夏特有の生ぬるい風を肌で感じながら、自分の根城である美術室でキャンパスに向かって筆を走らせている蘭は、コンテストに出す作品の制作をしている蘭は中々いい作品を生み出せない焦燥感に駆られていた。
大学は夏休みに突入し、校内は人が疎らで大学に登校しているのは企業にインターンや就職活動に向けて情報収集している上級生たちや、クラブ活動に精を入れている蘭のような生徒だけが大学にいるだけだ。
コンテストのテーマである夏の風景なので夏の入道雲を描いてみたり、アイスクリームが溶ける描写など様々な夏らしいことを描いてみたりしたのだが、蘭の中でどれも物足りないような気がしてしまい、こうして毎日大学に登校して作品を描いては考えを繰り返しているのだが…。
「…どれもピンとこないな…。」
コンテストの締め切りまでもう二週間を切っているというのに蘭は今、絶賛スランプ期に突入してしまっている。いままでスランプ期はたくさんあったが、ここまで長い期間なっているのが初めてなのでどうしたらいいかわからないのである。
描き上げているときはいいかもしれないと思っていても、いざ作品を完成させるとなんか違うな…。と自分の中で思ってしまい、描いてはお蔵入りにするという工程を繰り返している。
いったん集中力が切れてしまった蘭は持っていた筆を机の上に置き、着ていた絵の具まみれのエプロンも脱いで、机の上に突っ伏した。
「…どうしよう。」
毎日登校しているせいか大半の自分が思う夏らしい風景は描き上げてしまったし、もうほぼネタ不足である。でもかといって美術部に所属しているのは蘭より年上の上級生が多く、しかもインターンや就職活動真っ最中の先輩方が大半なので自分のちっぽけな悩みで手を煩わせたくないので相談していないし、顧問である先生も自分の個展を開催されるほどの多忙ぶりであるのでこうして一人で考えるしかないのである。
こうして悩んでいる間にも無情にも時間は消費されていってしまう。でもこれ以上描いてキャンバスを無駄にするのもなあ。と考えている蘭の前によーっす!という軽快な声が彼女の耳に入ってきた。
「…こんにちは~!ってどうしたの、なんか悩んでる?」
軽快な声と共に蘭の根城である美術室に入ってきたのは彼女に一目ぼれをし、一度は振られたものの自分の持前の粘り強さで蘭の友達になった加藤団蔵である。
サッカーサークルの練習が終わった彼は、いつものように美術室に入ってきては机の上に突っ伏した蘭を発見して驚いているところだ。
「あ、加藤くん。こんにちは…。私のことは気にせず、ゆっくりしていってね…。」
うなだれるようにして机に突っ伏しながら視線を団蔵の方に移して挨拶をする蘭に団蔵は心配そうな目をしている。彼と友達になったあの日から毎日蘭を見かけると突撃しては世間話をしてくる団蔵に絆されてしまったのか今では連絡先も交換してしまい、こうして自分の根城である美術室に入ることを許してしまうほどの間柄になってしまっている。
あれほど彼に関わらないほうが彼のためにもなるし自分のためになると言い聞かせていた自分はどこへ消えたのかと自嘲したくなるが、彼のことを友達としてみているからこの程度の接触は許されるだろうと自分に言い訳をしながら彼と関わっている。
「それ、コンテストの作品…?」
さっき投げ出した製作途中のキャンバスの前に立った団蔵は凄い…!と感嘆の声を漏らしながら、作品を見つめている。そんな団蔵の姿を見た蘭はありがとう。と返した後に深いため息をついた。
「でも、まだ完成してないんだよね、それ。」
「えっ!まだ完成じゃないの…!?これで!?」
「うん。…でも多分、これもボツだと思う。なんかピンとこないんだよねぇ…。」
早く完成させなきゃなんだけどなあ…。とどこか遠いところを見つめながら虚ろな目をしてまた机に突っ伏した蘭の元に作品の前にいた団蔵がいつの間にか近づいていて、ポンポンと彼女の頭を優しく撫でながら、焦りは禁物だぞ~?と笑っている声がした。
急に頭を撫でられたことに少し恥ずかしくなった蘭は視線を机の木目から団蔵へと移した。蘭の視線に気づいた団蔵は慌てて蘭の頭から手を離した。
「ご、ごめん。こういうの嫌だったよな…?」
「う、ううん、そういうわけじゃなくて…。」
急に触られたのがびっくりしただけだよ。と言う蘭を見て、団蔵は頬を綻ばせて笑った。ここ数週間の間で最初のふたりの隔たりは何だったんだというほどに蘭と団蔵の距離は近づいている。
記憶がなかろうが何も変わっていない団蔵にあれほど警戒心マシマシだった蘭の警戒心が団蔵の粘り強いコミュニケーションの取り方により、無意識にだんだんと薄れていっており、今ではこうした少しのスキンシップも許してしまっている。
前世から何も変わっていないのは団蔵だけではなく、お人好しのくせに他人から受ける好意に疎い蘭も何も変わっていないのである。
「でも、この作品がボツだなんて俺にはもったいないようにしか見えないや…。」
また机に突っ伏して現実逃避をしている蘭の傍らに寄り添うように椅子を持ってきた団蔵は座ってはコンテスト用に描いた作品を見つめてそう呟いた。
団蔵の言葉を聞いた蘭は少しだけ視線を作品へと向けてからまた団蔵を見る。
「本当に?私から見たら全然ダメなんだよ……?」
「そうかなあ。だってこの作品を見た俺は凄い綺麗だと思ったんだけどなあ。」
その言葉に嘘はない。ただ単純に団蔵はコンテスト用に描かれたこの作品を気に入ったのだ。それは団蔵の蘭が描いた作品を見る目からわかる。
だが、団蔵が褒めれば褒めるほど蘭の顔はどんどん曇っていく。きっと自分の中で納得いくものができていないからこんなにも悔しいような悲しいような顔をしているんだろうか。蘭の表情に気づいた団蔵はただただ何もできない自分が少しだけ嫌になった。
「でも、かと言って夏らしい風景は私の中で描き上げちゃったんだよね…。」
だから自分の考えはネタ切れだし、かといって納得してない作品を出すのもなあ。って思っててさ。と困り果てた顔をする蘭に団蔵は腕を前に組んで少し考えた後、例えば蘭ちゃんの中で夏らしい風景は何だったの?と彼女に問いかけた。
「私の中でならやっぱり、夏特有のもくもくとした入道雲とか、強い日差しとか、その強い日差しに負けじと咲いてる向日葵とかかなあ。」
あとは、セミとか、カブトムシとかそういうのしか思い浮かばないかなあ。と苦笑する蘭に団蔵はどれも夏で思い浮かぶことばかりだね。と彼女に向けて微笑む。
「蘭ちゃんはそれが夏らしい物とか風景で思い浮かんだんだよね。」
「え、う、うん…。」
「俺はさ、夏らしい物といえばかき氷とか、そうめんとか冷やし中華が思い浮かぶし、夏らしい風景なら花火とか、海で麦わら帽子をかぶってる風景が思い浮かぶんだよね。」
俺には、蘭ちゃんがどんなところが気に入らなくて、どんなところに納得がいってないのか。芸術的なセンスがないからさっぱりわからないから、今から言う俺の考えが正しいのかどうかはわからないけど。と前置きした上で、団蔵はこう続けた。
「それなら、俺と一緒に夏らしい物とか、夏らしい風景を探しに行くのはどう、かな…?」
「一緒に探す…?」
彼の提案に首を傾げるが、団蔵がまた話し始めたので彼の提案にまた耳を傾けることにした。
「一人で考えて行き詰ってるなら、二人でいろんな夏らしいことを見て、体験したほうが蘭ちゃんのインスピレーションを引き出すかもしれないし、なにより蘭ちゃんのいい息抜きになると思うんだ。」
それに、俺が蘭ちゃんと夏らしいことをしてみたいなって思って思いついたことだから…。と頬を掻きながら恥ずかしそうにこちらを見つめてくる姿に蘭も釣られて頬が赤くなる。
確かに彼の提案はスランプ期に陥ってしまっている蘭にとってかなり魅力的な提案だった。行き詰って絵を描くことに疲れてしまった自分の息抜きにもなるし、団蔵も言っていたように夏らしいことを見て、体験したことをこれから自分が描く作品に生かせるなら尚更だ。
一人で考えていても埒が明かないなら誰かほかの人の意見を聞いてみるのもありなのかもしれない。そう思った蘭は団蔵の提案を受けてみることにした。
「うん、それもいいかもしれないね。加藤君がよければどうかな…?」
こてんと無意識に首を傾げる蘭に、いいに決まってる!それじゃあ早速計画を立てようぜ!と蘭の手を引っ張って立ち上がらせた。そこからずっとふたりはどこにいこうか、どの日が空いているのか、どんなことをしようかを話し合った。
コンテストまであと二週間を切っているため、短期間で予定を詰め込まないといけないし、団蔵もサークル活動があるからそんなに無理しなくていいよ。と言ってしまったところ、部活も楽しいけどそれよりも蘭ちゃんと過ごせるほうが楽しいからいくらでも付き合うよ!というか俺が言ったんだしね!と満面の笑みで言われてしまい、それを目の当たりにしてしまった蘭は彼の顔を直視することができず、下を向きながらありがとう……。と答えた。
「ん?どうかした?」
「な、なんでもない…。」
少し赤く染まった顔を見られたくなくて顔を横に向けてそう言うと、不思議そうに蘭の顔を覗き込む団蔵。必死に隠そうとする蘭と覗き込んでくる団蔵の攻防戦が始まり、最終的に負けてしまった蘭は団蔵に顔を見られてしまうという結果に終わってしまった。
「…もう、そんなかわいい顔したらダメだよ、」
そう言いながら蘭の頭を撫でる団蔵の手を払い除けて、蘭は自分の両手で顔を覆った。
「うう……。加藤君のせいなのに……。」
「はは!そうかもね!」
「否定しないんだ…?」
「だって、蘭ちゃんがかわいいのは事実だし!」
「も、もうそれはもういいからっ!」
団蔵は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった蘭を見て可愛らしさを感じたのかクスクスと笑い始める。その様子をチラリと見た蘭は少しむくれた顔をしていたが、そんな彼の顔を見た団蔵はさらに面白くなってしまい、しばらく笑いが止まらなかった。
それ以降、団蔵の笑いは止まることはなく、蘭が不機嫌になるまでずっと笑い続けていた。
「も、もういつまで笑ってるの?」
「はーっ、ごめんごめん、蘭ちゃんがかわいくてしょうがなくてさ、」
蘭が怒っているのを見て反省したのか笑うのをやめた団蔵は申し訳なさそうに謝ってくる。そんな団蔵の様子を見て仕方ないなと思いながらも許してあげることにした。ちなみにこのやり取りも過去何度か行ったことがあり、もうすでに定番化している光景となっている。この光景が定番化しているということは、それほどこのふたりの仲が良くなってきた証拠である。
「ねえ、どこ行きたい?」
蘭ちゃんとならどこ行っても楽しそうだけど!とまた満面の笑みをこちらに向けてくる団蔵に蘭は高鳴る胸を少しだけ抑えながら彼の案に対していろんなことを考えていくのであった。
続
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