みを云え。聖杯に魔力を浸せ。
「みんなが死なないように
……
油小路で起きた事件を
——
惨劇を、なかったことにしてほしい」
原田の制止は遠い。
最後まで告げた瞬間、藤堂の意識は白に包まれた。
*
月夜に山茶花が咲いていた。
御陵衛士の屯所ではいま、宴会中だった。新選組との話し合いがうまくついた祝賀だった。
先方でも酒を引っかけてきたくせに、伊東はまだ呑んでいるようだった。舌が回らないほどべろべろになっても楽しげに、今後の世間がどのように発展していくのか、服部と面白おかしく話している。たいへん陽気なのはよろしいが、はたして二足歩行のサメが武装して武器を持ったとしたら国をどう守るのかという、前提から破綻している話には意義があるのだろうか。
藤堂は広間をこっそりと抜け出した。散歩をしたいと思ったのだ。伊東に勧められて一口ばかりいただいた酒で頬はほてって、冬の夜風は心地よかった。
夜に馴染む赤い羽織はもはや新選組の隊士ではないことは誰から見られても明白だったが、元同志とはその後もゆるりとした交流は続いていた。
だから、なんとはなしに足を向けた道中にある油小路で、人が集まっているのだと気づいたとき、藤堂はなんの警戒心もなく近づいた。夜目でわかりづらくとも町民たちの中心にあの浅葱の羽織はちらと見つけられた。
「どうしたんですか、みなさん
……
」
人混みをかきわけて踏み入った藤堂は、信じられないものを目にした。
原田左之助が、死んでいた。
死損ねの左之助とうたわれ、切腹未遂の傷を喜んで笑い飛ばすような彼が、腹を裂かれて、苦悶を浮かべてこと切れていた。
とっさに駆け寄ろうとした藤堂を隊士が塞ぐ。
「なんで! 十番隊隊長の原田さんを、なんで
……
!」
『彼は裏切り者だ』
隊士の影が云った。
『幕府の密偵だった』
『だから処罰した。殺した』
誰かに似た隊士が語る。
『もともと怪しいって思ってたんだよねえ。尻尾を出してくれてよかった』
『クソッ、こいつが裏切り者だったとか
……
俺たちの関係はそんなものだったのかよ
……
』
『しょうがないですよ。敵だったんですから』
口々に勝手なことを語る。影は深くなる。
藤堂は頭を振った。
「そんな、そんな馬鹿な! たしかに原田さんは裏切り者だった! 最初っから裏切ってた! でもずっと、誠のために尽くしてくれたじゃないか! 原田さんの志をぜんぶ、ぜんぶなかったことみたいに云うなんて!」
『過去をなかったことにしてほしい。それがあなたの願いだったのでしょう?』
柄に手をかけて藤堂が振り返ると、野次馬が消えて仮面の女性が立っていた。京の町には不釣り合いであるはずなのに、忘却補正のスキルを持つ藤堂は、はっきりと彼女の姿をえがいた。
『だから彼は死んだ。あなたの願いと引き換えに』
「
……
っ!」
藤堂は冷静になろうと深呼吸をする。
たしかに藤堂は願った。伊東が死なぬように。御陵衛士が救われるように。そして冷たい夜を転機に転落してゆく新選組に、ましな最期が与えられるように。聖杯戦争に召喚される藤堂は、復讐心の源の抹消を望まずにはいられない。
しかし、その抹消された歴史の果てにはアヴェンジャーの藤堂はいるのだろうか。いわんや、原田の人生を巻き込んで、代償となった彼が無惨に果てるというなれば、藤堂の真なる願いは叶わない。
新選組も御陵衛士もなく、藤堂が大切な人々みながまた手を取って笑い合って過ごせるようにと。
この歴史は、聖杯によって歪められたまやかしだ。
悪夢を終わらせるには何をすればいいか。本能的に藤堂は知っていた。
「ああ。この悪夢を願う者がいなくなればいい。僕は、七条油小路で死んだ」
抜刀する。上総介兼重が青くまたたく。
我は復讐者なり、怨念で自らを焼き尽くす者なり。この炎は、憎しみは誰にも奪えやしない。再臨した藤堂はアヴェンジャーの襤褸をまとい、継ぎ接いだ肌が火花を散らす。
眼を見開く。血走った赤が滲む。女の姿をした聖杯の魔物がケタケタと嗤っていた。
「僕も、おまえも、生かしては帰さない
——
『魁・一番星‼』」
*
きらきらと星が降り注ぐ。
藤堂がはっと目覚めたと同時に、鹿鳴館の窓という窓が吹き飛んだ。ヒールの靴にたたらを踏んだ藤堂は原田に支えられ、状況の把握に努める。
切羽詰まったような原田と眼が合った。夢の中と違ってひとつの傷もあるように見受けられない。何が、と云いかけようとしたらしい原田だったが、間延びしたような悲鳴が流れてきて、藤堂と原田は体勢を立て直した。
月夜に照らされる窓から、彦斎と彼女に抱えられた藤丸が飛び込んできて軽快に着地する。
「ひゃああああ
——
とおっ! 御用改めさせていただきます!」
「マスター、その口上やめてほしい。お願いだから」
藤丸に襲いかかった魔物を切り捨てながら淡々と彦斎が呟く。
一瞬の気絶の間に、舞踏室内は騒然としていた。招待客の半分は魔物へと変化し、半分は逃げ惑っている。願いに心を囚われた犠牲者たちの騒乱。藤堂はドレス姿のまま上総介兼重を出現させ、原田も得物を手に振りかぶった。
「平助、何が起こったかわかんねえが、おまえそんなんで戦えるのかよ!」
背中を預ける原田が叫ぶ。腐り落ちる男を薙ぎ払い、藤堂は返す。
「僕はいい、構うな!」
悪夢の中での宝具の使用によって、意識下のことであったとしても藤堂の身体は崩壊寸前だった。刀を振るたびに義肢が壊れそうに痛みを訴える。窮屈すぎるドレスの重みと締めつけがぎりぎり分解を留まらせている。
藤堂は重心を保ちながら魔物を切り裂く。
「はい、退いてー」
魔物の殴り攻撃に横入りして鞘で殴り倒した勝は息を切らしていた。藤堂に向かって即座に魔力回復が飛んでくる。
「あーあ、藤堂君なんでそんなボロッボロなの? その衣装目ん玉飛び出るほど高かったんだけど」
「勝先生、いままでどこに」
「いや、急に大っきな魔力反応があったからね? どうなったかと心配するじゃん? 玄関が封じられていたから僕が『無血開城』したのよ。そんで、彦斎君がマスター君抱えて飛んで行っちゃうもんだから
……
」
「わかりました。どうでもいいので追加バフください」
「あ、俺もください」
「ちょっとお、お若いのさん、オジサンの話最後まで訊いてよねえ⁉」
スキルを使いつつも勝の視線はすでに藤堂や原田にはなかった。
先刻まで仮面の女性が立っていたはずの場所には、禍々しい光の球が浮かんでいる。特異点において願われ、捧げられ、歪められた聖杯。なみなみと満たされた杯は重ねられた怨嗟の呪いを煙のように吐いている。
魔物はことごとく切り捨てられ、カルデアの一行だけが光の球に相対していた。
「おわー。いまにも魔力あふれそうじゃない。何やった?」
「聖杯に必要なだけの魔力を満たしたんでしょ。そこのどっちかが」
「そっかー、なんか藤堂君が燃料切れっぽいのわかった気がする」
吞気な口調で彦斎と勝は話しながらそれぞれに藤丸をかばう。
焼き焦がすような炎はまたもささやいたが、藤堂は答えを吐き捨てた。
——
あんなもので叶える願いなんか要らない。僕はカルデアで、みんなを待っている。
「元凶が出てきたならわかりやすくて助かる。斬るわ」
彦斎が事もなげに云い放った。原田と勝は何かを突っ込みたそうにしていたが、彦斎は低く構えを取る。
魔力の増大。特異点が暴走を始めようとする。藤丸が令呪の手を掲げる。
「オーケー、彦斎ちゃん。魔力回す!」
「
——
『抜刀・神威』」
神をも斬る一太刀が鹿鳴館の屋根ごと光の球を切り伏せた。
光の収束とともにただの魔力のかたまりへと融解してゆく聖杯を前に、勝は「最初から彦斎君ひとりでよくない?」とぼやく。
吹きさらしの月が嗤っていた。
*
微小特異点の修復を確認して、カルデアへの帰還後。
メディカルチェックを終えて廊下を歩いていた藤堂は、食堂前で原田を見つけて駆け寄った。
「原田さん」
「おう、平助。解放されたのか」
「おかげさまで。お腹空きました」
「俺もだ。一緒に飯食うか?」
「はい、原田さんがお嫌でなければ
……
」
「構うこたねえだろ。俺が誘ったんだから」
癖っ毛の頭をわしゃわしゃと撫でられるとくすぐったい。よかった、いつも通りだ。自分の女装は忘れるに限る。
食堂に入ると、気づいた彦斎と勝が手をこまねいている。ともに奔走した連帯感で応じると、二人は図面を広げていた。パフェや白玉団子のフルーツポンチの絵はなかなか美味しそうだ。藤堂もチョコレートケーキに眼を惹かれた。
「また喫茶店やるんすか? 愛想控えめ、量多め、味微妙の」
「愛想と量はともかく、厨房の協力取りつけたから、味は期待してもらってもいいよ。二日間の出店許可貰ったんだよね。彦斎君もやる気で」
「今回は純喫茶なの。マスターとマシュにタワーパフェをごちそうするつもりよ。いまメイド募集中。藤堂、やる気ない?」
「えっ」
雲行きが怪しくなってきた。いつも死んだような眼をした彦斎が心なしか輝いているように見えた。
「ドレスもちゃんと似合ってたもの。メイド服は支給するわ。わたしとお揃いの色違いで」
ずいと身を乗り出してくる。断ったら斬られるんだろうか。困った藤堂が視線を横にずらすと、勝は明らかに視線を避けて口笛を吹いた。肝心なところで止めに入ってくれない勝に藤堂は恨んだ。
彦斎に迫られて返答に窮する藤堂の肩に、のっしりと重みが乗る。
「だめです。彦斎の姉さんの頼みでも聞けません」
「あら。左之助が待ったをかけるの?」
「だめです」
胸を押さえつける勢いでぎゅうぎゅうと締めつけられて苦しい。一言文句を云ってやろうと振り向くと、原田の顔が思いのほか近くにあって、心臓がどきりと跳ねた。
黒々とした眼と合った。
藤堂にしか聴こえないような甘ったるいささやきが耳を刺激する。
「向こうでも云いかけたけど、俺だって平助のあの衣装は可愛くてどうにかなりそうだったんだよ。だったら仕事に専念するしかねえだろ。他の奴らに見せられるかっての」
見る見るうちに首から額まで熱が上がってくるのを感じ、藤堂は羞恥で焼き尽くされそうになった。
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