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mineml
2025-10-07 17:51:36
3218文字
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【SS】枯れゆく花々を胸に ネタバレ
あなたがまだそこにいる
先日名指しで呼ばれ、顔を合わせたときには、特例といって30分が与えられた。2月の末には会いに来ると言ったが、次の機会は間を置かず設けることになり、規定の制限である15分も必要としなかった。
拘置所の男は事態の収束を聞いて、そうかと笑った。それだけだった。
花村光と泉立夏の2名が死亡、零課所属の佐上真琴が殉職、遺体の横流し・損壊・取り違えが発覚の末、よりによって現役の刑事だった的場元が逮捕された「庭師」事件。
いまだ人知の及ばない事象について調書に記せる言葉は当然の如くいまだ存在せず、当の的場も沈黙しているとあっては、警視庁にとっては仔細が不明瞭なまま残される事件となった。
そのひとまずの終息をみてから5年後の春。長野を中心に発生した市民の散発的な異常行動についての報告書は、渦中のひとりとなった小山の目から見ても、「庭師」事件のものにも増して曖昧で、記述が薄く、結局は偶然の積み重ねによって事態が沈静化したという中途半端なものにせざるを得なかった。
成果物として納得には遠いが仕方がない。書けることが少ないのだから。
とはいえ人間の精神に変調を引き起こす植物は処分し、影響を受けて異常行動を起こしていた者たちについては情状酌量が認められることとなった。警察官の本分として果たすべきはこちらであり、事態の拡大は防いだとしてよいだろう。
長野県警の鴇田氏は最初から最後まで、東京から来た年下のチームを気にかけてくれていた。彼の退官の折にもあらためて挨拶をと考えるくらいには、協力を仰いだ側からすると稀な縁を得たものである。
例の植物が引き起こす変調の内容が内容だったために、小山にとって花村の様子は気がかりだったが、話を振られた宇佐はというと、
「花村さんなら大丈夫ですよ」
とあっけらかんとしたものである。
「どうしてそう思う」
「伊藤さんがいるじゃないですか」
念のため重ねて尋ねた小山は、宇佐の返しに頷く他なかった。
「そうね」
あまりにも当然のこととして話されるように、零課にとっての伊藤はそういう存在なのだった。
『少しすればいつも通り、でしょう』
ウェディングドレスに身を包んだ恋人が、存在しない記憶の中で美しく微笑む。そうね、と。何が変わるわけでもないと、夢想に向かって小山も返す。
長野への出張は、要は「庭師」事件の多少の残務処理のようなものだった。それが終わればいつも通り
――
幾人かが欠けた後のいつも通りの、変わらない日常が戻った。
ここで言ういつも通りとは、帰宅するまでの時間とその後確保できる睡眠時間を天秤にかけたうえで帰宅してもいいと思える、という意味である。でなければ仮眠室行きだ。零課発足当時もこれほど忙しかっただろうか? そんなわけはない。当たり前だ。人数が減って仕事が増えているのだから単純な話で、零課きっての頭脳派である花村に計算してもらうまでもない。
仕事の合間におざなりな食事を済ませ、まだ電車の動いている時間であったので酔客に混じって揺られ、そんな中で今日のニュースを流し読みし、そうこうするうちに帰宅する。そして身綺麗にするだけして、飼い猫の餌と水の用意をし、明日の仕事のために眠るのだが、今夜は、ベッドに腰を下ろした小山はもう一度ニュースサイトを開いた。
髪の水気をおおまかに拭ったタオルを首にかけ、まだ湿っている髪が顔にかかるのを半分鬱陶しく思いながら、スマートフォンの画面をスクロールする。覚えのある記事リンクに指を止める。
普段なら意識に引っかかることはない類いの、他愛ない見出しだ。けれど今日は退勤の電車内で一瞬、花の見せた夢想が鮮やかに甦った。そのとき一旦は開かずにおいたそれをタップする。
ソロウェディングというものの流行を取材した記事だった。今の今まで気に留めることはなかったが、数年来の流行らしい。独身と既婚を問わず、ひとりと友人同士を問わず、あるいは女性同士のカップルの間でドレスを着、写真を撮るのが広まっているという。
また、色濃い花の香りと、懐かしい声のアメイジング・グレイスを思い出す。彼女がそれを歌うのを聞いたことなどなかっただろうに。リビングの花瓶は空だ。「いつも通り」の生活リズムでは花屋は空いていないし、本当のことを言えば少し、無邪気で可憐な花々から距離を置きたい気分でもあった。
〈無貌の花〉のシミュレーション上においては、自分はよほど上手くやったらしい。人花教の内部までも干渉できたかはわからないが、それだけ上手くやったのなら、惨事が起きる前の手入れも可能だったかもしれない。
宇佐に話したとおりだった。失わなくて済んだかもしれないものを失った。現実の自分たちは、指揮した自分は失敗した。
彼女たちを失ってもう、8年が経つ。
あのとき、幸福な夢想の片隅に紛れ込んで、本物の彼女がいた。言葉を交わすことも傍に寄ることも叶わなかったが、スーツ姿で胸に花を挿した姿が本物の彼女であるとわかっていた。
死者は歳を取らない。変化もしない。ドレス姿の若い彼女を本当の姿と信じたのなら、8年を生きていたらどうだっただろうか、身体の衰えにお互い苦笑をしながら過ごしていただろうかと想像することもあったかもしれない。けれどあのスーツ姿の、生気を失ったような顔色のまま存在しつづけなければならないとしたら?
そんな責め苦を負わされてこの世に留まっているくらいなら、いっそ、と思う。いっそと思いながら胸が鋭く痛む。死者のための楽土があるとして、自分は彼女の手を離すだろう。それは未練がないという意味でも、嘆かないという意味でもない。
そこまで考えて小山はひとり、口の端を苦く緩める。彼女はきっと傍にいるだろうと信じていても会えはしないし、状態というものがあるかもわからない。ただ勝手に案じ、勝手に愛しているだけだ。
目だけはスマートフォンに落としたままでいたが、物思いから意識が戻ってくる。画面にはウェディングドレスや白無垢を着た女性たちのポートレートが並んでいて、ふと、口に出してみようかという気になった。
「
……
あなたに、」
ひとりきりの空間で、ひとりの言葉は音としての実在を疑うほどに、ひどく頼りない。呼吸を挟み、言い直す。
「あなたにもう一度、綺麗だと言いたかった」
この目を通して、慈しみと讃嘆をもって美しいと口をつくひとは、彼女が最後になるだろう。
「それに、こういうものに私はやっぱり疎くて
……
」
情動に押し上げられて、声が少し掠れた。言葉にするまでもなくずっと渦巻いていた情動であって、温度や手触りや質量は時間を経るごとに少しずつ変わってきて、けれど言葉にすればそれはたったひとつの呻きや、呟きに集約される。
「会いたい」
しばらく物思いに沈む間に、多少なりとも髪が乾きつつあった。ドライヤーを軽く当てさえすれば寝てしまえるだろう。
特権のように嬉しそうに、ドライヤーを当てて髪を梳いていた指先の感触を、もう覚えていられなくなっている。気が向いたときには自分で花瓶に花を活けるようになった。いくつかあるマグカップのうちの彼女が気に入りだったものはまだ、わかる。リビングの寝床で丸くなっているだろう飼い猫は彼女のことを知らない。海を見に行くという選択肢を小山の人生に与えたのは、他でもないそのひとだった。
「真琴。佐上真琴。あなたに会いたい」
彼女の存在が人生に溶け合っている。溶け合ってわからなくなるものもあろうが、ずっとどこかに響いている。そんな人生が今しばらく続くのだろう。
そのように思ってすぐ、そう願われている、と付け加えられた。自分の思考だったのか、思い描いたひとの思考をなぞったのかはわからない。ただ、願われることを疑う理由はそこになかった。
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