21:16 P.M. 天候/晴れ
ロドス本艦 ドクターの執務室
「映画?」
「うん、そう」
テキーラの問いかけに、ドクターは静かに頷いて、手にした記録媒体をひらひらと振って見せた。
「今度会う取引先の社長が送ってきたんだ。なんでも映画作りが趣味らしくて、よければ見て欲しいんだって」
ドクターの口調には、どこか面倒臭さが滲んでいる。
決して進んで見たいわけではないが、実際に対面したときに未視聴のままだと居心地が悪いし、今後の会社同士の付き合いにも影響が出かねないので仕方なく見ることに決めた。
ドクターの心中は、大体そんな感じだろう。
「だから、君は早めに休んでいいよ。これは完全に私の勘だけど、そこまで面白いものではない気がするから」
なるほど。今日はいつもよりも早く業務を終えたと思ったら、今後の仕事のために映画を観る時間を確保しただけだったのだ。
そんなこととは露知らず、今日はプライベートの時間を多めに取れるかも! と期待に胸を躍らせていた自分が恥ずかしくなってきた。
同時に、恋人の水臭さに寂しい気分になったのもまた事実で。
「俺がいると邪魔になる?」
首を傾げて問い掛けた。
少々あざとい角度だった自覚はある。テキーラは積極的に自身の容姿を武器にするタイプではないが、相手がドクターとなると話は別だ。彼女が自分の持ち物に好感を抱いてくれるのは嬉しいし、おねだりをするときは積極的に活用したくなる。
「邪魔ではないけど……多分つまらないと思うよ」
効果は覿面で、ドクターはわずかにたじろいだ様子を見せた。
効いてくれないと困る。顔の角度も呼び掛けた声音も、すべて対ドクター用に計算されたものだからだ。これが効かなくなったら素直に凹む。
ここまで来たら、あと一押しだ。
「大丈夫。俺はドクターと一緒にいられるだけで嬉しいからさ」
とびきりの笑顔で追撃をかけると、ドクターは一瞬言葉に詰まり、それから小さなため息と共に苦笑した。
「……あとで後悔したって知らないよ」
「するはずないよ。じゃあ、飲み物でも準備するね。そこのプロジェクターを使うでしょ? ドクターは座ってて」
ドクターを近くのソファに誘導して、記録媒体を預かる。映画鑑賞サークルの活動にも使われるプロジェクターを引っ張り出してセッティングしてから、給湯エリアに足を向けた。
映画を鑑賞するのだから、ノンアルコールのほうがいいだろうか? それとも酒の勢いで見てしまったほうがいい類の作品だろうか? 色々思考を巡らせていると、自然と尻尾が揺れてしまう。
きっかけが何にせよ、二人でゆっくり時間を過ごせるのならそれで充分で、退屈なんてするはずがない。
戸棚の奥にこっそりしまい込んであったブランデーのボトルを取り出す。今夜は少し肌寒いから、コーヒーに少し混ぜればちょうどいいだろう。
(それに、映画を送りつけてきたのは父親から受け継いだ小さな工場を一代でデカくした辣腕社長だっていうし……)
商機を読む目は確かなのだから、もしかしたらそれなりの作品かもしれない。
そう思っていたのだ。このときまでは。
――30分後。
《まったく困っちまうな。こんなにモテたのはハイスクール以来だぜ》
《ねえ、もっとスピード上げられないの!? このままじゃ追いつかれちゃうわ!》
《心配すんなって、いざとなったら俺が連中の眉間を撃ち抜いてやるよ》
《……やっぱり、あなたがあの伝説の――》
(えーと、これは……)
金持ちの道楽を甘く見すぎていたかもしれない。
スクリーンに映し出される爆発が多めのカーチェイスを眺めながら、テキーラはできる限り無表情であるように努めた。まさかカードで培ったポーカーフェイスがこんなところで役に立つとは思わなかった。
確かに金はかかっている。映像技術も申し分ない。問題は内容だ。
物語を構成する要素一つひとつはありふれたもので、それ自体は可もなく不可もなくといったところだ。だが、〝詰め込みすぎ〟ている。
脚本家――確認してはいないが、おそらく例の社長本人だろう――がやりたいことを全て詰め込み、何一つ引き算をしていない。
主人公の設定からして、『類まれなるアーツの才能』を持ち、『そのせいで両親から疎まれて捨てられる』も、『サンクタの養父に拾われ』て、『政府も一目を置く探偵』として成長し、『サンクタも顔負けの銃の腕前』を有しているらしい。盛りすぎだ。
さらにストーリー自体も、探偵が悪の組織に狙われている女性を守りながら、彼女の出生に関する秘密を探るというアクションサスペンスを軸にしながらも、妙に説教臭い政治批判や陰謀論、超常の存在が介入してくるというホラー要素も混ざっており、途中で街の人間たちが突如歌い出すミュージカルパートもあれば、ベタベタなラブロマンスまで盛り込まれていて、正直もう何をしたいのかわからない。
そして一番の問題は、この映画が3時間の超大作であるという点である。
ちらりと横目で隣に座るドクターを窺う。
その横顔からは、なんの感情も読み取ることができなかった。まさに『無』だ。少なくとも、楽しんでいるようには見えない。
正直、会食の話題作りだけならば、印象的なシーンをいくつか覚え、そのシーンの撮影方法や演出意図を相手に質問すればそれで済む。
これほど〝個性〟のある映画を撮るくらいだから、作り手側には語りたいことが山ほどあるだろうし、質問に質問を重ね、途中に相槌を挟むだけで、会食の時間はあっという間に終了するはずだ。
それでも律儀に作品に向き合おうとするドクターの誠実さこそを、テキーラはこよなく愛しているのだが。
(真剣に観てるみたいだし、邪魔しちゃ悪いかな……)
実をいうとテキーラは先程から、そばに置かれたドクターの手に自分のそれを重ねるタイミングを見計らっていた。
今は業務時間外だし、更に二人きりだし、少しくらいのスキンシップは許されるのでは? 自分の中の案外ちゃっかりした部分が、己に正直になるよう促してきていたのだが、真剣に映画と向き合っているドクターの横顔を見ていると、水を差すようで気が引ける。
(でも、このままあと2時間以上はさすがに……)
耐えきれるかどうかわからない。いやいや、自分から一緒に観るって言い出したのに、それはあんまりに情けなくないか。
《だめよ、そんな……っ!》
《いや、もう俺は我慢できそうにない!》
室内の空気に変化が起こったのは、そのときだった。
今の今まで言い争っていた画面の中の二人が、急にきつく抱き合ったかと思えば、熱烈なキスを始めたからだ。
更に二人はダンスでも踊るかのようにもつれ合いながら、そのままお誂え向きに傍にあるベッドに倒れ込み――もどかしげに互いの服を脱がし始めた。
……今、そういう場面だったか? 退屈すぎてしばらく意識を飛ばしていたのだろうか? 映画にベッドシーンが盛り込まれているのは珍しいことではないが、あまりに脈絡がなさすぎて困惑した。
呆然としているうちにも主人公とヒロインはヒートアップしていき、ベッドの下には脱ぎ散らかされた服が散らばって、艶めかしい吐息とリップ音がクロージャお墨付きのオーディオ設備を通して執務室に響き渡る。
そのままブラックアウトして、翌朝や事後に場面転換してくれたならまだ良かったのだが、画面の中のふたりの濃厚な絡みは無情にも続く。これが自主制作ではなく一般向けの映画だったなら、絶対にここまではやらないだろう。
やがて、素肌の色が画面を占める割合が増え、女の口からは明らかに演技とわかるようなわざとらしい声が高らかに発せられて。
流石に室内には居心地の悪い空気が流れ始めた。
そういう作品でもないくせに、とか。まだ二時間もあるのにこんな絡みをやるのか、とか。そもそもドクターが女性だと知りつつこれを送りつけてきたなら、ある種のセクハラに当たらないのだろうか? など。突っ込みたいポイントは山程あるが、何よりも気になったのはドクターの反応だった。
今更ありふれたベッドシーンごときで動揺はしないだろうが、今目の前で繰り広げられている映像が〝ありふれた〟ものかどうかは審議の必要がある。
徐々に高くなっていく女の声を聞きながら、テキーラはそっと隣を窺った。ドクターの反応によっては、視聴を中止したり、該当シーンを飛ばすよう提案しようかと思ったのだが。
「……!」
予想外に、目が合った。ドクターと。ばっちり。
しかもドクターは、視線が絡んだ途端、ぱっと目を逸らしてしまう。
正直、その手の作品かと思うくらいの濃密なベッドシーンだし、やっぱりドクターも気まずいのかもしれない。
「どうしたの? 喉でも渇いた? 少し休憩する?」
だが、直接その話題に触れるのも憚られ、テキーラは少し遠回しに視聴の中断を提案した。隣に座る恋人に身を寄せ、室内に響き渡る艶めかしいというよりは品のない声に遮られないよう顔を近づけて囁いた、そのとき。
(……あれ?)
ドクターがぱっと頬を赤らめて、恥じらうように目を伏せた。「そ、そうだな」と同意を示す声も、心なしか上ずって聞こえる。
これは、ひょっとして、ひょっとすると。
度を越したベッドシーンに気まずくなったというより、むしろ。
(何かを思い出して俺を意識しちゃった……とか?)
なんとも自分に都合の良い推測を立てている自覚はあるが、照明の落とされた室内でもわかるくらいドクターの頬や耳が赤くなっているのを見れば、あながち的外れとも思えない。
そんなに真っ赤になって、一体何を考えたの? スクリーンに映し出されているものより、もっとすごいことだって色々してきたのに?
最前までの居心地の悪さはどこへやら、テキーラは上機嫌に尻尾を揺らして更に恋人に身を寄せた。なぜなら、ドクターがあまりにも可愛かったので。
あれほどうるさいと感じていた甲高い女優の声も、もはやどうでもよかった。
スクリーンを遮るように覆いかぶされば、戸惑いと期待を同量に含んだドクターの双眸が目の前だった。潤みを帯びた大きな瞳に、今はテキーラだけが映っている。
「顔、赤くなってる。具合でも悪い……?」
頬に添えた指先で、そっと目の下あたりを撫でてやる。常に消えずに居座っている痛々しい隈でさえ愛おしく思えるのだから、かなり骨抜きにされているのだろう。
「ち、違……」
《だめぇ!》
そのとき。スクリーンの中から特に大きな声が上がり、ドクターの視線が一瞬そちらに奪われたので。
テキーラは思わず自分の唇をドクターのそれに重ね合わせた。
「ん、……ぅ……」
両手で彼女の耳を覆って、舌先を絡めていく。
自分以外のなにかに気を取られるのが気に入らないなんて、躾のなっていない子犬のようだけれど。今だけは、自分のことだけを考えてほしかった。
何度も唇をついばんで、誘い出した舌先を甘噛みして、顎の裏側をくすぐっているうちに、ドクターの体からは力が抜けていく。テキーラが少し体重をかけただけで、その体はゆっくりと背もたれを滑り落ちて、ソファの上に仰向けに倒れてしまった。
「こ、ら……! エルネスト……!」
「ごめんね、急にドクターにキスしたくなっちゃった」
尻尾を振りつつ主人の上に覆いかぶされば、ドクターは涙目になりながらも少々意地悪な笑みを口の端に浮かべてみせる。
「煽情的なベッドシーンで興奮してしまったのかな?」
「違うよ。ドクターのドキドキがうつっちゃったのかも」
額に優しくキスを落とせば、ドクターはむうと子どものようにむくれた。
「べ、別にドキドキしたりなんて……」
「そうなの? なんだか赤くなってたように見えたけど……」
「あれは! 主人公の男性の女性の扱いが妙に荒々しかったから……! 君はあんなふうに乱暴にしないなと……、思っ……て……」
「……」
ドクターの言葉は徐々に尻窄みになって消えた。自分が何を口走っているのかに気づいて、恥ずかしくなったものとみえる。
へぇ、ふーん。そうなんだ。確かに主人公の男の振る舞いは少々荒っぽく、女性をやや強引に扱っていた。その点からもなんとなく作り手の価値観が透けてあんまりいい気分ではなかったのだけれど。
それに対して『自分はこんなふうに扱われたことはないな』って考えてくれてたってこと? これまで過ごした時間を思い返して? ちょっと、それは、なんというか、こう。
(可愛すぎるんじゃないかな)
可愛すぎて、息をするのも忘れてしまいそう。
ドクターと深い関係になってだいぶ経つのに、どんどん好きになるから困ってしまう。
「ドクター……」
瞼の上に、鼻先に、頬に。順繰りにキスをしてからもう一度唇に噛みつこうとした――ところで。
「エルネスト」
刻みつけるように名前を呼ばれ、テキーラの体は条件反射のようにぴたりと止まった。
いや、〝条件反射のように〟ではない。もはや彼女の呼び掛けに体が自然と反応をしめすようになってしまっているのだ。
ぴたりと静止したテキーラを見上げ、ドクターは殊更美しく微笑した。細い手を伸べて、男の頬にそっと這わせる。
「君がいつも私を大切にしてくれているのは理解しているし、それに甘えている自覚もあるけど……」
女の掌は、優しく頬を撫で、唇をたどり、顔の横にある耳と柔らかい髪をくすぐり、更に頭頂部の犬耳の方まで移動していく。
「もう少しだけ待ってもらえるかな……?」
垂れ耳をそっと撫でる指先は、テキーラの弱点を熟知している。
いや、指先だけではない。微量の吐息を含んだ声のトーンも、やや上目遣いの眼差しも、全てテキーラに訴えかけるために計算されたものだ。
テキーラがドクターの好みを把握しているように、ドクターもまたテキーラの好みを的確に把握しているというわけだ。
「…………はい」
垂れ耳の内側を指先で辿られながら、テキーラは無条件降伏の意を示した。
そもそも自分から一緒に映画を観たいと言い出したのに、邪魔をするなんて以ての外だ。少々調子に乗りすぎてしまった。
尻尾を垂れさせ、殊勝に頷くテキーラを見上げ、ドクターは再び柔らかく微笑むと、
「……いい子だね、エルネスト」
恋人の頬にそっと唇を押し当てた。
そんなふうにされたら、自分を抑えるのが尚更大変になるというのに。じゃれつきたくなるのを必死に堪え、テキーラは恋人の上から体を退かし、手を差し伸べて引っ張り起こした。
スクリーンの中の饗宴もようやく終わりを見せ、次のシーンに切り替わろうとしていた。
【おわり】
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