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那須野
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寿月
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夏咲く夜に
【寿月】数年後同棲プロ時空*私服夏祭りデートに行くふたり。
毛利とふたり並び歩く人混みの向こうから、かすかに祭囃子が聞こえる。頭上に広がる夏の夜空は、河川敷沿いの通りにずらりと並んだ屋台の電飾の明かりに押し上げられてあわい橙に滲んでいた。
「賑やかやねぇ」
「ああ」
わたあめ、かき氷、金魚すくいにヨーヨー釣り。
いかにも、といった字面があちらこちらに踊る空間では、子どもも大人もみなどこか浮かれた様子で束の間の非日常を楽しんでいる。浴衣に身を包んだ人々も多く見受けられ、私服姿の自分たちは少々異分子めいて感じられるほどだった。
多忙な日々の合間、地元の夏祭りにパートナーと出掛ける機会を得られただけでも重畳だが、やはり浴衣程度は用意しておくべきだったのかもしれない。
練習の際にはトレーニングウェアを、試合に臨むときにはユニフォームを着るように、場に適した服装、というのは往々にしてあるものだ。
せめて、随分前からこの日を楽しみにしていたらしい毛利の分だけでも
――
否、毛利のことだからふたり揃ってでなければ嫌だと言うだろうけれども
――
と他愛ない思考を巡らせていると、傍らの男が自身を見上げて首を傾げた。
「
月光
つき
さん? どないしました?」
「
……
いや、なんでもない」
「?」
「買い物も済んだろう。そろそろ移動したほうがいい」
「せやった、ええと
……
ほんならとりあえず、向こう抜けましょか」
「
……
向こう?」
祭りに合わせて行われる打ち上げ花火の開始時刻もすでに差し迫っている。
拠点施設でのトレーニングを終え、自宅に荷物を置いて早々に出店の会場に移動してきたものだから、腹拵えも済んでいない。どこに行くのかと問うた自身に、毛利はもと来た道を見遣って得意げに笑んだ。
「へへ、クラブのスタッフさんがこっち地元らしゅうて、穴場の公園教えてくれはったんですよ。ここからはちょい離れやるけど、静かでエエ感じなんやって」
「
……
そうか」
「混んどるとこより
月光
つき
さんとゆっくりできるほうがええなぁ思たんやけど、
……
大丈夫でっか?」
説明しながら俄かに不安を感じ始めたらしく、語調が徐々に尻すぼみになっていくのが子犬のようですこし可笑しい。屋台で買い込んだ軽食や飲み物が入ったビニール袋をひとつ毛利の指先からさらいとり、身を屈めたついでにそばでちいさく応えを返す。
「さして問題ない。
……
ありがとう」
「
……
! はい!」
ぱっとこちらを向いた男の双眸が、祭のあざやかな光を汲んでちかりとまたたく。眩しい。
自分の声量では、相手に近付かなければこの賑やかさに言葉がかき消されてしまうからだ。決して非日常に当てられているわけではない。
***
スマートフォンの地図を確かめながら進む毛利に続いて歩くこと約十分。住宅街のなかにある坂道を登りきった先に、件の「穴場」はあった。
敷地内にまばらに佇む電灯が、慎ましい大きさの遊具をひっそりと照らしている。そのほかには小さな手洗い場がひとつと、ベンチが数台ある程度で、公園よりも広場と呼んだほうがしっくりくる趣だ。
さほど大勢ではないが、近隣住民らしき人々が折り畳みの椅子などを携えめいめい場所を確保している。河川敷の混雑と比べれば随分と落ち着いており、確かに穴場なのだろう。
「
月光
つき
さん、こっち空いとりますよ」
「ああ」
敷地内の様子を眺めていたところを、毛利に呼ばれて向き直る。やや奥まった位置にある植え込み前の段差へ腰を下ろした。
少し距離はあるものの、川沿いのひときわ明るい一帯
――
祭りの会場を眼下に見渡せる。目立った遮蔽物もなく、成程花火観覧にはあつらえむきの場所だった。
荷物を膝に置き、軽く背伸びをした毛利が、そっと周囲を見回して呟く。
「他ん人みたくちっさい椅子持ってきやったらよかったですわ。
月光
つき
さん、腰痛うないですか?」
「問題ない。
……
お前は」
「俺は全然! 腹はめっさ空いとるけど」
「そうだな。食事にしよう」
手軽に済ませられるものばかりだが、買い物袋の中身をそれぞれ取り分けて手を合わせる。
ふたりぶんの「いただきます」の小さな唱和。握り飯にひとくちかじりついた毛利が、腕時計をちらと覗いて視線を空に向けた。
「あと五分くらいやね、楽しみやなぁ」
「ああ」
主語がなくとも伝わる弾んだ声に、緑茶で喉を潤しつつ首肯を返す。
この男が、夏の夜空に上がる花火を子どものように心待ちにしていたことを知っている。むろん自身とて少なからず楽しみに思っていたのは確かだけれども、花火が見たいのか、それを見て喜ぶ毛利の姿が見たいのか、と問われれば、自分は後者であると答えるだろう。
「晴れてよかった」
「へへ、ホンマに」
己の内にある感情を、そつなく本人へ手渡すすべを持たない自身がもどかしい。毛利と同じように夜空を眺め、せめて代わりになるはずのなにかを探した。
「毛利」
「はい?」
「
……
次は、浴衣で来るか」
「
――
……
、」
しばらくそうしたあとにようやく口にできたのはそんな言葉で、呟くように零したそれを逃さず拾い上げた男の眼差しが、ついとこちらへ向くのがわかる。
遠い街明かりに淡く滲むばかりの空を見上げたままでいるのは、おそらく気恥しさのためだけではない。
沈黙。
きっと、普段通り「ええですね」と屈託ない声が返ってくるはずだ。その予想に反して何事か考え込むように押し黙ったあと、毛利はぽつりと自身を呼んだ。
月光
つき
さん。
「ホンマはね、今日もめっさ浴衣で来たかったんよ」
「
……
、そうか」
「せやけど、その、」
「
…………
」
「
……
よう考えたら、浴衣の
月光
つき
さん俺以外に見せんの、もったいないかもしれへん思て」
かすかなざわめきに紛れて訥々と紡がれる中低音に、隣に座る男を見遣る。薄暗がりのなか、夏のぬるい夜風が柔い癖毛を揺らしていた。
出会ったころから変わらぬ愛嬌のある顔立ちは、時間と経験を重ねて伸びやかな精悍さを帯びている。均整のとれた長身に、日々の鍛錬の賜物の、厚みのある体躯。涼しげな浴衣姿も、たいそう似合うことだろう。
……
少なからず人目を惹くほどに。
思えば今回の予定を立てているあいだには、浴衣の話題は一度も上がらなかった。
祭りに行くこと自体がどうにかスケジュールの折り合いをつけてのものであったし、浴衣を見繕いに出向く時間的な余裕もない。そのために話題に上らなかったのかと思っていたが(むろんそれも理由のひとつではあるけれども)、いまさらながらにその答えに行き当たり、自ずといらえが口を衝く。
「奇遇だな」
「へ、」
「同じことを考えていた」
言い終わる前に伸ばされた男の手が自身の指先を掴むのと、周囲にさざ波めいた歓声が広がるのはほとんど同時のことだった。
光のあとに、夜空に響く炸裂音。
白煙とともに余韻がすべて流れ落ちるのを待つこともなく、大輪の夏が次々と花を咲かせては散っていく
――
否、それらは目の端にかすかに気配が映るだけで、いまも視界の中心には毛利がいる。毛利だけが、そこにいる。
「ほんまに?」
こちらの胸の内におそるおそるふれて確かめるような、ひそやかな問いだった。
掴まれた手がひどく熱い。ただ握り返して応えると、五指を絡め直したあと、やはり同じだけの強さで握り返される。
「つきさん」
「
……
なんだ」
「今度、ウチで浴衣デートしましょ。新しい浴衣買うて、お月さんの綺麗な日に」
「
…………
、」
「屋台も、花火も、なくてええ。
月光
つき
さんとふたりじめできたら、それでええです」
遠い花火の音を聞きながら、男の声に耳を傾ける。
月明かりのさすリビングの窓辺、静かな夜に、この男とふたりささやかな非日常を分け合う。それは確かに、夏の風物詩にも劣らぬ魅力的な誘いに思えた。
「
……
楽しみにしている」
短く答える。
嬉しげに細められた男のひとみのなかに、ちいさな夏が弾けて、溶けた。