千代里
2025-10-05 09:31:03
11098文字
Public リーブラエピローグ
 

リーブラの針は問う・エピローグ・その1


 ふわりとたなびく白い息に、人知れず目を細める。イシュガルドの寒さは相変わらず厳しい。ぼうっとしていると、寒さに体ごと攫われてしまいそうになる。
 かぶりを振り、防寒具に積もっていた雪をふるい落とす。両手に持った荷物を抱え直し、
「これは、この荷車に乗せればいいでしょうか」
「ああ。ありがとよ、護衛だけじゃなくて荷運びまで手伝ってもらって」
「依頼主の荷物を無事に町まで届けること。それが、僕たちの仕事ですから。荷運びも護衛のうちですよ」
 いつものように礼儀正しく、生真面目に、真摯に事を成す。かつてグリダニアといた頃と変わらないやり取りだ。
 だが、あの頃と違うところもある。笑いかけた商人は、イシュガルド風の衣装に身を包んだエレゼン族の男性で、ここは緑豊かな黒衣森ではない。
「じゃあな、ノエさん。次もよろしく頼むよ」
「はい。ぜひ、お願いします」
 護衛の代金を受け取り、今日の依頼はこれで終わりとひと心地つく。
 周囲にはぽつぽつと明かりが灯り、雪道を柔らかく照らしていた。行き交う人影は、家路を急ぐもの、酒場に繰り出すもの、街角で噂話に熱中しすぎて鼻の頭を赤くしているものなど様々だが、この街に初めて訪れたときよりも活気にあふれていた。
「兄さん」
 そして、街角の一つから顔を見せた少女。彼女こそ、ノエにとって世界で一番大事と言って憚らない者――オデットだ。彼女の薄紅色に波打つ髪を見るたび、ノエは心の中心に小さな温もりを覚える。
 今日の護衛任務が終わったあと、オデットにはひと足さきに買い物に行くよう頼んでおいたのだ。
「オデット、おかえり。錬金薬は補充できたかい」
「はい、こちらに。でも、以前のように……ヒューイさんがいないので、少し効き目は低いかもと言われてしまいましたが」
 懐かしい名前を聞いて、ノエはそっと眉を下げ、目を伏せる。
 二人は今、かつて滞在していた町――シュガーグレイヴに滞在していた。
 オーバン卿の企みが終止符を打ったあと、二人は各地を巡り、できる限り多くの人を助けようと便利屋のようなことをしていた。
 寒冷化の厳しいイシュガルドでは、戦える人手はいつだって求められている。放浪の旅路を続けていても構わなかったのだが、ふと旅の途中で思い出したのがシュガーグレイヴのことだった。
 統治者の横領が発覚し、治世が安定していない。それでいて、交通の要衝ではあるので、街の治安を管理する騎士団は傭兵を多く求めている。そのような話を聞いて、居てもたってもいられず、シュガーグレイヴへと舞い戻ったのだ。
 以後、ノエたちは、この街で行商の護衛や神殿騎士団の手伝いをしていた。
 神殿騎士団を率いる部隊長のピヌヌとは、浅からぬ縁がある。彼女は快く、そして遠慮なくノエ達に仕事を回してくれた。
 近頃、騎士団は傭兵にも依頼を出すように舵を切り替えた。その中でも、ノエは模範的な請負人であるとのことだった。
「この街にも、多くの物資が安定して届くようになったと店の人が言っていました。ですから、効き目の良い薬もいずれ入荷するだろうと」
「そうだね。ピヌヌさんが上手く人を采配してくれているおかげだろう」
「それに……ニヴェール家の人のおかげでもあるのですよね」
 かつては暗い顔をしている人が多かった通りには、近頃は明るい顔で笑い合いながら道を行く者がぐっと増えた。
 滞在している神殿騎士団の活動費を横領した咎で、シュガーグレイヴの管理者であるルグロ家が領主であるニヴェール家から粛清を受けたのも、その原因の一つだだろう。
 彼らはシュガーグレイヴの統治権を剥奪された。代わりに、現在はニヴェール家が直々に統治に顔を出している。一時期は治世が揺れたこともあったが、少しずつ安定を見せ始めていた。
 以前、町長との会議に出席するため、ニヴェール家の嫡子であるティエリーも顔を出していた。彼は、ノエの姿を見て歓喜の声をあげていた。
「無事だって聞いていたけれど、顔ぐらい見せろよ! 心配したんだぞ!」
 彼は、久方ぶりに再会に喜んだあと、顔も見せずに旅立った不満をこれでもかとぶちまけた。その後に、ようやくニヴェール家の現状がノエたちへ伝えられた。
「あのジジイ、長旅から帰った後はすっかりおとなしくなっちまったよ。とはいえ、まだまだ親父は顔色を窺うのをやめられないみたいだけどな」
 肩をすくめてみせるティエリーの様子からも、ニヴェール家の内情に大きな変化はなかったらしいと伝わった。
 だが、オーバンが十年以上追い求めた希望と怨讐の矛先は向ける先を失った。それが彼にどんな変化をもたらすのか、そこまではノエにもわからなかった。オーバンも、その責任をノエに求めようとはしなかったようだ。
 オデットから買い物の荷物を受け取り、今ではすっかり行き慣れた帰路を二人で行く。顔見知りとなった町人からは、今日の夕飯にどうかと、食材を片手に呼び込みを受ける。
(最初はどうなるかとも思ったけれど、もうここで暮らし始めて随分になるんだな)
 その期間は、かつて仲間たちとイシュガルドを巡っていた期間を超えていた。積み重ねた月日は、ゆっくりと、しかし着実にノエたちに変化を与えていた。
「兄さんにまだ言ってなかったんですけれど、実は私、少しだけ背が伸びたんですよ」
「そうだったんだ。そばにいると気がつかないものだね」
「はい。いつか、もっと大きくなってヤルマルさんくらいになりますね」
 その名前もまた懐かしさを思わせるもので、ノエはそっと目を細める。
 実際のところ、オデットの面差しには子供ならではの柔らかさが少しずつ形を潜め、代わりに女性としての涼やかな空気を纏うようになっていた。
 本人の望む背丈については、あいにくながらまだ成長の余地ありと言ったところである。今も、背が伸びたと言いつつも、そこまで変わらないのではと思うノエだったが、正直にいうとオデットが口を聞いてくれなくなることは学習していた。
「ヤルマルさんたち、今は何をしているんだろうね。少し前に手紙が届いたから、元気にはしているんだろうけれど」
「また一緒にお茶したいですね、兄さん。以前よりは、イシュガルドとグリダニアも行き来が楽になったわけですから」
「そうだね。……なんだか不思議な気分だな。以前イシュガルドに行く時はあんなに大変だったのに」
 かつて、イシュガルドは事実上国交を閉ざし、外部の人間を寄せ付けない閉ざされた国であった。一部の旅人や行商人を除き、公的な国同士のやり取りは限られていた。
 しかし、ノエたちがイシュガルドで過ごした数ヶ月の間に事情は大きく変わった。
 今や、イシュガルドは脱退していたエオルゼア都市同盟に復帰し、国交も広く開かれるようになった。それだけではない。イシュガルド国内の情勢も大きな変革のうねりの只中にいた。
 なぜ、そのような変化が起きたのか。それを振り返る前に、
「ねえ、まだ新しい司祭様は来られないの?」
 どこか刺々しさを感じる言葉に、ノエは足を止める。
「もう三ヶ月になるじゃない。ハンフリー司祭様がいなくなった後も、新しい司祭様が来たかと思ったら、皇都に呼び出されていなくなって……。あなたたちみたいな子供に礼拝を取り仕切ってもらっているなんて、今までじゃ考えられなかったわ」
 ちょうど、教会の入り口前に、数名の町民が詰め寄っているのが目に入った。扉の前にいるのは、半年ほど前から赴任している助祭の青年だ。
 まだ年若く、本来ならば正式な司祭と共に見習いとして修行中の立場なのだろう。実際、彼が赴任したときは、老齢の司祭が共にいた。
 だが、町民の言う通り、司祭は皇都から呼び出しがあり、シュガーグレイヴを去ってしまったのだ。
「あの司祭も、おおかた何かよくないことをして、神殿騎士団にしょっぴかれたに決まっている! まともな司祭なんて、教会にいるわけないんだからよ」
「イシュガルド正教会は、これまで俺たちを騙していたんだからな。だったら、もう司祭なんて要らないんじゃないか」
 人々の言葉には、拭いきれない教会への不信があった。かつてならばあり得なかった攻撃的な姿勢の理由を知っているため、それを不敬と咎めることも見習いには難しいようだ。
 だが、このまま見習いがやりこめられるのは、見ていて気持ちのいいものではない。
 故に、ノエは呼吸を整え、
「それなら、皆様がたで礼拝を行なってはいかがですか。僕は部外者なので詳しくないのですが、これまでの司祭様の説法を今まで聞いてきた皆様なら、礼拝も問題なく行えるのではありませんか」
 傭兵としての任務もあるので、ノエが礼拝に参加する機会は少ない。
 しかし、師に置き去りにされた目の前の見習いが、司祭不在の中、これまでどうにか町民のために礼拝を執り行っていたことは知っていた。
 彼の奮闘を知っていて、一方的に司祭など不要と罵られているのを無視するなど、ノエにはできない相談だった。
「そうだ。わたし、エオルゼアの神様たちがどのようにこの大地をお作りになったか、一度ちゃんと聞いてみたかったんです」
 ノエの言葉に便乗して、オデットも前に進み出る。
「では、ちょうどいい。皆さん、彼女に一つ、創世神話を語っていただけますか」
「あ……ええと……いや、それは」
 急に言葉をまごつかせる町民たち。彼らは日々説法を聞いていても、それらを完全にそらんじられるほど信心深いわけではない。
 流石に、これ以上は余計な壁を生んでしまうと、ノエは話の舵を切り替える。
「見習いの司祭さまであったとしても、僕たちよりも礼拝を正しい形で執り行う方法をよく知っておられます。今は、皇都の情勢も不安定だと聞いています。祈りを捧げる機会をいただいていることを、何よりも大事にしていきましょう」
「そ、そうだな……。悪かったよ、正式な司祭様がいないなんて、まるでハルオーネ様から見放されちまったみたいに思ってよ」
 町民が見習い司祭の青年に頭を下げ、見習いも彼らを許し、町民たちが散っていく。彼らが立ち去った後、見習いの青年はノエに頭を下げた。
「助けていただきありがとうございます。なるべく早く、正式な司祭を招くように連絡しているのですが」
「前の方は、戻ってこられないのでしょうか」
「どうやら、神殿騎士団の……いえ、イシュガルドそのものに現在起きている改革の気運に不満を抱いて、反対派の活動に参加してしまっているようです。教会に対して、皆さんが攻撃的でないのが救いですね」
「攻撃的なんて、そんな」
 たとえ教会に何かの不正があったとして、一千年続いた信仰が簡単に覆るだろうか。そのように思うノエを裏切り、青年はゆっくりと首を横に振った。
「皇都では、よくも我々を騙したなと、教会に石を投げ込む事例が後を絶たないと聞きます。最近は落ち着いてきたようですが、司祭や神学院の学生への暴行も一時期は酷かったのですよ」
 仕方ないことですが、と青年は呟く。
「イシュガルド正教は……いえ、少なくとも教皇様は、今まで国に生きる全ての民に真実を伏せていた。貴族は建国十二騎士の血を引いているからこそ貴族である、というのは真っ赤な嘘。騎士の中には市民として暮らし、平民にもその血を引くものはいる。そして……我々の祖先は、かつて共に暮らしていた竜を裏切り、彼らの信頼を踏み躙った罪人であった」
 青年が語った内容。それが、この数ヶ月間、シュガーグレイヴのような辺境の街の安寧すら揺り動かした、一千年もの間、イシュガルドという国の深層に隠されていた『真実』だった。
 これらの真実は、光の戦士と呼ばれる冒険者が一千年前の事情を知る竜から聞き出したものだ。この真実を携えて、神殿騎士団総長は教皇を問い糺した。教皇は、この忌まわしい真相を受け止め、肯定し、真相を隠すために総長を害しようとしたと言われている。
 最初こそ、眉唾の情報だと皆が笑い飛ばしていた。
 しかし、やがて国の変革と共に皇都から直々に伝達が降り、人々は自らの祖先が被害者ではなく、竜を傷つけた加害者であったと知った。
 シュガーグレイヴのような田舎町では、真実を知ったといえども、動揺はあれど、大きな変化はなかった。せいぜい、教会の人間に対する畏敬の念がいくらか減ったぐらいだ。
 しかし、青年が語るように、皇都のような多くの人々が暮らす場面では摩擦も大きく生じているようだ。
「真実を知ったところで、僕たちが生活の全てを変える必要があるとはおもえません。司祭様の中には、何も知らずに、ハルオーネ神へ祈りを捧げていた方もいるはずです」
「それに、隠し事をしていたからって、怪我をさせていい理由になるとはわたしも思えません」
 ノエとオデットの意見に、青年は元気をもらったのか、力強く頷く。
「ありがとうございます。今は、少しでも皆さんの心を支えられるように奮闘したいと思っています。これも、ハルオーネ神の与えた試練なのでしょう」
 そう言って深々と頭を下げた司祭に、ノエもまた軽く頭を下げ、教会から離れる。宿に向かう道は、すっかり暗くなっていた。
……イシュガルドは、この先どうなってしまうのでしょうね」
「教皇様が政治を取り仕切る体制をやめて、貴族も平民も話し合ってこの先を決めるやり方で政を進めるようになるって話だった。きっと、この先は、誰も知らない、新しいイシュガルドが待っているんだと思う」
 政の変革に関する通達を持ってきたのは、この地の領主であるニヴェール家当主――ベリトアだった。
 貴族が貴族として扱われる理由が欺瞞であると分かってしまった以上、ニヴェール家を筆頭とした貴族も、いつまで特権階級として遇されるかはわからない。
 だが、オーバンがいるのなら、この変革の波も乗り切っていくのではないかと思う。
 ノエの父――ベルナールも、あれで柔軟な視野を持っている。故に、ノエは父についても、ニヴェール家についてもさしたる心配はしていなかった。
「でも、僕がやることは変わらないよ。……これまで通り、困っている人がいたら助ける。ただ、それだけだ」
「そうですね。それが、兄さんの証明になるのなら」
 ノエの心には、未だ消えない棘が残っている。
 もし、あの魔法が発動していたら、邪竜ニーズヘッグは討伐され、その後の多くの戦いと犠牲は無かったのではないか、と。
(でも、兄さんはもう肩の荷をおろしてもいいのに、とわたしは思うんです。だって――
「おや、お二人とも。今お戻りですか」
「ちょうどよかった。貴殿らを探していたのだ」
 宿に戻る途中、通りがかったのは神殿騎士団の詰め所の前だだ。見張りの交代をしていたミコッテ族の女性兵士――イレーナが、二人を目にすると同時に、藤色の尻尾をぴんと持ち上げる。
 あわせて、彼女のそばにいた部隊長――ピヌヌが小さな手足をずんずんと動かし、ちょうど二人の前で足を止めた。
「ピヌヌさん、イレーナさん。お疲れ様です」
「そちらこそ。今日は隊商の護衛任務だったな。先ほど依頼人から、無事に完遂してくれたと報告があった。報酬は、明日には用意しておく」
「助かります。ただ、前々から思っていたのですが、危険手当の額は変えた方がいいのではありませんか」
「なぜだ。貴殿らは、魔物に襲われる危険に晒されながら、任務に務めている。町内の警邏任務と報酬が異なるのは当然だろう」
 ピヌヌもうんうんと頷くが、ノエの顔は渋いままだ。彼の生真面目な言い分と、その原因をあえて口にしない理由をうっすら察している者として、オデットが口火を切る。
「兄さんは、もう竜に襲われないから……邪竜ニーズヘッグは討伐されたのだから、その分、危険手当を下げてもいいのでは、と言いたいのです」
――――
 オデット自身、自分が今口にした言葉を音にするたび、何だか夢物語を語っているような気持ちになる。
 だが、これは事実だ。
 邪竜ニーズヘッグは討伐された。
 もう、あの竜の咆哮に怯える日々は終わったのだ。
 今は邪竜の残党が細々と姿を見せているが、やがてそれらも神殿騎士団に討伐されるだろう。
 邪竜とは異なる、ヒトに友好的な竜が人間を助けたという話も聞く。一千年前の真実を知り、イシュガルドの上層部は竜との和解と協力の道を選んだ。
 竜は恐るべき絶対の敵ではなく、手を取り合うことができる存在となったのだ。
 そして、竜の中でも人への復讐に取り憑かれた邪竜は――竜の手を借り、ついに討伐された。
「たしかに、邪竜ニーズヘッグは討伐されました。ですが、だからといって危険手当を下げるつもりはありませんよ。道中の危険は、竜だけではありません。竜がいなくなったことで、危険な魔物の生息範囲を広げるようになったとも聞きましたから」
 その情報は、ノエたちには初耳だった。
 竜がいなくなれば全てが万事解決のように思っていたが、竜という生き物は一千年間イシュガルドという土地の生態系に関わっていた。竜が生息域を減らせば、その分、他の魔物が力を持つのは自明だ。
「失礼しました。僕の判断はまだまだ浅かったようです」
「いや、貴殿のように我々に気遣ってくれるだけでもありがたい。大体の傭兵は、もっと賃金をあげろと頼んでくるものばかりなのだから」
 そう言いつつ、イレーナはくすりと笑みを引いている。そのやりとりも、傭兵たちと神殿騎士団らにとってはお馴染みとなっているようだ。
「まるで、冒険者ギルドのようですね。依頼を発注して、冒険者がそれに応えて――って。グリダニアにいたときのことを、わたしもたまに思い出します」
 イレーナにつられて、ころころと笑うオデット。彼女の言う通り、神殿騎士団から受ける依頼は、かつてグリダニアにいた頃に類似していた。
「実際、冒険者ギルドを正式に立ち上げる話も出ている。邪竜ニーズヘッグを討伐した英雄――光の戦士に続け、とな」
「イシュガルドに、冒険者ギルドが……
 口にしつつも、それもまた夢のような話だとノエは思う。
 冒険者という呼び名すら存在しなかったこの国に、冒険者の象徴である組織が出来上がる。かつてなら、想像もしていなかった大きな変化だ。
 そして、その先駆けは、間違いなく『光の戦士』に起因している。
 その人物は、イシュガルドの変革に大きく携わった功績者として、皇都では畏怖と感謝の念を以て囁かれると聞く。
 なぜなら、彼女こそが、邪竜ニーズヘッグを真の意味で討ち取った英雄なのだから。
(あの人と僕が言葉を交わしたのが、遠い昔のことみたいだ)
 かつて、まだ『光の戦士』という名前がエオルゼアの内に留まっていた頃に、何気ない会話をした少女の姿を思い出す。
 自分の戦う理由を――正義の形を答えた彼女は、邪竜を討伐するときも同じ信念でぶつかったのだろうか。
(『自分の周りの人の笑顔のため』――かつて、彼女はそう言っていた。今回も、同じ理由を掲げて、彼女は邪竜を討伐したのだろうか)
 だったら、ノエと光の戦士は全く違う道を選んだことになる。
 ノエは、オデットと己の笑顔を守るために、邪竜ニーズヘッグから背を向けた。
 しかし、光の戦士ほどの力があれば、己の理想を貫き、最も望ましい結末を掴み取れるのだろうか。
 邪竜を討ち取り、全ての人を笑顔にするような最善を、難なく形にできるのだろうか。
 ありし日の彼女の姿を、ノエが脳裏に描いていると、
「そういえば、イレーナさん。先ほど、わたしたちを探していると言っていませんでしたか」
「ああ、そうだった。実は、イシュガルドに在留している傭兵――いや、冒険者たちに、とある計画に参加しないか打診してほしいと、神殿騎士団総長から伝達があってな」
 顔を見合わせる、ノエとオデット。
 総長といえば、教皇不在の今のイシュガルドでは、国を治めている最重要人物の一人のはずだ。彼は、冒険者たちにいったい何を求めようとしているのか。
「それは、一体――?」
「お二人さん。その後の話は、俺が引きとってもいいか?」
 何気ない呼びかけだった。
 しかし、その声は今ここにいるはずのない男の声だった。
「今の声は――
 振り返り、予想が確信へと変わった瞬間、ノエは青銀の瞳を大きく見開く。
「ルーシャンさん!! それに、サルヒさんも!!」
「よう、久しぶりだな。若人。お嬢ちゃんは、少し背が伸びたか?」
 ひらひらと手を振る男――ルーシャンと、傍に控える従者の女性――サルヒ。
 彼らの姿に、オデットもノエも歓声をあげ、久方ぶりの再会の喜びを抱擁の形でぶつけたのだった。
 *
「蒼天街の復興事業?」
 数ヶ月ぶりの再会を門の前で喜んでいては凍えてしまうと、ノエは二人を自分たちの宿へと案内した。かつては七人で利用していた、あの素朴ながらも温かな宿だ。
 宿の主人はルーシャンたちのことを覚えており、熱々のワインで二人をもてなしてくれた。
「そうだ。蒼天街の名前ぐらいは聞いたことがあるだろ。イシュガルドの居住区にあたる部分だ。竜どもが皇都を襲ったときに、その居住区もぼろぼろになっちまったんだよ」
 ルーシャンの説明に、ノエはぐっと唇を引き結ぶ。
 大審門の防衛を破り、竜が皇都を襲った原因には、ノエ以外にも多くの人間と竜の思惑が働いていた。その責任を一人で負うなどと、それこそ傲慢だということは分かっている。
 だが、無関係だと言いきれるほど、ノエは器用でもなかった。
「居住区に住んでいた人間は、親族を頼ったり、雲霧街に仮住まいしたり、と何とかやっていたんだがな。少しずつ情勢も安定してきたことだし、ここらで蒼天街も復興させないかって話になったんだ」
「それで、街の復興のために人を募集している。瓦礫をどけたり、新しく家を建てたり、あとは雲海の島々から材料を集めたり……というのが仕事の内容だった」
 宿の主人から出されたワインは、舌が火傷しそうなほどに熱かった。
 それを冷ましている間、ルーシャンとサルヒは冒険者が呼ばれている理由を教えてくれた。
「復興事業と聞くと、嫌な思い出があるのですが。その事業の管理者は、ちゃんとした方なのでしょうか」
「聞いた話によると、四大貴族の人だとか。それに、光の戦士にも手を貸してくれと持ちかけているそう」
「さすがに、救国の英雄を罠に嵌めるようなことはしない……でしょうね」
 かつて、オデットが奴隷同然に働かされた状況とは大きく異なるようだと、ノエはほっと息をつく。
 すでに事業は少しずつ始まっており、参加者は作業者用の住居で十分に休息をとりながら、意欲的に作業を進めているそうだ。
「俺たちみたいに戦う力のあるやつは、材料を取りに行く連中の護衛を任せたいんだそうだ。あとは、純粋に人手だな。炊き出しをするにしても、瓦礫を片付けるにしても、人がいなければ始まらない」
「ルーシャンさんも、参加する予定なのですか」
 意外そうな声を出されたことに気がついたのだろう。ルーシャンは、どこか気まずげに頭を掻き、
「他にすることも思いつかなかったんでな。なんでも、事業の完成のあかつきには、イシュガルドに冒険者居住区を建てる予定でもあるらしい。事業の功労者には、優先して土地を融通してくれるっていうんで、実はそいつを狙っている」
「ルーシャンさんが、家を?」
 根無し草を自称していたルーシャンらしからぬ発言だ。
 だが、彼の視線がちらりとサルヒに向くのを見て、彼もまたあの旅路で大きな心境の変化を迎えたのだろうと察せられた。
 サルヒが撃たれたときの彼の狼狽ぶりで、今の彼が最も何を大事に思っているかは容易に想像できる。ノエたちが旅立ったあと、彼は何を最も大事なものとして抱えていくか、改めて考え直したのだろう。
「冒険者稼業はやめないさ。だが、腰を落ち着けるところがあってもいいだろ。で、ノエ。お前はどうする?」
 突如、話が自分のもとに投げ込まれて、ノエは考える。
 蒼天街。皇都の居住区。竜に破壊された街。
 そして、冒険者たちが作り直そうとしている場所。
 数分の思考の時間を経て、ノエはまずオデットに向き直った。
「オデット。僕は――
「行きたい、と言うのでしょう」
 わかってますよ、とオデットは目を細める。
「きっと、そこにはここ以上に困っている人がいて、わたしたちが助けられる人が大勢待っているのでしょう。だったら、ぜひ行きましょう」
……ありがとう、オデット」
 かつてのように、良いだろうか、と確認する必要はない。ごめんよ、と謝ることもない。
 ただ、ノエは礼を言う。
 自分の隣に居続ける道を選んでくれた少女の意思を尊び、それを当たり前としないために、彼は少女にお礼だけは伝えるようにしていた。
「では、僕も皇都に向かいます。少しでも、復興事業の手助けをさせてください」
「若人ならそう言うと思ったさ。とはいえ、今日はもう夜だ。出発は明日でいいだろ?」
「はい。旅立ちの前に、これまで何をしていたか、ルーシャンさんの話も聞かせてください」
「だったら、俺もお前の話を聞かせてもらおうか。いや、むしろお嬢ちゃんから聞いた方がいいのかもな?」
 そうして、四人はかつてのように食事をとりながら、これまでの日々を語った。
 ノエは、傭兵としてシュガーグレイヴで活動を続けていた日々を語った。
 オデットは、シュガーグレイヴに到着する前に、自分の占星魔法の師匠に再会したことを伝えた。
 復興事業から逃げおおせ、オーバンに見つかるまでの数年間、オデットは占星台で暮らす一人の貴族の老婦人と共に過ごしていたのだ。
 彼女は、オデットとの再会を大いに喜び、師匠としてオデットの魔法がどれほどのものになったか、厳しい抜き打ちテストを行なった。オデットは再会の喜びに湧くのも束の間、必死に彼女の修練に食らいついていた。
 一方、ルーシャンたちはノエと異なり、ひと所に留まらない日々を過ごしていた。
 エヴラール領内を、傭兵の仕事をしながら巡ったあと、最近はかつて自分が暮らしていた屋敷に赴き、花を捧げた。実に十五年ぶりの墓参りであったことを思い出し、とんだ親不孝ものだと肩をすくめた。
 そうして、程よく体が温まり、心地よい疲労感に包まれた頃。
 ノエはルーシャンたちに別れを告げ、自分の部屋のベッドに沈み込むように潜り込んだ。
(ルーシャンさん、元気そうでよかった。サルヒさんも、怪我の後遺症もなさそうで……
 まどろみながら、先ほど話した仲間の姿を思い返す。
 今日目にした人々の姿が瞼の裏を通り過ぎ、ゆっくりと眠りの海に沈み込もうとした、その刹那。
……あの人も、蒼天街に姿を見せるのだろうか)
 最後によぎったのは、光の戦士として今や一躍救国の英雄となった、一人の少女の姿であった。
(あの人に会ったら、僕は聞いてみたい)
 かつて、ノエは光の戦士に『正義』を問うた。
 だったら、今の己は何を問おうというのか。
 言葉にならない問答を胸の内で繰り返すうちに、ノエはゆっくりと眠りについていた。