こういう物語の終わりは決まっている

ゲーム大賞優秀賞記念絵の一枚を見て妄想した話
平和軸ifでお互い気になり合ってた同士
ごっこ遊びを仕掛けるやまだ

 僕は左手でかかとをさする。幸い横に並んだ栄子さんは、前にいる眉崎さんと話していてこちらに気づいていない。軽く片足立ちになった僕はバランスが悪い体勢をしていた。だから注意がそれていたのだろう、右隣にいたきのこが「映してるよ!」と言って、腕を引っ張った。
「僕、あんまり映りたくないって言ったろ」
「いいからいいから」
 大学時代から人の言うことを聞かない奴だった。僕は諦めてため息をつき、きのこのGoProにほんのわずかだけ視線を寄越した。栄子さんもそれに気づいて「撮ってるの?」とほろ酔いでポーズを取っている。かわいい仕草がよく似合うけれど、彼女に体を寄せられて、左足に靴先でも当たると厄介だ。僕は左半身を引き、不安定な姿勢のままきのこが引っ張るのに任せて立っている状態だった。
「ほら、撮れてる」
 そう言って今撮ったばかりの動画を再生して見せるきのこは、めがねに華やかなホール内の照明を反射してまぶしく見えた。もともと明るい性格の奴だ、よりいっそう元気に見える。
「はいはい、いいね」
 僕は鷹揚に頷いた。適当でも返事をしておかないと、きのこはこのまま延々と話し続ける。栄子さんなんかはもう興味をなくして、先輩二人と話し込んでいた。三人は商談やビジネス面の積もる話もあるだろう。しばらくはこちらに味方してくれそうにない。
 それより、それよりも。
「きのこ、僕の顔、本当に見えなくしてくれるんだよね?」
「当たり前じゃん、大丈夫だよ」
「怪しいな、もう一回見せて。確認するから」
 僕は素直なきのこに心の中で感謝しながら、もう一度画面を眺めた。左端できのこが笑い、真ん中に僕、右端に控えめに栄子さんが映って、賑やかな話し声が混ざり合っている。
 その奥に小さく映り込んでいるのは、いつかツアーで一緒だった藤原さんと、眉崎さんの彼女さん、そして松田さんだ。
「きのこ、この動画ちょうだい」
「え? いいけど」
 ちょっと編集してからね、と言いながら、きのこはホール内の他の場所を巡ろうと歩き出そうとしている。
「珍しいね、動画欲しいって言うの。思い出にでも浸りたくなった?」
「うん、まあ、そんなところ」
 歯切れの悪い返事も、友人には気にならない範疇はんちゅうらしかった。僕は密かに胸を撫で下ろす。
「じゃあ後で送るから──黒沢さん!」
 きのこは僕から離れ、向かいにいる先輩たちの間へ割って入る。ちょうど話終わりのタイミングだったのだろう、きのこを快く迎え入れ、動画の撮影に協力していた。
 ──人混みは、やっぱり苦手だ。それに。
 僕はトイレへ行くふりをしてひっそりホールの入り口へ向かい、もう一度かかとをさすった。
「靴擦れやろ」
 すぐ後ろから、聞き慣れない音がした。皆の話し声はちょっと遠くてこもって聞こえる中、その音だけは僕の左側ではっきりと、空気を切るような雰囲気を持って耳に届く。
……うん」
 僕が振り返ると、案の定音の主は体を屈めて僕の足を見た。靴下の中でじんわりと熱を持っている足を、掬い上げるように持つ。あんまり軽々と手で扱うから、僕の足じゃないみたいだ。
「い、た……
「血、出とるな」
「はは、やっぱり」
 僕が脱力して笑うと、彼──松田さんは眉をひそめた。
「サイズ合ってないんか?」
「合っては、いるけど……久しぶりに履くし」
「まぁ、ええ靴ではあるな」
 靴を脱がせられ、底に書いてあるブランド名ですぐにメーカーを当ててきた。ふと松田さんの靴を見れば、同じメーカーの別ラインで作っている靴だ。ワンランク上の、大人びたフォルムで、僕にはまだ似合わないと悟って手を引いたことがある。
「そっち座り」
 僕は大人しく廊下のベンチに座り、靴下に手をかけて下ろされる。白い靴下には血がこびりついていた。
「なんか当てるもん、持ってないやろ」
「ハンカチなら」
 絆創膏か、ガーゼが本来はいいのだろうが、持ってはいない。会場内の誰かに聞けば持っている人もいるかもしれないが、僕はできるだけ聞きたくなかった。この廊下は静かだ、そしてやかましいと思っていたこの人も。どの賑やかさからも遠くなった隔離されたかのようなこの空間に、少しでも長く留まっていたかった。
 薄いハンカチは、冠婚葬祭用に昔買ったものだ。特に思い入れはない。松田さんが使いやすいように、僕は口に咥えて半分に裂いた。「思い切りええな」と感心され、彼にそれを渡すと、手際よく足首に白い布が巻かれていく。
「キャンプしてたときにさ」
 三分の一ほど巻かれたあたりで、僕は話し出す。
「少し山に入ったあたりで、滑落したことがあって」
……怪我したんか」
「うん。大した段差でもないのにコケたんだ。怪我も軽かった」
 布が傷口に差し掛かると少し痛んだ。僕が痛みを堪える代わりに膝の上で拳を握るのを、松田さんに視線で捉えられる。
「初めて怪我したからうまく処置できなくて、家に帰ったらかなり腫れてさ。今も応急処置は苦手」
「大変やったな」
 これだけ。僕のこういう、些細な怪我にまつわるエピソードはこれだけだった。小さいころは大した傷もなく、親に守られて育った人間が、一人で山へ入り、キャンプをするようになるなんてまるで大冒険のようだ。
「オチのない話、しちゃった」
「たしかにな」
 関西人である彼の含んだような笑いにつられ、僕も小さく笑った。ハンカチは無事に巻き終わり、この時間も終わる。ゆっくり立ち上がってみると、痛みもなくちゃんと歩けた。
「ね、松田さん。連絡先教えてよ」
「あ? なんでや」
「前にツアーで聞けなかったから。今度面白い記事書くとき、話聞くこともあるかもしれないでしょ?」
 まあええけど。と言って、彼はスマホを取り出した。なんの装飾もないシックなスマホは彼の手にすっぽり収まりながら、その役割を静かに果たす。連絡先が追加されると、僕は悟られないよう、うっすら目尻を持ち上げた。
「靴は履けるようには巻いとるから」
「このまま帰るよ」
「は?」
 会場内はどうやらなにか催しが始まったらしく、ワッと歓声が上がっている。誰かの笑い声が聞こえた。重なる拍手が大きくなり、その中に小さく「山田ー?」と僕を探す声が混ざった。きのこだろう。
 僕は左だけ靴を残し、エレベーターを目指す。
「おい」
「スーツ、肩凝ったし。もうじゅうぶん楽しんだから」
 あと、と僕は付け足す。
「いい思い出、浸りたいし」
 そう言って僕は一階のボタンを押した。靴が片方無いせいで、左右のバランスが悪い僕の足元は、不思議なことに前よりもなんだか歩みが弾んで軽やかだ。ドアが完全に閉まる前、もう一度彼を見ると僕の靴を片方持ったまま、立ち尽くしていた。

 街中へ出てしまえば、靴を履いていないことも案外気づかれない。スマホに二つ、通知音が鳴って、僕はゆっくり画面を開いた。
『帰ったの?』
 という、きのこの心配混じりのメッセージと動画の再生ボタンだ。
 僕はボタンをタップして──数秒後、一時停止を押した。
 自分の顔の後ろ、彼の姿が小さくよぎる。誰かと話しているようで、強面の顔が和らいでいた。
 次はいつ会えるのか。あえて靴を残すなんて、僕らしくなくて笑える。とんだシンデレラごっこだ。今さら、傷が悲しむように痛み出した。

 ──僕が松田さんと再会するのは意外とすぐだ。会場から数駅分歩いた先で、タクシーのライトに背中がビカビカと、まるで警察の包囲網のように照らされたからだ。バタンとドアを開いて逆光の中、「釣りはいらん」と言う声がした。
 僕の裸足の足は、ちょっとばつが悪そうに血が滲んでいて、やっぱりちゃんと処置しないとだめみたいだ。できれば、傷を誰かに見てもらいながら。あとは、慣れない靴でもう歩くのもへとへとだから、肩を貸してほしいとか。いろいろな言い訳が駆け巡って、なんと言おうか迷ってしまう。
「今どき、釣りはいらんって言う人、いないんじゃない?」
 タクシーもスマホ決済、使えるよ。
 そう言ってみたけど、無言のまま、ちょっと怒ったようにその場にしゃがんで左の靴を合わせられた。ハンカチを巻いていた方が、よりサイズがぴったりな気がする。彼は──松田さんは頭をかいて、ため息をついた。そんな呆れ顔の王子様っているだろうか。
 これが僕らの始まりである。