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桐子
2025-10-06 22:22:14
2418文字
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まわる世界⑰
プレゼントにするつもりで、とうとう渡し損ねていた酒を取り出すと、水木はハッとした顔をした。
「前に飲んだじゃろう。これはわしが一番うまいと思っておる酒でな」
包み紙をはがして、酒瓶を取り出す。この酒は妻のお気に入りだった。妻とも二人でよく飲んだものだ。彼女はうわばみで、ゲゲ郎はいつも先に潰されていた。だが、それも楽しい思い出だった。
「おぬしとも、これを飲みながら楽しく過ごせたらと思ったんじゃ」
酒瓶からとくとくと酒を注いで、水木に手渡す。彼はしばらくそれを見つめ、それからようやく口をつけた。喉仏が上下し、グラスの中の液体が消えていく。
「うまい」
「そうか」
それはよかったと言いながら、ゲゲ郎も自分のグラスに口を付けた。酒の香りと甘さが口の中に広がる。
「
……
始まりはどうあれ、縁あっていっしょになったんじゃ。水木とも、楽しく暮らせたらと思っておったよ。じゃが、今回のことで考え直した。わしのそばにいるより、本当に好きな人と幸せになる道を考えてみてはどうじゃ?」
ゲゲ郎は水木の反応をうかがった。彼は目を見開いて固まっていた。その表情はみるみるうちに、険悪なものになっていく。
「どういうことだ、それは」
低い声で詰問され、彼の剣幕にたじろぎつつも、ゲゲ郎は話をつづけた。
「離縁してもよいと言うておるんじゃ」
「なんでだよ!!」
水木が勢いよく立ち上がった。衝撃でグラスが倒れた。幸い、グラスの中身はもう空だったので畳を濡らすことはなかった。
「そりゃあ、時貞翁は怒るじゃろう。でも、わしからうまく話して
……
」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
ではどういうことなのだ。ゲゲ郎は困惑した。時貞翁はねちねち嫌味を言うだろうが、孫が不幸になるよりはと、離縁を許してくれるだろう。幽霊会にいて危ない目にあったり、好きでもない自分のそばにいるよりも、本当に好きな人と遠い所で幸せになる方が水木にとっては最良のはず。それなのに、どうしてこんなに怒っているのだろう。
「俺は!」
水木は、大きな声で言った。ゲゲ郎の胸元を掴み上げ、睨みつけてくる。その目には怒りが燃えている。
「お前のそばにいたいんだ! 離縁なんて絶対しない!!」
「
……
じゃが、わしのことが嫌いなんじゃろう。いつもこんな風に目をつり上げて」
「それは
……
!
……
っ、それは、お前が
……
お前が好きってばれないように
……
! にやけて変な顔しないように、めちゃくちゃ頑張ってたんだよ
……
!」
ゲゲ郎は目をぱちくりさせた。水木の顔は真っ赤だ。顔だけでなく、耳も首筋も赤く染まっている。
「す、好きって
……
おぬし
……
」
水木の動揺が伝染したように、自分の頬まで熱くなってくる。好きだというのは、友人としてではなく、愛しているということだろうか。それならずいぶん都合のいい言葉だ。信じがたくて、ゲゲ郎は念を押した。
「それは、その
……
友人としてではなく
……
?」
「そうだよ! 俺はお前が好きなんだ!」
水木はやけくそのようにそう言って、ゲゲ郎の頭をぐいと引き寄せた。
「!」
唇が重なった。柔らかい感触に、頭が真っ白になる。
「これでわかったかよ」
顔を離すと、彼は吐き捨てるようにそう言った。ゲゲ郎は呆然として、水木の顔を見つめた。彼はまだ顔を赤く染めて、こちらを睨んでいる。
「
……
わかった」
壊れたおもちゃのようにこくこく頷くと、水木はハッとした様子でゲゲ郎の着物から手を離した。
「あ、わ、悪い。つい」
勢いまかせにキスまでしてしまったことを、今更後悔しているらしい。
「水木」
ゲゲ郎が名前を呼ぶと、彼はびくりと肩を揺らした。その肩を抱き寄せ、頬に手を当ててこちらを向かせる。
「わしもおぬしが好きじゃ」
青い目が驚いて見開かれる。それを間近に見つめながら、今度はこちらから口づけた。やわい唇の感触、酒の香り、抱き寄せた小柄な体のぬくもり、その全てにたまらない気持ちになる。
静かに唇を離したゲゲ郎は、目を丸くして驚いている水木に向かって言った。
「これは、離縁などする必要はないな?」
水木はぽかんとしていたが、やがてゲゲ郎の言葉の意味を理解したらしい。
「嘘だ」
「嘘ではない」
「だって、お前が俺を好きになる要素なんて、今まで一つもなかったじゃないか」
「そんなことはないぞ」
「お、俺は可愛げもないし、素直じゃないし」
「黙らんなら、もう一度塞ぐぞ」
そう言って顔を近づけると、水木は慌てて口をつぐんだ。その姿が可愛らしくて、つい頬を緩めてしまう。
「確かに、水木は素直ではないのう。でも、わしにはそこがまた可愛くてたまらん」
水木はしばらく惚けたようにゲゲ郎の顔を見つめていたが、やがてぼっと火が付いたように赤くなった。
「
……
なんだよそれ
……
馬鹿じゃねえの
……
」
悪態をついているが、その声は弱々しい。可愛らしい反応が愛しくてたまらなくて、ゲゲ郎は再び唇を重ねた。
「ん、」
舌を入れると水木の鼻から甘い声が漏れた。もっと感じさせたくて舌を差し入れると、水木はぎこちなくそれを迎え入れた。互いの舌が絡み合う感覚に、頭の芯まで溶けそうになる。
「ん
……
ふ
……
」
水木が鼻にかかった声を漏らす。それが妙に色っぽくて、ゲゲ郎は夢中で口づけた。そうやって長い時間を夢中で過ごしたあと、二人はようやく唇を離した。互いの舌をつなぐように唾液の糸が引いた。水木は潤んだ眼差しをこちらに向け、ゲゲ郎の着物をぎゅっとつかんだ。
「なあ、本当に俺でいいのか」
「おぬしこそ、わしのような年寄りでいいのか?」
「いいに決まってんだろ。お前は
……
俺の初恋の人なんだ」
もうずっと前のことだが、と前置きして水木は話し始めた。
細く冷たい雨の降る日に乗った電車。濡れた頬、白いハンカチ。窓ガラスに映った横顔。
まだ中学生だった彼が出会ったのは、幽霊のような男だった。
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