桐子
2025-09-28 22:10:45
4227文字
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まわる世界⑭


カラン、という下駄の音が床に響く。険しい視線を涼しい顔で受け流し、ゲゲ郎たちは建物の中を進んでいく。
「お待ちください」
呼び止められ、ゲゲ郎はぎょろりとした目でそちらを見た。呼び止めたのは、赤ら顔の壮年の男だった。彼はその視線にたじろぎながらも、職務上まずいと思っているのか、こちらを制止しようとしてきた。
「申し訳ありませんが、関係者以外立ち入り禁止ですので」
「わしは署長に用がある」
「いや、しかし……
男は困惑した様子で、ゲゲ郎を奥へ行かせるべきかどうか、迷っているようだった。
「ごちゃごちゃ言わんと、さっさと通すばい」
後ろから一反もめんが不機嫌そうに男を急かす。その口調の荒さに怯みつつも、なおもゲゲ郎たちを奥へ通すまいと立ちふさがった。
それも当然だろう。ここは警察署であり、ゲゲ郎たちは彼らとは敵対関係にある反社会的勢力だ。ゲゲ郎たちを奥へ通すのは問題だろう。
「お引き取りください」
男はそう言ってゲゲ郎たちを追い払おうとした。しかし、ここで引くわけにはいかない。
「わしは署長に話があるんじゃ」
「だから、署長は不在ですと……
押し問答をしているうちに、奥から別の男がやって来た。彼はゲゲ郎たちを通すまいとしている男に向かって何やら耳打ちした。
「そんな、いいんですか」
「ええ」
男は渋々といった様子で道をあけた。ゲゲ郎たちは涼しい顔をして、その横を通り抜ける。
「失礼するぞ」
目的の部屋にたどり着き、ゲゲ郎は遠慮なく中へ足を踏み入れた。
「これはこれは幽霊会の。こんな朝早くにどうされました」
椅子に座っている小柄な男こそが、この警察署の署長だ。いかにも好々爺といった笑顔を浮かべているが、その目は油断なくこちらを観察している。ゲゲ郎は署長の前まで歩み寄ると、懐から写真を取り出した。
「わしの新しい連れ合いじゃ。昨夜遅くに、何者かに連れ去られた形跡がある。監視カメラの映像と、そこに映っていたものの情報を渡してほしい」
署長は水木の姿をまじまじと見つめた。
「これはまた、お若い方ですな。再婚おめでとうございます」
「世間話はよい。急いでおる」
ゲゲ郎は署長を急かした。彼はぴくりと眉を動かしたものの、すぐに元の表情に戻った。
「わかりました」
そう言うと、署長は電話機を取り上げ、部下に監視カメラの映像をこちらへ持ってくるよう指示した。そう時を置かずして、部下らしき男がパソコンを持って部屋に入ってくる。映像を再生すると、そこには、水木の後ろ姿が映っていた。彼は夜道を一人歩いている。
「こちらの方で間違いないですか?」
「ああ」
カメラの映像が切り替わる。屋敷から少し離れた道路だ。水木が進んでいるのと反対方向から、複数の男たちが歩いてきている。彼らは、水木のことを見て足を止め、そのまま取り囲んだ。ゲゲ郎は画面を食い入るように見つめた。何を話しているのかは分からないが、険悪な雰囲気は伝わってくる。水木は抵抗しているらしく、もみ合いになっている。
「あっ」
一反もめんが声を上げた。水木が腹を殴られ、そのまま地面に崩れ落ちたのだ。ぴくりとも動かなくなった水木を、男の一人が担ぎ上げた。かばんはその時に地面に落ちてしまったようだ。
「すぐに、この者たちの身元を割り出しなさい」
「わ、分かりました」
署長は部下にそう言ったが、ゲゲ郎は画面から目を離さないまま「それはよい」と呟いた。
「見覚えがある。……山田さんとこの息子じゃ」
水木に絡んでいるのは祭りの時に、ゲゲ郎がのした男だった。他の者たちも、あの時一緒にいた山田の息子の連れだろう。水木は担いだままどこかへ運ばれて行った。ゲゲ郎は画面を睨みつけ、「行くぞ」と一反もめんに告げた。
「署長どの、世話になった」
「いえいえ。私もこちらで働いて長いですが、『ぬらりひょん』として親父さんの役に立てるなら、喜んでお手伝いさせていただきますよ」
警察署の署長であると同時に、幽霊会の『ぬらりひょん』である男は、そう言ってにこやかな笑みを浮かべた。
「すまんな。今度酒でも奢ろう」
「楽しみにしていますよ」


一反もめんは、すぐに商店街の店主たちに電話をして、山田老人とその息子の居所を問い合わせた。日頃付き合いのある店主たちは、すぐに知りたいことをこちらに教えてくれた。
「親父さん、山田のじいさんは鉄工所ば経営しちょったけど、去年そこを閉めて隠居しとるそうばい」
「そうか」
おそらく、実家へ戻ってきた山田の息子は、その鉄工所をたまり場にしているのだろう。水木はきっと、そこに連れて行かれたに違いない。すぐに車が動き出す。車線変更を繰り返しながら、法定速度をとっくに超えたスピードで車は走る。逸る気持ちを押さえつけて、ゲゲ郎は流れていく景色を見つめていた。
水木は無事だろうか。もし、万が一のことがあれば。考えただけで、足元からひやりとしたものが這い上ってくるような気分になった。
「親父さん」
声をかけられて顔を上げると、一反もめんがバックミラー越しにゲゲ郎を見つめている。
「殺気がダダ漏ればい。水木しゃんはきっと無事じゃ。な!」
「無傷……
ぬり壁もその言葉に同意するように頷いた。
「親父さんが動揺しとったら、いざというときうまく戦えんばい。どーんと構えとらんとな!」
その言葉はもっともだった。ゲゲ郎は一度大きく息を吸い込むと、それからゆっくりと吐き出した。一度目を閉じて再び開くと、視界がクリアになる。今は何よりも水木を見つけることが優先だ。
「そうじゃな……ありがとう」
自分はいい仲間に恵まれた。ゲゲ郎は心からそう思った。


大きな川の河川敷にほど近い工場の一つが、山田老人の鉄工所だった。
ゲゲ郎は怒りを押し殺し、足音を立てぬようにそっと出入口へと近づいた。ぬり壁たちもそれに倣う。外には見張りがいないようだ。重いスライドドアには鍵もかかっていないようで、少し開くと中から話し声が聞こえてきた。
……でさ、男の方は泣きながら財布出して、女捨てて逃げだしたんだ。ケッサクだろ?」
「山田さんの強さはヤバいっすからね」
「そいつかしこいじゃないすかー。自分が勝てないって分かってんだから。弱肉強食っていうんスよねそういうの」
ゲラゲラ笑いながら話す声に、怒りがつのる。ドアの隙間から中を覗き込むと、数人の男たちがたむろして酒を飲んでいた。その中に山田の姿も見える。ドアからは見えない位置にいるのか、水木の姿は見当たらない。
「思い出したらヤリたくなってきたな」
「こいつが女だったらよかったんですけどね」
「いくら顔がよくても男じゃなー」
「オレ、穴さえあったらいけるかも」
「おめー趣味わるすぎ」
どっと笑い声が上がる。顔のいい男とは、まさか水木のことだろうか。ドアを持つ指先にぐっと力がこもる。
「それいいじゃねーか。あの白頭のジジイに、こいつがマワされてるところ送りつけてやろうぜ。寝取られビデオレターってな」
「ええー、山田さんマジすか」
「おもしれーだろ。そのくらいしないと、俺の気がおさまらねえよ。恥かかせやがってあのジジイ……
ガチャン、と瓶が割れるような音がした。壁に瓶を叩きつけたのだろう。
「いいか。俺は元ボクサーだ。あんなほそっちょろいジジイ、油断してなきゃやられるわけねーんだ!!」
「そうっすよ!」
「不意打ちなんて卑怯なことしねーと勝てねえジジイなんて、さっさと殺しちまいましょうよ!」
あまりにも愚かだ、とゲゲ郎は怒りを抑えきれなかった。そもそも、山田の息子が嫌がる女性を無理矢理連れて行こうとしていたのが発端ではないか。彼はそれを棚に上げて、あろうことか水木を陵辱しようとしているのだ。それに話の内容からすると、彼らにひどい目にあわされたのは一人や二人ではなさそうだ。もはや我慢できぬ、と踏み込もうとしたとき、嘲笑まじりの声が響いた。
水木の声だった。
「馬鹿すぎるだろう、お前たち」
「あぁ!?」
「親父さんを殺す? そんなことして、どうなるか分かってるのか。あの人は幽霊会の……
「黙れ!  おめーは今からマワされんだよ!」
山田の息子が水木の襟元を摑んで引き倒した。水木はドラム缶にもたれかかるようにして、地面に座り込んでいたらしい。
「俺をどうこうしたところで、あいつは動揺したりしない。残念だったな」
水木はそう、はっきりと言い切った。その態度にカッとなったのだろう。山田の息子は彼の頬を思い切り殴った。鈍い音がして、水木の体が地面に投げ出される。
「おい、なんか殴るもん持ってこい。今からこいつに『教育』してやっからさ。犯るのはその後だ」
山田の息子が周りにそう命じると、男たちがわらわらと動き始めた。彼らが動くのを視界の端で捉えながら、ゲゲ郎はぬり壁たちを振り返った。彼らはすぐに頷いた。
「おい、こいつを押さえつけとけ!」
山田の息子がそう叫ぶと同時に、ゲゲ郎は扉を開けた。ガシャン、と鈍い音を立ててスライドドアが開く。
「なっ、なんだてめえら!!」
突然の乱入者に男たちは狼狽えた。ゲゲ郎はゆったりとした足取りで彼らの方へ歩み寄る。
「わしの妻を返してもらおう」
「妻ぁ!? 何言ってんだこいつ」
「死ね!」
金髪の男が、ゲゲ郎に向かって鉄パイプを振りかぶる。しかし、振り下ろす前にぬり壁がその顔面に張り手を食らわせた。男はそのまま地面に倒れる。
「この野郎!」
今度は別の男がナイフを持って突進してくる。だが、一反もめんがそれを難なくかわして、男の顔面に足を叩き込んだ。男は数メートル先まで吹っ飛ばされ、そのまま動かなくなった。
「うちの親父さんに手ぇ出すとはいい度胸じゃのぉ」
……
男たちはじりじりと後ずさる。その間に、ゲゲ郎は水木の方へ駆け寄った。
「水木や、怪我はないか」
そう言って顔をのぞきこむ。口の端から血が出ているが、大きな外傷はなさそうだ。水木はゲゲ郎を見た途端、目を大きく見開いた。
「なんで、あんたが」
信じられないものを見るような目だ。まるで幽霊にでも出会ったかのような表情に、ゲゲ郎は苦笑した。
「大事な連れ合いを迎えにくるのは当然じゃろう」
ゲゲ郎は水木の体をそっと抱き起こした。彼の体は冷え切っている。早く温めなければ、風邪をひいてしまうだろう。