沙里
2025-10-07 23:33:35
1896文字
Public
 

理由なんて、知ったことじゃない

アル2主で続き

「よし、終わり」
 書類の端をテーブルで整えて、ひと段落。
 第三部隊が存続するようになってしばらく。
 公安のメンバーが合流し、人員不足はやや解消されたものの、隊長職には据えられてしまい、結局のところ残業続きなのは変わらない。いつまでも書類仕事が苦手なのが悪いと言われると、その通りなのだけど。
 現場仕事のほうが性に合っている。しみじみそう思う。
 ため息も少しばかり吐き出していると、くちびるが乾燥していることに気付いた。
「ん……あれ?」
 ポケットを探っても部屋の鍵しか見当たらず、首を傾げる。
 先日、アルベルトに言われて、ついでに何故だか買って押し付けられたリップがあったのだが、どうやら今日は持ち出すのを忘れたらしい。
(まぁひび割れは治ったし……さすがだな、アルベルト……
 ついでとばかりにスキンケアがどうこうと言われたが、命からがら逃げ出した。趣味は自由だから好きにすればいいが、興味のない人間を引きずり込もうとするのはやめて欲しいものである。
……治ったん、だよな……?)
 指先で撫でてみると、乾燥はしているが、いつかのように亀裂が入ったりはしていない。カサついているせいできれいだとは言い難いが、仕事が少し落ち着いてきた分、そういった不調は減ったように思う。
 だから何だと言われると、困るのだが。
 そう、困るのだ。困るのだけど。
「いや、別に俺が期待してたりとか、そういうわけじゃないし」
 言ってて恥ずかしくなってきて、テーブルに突っ伏した。
 思い出すのは数日前。薬用のリップを初体験した日。
 ついでだったのか、勢いだったのか、なんだったのかいまだによくわからないが。本当によくわからないのだけど。
……なんでキスされたんだろう)
 くちびるに指先で触れていると、妙に生々しく思い出す。
(なんで俺も、嫌だと思わないんだろう)
 それも、よくわからない。いや、思い当たることがないわけでもないが、正解なのかどうかはわからなかった。
 ぼやっと顔を動かして、窓の外を見る。すっかり日も落ちて、街灯の明かりがちらほらとガラス越しに見えるのは、少し幻想的だと思う。残業中に見たくはないけど。
 思えばヘキサがいる間は、こんなふうに静かにのんびりしたことはなかった。良かったのか、そうでもないのか。賑やかなのも楽しかったなと、もう懐かしい気さえしている。
「おい、また残業してんのか」
 ガラスに映る長身に「してないよ」と返した。
「仕事が終わった自由を満喫している」
「バカ言ってないでさっさと帰る準備しろ」
 それもそうだなぁと、顔を上げる。入口にいる男は、遠目に見る分にはスタイルがいいなと思った。
「なにジロジロ見てんだよ?」
「なんでも。アルは帰りか?」
「ああ。やっと片付いたところだ」
「そっか。おつかれさま」
 そんな雑談をしながら立ち上がって、戸締りを確認。出来上がった書類をファイリングして、ようやく今日の業務が終わる。入口で腕組をしているアルベルトに、あれ、と首を傾けた。
……もしかして、待っててくれてる?」
「どう見てもそうだろ」
 べし、と額を叩かれた。痛い、と文句を言う前に、ちゅ、と音がした気がした。
「ん……っ!?」
 いや、気のせいじゃない。そこまでボケた覚えはない。
 驚きで硬直していると、
「おまえ、またサボってるだろ」
 とジト目で睨まれ、くちびるを指の腹で撫でられた。
「いや、サボってるんじゃなくて、今日たまたま忘れてきちゃっただけで……治ったし……
「毎日のケアが大事だって言っただろ。美しさは一日して成らずだ」
「聞いたことない格言出てきたな……
 なんでこいつはこんなに偉そうなんだとか、さっさと帰ればいいのにとか、目ざといというか細かすぎるだろとか……なんでキスしたんだよ、とか。
 何から言ってやるべきなのかわからなくて、こちらも半眼で口を尖らせる。
「治ったんなら、いいんだろ?」
 確かにそんなことを言ったような記憶が思い出されて、その通りではあるのだけど。改めて口にされると羞恥心がわき上がってきて、脛を蹴っておいた。
(俺だけ意識してるのも、悔しいだろ、こんなの)
 理由なんて。
 理由なんて知ったことか。感情を言語化できるなら、人付き合いに苦労なんてしないんだ。あと、こっちは前回のこともきちんとした説明を受けてないんだからな?
 アルベルトは文句を言いたそうだったが、少しばかり踵を持ち上げて塞いだら静かになったので、
「帰ろうぜ」
 と肩を叩いてやった。ざまあみろ、だ。