フリーゲーム「三千世界の子を殺し」 二次創作
原作のおさらい
¦ハスミ¦
呪術の名家であるホンケの女当主。
一族のために尊厳のない死と出産が定められている。
¦ヤシロ¦
ハスミのお目付け役。目隠れ。
昔に自死しようとするハスミを救ってしまった。
_________
ガバリと飛び起きたヤシロは、真っ先に己の右手を見た。自分が夢と現のどちらにあるのか確かめるためだった。幸いにも五本指が揃っていて、ここは現だとヤシロに告げていた。
「うわあ~
……」
窓から差し込む月明かりで、寝付いてまだそう時間は経っていないのだと知らされた。
寝間着はじっとりと汗で濡れている。見た夢の不快さをかなぐり捨てるように、荒っぽく服を脱ぎ捨てる。見下ろす腹は平坦だ。当然だ。
(夢でくらい良い想いさせてくれたってなあ、いいじゃんか)
惚れた女を抱く夢だった。問題なのは、相手の表情だった。まぎれもなくハスミの顔と同じ形をして、ヤシロの見立てで想定されるハスミの体つきをしたその女は、まったくハスミらしからぬ表情をしていた。つまり、幸福そうに微笑んでいた。ゆえに悪夢でしかなかった。
(気味が悪いし趣味も悪い)
ヤシロは自分の腹を撫でる。当然、ハスミと違って子宮はない。そこが一生膨らまないのを安堵すべきか虚しがるべきか、一瞬考えたが、すぐさま放棄した。どこまでも一人芝居だ。
ハスミが望むならなんでもする。ただ、目下己ができることはハスミを孕ませることだけだ。そしてその行いをあの人が喜ぶわけはない。百超えて那由他と言えるほどに理解している。喜んでほしいと願うのはそれこそ、冒涜というものだろう。
一通り衣服を整えて、しかしまた寝入る気にはなかなかなれず、ぼんやりと月を眺める。雲に遮られず清かな光は、不安定な心を抱えてなお凛とする姿のハスミを思わせる。
考えを離そうとした先ですぐこれだ。結局ヤシロの頭の大半は、あの美しく砥がれた美術品のような人が占めている。
ヤシロはまた手のひらを開く。
冷たい声が記憶の滓から浮かんでくる。
◆◆◆
「指が五本あれば現実だから」
その日のハスミは何度も己の手のひらを見つめていた。なぜかとヤシロが尋ねて、返ってきた答えがそれだった。
ハスミの顔色はひどく悪かった。血の気が失せて青白くなった頬は、いつぞや雪面に伏して死へ向かおうとしていた姿を思わされた。
あの時ほど切実ではなさそうだ。月の物だろうな、と、さすがに口にはしなかったが。
「指切られる夢でも見たんですか」
小指をちぎり取って愛の証明とする話を聞いた覚えがある。指を贈るとて迷惑だろうとしかヤシロには思えないのだが。呪術の総本山のような此処で聞くからには、迷惑極まりない呪いの一種なのかもしれない。
ハスミは面倒そうに口を開く。
「夢では存外物の造形がはっきりしていないという意味だよ。夢か現か、確かめる手段の一つに挙がる」
「ふーん。心配しなくても、ここが現実ですよ」
「そうだね。おまえの腑抜けた顔がある。ひどい光景だ」
そう言ってハスミは口の端を持ちあげた。笑顔のなりそこないすら絵になるのだから困る。
「どんな夢見たんですか。顔色からして悪夢でしょ? 話したら現実じゃなくなるって聞きますよ」
「迷信だね。そもそも夢を呪術の一環とする一族もいて
……」
ハスミは珍しく饒舌だった。悪夢の後味が目覚めてからも引き続いているらしい。けれども、
「ああ、いい。おまえに話すことじゃなかった」
ふいに、言葉は地に落ちた。
逸らされた視線も、濃く線を引いて突き放す口調も、全てが拒絶だった。いつもこうだ。ヤシロの過去の所業を思えば当然で、しかしいつも堪える。だから気づけば誤魔化すように思い付きが零れ出ていた。
「俺が指一本削ったら、こっちが夢ってことになりませんかね。上書き、みたいな」
「
……」
ハスミは二度、三度と瞬きをしてから、とうとう唇を歪めた。
「馬鹿にしている? それとも、おまえが救いようもなく馬鹿なのかな」
「えっなんで。ああいや、なかったことになっちゃえーなんて軽率なこたぁ言いませんよ。ただ
……」
続く言葉が無遠慮すぎるかと一拍置いて、結局はまた息を吸う。悩むならやるのがヤシロだった。
「ヤじゃないですか、現実もしんどいのに夢までしんどいの」
「だからって現実が夢に成り代われるわけもない」
「うーわ怒ってる。そうじゃなくて
……」
あんたの気晴らしになるなら俺の指一本くらいなんてことない、とか。
この現実は夢だと、そういうふうに思い込んで楽になる道があったって罰は当たらないんじゃないか、とか。
言いたい本音は色々あったがどれも言えなかった。ハスミが上辺だけの児戯を好まないのはヤシロも分かっている。ヤシロ側とて役に立ちたいフリをして根は自罰の気持ちの方が強い自覚もあった。
だから、あんたのためだと綺麗ごとを吹かすことは止めて、ヤシロは切り込んだ。
「だって今日だけじゃない。あんた、うなされてるでしょ。ここ毎晩」
ハスミが口をつぐむ。黙るのは正解と同じ意味だった。それでも眉はひたとも動かない。図星を指されてもハスミが揺るがないから、ヤシロは踏み込み癖をなかなか治せない。好きで治さないのかもしれない。こうでもしないと、文字通り一生ハスミとの距離は縮まらない。
「寝顔を見せた覚えはないけれど」
「忍び込みもしてませんからね、念のため」
「だろうね。そうしたらおまえが今こうして呑気に無駄口を叩けるはずもない。そもそも、私にそういった
……疑惑が起こるのをホンケは許さない」
ふう、とハスミはため息をついた。寝所の使用人に口の軽い者はいたかと考えを巡らしているのかもしれないが、ヤシロからすれば見当違いだ。今日の悪夢はわかりやすかったが、これまでの夢見に関しては、ただかまをかけただけなのだから。
ハスミはなんだかんだと、律儀だ。問われれば煙に巻くことはあっても最低限答えようとはする。それができないならそういうことだ。
しばらく間を取ってから、ハスミはふっと笑った。誰が見ても皮肉とわかる、歪な笑みだった。
「おまえが」
かさりと乾いた唇が、呪う。
「おまえが私の目の届くところから消えてくれるのであれば、指のひとつ失くしても構わないかな」
……語尾には「まあ不便だからやらないけれど」とも付け加えられた。ヤシロには「おまえなんて指一本くれてやるほどの価値もない」と暗に言われたような気もした。この女、と、あんたの指ならそりゃ当然だ、の両方が浮かんでちょっと処理に困った。
「それって、ハスミ様の夢には俺が出てきた試しがないってこと?」
「いちいち覚えていないけれど、記憶にないからそうなんじゃない」
「ひでー。俺は毎晩あんたの夢見てるのに」
「へえ。
……不快だね」
言葉のわりに、ハスミの声は静かに響く。そうしてちっとも津波のようになってはくれないまま、やりとりは終わるのだった。
◆◆◆
(不快だよ)
月明かりの元、ヤシロは思い返した声と同じ言葉を繰り返す。
ヤシロは指先を動かした。五本、揃っているくせしてまだ何一つ触れられていない。ハスミの心にはもちろん、血の気の失せた顔で冷たさを保つ、細い肩を支えることすらも。
「全部あんたのもんなのになあ
……」
指を切って愛の証明とできるならそれほど簡単なことはなかった。
手首を切って一時の腹いせであろうと満足させられるならそれもよかった。
あのひとはヤシロに何も求めない。
やめろとすらも、求めない。
気づけば朝鳥が鳴いている。目の隈は前髪でバレないとはいえ、徹夜で挙動がうろんになってはいけない。不手際を口実にハスミの側付きから離されては、たまったものではないのだから。
ひと時であっても眠らなければ。
ヤシロは瞼を降ろす。
(夢でくらい、良い想いしていいのに
……)
(
……その方が苦しいか)
冴えた月明かりは失せ、視界には茫漠と闇が広がるばかり。また飛び起きる羽目になるのだろうな、と、ヤシロはぼんやり察していた。
了
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