わあ、とはしゃいだ声が聞こえて、部屋の中を見ていた俺はすぐにそちらに顔を向けた。部屋の奥、閉じていた障子を開けている由鶴の肩越しに見えるのは、おそらく露天風呂だろう。
無防備な後ろ姿にイタズラ心が湧き、俺は足音を忍ばせてその背中に近寄った。窓ガラスの向こうの広々とした露天風呂を視界に捉えてから、由鶴の耳元で「良さそうだな」と呟く。パッと振り向いた由鶴の驚いた顔に笑みを返してその腰をゆるく抱いた。
「一緒に入るか?」
「……逢さん、テンション高いですね?」
「おまえと二人きりで、低いわけがないだろう」
「光栄です。……ふふ、でも、俺もです。お風呂、夜まで取っておきますか? 夕食って何時に来るんでしたっけ」
「十八時にしてもらってるはずだ。せっかく部屋に露天風呂が付いてるんだから何回でも入ればいいだろう」
「よかった。まだまだ大丈夫そうですね。それじゃあ入っちゃおうかな……一緒に?」
「もちろん」
由鶴の頬に口付ければすぐに唇が塞がれて、薄く開いた隙間から当然のように舌が入り込んでくる。くちゅっと鳴る水音に体温が上がった気がした。
「ゆづる、ふろ、はいるんだろ」
由鶴はキスがうまい。このままではまだ布団も出ていない部屋で立てなくなってしまう。ぎゅっと服を掴み訴えると、由鶴は名残惜しそうに俺の舌を吸い、一瞬ギラついた目で俺を見つめてから、瞬き一つでそれを隠してふわりと笑い「すみません」と囁いた。唇の先が触れる距離のまま、甘い吐息が俺の心を離さない。
「明日まで二人きりでいられるの、うれしくて」
「……おれも」
「ん……ふふ。お風呂、入りましょうか」
きっと俺も由鶴も、このまま何回でも何時間でもキスをしていられる。俺のことをキス魔だと笑う由鶴だって同じくらいそうだから、何かきっかけがなければ二人して止め時がわからなくなる。でもせっかくこんなところにいるんだから、ここでしかできないこともしてみたい。
部屋に用意されていた浴衣とタオルを手に取り、脱衣所の棚にそれを置いた。外はまだ陽が落ちきっていない。ガラス戸を開けてみれば風呂から上り立つ湯気もあって、服を着たままでは熱いくらいだった。
「いいお天気ですね」
「ああ。……明るいな」
「ふふ」
「なんだ」
「いいえ?」
笑みを浮かべたままの由鶴を小突き、顔を逸らした。裸なんて今さら、お互い見慣れているけれど。
「入らないんですか?」
からかう口調に顔を顰める。俺が躊躇っているうちに、由鶴はさっさと服を脱いで、「先に入ってますね」と言って露天風呂へ出て行った。顔を上げ、湯煙に包まれる由鶴の綺麗な後ろ姿を見つめて目を細める。
一人きりになった脱衣所で小さく息を吐き俺も服を脱いだ。外に出ると由鶴はすでに体を流し終えて露天風呂に浸かっている。俺が出てきたことには物音で気がついているだろうに、こちらを振り返らなかった。
「……由鶴」
「ふ、なんですか? 見ていいの?」
「……」
「待ってるから、早くきてください」
どうやら俺への気遣いらしい。由鶴になら見られたくないなんてことはないが、わざわざ見てほしいということでもないから、俺は返事をしないまま由鶴に背を向けてシャワーを浴びた。くすくす笑う声は空に抜けて、風で揺れる枝葉のやわらかな音に紛れていく。素肌に自然の空気を感じるのは無防備な気持ちになって少し落ち着かないけれど、気持ちいいことも確かだった。
体を流し終えてシャワーを止めても自然の音があって静かすぎることはない。深呼吸をしてさっきよりは落ち着いた心で振り返り、きちんとむこうを向いたままの由鶴の後頭部を見つめた。
ぺたっと素足が立てた水音に由鶴がかすかに体を動かし、湯気の上る水面がぽちゃんと揺れた。声をかけないまま、由鶴の隣から一人分空けたところへと入る。熱すぎないちょうど良い湯の温度にふうと息を吐き、胸のあたりまで浸かったところで隣を見遣る。肌を火照らせて真正面を見据える由鶴の横顔に俺は思わず笑みを溢した。
「由鶴」
「……」
「こっち向け」
「……逢さん」
そろそろとゆっくり顔をこちらに向けた由鶴は、さっきまでの余裕をどこにやったのか、熱っぽい表情で俺を見つめた。そこまで長い時間待たせてはいないはずだけど、のぼせてしまったのかもしれない。
手を伸ばして頬に触れ、そのまま額や首筋に触れてみる。自分の手も温まっているから正確なことは分からないが異常に熱いということはない、と思う。「大丈夫か?」と声をかければ由鶴は返事をしないまま空いていた一人分の距離を詰めて俺のすぐ隣へ近づいた。
「待ちくたびれました」
「……悪かった。水を持ってこようか」
「大丈夫です。……手、触ってもいいですか?」
わざわざ許可を取らなくてもいいのに。俺は由鶴に触れていた手を湯の中に戻し、片手を由鶴に差し出した。風呂の中でふわりと手を繋がれ、由鶴がはぁっと熱い息を吐く。顔を見れば肌には汗が滲んでいた。
「……手、だけ?」
「え。……い、いいんですか?」
「そういうつもりの顔をしていただろう」
「……期待していたのは事実ですが、でも、まだお昼ですし、……思ったよりも外で、声とか響きそうだな、と」
「……悪かったな」
「え? ……逢さんの声が大きいとかそういう意図は全くないですからね?」
「……」
「……ほんの少しでも誰にも聞かせたくないんです。俺のわがまま。ね?」
あやすようにキスをされ、拗ねた顔を隠さずに由鶴を見つめる。ふふっと笑った由鶴はちゅ、ちゅっと甘い音を立てて俺の顔中にキスを降らせ、上目遣いで俺のことを見上げた。
「抱きしめても?」
「……もちろん」
「ありがとうございます。……はあ、気持ちいい」
「……ああ」
気を許した相手と触れ合うことは心が風呂に入るように心地よいものだ。実際こうしてただ抱きしめられるだけでも、素肌が重なったところから熱が溶け合うような気持ちよさを感じる。
でも、やっぱり、それだけじゃ物足りなくて。
「ゆづる」
「はい……逢さん?」
「……水、飲みたい」
「あ、のぼせちゃいましたか? お水持ってきましょうか」
「いい。けど、一度風呂を出てもいいか」
「はい、もちろん。手を貸しましょうか」
「ん、おまえも」
手を引いて一緒に風呂から上がり、温まった体には涼しく感じる風を浴びながら脱衣所へ戻る戸を開けた。バスタオルを渡せば由鶴は自分のことを後回しで俺のことを拭き始める。俺は腕を伸ばして由鶴の後ろで半開きになっている戸をしっかりと閉め、自分のバスタオルで由鶴のことを包み込みそのまま距離を詰めて唇を塞いだ。丸く見開かれる瞳に口角が上がる。
「外じゃなければ、いいか」
バスタオルと両腕で囲んで閉じ込めた由鶴は、ぱちぱちと数回瞬きをしたあと困ったように眉尻を下げて微笑んだ。
「うそつき」
「水を飲みたいと言っただけだ」
「もう、心配したのに……。大丈夫なんですね?」
「問題ない」
「それなら良かったです」
「それで?」
「……ぜひ」
「ん」
抱きしめて、抱きしめられて、まだ濡れたままの肌が重なり合う。由鶴の肩にかけていたバスタオルは、いつのまにか床に落ちていた。
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