世界が“解凍”されたのを確認した伯爵はすぐさま宮殿に向かおうとした。嫌がる戦士団との問答の結果、復活したはずの最終皇帝を確認しに行くことになったようだ。押し切られているじゃないか。呆れのため息は出るが問答に参加しなかった俺が文句は言えない。
参加しなかったのは自分があの男に会いたくないのか会いたいのか、分からなかったからだ。アレクサンドルと出会ってから宮殿を出るまで機会はいくらでもあったのに、あの男は、俺を気にも留めなかった。だから俺は忘れられたと判断したのに。封印が解けたなら思い出してくれたかもしれないと、思考の隅でそんなことを思うのだ。そんな都合のいい事は起きないしそもそも思い出されてどうしたいというのだ、俺は、あの男を。だから伯爵の希望が通ったことに少しだけ安堵した。伯爵が言うので《仕方なく》会いにいくのだと言い張れるからだ。
山を何度も往復したからか息が切れる。下を向き、ふぅと強く息を吐く。顔を上げると哲人が覗きこんでいた。
「大丈夫ですか閣下?」
「問題無い」
「伯爵も休んでいていいと言ってましたし、無理はしないでくださいよ」
「するに決まってるだろ。伯爵とあの男が俺様の見ていないところで会っている方が恐ろしい、なにをするかわからんからな」
「うーん、否定できませんね」
伯爵だけでも一人きりにしたくない、どんな問題を連れてくるかわからないからだ。今回連れてくるだろう問題はわかりきっているが。
宮殿に続く最後の坂を登りきった。正門は開け放たれている。帰還した軍隊を迎えるように。そんなわけがないのにやたらと過去が重なる。ああ、かつて、幾度となく届いた帰還命令を無視しその果てに戻った時よりも、足は重い。あれを無視し続けていれば、あるいはすぐに帰還していれば。軍を挙げて宮殿へ進攻することもなかったのに。くだらない後悔だ。頭を振る。前を向く。前庭の芝生を踏みつける。
宮殿の扉の前で伯爵は一度立ち止まった。振り返り、こちらをじっと見る。
「将軍」
「どうした伯爵」
「何を言われようと、お前は私の将軍だ。覚えておけ」
「――はい」
喜びの裏で毒づく自分もいる。お前は忘れ去った人間にかける言葉があるのかと、口にするのはやめておいた。
封印の魔物と戦闘した大広間を超えて謁見の間へ。重苦しく閉じているはずの扉は少しだけ隙間を開けていた。「開けるぞ」「うむ」王者と伯爵は短いやり取りをし、開いている扉を引いた。
冷たい青の石が敷き詰められた床。陽光で淡く光る窓。奥行きのある部屋の奥、階段の上、玉座の前。幾度となく見たあの背中。
伯爵は惑うことなく歩を進める。俺は、少しだけ皆の影になる位置取りで歩いた。何か察したらしい戦士がするりと前に出る。伯爵は部屋の中ほどで立ち止まり声を上げた。
「迎えに来たぞ、最終皇帝よ」
背を向けていた最終皇帝は振り返り、「失礼した」と段差を降りた。
「やっと会えたな。待っていたよ」
運命、と口にするその男はあの頃と何も変わらない。いや、少し変わったかもしれない。冷たい威厳とチリつく緊張感が薄れ、歩き方から力が抜けている。変化は、安堵を呼んだ。変わってしまったのだと、仕方がないことなのだと、そう思えばよいのだと。
「彼らは闇の王の従者か?」
「うむ」
「違うよ。なにを当然のように答えてるんだい伯爵。そもそも戦士団の指揮官は君じゃないだろう」
「複雑な関係だったか」
「そうでもないけど、ちょっと前提が必要だね」
哲人と伯爵が最終皇帝の相手をしている間に部屋を盗み見る。謁見の場。完全に封じられていた場所だからか変化も劣化も見受けられない。あの時、兵士たちと宮殿に踏み込み皇帝と対峙した時に折れた燭台もそのまま転がっている。意外と、大丈夫だ。いつも通りでいられる。闇の王の言葉が効いているのかもしれない。
最終皇帝が、動いた。少し離れて居たのにまっすぐにこちらへ来る。引いてはいけない。ぐっと胸を張る。
「将軍、だな」
「その通り」
「先程の指揮、とくと見せてもらった。良い腕をしている」
そんなことは千年前から知っていただろう。鼻で笑う。大丈夫、俺様は闇の王の将軍だ。尊大に返す。
「当然だ」
最終皇帝は、小さく頷いた。
「そうか。良い主君を持ったな」
「あ、ああ……」
上手く言葉が返せない。おかしい。頭の後ろで組んだ腕がほどける。最終皇帝はそれ以上何も言わず、身を返して他の団員の方へ歩いていった。
覚えられていたのか? いや、あれは普通の社交辞令というやつだろう、旧来の臣下を評価しつつ己の新たな主を持ち上げただけのことだ。……ならば俺が今受けた衝撃はなんだ。俺の新たな主は伯爵だ。古い主はディン王で、あの男はもっと昔の。
「何を言われた」
「人斬?」
いつの間にか人斬がすぐ隣に立っていた。柄に手をかけ豪傑に話しかける男を睨みつけている。
「あれは人を惑わす。望むならば、斬る」
俺はあの男に消えてほしいのか? あの男に剣を突きつけた時だって俺は、死んでくれとは、思って、いなかった……?
「止めろ。……何も悪い事は言われていない。少し、驚いただけだ」
人斬は、しばらくの間を置いて構えを解いた。そして「そうか」とだけ言い、少しばかり俺から離れた。
上手くいかないことばかりだ。自分の反応も、感情すら。伯爵は何故わざわざあんなことを言ったのだろう、俺がこうなると思っていたのだろうか。いつの間にか爪を噛んでいる。この苛立ちもすべてはあの男の所為だと押し付けられればいいのに。そうやって、最期は土の中に埋められたことを思い出す。ああ何もかもにも腹が立つ。
「記憶というものは、完全に消え去りはしないものだ。お前の中には千年の蓄積がある。徐々に思い出し、解放してゆけばいい」
「ほう。含みがありそうな言い回しだ」
気が付くと伯爵は最終皇帝と会話をしていた。本当に、何を話していたんだか。
「私はお前の闇が見たいだけだ」
「そうかな」
最終皇帝は戦士団を見回した。伯爵がべらべらと喋ったお陰でなにかしら勘づいたらしい。気遣いかお節介か。するりと皇帝の視線が抜けていく。
「では行こう。戦士団の諸君」
伯爵は部屋の外に向かって歩き出す。すぐ後ろを最終皇帝が進み、戦士団はその後を追う。俺は一番後ろを、いや、なんだかそれすら癪に障る。ぱちんと自分の両頬を叩く。切り替えろ。俺様は闇の王に忠誠を捧げた将軍だ。駆けて戦士団の一番前に出る。短い声と視線が集中する。
「元気ですね閣下」
「ふん」
哲人の言葉を聞き流して頭の後ろで腕を組む。疲れは確かにあるがそんなことよりも新たな戦力を織り交ぜた戦略を組み立てたい。感傷など、知恵を働かせていれば引っ込むものだ。目の前の最終皇帝は、背後の騒がしさが気になったのか少し振り向いた。
「最終皇帝。今後の戦闘はお前にも全力を尽くしてもらうぞ」
「……私は起きぬけだ、加減はしてほしい」
「動いた方が早く目が覚めるぞ」
腑抜けたことを言うなと笑ってやった。
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