夏休みお題「執着」「ゲリラ豪雨」「猛暑」

両片想いの赤安で、諸々捏造しています🙇‍♀️

 その日の気候は、実にアンラッキーだった。
 しかし、それを覆すほどのラッキーな日となった。

 組織の末端が動いたと連絡を受け現場に向かうと、そこには降谷がいた。それは、赤井にとって幸運なことだった。
 降谷に対して抱いている特別な感情が“恋情”であると気づいてから、しばらく経つ。その間、降谷に会える機会はそう多くはなかった。
 降谷は忙しい。個人的な理由で呼び出す余地はなく、対面で逢えるのはせいぜい合同会議か合同作戦くらいだ。メンバーが固定されているわけでもないので、降谷と同じ現場に居合わせるというのは、実に幸運なことだった。
 しかも、作戦命令は各機関の上層部から降りてくるが、今回の作戦で中継役に任命されたのは降谷である。会話を交わす機会もあるかもしれない。そんな期待もあった。
 しかし、現場のコンディションは悪かった。
 指示を受け、降谷のいる現場から離れたあと。百メートル以上離れたビルの屋上で、赤井はサイレンサーの付いたライフルを構えながらの待機となった。
 足場はコンクリート。屋根などはない。外気は三十五度を越え、屋外での活動には嫌でも体力を消耗してしまう。
 赤井には暑さにも寒さにもある程度の耐性はある。しかし、湿気も高く四十度に迫ろうとしているこの場所は、ジメジメとした不快感もあった。もちろん表情に出すことはしないが、身体の至るところから汗が噴き出すのを感じる。黒色の服が陽の熱を吸収し、余計に身体に熱を纏わせているのかもしれない。
 そして、もうひとつ、不運なことが重なった。カンカン照りという状況だったのにもかかわらず、正午を過ぎたあたりで瞬く間に黒い雲が集まり、集中的に雨を降らしはじめたのだ。稲光もあり、轟音も凄まじい。いわゆるゲリラ豪雨だ。
 赤井は素早くライフルにレインカバーをかぶせた。傘はないので、瞬く間に着ていた服や髪がずぶ濡れになる。
 現場の周辺でも人の動きがあった。現場の外で待機していた者たちが、散り散りとなってゆく。彼らには一時撤退の指示が出たのかもしれない。
 その様子をビルの屋上から眺めながら、銃口は変わらず標的を狙い続け、赤井はタイミングを待つことにした。ふとスマホのバイブ音が鳴り、赤井は反射的に応答ボタンを押す。
 見知らぬ番号からだ。誰からの電話かはわからない。
 こちらから一言も発さずに待っていると、雨の音を突き抜ける凛とした声が聞こえてきた。
『赤井、聞こえますか?』
 彼の声に、赤井は口元が上がるのを自覚する。
「その声は……降谷君か。ああ、聞こえているよ」
『この豪雨で、一時撤退の指示が降りました。あなたもすぐ、屋内に退避してください』
 了解――そう返事をしようとしたところで、スコープ越しに標的が動くのがわかった。この雨の中、外へ出るつもりなのだろうか。
「いや……しばらく待機を続行する」
『え?』
「身支度をはじめているようだ。このまま外に出る可能性がある。追跡用の車を用意できるか」
 部屋にいる全員を射殺するのであれば自分ひとりで事足りる。しかし今回は情報を得るために生きて捕獲することが最優先事項である。
 この豪雨で一時撤退の指示が出てしまった以上、標的が外へ出る前に再度現場の周辺に人員を集めるのは難しい。
 ……という説明をせずとも、降谷は瞬時にこちらの意図を理解したようだ。
『B班とC班に指示を出します』
「では、P2ならびにP4付近で待機するよう指示を出してくれ。台数は君に任せる。移動のタイミングはこちらで指示しよう」
 追跡していることがバレないよう偶然通りかかった車を演じるためには、現場からそれなりの距離がある場所で待機し、移動をはじめなければならない。
 標的が地上に降りるまでの時間、車に乗り込むまでの時間、そして周辺の道路の混雑状況を見ながら判断する必要がある。
『わかりました。通話はこのままでお願いします』
 すぐさま降谷が彼の部下たちに指示を出す。スマホは自分との通話で塞がっているので、別のスマホか無線を使っているのだろう。
 降谷らしい実に細やかな指示が聞こえてくる。
 赤井はスコープ越しに標的を追いかけ続ける。複数のアタッシュケースを台車に乗せ、部屋を出ていくのが見えた。台車があるので、階段ではなくエレベーターを使うのは明白だ。
 エレベーターが一階に辿り着くまでの時間、車に荷物を乗せる時間などを計算する。
 多少のズレがあっても調整できる時間を思考しながら、赤井は降谷に伝えた。
「ヒトロクゼロナナ・ワンゼロ。P2、P4から移動開始」
『ヒトロクゼロナナ・ワンゼロ。P2、P4から移動開始』
 そのまま降谷が復唱する。
 赤井の発言を何ら疑うことなくそのまま部下に伝える――これは相手を信じていなければ、到底できるものではない。
 時折見せる降谷のこうした姿勢に、赤井は何度も胸を鷲掴みにされてきた。降谷はそれを自覚しているのか、赤井にはまだよくわからない。
 赤井は作戦上P2・P4と名付けられた場所を屋上から覗き見た。そこに計四台の車が間隔を開けて待機しているのが見える。スマホからはカウントを告げる降谷の声。時計が十六時七分十秒を指す。ゼロ、という声と同時に車が移動を始めるのを見て、赤井は安堵の息を吐いた。
 スマホの通話はまだ途切れていない。移動する車に乗っている部下たちに、指示を出す降谷の声が聞こえ続けている。
 しばらくすると人の声は聞こえなくなり、一人分の足音が聞こえ始めた。降谷は駆け足でどこかへ移動を始めたようだ。豪雨に混じる、水溜まりを弾くような音。降谷は外に出たようだ。彼はいったいどこへ向かっているのだろう。
 降谷の存在をスマホ越しに感じながら、赤井はライフルをライフルバッグの中におさめた。
 スマホから聞こえる降谷の足音に、金属音が混じる。と同時に、屋上へと続く非常階段を駆け上がってくる足音が聞こえ始めた。
 赤井にはその足音の主がすぐにわかった。“彼”の足音に胸を叩かれるような心地で聞いていると、屋上へと続くドアが勢いよく開かれる。
「赤井!」
 豪雨に混じる、降谷の声。濡れるのも構わず、降谷はこちらに近づいてきた。
「降谷君」
「びしょ濡れじゃないですか」
「君の方こそ」
 傘を差さずに走って来たのだろう。降谷は上から下までずぶ濡れだった。
「早く屋内に!」
 降谷に急かされて、赤井はライフルバッグを背負い、ビルの中へと入った。そして、降谷のあとを追うようにして、非常階段で降りてゆく。非常階段はどこか薄暗く、人は誰もいない。物音がよく響き、自分たちの足音と水滴が落ちる音がよく聞こえる。
 自分の身体だけではなくライフルバッグからも、水滴がぼたぼたと零れ落ちる。階段を下る降谷のつむじを見ながら、赤井は問いかけた。
「君はなぜわざわざここに?」
 降谷は一瞬立ち止まり、再び地上へ向かって歩き出す。
……僕には、すべての場所の状況を把握する義務があるので」
 わざわざここまで来なくとも、スマホで聞けば済む話だとは思う。しかし赤井は、降谷が自分のもとへ来てくれたことが素直に嬉しかった。表情が緩みそうになるのを堪えて、赤井は意識を仕事へと戻す。
「尾行の状況は?」
「現在、二台ずつに分かれて追跡中です。スマホで現在地を追えるようになっています」
「そうか」
 降谷は自身のスマホを取り出し、画面が赤井と通話中のままになっていることに気づいた。降谷は少し照れくさそうに笑いながら呟く。
「そういえば、繋がったままでしたね」
 降谷が終話ボタンを押そうとする。その前に、赤井は降谷の腕を掴んだ。驚いたように、降谷がこちらを見上げてくる。
「これは、君個人のスマホかな」
「そうですが……
 降谷が瞬きをする。降谷は、赤井の問いかけの意図にまったく気づいていない表情をしていた。
……君と話したいとき、この番号にかけてもいいだろうか」
 降谷が大きく目を見開く。驚いているのか。返答に困っているのか。降谷は固まってしまう。
 外では今もなお豪雨が吹き荒れているようで、静かなこの場所にも激しい雨の音が届いていた。
 遠くで雷が鳴り響き始めた頃。降谷はようやく我に返ったような表情をした。外から聞こえる雨の音に吸い込まれそうなほど小さな声で、降谷は言う。
……い、いいですよ」
 赤井は降谷の腕を離した。降谷は終話ボタンを押して、しばらく何か考える素振りをみせたあと、アプリを立ち上げる。
 数回タップして、降谷はスマホの画面を赤井の目の前に持ってきた。
「現在の状況は、ここに」
 アプリには、現在進行形で追跡をしている車と標的の現在位置が示されている。
「現状は問題なさそうだな」
 近くもなく遠くもない距離で、標的を追跡している。
 しかし、油断はできない。状況は刻一刻と変わってゆくからだ。自分と同じことを考えているのか、降谷は表情を引き締めて言った。
「庁舎に戻ります。あなたも一緒に来てください」
「ああ」
 再び、ふたりで階段を駆け下りてゆく。赤井は降谷の隣に並び、彼の横顔を眺めた。
 自分がその気になれば、抱き締めることもできる距離。彼が近くにいることに、自然と笑みが込み上げる。降谷がこちらを向いて、ムッとした顔をした。
 この状況で笑えることが理解できない、とでもいうような表情をしている。
……そんなにびしょ濡れなのに、なんだか楽しそうですね」
「今日の俺はツイていると思ってね」
……ツイてる?」
「ああ」
 降谷に逢えたこと。降谷の携帯番号を手に入れたこと。ふたりきりでこうして話ができていること。
 降谷にとってはまったく予想もできないことだろうが、赤井にとっては多くの幸運を手に入れている日だ。
「よくわかりませんが、そのツキを逃して風邪引かないようにしてくださいよ」
 言葉には棘があるが、降谷の声は優しい。長時間雨にさらされた自分のことを心配してくれているのだろう。
 幸運はどこまで続くのか。欲張りたい気持ちと、今は焦るべきではないという気持ちが交叉する。
 しかし、もし今が千載一遇のチャンスなのだとしたら、この好機は逃すべきではない。タイミングさえ合えば、全力で掴みにいくべきだろう。
 今日のこの幸運がどの程度のものなのか。赤井は試してみたくなった。
「ところで降谷君。今夜、一緒に食事でもどうかな」
 たとえ失敗したとしても、また次の機会を狙えばいい。そう思いながら、赤井は降谷を誘う。ところが、予想に反して、降谷はこうこたえた。
「作戦が無事に終わったら……いいですよ」
 外の雨が、優しい音に変わった。