鳴上
2025-10-02 00:16:46
3989文字
Public ナツシン
 

月並みな台詞だけど

一歩踏み出せずにもだもだしているナツシンです。時間軸は謎、夏生は成人してます

「終電、なくなっちゃった……
「は?」
「って、バカな話だと思わねー?」

 目の前で美味そうにビールを呷ったシンが、間髪入れず枝豆に手を伸ばしながらそう呟いた。午後二十二時五十七分、二軒目でそれなりに酔っ払っているにしてはやっぱり理解不能の発言で、夏生は一旦シンを無視することにした。
 一軒目で行った焼き鳥屋に時間だからと退店を促され、じゃあ次どこ行くとなり、まあここで良いかという妥協でチェーンの居酒屋に入った。同じような友人同士の飲み会や、職場の飲み会の最中であろう集団はそれぞれ煩くて、少し声を張らないと隣の声の方が大きく聞こえてくる。シンは先ほどまで坂本の格好良いところと憧れているところという何が違うのか分からない内容について熱く語っていて、夏生はそのほとんどを聞き流していた。だってもう何度も聞いてるし、その話。
 そして、反応のない夏生に気づくことなくビールを飲み話し続けていたシンが、急に話題を変えた。怪訝に思ったのは一瞬で、酔ったシンの話題が飛ぶことはよくあることだったので無視をしたのだ。

「オイ聞いてんのかよ!」
「聞いてる聞いてる。スマホの充電ってすぐなくなるよな、音楽聴いてたら一瞬だぜ」
「そりゃお前何年も前のスマホ使ってるからだろ、最新のにしろ最新のに……ってそうじゃねーよ! 充電じゃなくて終電の話だよ!」
「あー、はいはい終電ね。で、なんで急にんな話になったの?」

 ガヤガヤと騒がしい店内でも、シンの声は良く通る。ビールおかわり! と店員に話しかけた声は聞き返されることなく受け取られる。おい俺の飲み物もついでに頼めよ。まあ次でいいか。

「いやさ、今日漫画読んでたんだけどよ。良い雰囲気の男女がバーで飲んでて、そんで女の方が言うんだよ、『終電、なくなっちゃった』って」
「へえ」
「仮に終電近くまで飲むことはあっても、そんなホイホイ終電逃すか? とおもってよ〜。だってそれに乗らなかったら家に帰れないんだぜ? どこ泊まるんだよ。そもそも時間ちゃんと見て飲めよ」
「そりゃその男の家でしょ。てかその場合の女の方は分かっててわざと終電がなくなってから気づいたフリしてんだろ。んで、男の方もそれに騙されてやってるんだよ。バカだよな」
「ふ〜〜〜ん。詳しいんだな、そういうの」
「まあ定番だからな」
「じゃあセバは騙される?」

 酔っ払った顔のまま、シンが夏生を捉えた。一瞬喉が詰まって、言葉を発そうとする前に、ドン、とテーブルが揺れた。「生ビールお待ち!」と威勢の良い声に意識が逸れる。泡が少し溢れたグラスをシンが持ち上げた。夏生もついでにビールを頼んで、会話は済んだとばかりに枝豆に手を伸ばす。

「定番と言えばさ」

 続いているようで続いていない会話をシンが繋ぐ。夏生は続きを促すようにチラリとシンを見た。

「転校生が角でぶつかった嫌な奴とクラスで再会するってのもよくある設定だよな」
「あー、確かに。一昔前のな」
「さすがに食パンくわえながら走るなよってツッコミ入れてしまいそうになる」
「思ったけどそれなら俺らもやってね?」
「食パンくわえ走りを?」
「そっちじゃなくて。トイレで会ったじゃん。くそエスパーが編入してきた初日に、俺と」
「お、おお?」
「一度ラボで戦ってお互い嫌な奴って認識の人物と、学校でまさかの再会をする。ほら、当てはまってない?」
「え、もしかして俺らあそこで恋始めるべきだった?」
「始めるもなにもトイレの床に押し倒されたしな……
「あの時はまだお前がスラーの仲間だと思ってたから仕方なくねー? つか昼飯奢ったのに有益な情報持ってなかったの忘れてねーからな」
「うわ粘着質」
「はは、うぜー」

 弾む会話はたいした意味のない、数秒後には忘れているような内容で、それがやけに心地良かった。敵として出会って、共闘して、そこから生まれた奇妙な縁は今もまだ続いている。夏生がJCCを卒業して就職し、シンが坂本商店で働き続けている今も。こうして酒をともに飲み、くだらない会話をする仲になるとは思ってもいなかった。人と人との縁はどこでどんなふうに続いているのか、可視化されたら分かりやすくて良いのに、と思う。
 卒業してから、武器のメンテナンスのために数ヶ月に一度ほどシンと顔を合わせていた。夏生が酒を飲めるようになってからは、武器のメンテナンス以外の日にもシンと会うようになった。酒飲み仲間が増えたと喜んでいたことは記憶に新しい。夏生は別に強くも弱くもないため、ある程度のところで飲むのをやめる。シンはあまり強くないのにも関わらず、飲むのをやめない。そのくせしっかりとした足取りで商店へと帰るのだから、たいした理性だ、と感心する。今日だってベロベロではあるけど、反応はしっかりしているし潰れることはないのだろう。
 もう残り少なくなった枝豆をシンが口に入れようとして、ころりとテーブルに落ちた。それを指で拾い、口に運ぶ歯の隙間から、赤い舌がチラリと見えた。グッと湧き上がりそうになるなにかを無視して、泡のなくなったビールを押し込んだ。

「おつまみもうない」
「お腹いっぱいだしもうよくね。そもそもお前飲んでる時あんま食べないじゃん」
「そうかも、ビールばっか飲んじゃう」
「だから悪酔いすんだよ」

 してねーし、と唇を尖らせながら、スマホをタップする。ぱっと現れたホーム画面は坂本とその仲間たちの写真で、シンは楽しそうに笑っていた。

「そろそろ帰らねーと」

 気がつけば時計の針はもう少しでてっぺんを指すところだった。あー、今日もダメだったな、と頭の中で誰に向けてでもない愚痴を溢して、夏生は残りのビールを一気に飲み込んだ。



 夜も更けたというのに、駅にはそれなりの人が歩いていた。自分たちと同じような明らかに飲み終わりの集団と、疲れ切った顔をしたスーツ姿の人たち。生活の一部を垣間見て、次にシンと飲むのはいつになるだろうかと考える。
 改札の前で立ち止まり、じゃあまた、とシンに声をかけた。シンと夏生の使う線は違うので、いつもここで別れるのだ。だから夏生もいつも通りそうしようとして、返事のないシンに疑問を覚えたのと同時に、ぐいと腕を強く引っ張られた。

「っ、なに」

 たたらを踏んだ夏生を、不満そうな顔でシンが睨みつけてくる。

「おれのホームまで見送りに来いよ」
「ええー……なんでだよ……
「いーだろ、お前の電車のほうが十分くらい遅いんだし」
「はあ……

 こうなってしまえばテコでも動かないことを、夏生はもう知っている。それほどまでに何度も酒を酌み交わし、電車がなくなる直前までの時間をともに過ごしてきた。
 ピ、と電子音を響かせながら改札を通る。前を歩くシンは静かで、変な酔い方してんなーと思う。いつも通りではないけど、いつもと同じようにシンを見送って、十分遅い電車に乗る。そして家に帰り、いつもと同じように眠るのだ。あの時から変わった関係と、そこから動けない自分の不甲斐なさとともに。
 ホームに降りると人はまばらで、エスカレーターに程近い場所に並んで電車を待つ。シンは今も黙ったままで、夏生の方を見ようともしない。自分より少し低い位置にある顔は、髪に隠れてどんな表情なのか分からなかった。
 なあ、お前今何考えてんの。頭の中で呟く。常にエスパーを使っているわけではないシンには、届かない言葉。
 金髪が風に揺れる。夜の電灯に溶けてしまいそうな柔い金髪は、触れたらきっともう手放したくないと思ってしまうのだろう。それに指先を伸ばすことはないけれど。
 アナウンスが流れて、それから電車がゆっくりと終わりの時間を運んできた。扉が開く。数人が降りて、周りにいた数人が乗り込む。次はいつ誘おうかと算段を立てながら、シンの肩を軽く押した。

「おら、電車来たぞ。寝過ごさねーように気をつけろよ」
「うん」

 シンは動かない。

「? おい、電車来たってば」
「うん」

 顔をこちらに向けることもない。

「聞いてる?」
「うん」
「おいくそエスパー、どうしたんだよ……って、あ」

 軽快な音楽が鳴って、扉が閉まる。ゆっくりと動き始めた車両は、次第に加速していき、ついには闇に溶けて消えた。静まり返った構内に、たった二人の息遣いだけが聞こえる。
 目の前で見送った電車は、シンが家に帰るための最後の電車で、それはつまり。
 シンが何を考えているのか分からなくて、夏生は俯いている顔を覗き込んだ。

「え、なに、どしたの」
「なあセバ」

 髪が揺れる。隠れていた顔が現れて、夏生は正しく言葉を失った。

「終電、なくなっちゃったな……

 ──なあ、お前さ、バカなの? 酒に酔ったという言い訳は難しくないか、そんな顔でそんな台詞を吐いて。

 朝倉シンという男は分かりやすいようで分かりにくくて、分かりにくいようで分かりやすい。だから夏生はシンの気持ちを知っていたし、きっとシンも夏生の気持ちを知っていた。
 でも俺はバカな男なので。騙されてやるよ、分かりきったお前の茶番に。

……じゃあ、さ。俺の家、来る?」

 声は張っていないのに、やけに大きく耳に飛び込んでくる自分の言葉になんだか笑えてくる。一拍置いて小さく頷いたのを確認して、夏生はシンの腕をとって歩き始めた。
 いつもは解散する駅で、二人のまま自分の家に向かう電車に乗り込む。そのあとは、まあ、定番のような展開になるのだろう。転がり込んできたチャンスを拒否する理由はどこにもなかった。

 動くことのできなかった夏生に代わり、一歩踏み込んできたシンに、明日の朝、かける台詞はもう決まっている。