浮かれた柄のシャツを着て、膝下丈のボトムにサンダル履き、帽子をかぶってサングラスをかけ、吹き抜ける潮風と眩しい日差しをまともにくらう。高台に建っているホテルは、二階のバルコニーからもコバルトブルーの穏やかな海が見える。
「今日もいい天気だね」
「そうだな」
海に向かってなだらかに下っていく石畳の坂道の両脇には、白い壁にオレンジ色の屋根が乗った家々が建ち並ぶ。その壁の足元に点々と可愛らしい花を植えたプランターが置かれている。坂の終点は海。アベンチュリンはご機嫌な景色を端末のカメラで撮影した。
この可愛らしい町並みは、歴史も地理的な都合もなく、人気の観光地を真似て作られた計画都市だ。出発地点はパチもんでも、景色から文化まで設定が統一されていて没入感はばっちり。町ぐるみのアミューズメントパークと考えるとわかりやすいかもしれない。住民もこの町で働くために移住してきた人間しかいない。
裕福な既婚カップルの記念日利用を第一ターゲットにしているため、清潔感、治安のよさ、品質の高いサービス、友好的な空気を重視している。観光客の人数を制限していて、一ヵ所に人が集まりすぎることも長時間待たされることもなく過ごしやすい。ただし、観光地であることを加味しても、何もかもが高価格である。
そんなリゾート地にアベンチュリンとレイシオが来ているのには理由がある。
「あったあった。あーあ、捨てられちゃったよ、僕。可哀想に」
ホテルのバルコニーで一杯ひっかけながらSNSをチェックしていたアベンチュリンは、目当ての記事を見つけてにんまりと笑った。
『ドレス姿を離婚後初披露! お騒がせセレブが早速釣り上げたのはあの八冠教授』
ゴシップの見出しって、感嘆符好きだよね。
以前、ちょっと油断したプライベートの写真を撮られて、レイシオとアベンチュリンの根も葉もない熱愛ゴシップが出てしまったことがあった。「八冠教授」はその時のレイシオのあだ名である。ちなみにアベンチュリンは「美人すぎる高級幹部」だった。レイシオは何を書かれようと黙殺した。もちろんアベンチュリンもゴシップなど相手にしない。世間の噂は真剣交際派とただの遊び派があって、後者が優勢だったらしい。それも時間が経つにつれ鎮火した。
そして、今回の記事である。モテる男は忙しい。お相手はレイシオがどこかのパーティーで挨拶した男性にくっついていた従姉妹で、レイシオの記憶に残ってもいなかった。前もって記事が出ることを知ったアベンチュリンが確認すると、「誰だそれは」と聞き返されたのだ。男性の方は辛うじて覚えていたらしいけれど関心はなく、レイシオの中でもう二度と会うことはない人間に仕分けられているのがありありとわかった。
レイシオのマスコミ対応をするスタッフは、記事を差し止めるか一応検討したらしい。が、今回も黙殺することにした。お粗末な合成写真と捏造でできた本文はあまりにも稚拙で、放っておいても害がない。自称「お騒がせセレブ」が書かせた純度一〇〇パーセントのやらせ記事である。金持ちの自慰に付き合うゴシップ屋さんも大変だ。
「君は名誉毀損で訴えないのか?」
「しないよ、そんな意味のないこと」
後日対応について話した時、レイシオは記事を一行読んで頭が痛くなったと投げ出していた。アベンチュリンが登場していることは概要をスタッフから聞いて知ったんだろう。
「でも君がそう言うなら、ちょっと仕返ししようかな。前に休暇を合わせて旅行しようって話してたよね。ちょうどいい、この記事が出る頃に行こう」
そうして、急遽この旅行を企てた。目的地をいかにもなリゾート地に決めたのも、レイシオとほぼペアルックの格好で一緒にあちこち出かけているのも、外から丸見えのバルコニーで過ごしながら下の道を通る住民に一声かけて手を振ったりしてるのも、アベンチュリン主導でやっている。
「君が何を楽しもうと結構だが、昼間から飲みすぎるな」
「ハイハイ」
くふ、と笑ってアベンチュリンはちびりとストレートのリキュールを舐めた。レモンの皮で作ったリキュールは、ホテルのオーナーの祖母が作った自家製だ。レイシオは同じものを炭酸で割って、たっぷりのミントを添えて飲んでいる。
昨日の日中は外を歩き回り、夜もベッドでちょっと張り切ったせいで、籐の椅子にゆったり座るレイシオは眠そうにとろんとしている。その姿に端末のカメラレンズを向けても文句ひとつ言わない。ここに来てからずっとアベンチュリンがスナップ写真を撮っているので、すっかり慣れたのだ。元々注目されるのに慣れているのもある。レイシオはアベンチュリンの意図を汲んでか、こっちに着いてから石膏頭を封印してくれていた。
帽子とサングラスは外せないものの、アベンチュリンもなるべく一緒に写り、写らないときもチラチラと存在を匂わせた。町歩きをしていて行き合った人とも気軽に撮った。個人で構えている小さなアートギャラリー、露店の従業員、飲食店で隣のテーブルになった観光客、路地で地域の猫を可愛がる地元民。何人かに写真をSNSにアップしていいかと聞かれて、どうぞどうぞと快諾した。さすが商売人の町、住民一人一人が宣伝に貪欲だ。
「レイシオが写ってると反応いいなあ。僕は顔出しできないけど、君がお騒がせなお嬢様ではない誰かと旅先で楽しく過ごしてることは広まり始めてるみたい」
静かに上下するお腹の上で組まれたレイシオの手首に、露店で衝動買いした装飾品を巻きつけた。革紐に誰かさんの基石によく似たガラス玉を連ねた安物は、指で弾くと小さな金の鈴がチリチリと鳴る。
「人間のアクセサリーではなくペットの首輪に見えるが」
「いいだろ、顔も覚えてない誰かに釣られた魚より、僕のペットの方がさ」
「ふん」
例の記事では、カンパニーの美人すぎる高級幹部は移り気なビッチ扱いで、熱愛ゴシップの直後に浮気してレイシオに捨てられたことになっていた。ざーんねん、あれから二人はずっと付き合っている。レイシオは浮気を見逃す間抜けではないし、首輪をつけられたって嫌がらないほどアベンチュリンに懐いている。なんなら、匂わせアイテムがちょっと嬉しそうですらある。
「昼間は君がつけてて。夜は僕の首に巻いてもいいよ。想像できるかい、君が動くとこの鈴が鳴る」
「夜まで待たないといけないのか?」
「思わせぶりなこと言って、いまにも寝そうじゃないか。今日は部屋でゆっくりしよう。そうだな、日が暮れるのは昨日より少し早いかもしれない」
パラソルを傾けて、レイシオに当たっている日差しを遮る。ブランケットをお腹にかけてやったら、手首を掴まれて引き寄せられた。合わせた唇はレモンとミントの味だ。そのまま抱き込もうとする腕から抜け出して、おいたする前足をお腹の上に戻す。不満そうにこちらを見る大きな犬にウィンクを投げた。
「さあ、おやすみ」
アベンチュリンの可愛い子はクンクン鼻を鳴らしたりしない。大人しく目を閉じたレイシオのグラスからミントを千切って自分のグラスに落とした。
この旅行の目的を終えるまでの間、アベンチュリンが己に課したルールが三つある。
一、社交的に振る舞うこと。
二、レイシオを名前で呼ぶこと。
三、レイシオに向ける「ありがとう」に「愛してる」を付け加えること。
「ありがとう、愛してるよ」
この追加攻撃は最初こそレイシオをぎょっとさせるのに成功したけれど、何度目かになるとダメージが通らなくなった。耐性がつくのが早い。近くで聞いている他人の方が驚いたり微笑ましそうにこちらを見たりする。
「他へのありがとうとは声から違うもの。あなた幸せ者ねえ」
今晩立つ夜市についてホテルのフロントで聞いていると、通りがかったオーナーの祖母が冷やかしていった。部屋でゆっくりする予定を変更して外で過ごしたいと言ったら、レイシオは快く許してくれた。そのお礼の「ありがとう」へのコメントだ。
幸せ者と言われたレイシオは、口の端を上げて薄く笑った。たぶん、昨日の今日でずいぶん気に入られたようだなと感心されている。
実は、昼に飲んだリモンチェッロは裏メニューだ。アベンチュリンが上手く懐に入ったのもあるだろうけれど、レイシオの故郷が話題になったときに、オーナーの祖母がぜひ飲んでみてほしいと特別に分けてくれたのだ。この町が参考にした観光地は複数あって、そのうちのひとつがレイシオの故郷の星系にある。
夜の散歩の先は、昨日の昼にも見に行った、露店を集めた区画だ。ホテルから徒歩でもそう遠くない。帽子の代わりに髪型を変え、サングラスの代わりに薄く色がついたメガネをかけた。薄暗い屋外ならこんなものでいいだろう。
夜市は週に二度立つ。昼夜で同じ売り物を出す店もあるが、全く別の売り物を出す店がほとんどだ。
「夜は雰囲気が違うね、立ち飲みのお店が増えてる。目についたのをどんどん試そうよ。お腹の空き具合は?」
「君が満腹になる頃に七、八分目といったところだな」
食べ歩きの連れとしてこれほど頼もしいことはない。
一口で食べられるつまみとすぐに干せる小さなグラスのお酒を買い、テーブルに並べて写真を撮って、全部平らげてから次に移動する。近くのテーブルの客から勧められたものを追加したり、美味しかった店を紹介しあったり、店主から仕入れやレシピのこだわりを聞いたりしていると、あっという間に時間が過ぎていく。
「飲み過ぎていないか?」
「大丈夫だよ。強いお酒は飲んでない」
店から店へ移動する間にボトルで持ってきた水を分けあって飲んだ。歩くときは手を繋いで肩を寄せあう。首輪の鈴は鳴らない。音が聞こえるとアベンチュリンの首につけたくなるとレイシオがからかうから、手を繋ぐたびにクルクル回して二人の手首の内側に鈴を挟んだ。
区画内をぐるりと一周して、ちょうどアベンチュリンのお腹が限界になった。食べ物を多めに引き受けてくれたレイシオも八分目を超えたはずだ。
「ホテルに戻ろうか」
「満足したか?」
「楽しかった! 付き合ってくれてありがとう。愛してるよ、レイシオ」
本当にいい時間を過ごせたから、自然と笑顔になった。ここはいい町だ。きっかけはイマイチだったけど、レイシオと来られて良かった。
ホテルに向かって歩き出そうとしたら、繋いだ手に引き留められた。レイシオの顔を見上げると、唇の近くにそっとキスされた。
さて、仕事を片付けてしまおう。
ホテルの部屋に戻るなり、レイシオを急き立ててバスルームに押し込んだ。出てくるまでに済ませなければと、急ぎベッドに腰かけてバーチャルディスプレイを広げ、トパーズと通話を繋ぐ。
『現地調査ありがとう。どれをとっても匂わせ写真で胸焼けしたけど』
「自然でいいだろ。今聞いてきた話もまとめてすぐ送るよ。仕上げは任せていいかい?」
『もちろん。休暇ってことになってるんだから、あとは楽しんできて。君たちが帰る頃には、そこはカンパニー傘下に入ってる。社員割引をきかせてあげましょうか?』
「無粋だな。それじゃ羽が伸ばせないよ」
レイシオは関心がなかった自称お騒がせセレブの従兄弟だけれど、トパーズは近頃おおいに彼に関心を寄せていた。主に、このリゾートに関する黒い噂について。
その男を代表取締役に戴くリゾート開発会社は、カンパニーに追加融資を求めるのと並行して、この町の会員権を売り捌いて金を集めていた。手法は問題ない。ただ、販売価格が安すぎ、数量がこの地の理想的なキャパシティを超えていた。会員たちに不当な順番待ちをさせておきながら、資金繰りが苦しいわけでもないのに販売を続けている。
会社を私物化するバカどもにプロジェクトを潰されるわけにはいかないの。そう憤るトパーズに頼まれて、有休消化ついでにレイシオを巻き込んで現地の様子を調べに来た。今朝までに集めた情報は、アベンチュリンの本当の目的を知らないレイシオが昼寝している間にトパーズに投げた。あと少し掘り下げたいところがあって、夜市に行って探ってきたのだ。
財布の紐をゆるくして誰彼構わず愛想よく話しかけたのも、レイシオとの親密さをアピールしたのも、仕事の一環だった。ターゲット層に沿う客のふりをすれば、もてなす側の口が滑らかになる。
これからトパーズは開発会社の首根っこを押さえて、美味しく完成したこの町をかっさらう。少なくない資金を出しているとはいえ、いざ収穫の段になって乗っ取るというのは外聞が悪い。けれど、めちゃくちゃにされるところだった町と顧客を守れば、イメージはむしろプラスだ。もちろん、会員たちへの補償にかかる費用は、裁判でバカどもからむしりとる予定である。
『明日向こうの代表とお話するんだけど、例の従姉妹も同席すると言ってきたよ。目を付けた教授が身内が作ったリゾートでラブラブ旅行をしてると知って、君を出禁にしてと息巻いてるみたい。それどころじゃないってわからせるのも、シロップ漬けの写真を見てどんな顔するのかも、楽しみだな~』
「物好きだねえ」
『記事を読んだでしょ。甘やかされた世間知らずのお嬢様にしたってひどかった。浮気して捨てられたビッチの方がマシに見えたもの』
「君、ハッピーエンドが好きだと言ってなかったかい?」
『好きだよ、後味がいいから。でも私ね、待ってれば全部転がり込んでくるご都合展開は興醒めしちゃうの。掴みに行くのがハッピーエンドの醍醐味だよ』
ドライヤーの音が聞こえる。そろそろ時間切れだ。夜市で集めた情報を書き上げてざっとチェックし、トパーズに送信した。
『はい、受け取りました。ご苦労様、よい休暇を』
「戻ったら明日の結果を」
言いかけたところで、バスルームから出てきたレイシオが大股でやってきて、アベンチュリンの耳からイヤホンマイクを取り上げた。
「僕も参加する」
『了解です、報告会の予定を入れておきますね。あとはお任せください。教授もよい休暇を』
「協力に感謝する」
音漏れするイヤホンから、トパーズが急いで通話を切ったのがわかった。アベンチュリンの追求をかわすためだ。
「『協力』って、君たち、何を」
イヤホンマイクを投げ返されて手がふさがり、メガネを抜き取られて反射的に目を閉じたのがよくなかった。
主人に牙をむいた犬が、わざとリップ音を立ててキスを繰り返す。文句を言おうと開いたアベンチュリンの口が閉じないように顎を掴んで侵入し、勝手知ったる弱いところを容赦なくくすぐって回る。小刻みに上ずった声で鳴かせて満足したのか、レイシオは一際大きな水音を立てて離れ、仕上げに垂れた唾液を舐め上げた。
「仕事は済んだな?」
「……はぁ、そうやってごまかすんだから。まあ、おかげで早く終わったよ」
数拍の沈黙ののち、レイシオは小首をかしげた。
「ならば感謝の言葉をもらおうか、一言添えて」
「仕事は終わったんだ。仲良しの演技もおしまい」
「演技、か」
呟いたレイシオは、編み込んで髪飾りで留めたアベンチュリンの髪を優しい手つきでほどく。借りていた髪飾りは持ち主のいつもの場所へ。レイシオの手首で、チリ、と鈴が小さく鳴った。そのしょぼくれた音はアベンチュリンに、目の前に立つ男の後ろで力なく垂れる尻尾の幻を見せた。
トパーズとこそこそ何をしようとしていたのやら。それはともかく、アベンチュリンに全面的に協力してくれたことは確かだ。
あと一度だけならいいか。そう思い、お礼を言い直そうと口を開けた。が、声が出なかった。喉を押さえて口を閉じる。あの言葉は、役に入りこむための発破みたいなものだと自分に言い聞かせていた。仕事という意識が働いていれば臆面もなく言えたけれど、プライベートに頭が切り替わったらダメだった。
自分の本心を込めた言葉は重たい。舌に乗せるのはもちろん、受け取ったレイシオがその重さに嫌気がさしてしまうのではないかと思うと恐ろしい。付き合っているといっても、くだらないゴシップをきっかけに始めた関係だ。軽く、遊びを忘れず、いつでも手を切れるように、そう心構えをしておかないと続けてこられなかった。
ここに来て一度たりとも、軽口でも、レイシオはアベンチュリンの「愛してる」に同じ言葉を返さなかった。どんなに思わせぶりな態度を見せようと、彼にそこまでの気持ちはないのだ。なら、アベンチュリンも自分の気持ちにブレーキをかけ続ける必要がある。
改めてそう心を決めた矢先に。
「では、僕から。君のおかげで想像以上にいい休暇になった。ありがとう、愛している」
この野郎、いとも簡単に言ってくれるじゃないか!
アベンチュリンは不機嫌と照れ隠し半々でむくれた。レイシオは追加攻撃が満足なダメージを出して嬉しそうだ。からかわれたのは悔しいけれど、先にこの手を使ったのはアベンチュリンだから、痛み分けということにする。
「ここからが本当の休暇だな。明日は一日部屋でゆっくりしよう」
「そうだね、天気が崩れるみたいだし屋内で過ごそうか。ホテルにもいろいろ遊べる施設があるんだよ」
一日くらい気の向くままダラダラと過ごす日があってもいい。ところが、アベンチュリンが指折り挙げる暇潰しを、レイシオは首を横に振ってすべて却下した。
「もし僕が猫を飼うなら、家から一歩も出さない」
「うん?」
「君もシャワーを浴びてくるといい。これを外すまでは大人しくしていよう。ただし、明日の日の出は今朝よりだいぶ遅くなるだろう」
手首に巻いた革紐を窮屈そうに動かして、レイシオは飼い犬とは思えない獰猛な顔で笑った。そろそろ日付が変わろうという時間なのに、まったく眠気を感じていない様子だ。仕事したさに昼寝を勧めたのだからアベンチュリンの自業自得。首に手を当てて、こくりと唾を飲み込んだ。
「……いいよ。君の猫が遊び疲れて眠るまで、思う存分鈴を鳴らして」
首輪をつける場所を予告するように、レイシオの指先がアベンチュリンの手の上をスッと撫でた。
「ありがとう」
――それは、さっきとは全然違う声色だった。
お礼の言葉だって? そんな生易しいものじゃない。この一言を聞くためにすべてを差し出したくさせる、依存性の高い薬物のような一滴だった。わずかな濁りもなく、アベンチュリンから与えられるものへの期待と喜びに満ちている。
声から違うなんてのは、ただの冷やかしだと思っていた。こんなに熱くて耳が溶け落ちそうだなんて、思ってもみなかった。
アベンチュリンは本当に人前でこんな声を出していたんだろうか。頭の中を開いて見せたように筒抜けじゃないか。こんなものを聞かせた後じゃ、今さら本心をせき止めたってまるで意味がない。
「僕は幸せ者だ、君は?」
「僕……」
恥ずかしさで喉が詰まった。どうしよう、どんな顔をしたらいいかわからない。レイシオはアベンチュリンの頭を撫でた。
「安心しろ、君の会心の『ありがとう』は僕しか聞いていない」
どれのことだ。そんな慰め方があるか、安心するところがない。だって、レイシオは知ってるんじゃないか。仕事だと自分を騙すことでしか吐き出せなかった、アベンチュリンの本当の気持ちを。
レイシオは混乱するアベンチュリンの腕を引いて立たせると、腰を叩いてバスルームに送った。
「さあ、行ってこい」
ふらふら歩いて、よろよろ服を脱いで、タイルの床にへたり込んでシャワーのコックを捻った。滝に打たれて頭が冷える。溶けそうだった耳も、燃えそうだった顔も、少しだけ平静を取り戻した。そうして働きだした頭は、無意識に引っ掛かっていた言葉を呼び戻した。
シロップ漬けの写真、だって? そんな写真はトパーズに送っていない。アベンチュリンからレイシオへの気持ちがうっすら見えるものだけだ。そんな生ぬるい写真ではささやかな嫌がらせにしかならないだろうし、そのつもりで撮っていた。
捏造されたご都合主義のハッピーエンドを台無しにできるのは、レイシオがアベンチュリンを撮ったものだけ。いつの間に、なんて考えるまでもない。ここに来てからずっとべったり一緒にいるのだ。レイシオがトパーズに協力を求める隙は、アベンチュリンが潰されるように眠った昨晩しかなかった。冷えた頭がまた煮える。
「僕も」
幸せになっていいのかわからない。これ、ご都合展開じゃないかな、トパーズ?
でもアベンチュリンは、あの「ありがとう」を受け取ったからにはすでに、否応なしに幸せ者なのだ。
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