ウォルターから寝るようにと言われた時刻を三分ほど過ぎた頃、621は未だベッドの上に寝そべって、タブレットの画面を食い入るように見つめていた。
(レイヴン、もう寝る時間ですよ)
「ん……」
621が見ているのは、そよそよと風に吹かれる小麦畑の映像。それが農業用MTによって収穫され、大型の機械で乾燥・脱穀をへてふるいにかけられ、小さな実になり――。
『621、夜ふかししすぎるのは良くない。今日はもう休め』
「!」
部屋に備え付けられたスピーカーからのウォルターの声に、621は驚いて体を跳ねさせた。つい集中して動画を見てしまっていたのだ。就寝予定時刻をもう十五分も過ぎている。
621はタブレットの電源を落とし、監視カメラに向かってぺこりと頭を下げると、部屋の明かりを落とし、毛布をかけて横になった。
(続きは明日にしましょうね)
「ん……そう、する……。おやすみ、エア」
(はい。おやすみなさい、レイヴン)
目を閉じてスリープモードを起動すれば、眠りはすぐに訪れる。すぐに穏やかな寝息を立て始めた621を見て、エアもウォルターも、それぞれ小さくため息をついた。
このところ、621は食べ物がどうやって作られているかということに興味津々らしかった。各企業が、自社商品の販促かつ安全に作られていることをアピールするため、工場内の様子を動画にまとめてアップロードしていることが幸いし、621はその好奇心を存分に満たすことが出来ている。……のは良いのだが、こうして就寝予定時刻をオーバーして夜ふかしをする日も増えてきた。
621も体だけは立派な成人男性であるから、たまの夜ふかしくらいは構わない、と言えばその通りだ。実際のところ、RaDに遊びに行く時は大いに夜ふかしをして来る訳で、その点についてウォルターが制限したこともない。しかし、明日の仕事に差し支えるような時間まで起きていられては困るのだ。
明日は解放戦線からの依頼で、占拠された拠点からベイラムMT部隊を排除せよとの任務を請け負っている。十五分の夜ふかしでパフォーマンスが落ちるとは思わないが、放っておけば動画を見終わるまで夜ふかしをしてしまっていたに違いない。621が見ていた動画は、残り三十分もある長尺動画だ。動画を見終わった後に表示される〝あなたへのおすすめ動画!〟で興味を引くサムネイルを出された日には、もっと夜ふかしをしてしまうかも知れない……。
物事に興味を抱き、自分で知ろうとする姿勢は結構なことだ。しかし、色々と幼いところのある621は、自制心もやや未熟で、没頭すると止まらないところがある。そこは保護者たる自身が制してやらなければ――とウォルターは考えていた。どう考えても父親めいているが、本人はどうにもそれを認めたがらないのである。
ともあれ621は就寝した。明日の準備は滞りなく、作戦エリアまでのルートも確保済だ。そう困難な依頼でもないから、621なら問題なくやり遂げるはず……。
ウォルターもまた床につき、明日に備えて休むことにした。
翌日。良く晴れた雪原に621はやって来た。複数のMTと配備されたミサイルとタレット。数は多いが、ACもおらず、蹴散らすのにそう時間はかからなさそうだ。ベイラムからしてもさほど重要視していない拠点なのかも知れない。
占拠されたのは、何のめぐり合わせか、水耕栽培の食料工場。ルビコニアンとしては重要な食料源を生産する場所だが、ベイラムからすれば、わざわざ一から作物を育てるより星外から輸入した方が早いから、この工場占拠に、ルビコニアンに打撃を与える以外の意味はほぼない。破壊しても構わなかっただろうが、味気ないレーションばかり食べていては気が滅入るのが人情というものだ。新鮮な葉物野菜の供給のため、破壊せずに最小限の警備だけしていると言ったところだろう。
「621、準備はいいか」
「はい」
解放戦線の事情を大雑把に聞かされた621は、食料工場というワードに興味を惹かれた。任務は任務だし、そこはしっかりこなすつもりだ。だが、依頼を成したあと、もし良かったら……工場見学をさせてもらえないか、どうしてもそういう考えが浮かんでしまう。
(……レイヴン、集中してくださいね)
(わ、わかってる……)
メインシステム、戦闘モード起動。COM音声が頭の中に響き、621は作戦エリアに放り出された。警戒システムに検知される前に面倒なタレットを撃ち落としておきたい。621はライフルを構え、ふわりと四脚で飛び上がった。
作戦は首尾よく完了した。621自身の損害はほぼゼロ。配置された自動兵器は一つ残らず破壊し、MT部隊も壊滅、中のパイロットは脱出したようだ。
ベイラムの救護ヘリが何機か飛んできて、負傷者を収容して飛び立っていく。621はそれを撃ち落としたりはしなかった。そこまでは任務に含まれていない。
『流石だな、独立傭兵レイヴン。これで我々の食糧事情も多少は改善されるだろう。感謝する』
解放戦線の窓口、アーシルも近くで状況を見守ってくれていたようだ。任務を終えた621に、彼が直接礼を言ってきた。彼の声色には、優しげな人柄が滲んでいる。……もしかしたら。
「……あ、あの」
『! どうした、何かあったのか』
任務の際、いつもは無言のままの621が口を開いたことに、アーシルも、その通信を聞いていたウォルターも驚いた。二人はじっと621の言葉を待った。
「……工場、の、中……見ても、いい……ですか」
『工場の中……? どうしてだ?』
「う……それ、は……」
突然の頼みに、アーシルは素直に疑問に思い、621に聞き返した。独立傭兵が工場の中を見たがっている。兵器やACのパーツ工場でもない、ただの食料工場を。
ウォルターだけはその理由を察して、こっそりと額を押さえていた。
『……工場内は機械化されているが、内部にベイラムの残党がいるとも限らない。その確認を終えたら――師叔にかけあってみよう。ハンドラーもそれでいいだろうか』
「ああ。すまないな」
『数日後にまた連絡する。今日は助かった。また貴方の助力を得られることを願っている』
「あ、ありが、とう……連絡、待って、ます」
性別も何もかも不明だった独立傭兵レイヴン、彼と会話し、しかも会えるかも知れない――。アーシルは妙な心臓の高鳴りを感じながらその場を去った。621とウォルターもまた、作戦エリアを離脱し、拠点へと戻っていった……。
しかし、拠点に戻り、ACから降りた621の前に立っていたのは、若干怖い顔をしたウォルターだった。
「任務はご苦労だった。だが……」
621が主に怒られることはほとんどなかった。だが、ただならぬ雰囲気を察して、621は怯えた顔でウォルターを見つめている。その様子は、怒られるのを恐れる子どもそのものだ。哀れに思えなくもないが、ウォルターは心を鬼にして続けた。
「……お前も名の知れた独立傭兵だ。人前に出るような頼み事は感心しないぞ」
今まで、任務とグリッド086に遊びに行く以外、621が外に出ることは無かった。わざとそうしてきたという訳ではないが、独立傭兵という立場上、時には解放戦線と敵対することもあるし、本人が望むと望まないとに関わらず、様々な恨みを買ってもいる。顔が割れると色々と厄介なこともあるから、人前に出ない方が安全だと考えるのは、主として当然のことだ。
「あ……はい……ごめん、なさい……」
言えば621も自身の軽率さを自覚出来るし、素直に謝りもする。生で工場見学が出来ると素直に喜んでいただけに、怒られたことと自身への情けなさに、かなり落胆している様子だ。
縮こまり、しょんぼりと肩を落とす621に、ウォルターは小さくため息をついて、ぽんと優しく肩を叩いた。
「まあいい。顔を隠して、何人かの護衛を連れていけば構わないだろう」
「! いい、んです、か」
「……人前に出ることに感心はしないが、物事に興味を持つのは良いことだ。俺も同行しよう。カーラにも人を貸してくれるよう頼んでおく」
「……!」
さっきまで泣きそうだった621だったが、驚きと喜びが入り混じった嬉しそうな表情になっている。本当に、子どものようだ。そうウォルターは苦笑して、621を連れてガレージを出た。621はその夜、早速チャティに今日の出来事を話し、ウォルターはカーラに根回しをし、そして数日後――。621とウォルター、RaDの数名が参加する、ルビコン第五食料工場の見学会開催が決まったのだった。
「やあ、フラットウェル。何かあったのか? すまないが、手短に頼む」
「悪いな、ラスティ。急ぎ報告したいことが出来た」
V.Ⅳラスティとミドル・フラットウェルによる特殊な暗号回線を用いた定例報告は、週に一度の頻度で行われていた。しかし、今回のそれは定例報告とは異なり、フラットウェルから緊急で話したいことがあるとの連絡を受け、イレギュラーに開かれたものだ。
果たして、その内容は――。
「なにっ、戦友が……⁉」
「ああ。独立傭兵レイヴンが、ルビコン第五食料工場を見学したいと」
「一体、どうして……いや、それよりも、聞いたのか? レイヴンの声を」
「アーシルがな。食料工場奪還作戦の後、直接頼まれたそうだ」
「ど、どうして……」
手短に済ませて欲しいと言ったのはラスティだったが、その状況を根掘り葉掘り聞きたくて仕方なくなっていた。今まで何度かボイスメッセージを送ったことはあったし、協働したことだってあったのに、独立傭兵レイヴンは自分に対して一言も口を開いたことは無かったのだ。それなのに、食料工場奪還などというさほど困難でもなさそうな作戦で……?
「諸々の調整の結果、七日後の午後一時から見学会を開くことになった。大した話ではないが、お前が目をかけていた相手だからな。念の為伝えておこうと思った訳だ」
「くっ……フラットウェル、感謝する。その見学会には、私も出よう」
「は? お前、アーキバスの仕事は」
「なんとかするさ。間近でレイヴンを見られるチャンス……逃してなるものか」
まさかそこまで執心だったとは思わず、フラットウェルは呆れ半分でラスティの返事を聞いていた。手塩にかけて育てた、息子のようにも思っているラスティが魅入られた独立傭兵。彼の珍しい行動を共有しておこうと、その程度の気持ちだったのだが。
「……バレるなよ」
「ふっ、心配はいらないさ。誰が育ててくれたと思っている?」
「……」
スパイとして活動するのに困らぬよう、気配を消し、自らを偽る術を徹底して叩き込んだのは他ならぬフラットウェル自身だ。しかし、恋は盲目という言葉があるように、人の感情は時に思いも寄らない動きをする。
「……まあいい。当日はそれなりの大所帯になりそうだからな。誤魔化しはきくだろう」
「大所帯?」
「向こうはRaDの連中と一緒に来るそうだ。奴らは優れた技術者集団ではあるが、ドーザーだ。こちらも相応の人数で出迎える必要がある」
「……ちっ」
「聞こえてるぞ」
こういった迂闊な姿を見せるのは自分との通信でだけであって欲しい……そう願いながら、フラットウェルはラスティとの通信を終了した。
フラットウェル自身、こんな形で独立傭兵レイヴンの姿を見ることになるとは予想していなかった。どんな意図で工場見学を希望したかはわからないが、これをきっかけに一層解放戦線に協力してもらえればという思惑もある。
「……ついでだ、ルビコンの食糧事情や歴史についてもレクチャーして……手土産も必要か?」
通話を終えたフラットウェルは、適切な人員の検討や各所への調整のために頭を悩ませ始め、裏でそんなやり取りがなされていることなど何も知らない621は〝水耕栽培 工場〟で動画投稿サイトを検索していたのだった……。
一週間後。621とウォルターは一旦グリッド086に立ち寄った。同行するRaDのメンバーと合流してから工場へ向かう段取りになっている。
「よう、ビジターさんにハンドラーさん」
「こん、にちは」
RaDのガレージにやって来た二人を、モヒカン頭のドーザーが、いつもの調子で出迎えた。
「ンだよ、今日は着込んでんなあ」
ロングコートとクリーム色のマフラーは着ているところは男も見たことがあったが、マスクで顔半分を隠し、ニット帽を被り、眼鏡をかけている……というのは珍しい。621はマスクを少し下げて、辛そうな顔になった。
「顔、バレたら、だめ……って、言われた。息、ちょっと、苦しい……」
「工場見学なら、現地でマスクを渡されるだろう。少しでも慣れておく必要もある。我慢しろ、621」
「はい……」
すっと下ろしたマスクを戻した621を見て、男は苦笑した。男もまた、今日はいつもの裸ジャケットではなく、分厚いコートを着込んでガレージで待っていた。
「見たところ、お前も同行者の一人というわけか」
「へえ、その通りでさ。ハンドラーさん、今日はよろしくお願いしますよ」
「こちらこそよろしく頼む。万が一のことがあった時、俺と621だけでは身を守るのに限界があるからな」
「任せてください。他にも何人か腕っぷしに自信のある奴を見繕ってありますんでね。ボスはテレポートで待ってます。チャティはもうすぐ迎えに来るはずだぜ、ビジターさん」
「ああ、ありがとう」
「ボスも工場見学って聞いて張り切っちまってね、参りましたよ」
「あいつ……」
カーラも技術者、こうした工場見学に興味を持たないはずがない。万が一がないように、と気を揉んでいるのは自分だけで、暢気な工場見学になりそうな気配だ。ウォルターがやれやれとため息をついていると、ガレージの扉が開き、人型の体に入ったチャティがやって来た。
「すまない。待たせたな、ビジター、ハンドラー」
「チャティ、あいつの拘束は?」
「厳重にしておいた。見張りも二十四時間体制、信頼出来る要員でシフトを組んである」
「?」
来るなり緊迫した様子のチャティに、621は首をかしげる。何かトラブルでもあったのかと思っていると、チャティは二人をガレージの外に案内しつつ、説明してくれた。
「……俺もボスもここを空けるとなると、どうしても手薄になるからな。そこを嬉々として引っ掻き回す奴がいる。お前もよく知っているだろう? そいつを縛り付けておかないといけない」
「……もしかして、ブルートゥ……?」
チャティはこくりと頷いた。そこまでしなくても……と思うものの、軟禁されているにしては、確かに彼は自由に動きすぎているかも知れない。
「おかげで少々手間取ってしまった。待たせて悪かったな。急ごう」
チャティはそう言って、停めてあった車のドアを開けた。グリッド086は広い。ACに乗っていればともかく、人間が移動するには車やエレベーターを活用しなければ途方もない時間がかかってしまう。四人を乗せた車は、異様なスピードでテレポートのある屋上へ続くエレベーターへと走っていく。ACとは違ったスピード感に621は目を回しながら、見たことのない巨大な扉の前へと到着した。
「物資輸送にも使われるエレベーターだ。足元に気をつけてくれ」
621はチャティの言葉に頷いて、RaDの大きなロゴが描かれた扉がゆっくりと開くのを見つめていた。地面が振動で揺れ、621は転ばないようにチャティの服の裾を掴んだ。エレベーターの内部はパーティ会場くらいの広さがあり、隅に在庫らしき段ボールが積まれている。
「よし行くぞ。ボスが上で待っている」
エレベーターに乗り込んでしまえば、あとは屋上への到着を待つのみ。物資輸送がメインのエレベーターだから、外の景色を楽しむような趣向もない、殺風景な鉄の箱。しかし、621はわくわくと心を踊らせながら、到着を待っていた。
工場見学に行くことが決まった時、〝遠足〟みたいですねとエアが言った。ガリア多重ダムでのミッションを、ミシガンが遠足と言っていたことを621は覚えている。遠足というのはどうやら様々な意味があるらしい。もちろん今日の遠足は、みんなでおでかけをする、ただ楽しいだけのものであって、後ろから誰かを小突いたりする予定はない。
「ビジター、ごきげんだな」
「そう、かな……」
「ちゃんと寝られたか?」
「ああ……きみと、通話した、あと……ちゃんと、すぐ寝たよ」
恒例になっている621とチャティの夜のおしゃべり。昨日の通話は、明日に備えて早く寝ておいた方がいい、というチャティの言葉で締めくくられていたのだ。チャティの忠告に従い、621も昨日ばかりは夜ふかしせず、習慣になっていた工場見学動画の視聴も我慢して、たっぷりぐっすり眠ってある。621の返事に、チャティは満足げに頷いた。
「そうか、ならいい。ハンドラーから聞いたが、夜ふかしのしすぎは良くないからな」
「え……ウォルター、から……?」
「……」
注意してもなかなか夜ふかしを止めない621のことを、ウォルターはこっそりチャティに相談していたらしい。621はちょっぴり反省した様子で主を見、ウォルターは気まずそうにすっと621から目を逸らした。
「俺が言えたことでもないが、夜ふかしはほどほどにした方がいいぞ、ビジター」
「ん……気を、つける……けど、つい、見ちゃうんだ……」
どうしたら良いかな、そう返されて、チャティはふむ、と思案した。夜ふかしを防ぐ方法。動画を見すぎるのが良くないのなら、一日の視聴時間を制限するか、あるいは、時間が来たらタブレットの電源を強制的に落とすプログラムを仕込むか、と言ったところか。少々乱暴だが、効果はあるだろう。いや、プログラムを組むのなら、いっそ……。
「……考えておこう。お前が体調を崩したら、俺も、ハンドラーも悲しむからな」
「……! ありがとう、チャティ」
何を企んでいるかはわからないが、チャティも協力してくれると聞いて、ウォルターもほっと胸を撫で下ろした。ここのところ、621の夜ふかしはウォルターの心配事になっていて、どうしたものかと悩んでいたのだ。
621に主体的な欲求が芽生えたのは喜ばしい。その芽を摘むようなことはしたくないが、かと言って、ほどよい自制心も育てなければならず、その匙加減は難しい。今まで面倒を見てきた猟犬たちには無かった悩みだ。
「……なんだか、子育てだなあ……」
ぽつりとドーザーの男が漏らした呟きは、エレベーターの駆動音に紛れ、誰の耳にも届くことはなかった。
ほどなくしてエレベーターは屋上へ到着した。開いた扉の前ではシンダー・カーラが待ち切れないといった様子で四人を出迎え、上機嫌のカーラは621にハグをした。
「ああ、ビジター! よく来てくれたね!」
「わわ……カーラ、こん、にちは……?」
すっかり浮かれたカーラの様子に、621は困惑しながら挨拶をする。カーラはぽんぽんと621の背中を叩き、621を解放すると、にっこりと微笑んだ。
「他社が手掛けた工場の見学なんて滅多に出来るもんじゃない。いい機会を作ってくれて感謝するよ、ビジター」
「あ、ああ……どう、いたし、まして……?」
ウォルターからは窘められたのに、カーラは大喜びで礼を言われる。621はちょっと混乱してしまったが、喜んでもらえているなら良かったと素直に思うことにした。
護衛という名目ではあるが、RaDはドーザーの集まりであると同時に技術者集団でもある。他社の、それも星内の技術を間近で見られるのは楽しみだと、カーラだけでなく、同行するドーザーたちも前向きに受け止めてくれているようだ。
「よし、早速向かおうじゃないか。みんな、出発するよ!」
カーラの号令に従って、集まったメンバーは吸い込まれるように輸送用カーゴに乗り込んでいく。和やかで賑やかな雰囲気の中、工場見学の遠足が始まった。
周囲を解放戦線の兵士たちが警備する中、独立傭兵レイヴン一行を乗せたRaDの輸送用カーゴはルビコン第五食料工場に降り立った。雪もなく、穏やかな天候の昼下がり。工場見学日和である。
カーゴから降りてきた面々を出迎えたのは、ミドル・フラットウェルを筆頭とした解放戦線のメンバーたちだ。
「やあ、皆、良く来てくれた。私はミドル・フラットウェル。見学をしたいと言ってくれたのは意外だったが、君たちを歓迎しよう。外は冷える。まずは中に入ってくれ」
「あり、がとう……。よろしく、お願い、します……」
ぺこりと頭を下げたのは、ひょろりと背の高い青年。彼が独立傭兵レイヴンに違いないと、フラットウェルは彼らを案内しながら、それとなく青年を観察する。
旧世代型の強化人間らしく瞳の色は赤いが、髪の色は帽子のせいでわからない。喉が弱いのか、つっかえつっかえ話しているが、その調子は穏やかだ。
(……これが戦友か……予想とは違って、これは……)
フラットウェルの隣、顔と髪をマスクと帽子で隠したラスティもまた、こっそりと621の様子を伺っていた。
背は自分と同じくらい。しかし、とてとて歩くその姿や言動にはどこか幼さを感じる。ACに乗っている時の、あの力強く大胆な動きは、一体どこから来るのだろう。もっと、彼のことを知りたい……。そう思いながら、ラスティはじっと621を見つめた。
ラスティは工場の職員風を装い、全身白の制服を着こんでいる。声を出さなければ、そうだと気付かれることはないだろう。数人の職員の中にV.Ⅳラスティが紛れ込んでいるなどつゆ知らず、621と一行は工場内部へと通された。
(解放戦線の実質的指導者、御自らエスコートとは……何か企んでいるのか?)
ウォルターは先導するフラットウェルの背中を見つめながら考える。大所帯になってしまったとはいえ、独立傭兵の工場見学にこれだけの大仰な出迎えは異例だ。
警戒するウォルターをよそに、621は広い工場の廊下をきょろきょろと見ながら、大人しくフラットウェルたちの後ろをついて歩いている。両脇をウォルターとチャティに挟まれ、その後ろをカーラとドーザーたちが固めている形だ。いざという時はいつでもチャティが前に出ることが出来るし、背後から狙われる危険もない。心配しすぎるのも良くないが、気を抜く訳にもいかなかった。フラットウェルの隣に控えた男――一見、ただの工場職員だが、621を見つめる目は、一般人らしくない、軍人に近いものを感じる。ドーザーを連れてくるとあって、向こうもそれなりの人員を連れてきたということか……ウォルターはそう判断し、例の職員の背を見つめた。あいつからは目を離さない方がいい、そう心に決めて。
一行が通されたのは、それなりの広さのある会議室だった。ここで今日の見学会の大まかな流れを説明してくれるらしい。
長机の上にはパンフレットと入館証とマスクが置かれており、工場内にいる間は入館証を首から下げておくようにと案内があった。
「今日は、みんな、ビジター、だな……」
入館証に書かれた文字を見て、621がチャティに話しかけた。気を張っているウォルターの心境はつゆ知らず、621は暢気なものである。
「そうだな。俺たちがビジターになることはほとんどないから、新鮮な気分だ」
「私らはもっぱら襲撃される側だしねえ……」
チャティは同意し、カーラは苦笑して、渡された入館証を首にかけた。
「皆さん、よろしいですか? では、今日の見学会のオリエンテーションを始めます」
そう言って前に出てきたのは、621もブリーフィングや作戦中の通信で良く聞く声の青年だった。ブリーフィングとは違い、ちょっとかしこまった調子だ。アーシルと名乗った彼は、パンフレットの一ページ目に書かれた今日の日程について説明してくれた。この工場の見学会など今まで行われたことはない。このパンフレット自体、フラットウェルの命により突貫工事で作られたものだった。多重ダムでの任務で解放戦線側についたことや、捕虜奪還、V.Ⅶの排除、諸々の功績から独立傭兵レイヴンに好意的な人間も解放戦線には多く、この見学会が開かれると聞き、それなりの人間が協力してくれ、下準備を整えてきたのである。
フラットウェルの苦心も知らず、621はアーシルの説明を熱心に聞いていた。工場は人間の足で歩くにはそれなりの広さがある。移動中に、ルビコンでの食糧事情、工場で作っている作物や加工品、食料流通の仕組みなどの説明をしてくれるとのことだ。実際に野菜が栽培されている様子を見た後は、実際に収穫された野菜の試食もさせてくれるという。
「……とれたての、野菜……はじめて、だ」
予習した動画で様々な野菜を見てきたが、実際に生野菜をそのまま食べる経験は621にはなかった。どんな味がするのか、全く想像ができない。
「ルビコンは見ての通り寒冷化が進んでいる。流通の際は大半を加工してしまうから、とれたての野菜をそのまま食べられる機会はほとんどない。楽しみにしていてくれ」
621の呟きに、アーシルがそう返してくれた。ルビコニアンでもルビコン産の新鮮な野菜を食べられる人間はごく少数。それを聞いて621も思うことがなくはなかったが、未知の体験には素直にワクワクする。アーシルがそう言うなら、楽しみにした方が良いのだろうと思うことにした。
「説明は以上です。質問がなければ、早速出発しましょう」
その呼びかけに特に質問の手は挙がらず、一行は栽培プラントへ向かうことになった。
長く続く廊下を歩きながら、621は職員やアーシルの説明を熱心に聞いていた。ルビコンの事情については、ルビコニアンであるドーザーたちはもちろん、ウォルターもカーラも、チャティだってよく知っていることだったが、621はそう詳しくない。あくまでも621の工場見学の付き添いだからと、彼らも茶々を入れるような真似はせず、黙って話を聞いていた。
アイビスの火が発生して寒冷化が進んで以降、ルビコンの食糧の大半は星外からの支援物質に頼っており、星内で生産出来るものは、僅かに実る作物とミールワームくらい。それも量が取れるわけではないから、辺境に住む人ほど、その暮らしは厳しくなる。星外からの支援物資も限りがあるし、ルビコン全域に食料を行き渡らせるための流通網も、コーラルを巡る争いの中で破綻してしまっている。食料の輸送中に星外企業の略奪にあうことも多い。奪われた物資の補填ができれば良いが、元々の量が限られた中では難しいこともある。
「だからこそ、こうした工場の安定稼働が大事なんだ。ここの奪還は本当に助かった」
「……」
621としては、いつも通りに依頼をこなしただけで、ルビコニアンを助けたい、そんな強い思いがあった訳ではない。だから、アーシルにそう言われても少しばかり困ってしまった。そんな621の様子を見て、アーシルは気付かれないように苦笑する。どうやらこの青年は、色々と未熟で幼いところがあるらしい。いつもは頼りにしている相手だが、今日は弟のような目で見てしまう。
「さあ、この先が第一栽培プラントだ」
大きな扉が開かれ、漏れ出した眩しい光に目をしかめる。何度か瞬きをして目が慣れてくると、そこに広がる光景に、621は思わず息を呑んだ。
「……すごい」
「これは……かなりの規模だな」
思わずウォルターも感想を口にした。青々とした葉が、視界いっぱいにずらりと並んでいる。ここにたどり着くまで随分と歩いたが、それも納得が行く広さだ。一辺あたり数百メートルもある栽培プラントは、種播から栽培、その後の加工まで、全自動で行うことが出来る最先端の施設だった。
「右手奥の端で種を撒き、少しずつ左へコンベアで流れていく仕組みです。左奥に到着したら、ちょうど収穫出来る大きさに育つよう計算されています」
工場職員の説明通り、目の前の葉はまだ若く、手のひら程度の大きさだが、左へ進むにつれて葉はどんどん大きくなっている。621は職員の説明に合わせ、天井のランプや水撒き用の配管を見上げては、感嘆の声をあげている。カーラと同行したドーザーたちも、周囲の設備を見ては何やら楽しげに話をしている。
このプラントで育てているのはほうれん草という葉物野菜で、茹でても、サラダとして生で食べても美味しい野菜らしい。この工場では茹でた後に冷凍して輸送したり、ジュースにして保存したりするのが主な活用方法になっているそうだ。この工場では数種類の葉物野菜を栽培しており、ケールやレタスなど、試行錯誤を繰り返しながら栽培・加工をしているという。
「なるほど……しかし、これだけの大掛かりな施設、相当の調整と燃料が必要だろうね」
一通り説明を聞いたカーラが言う。何が言いたいかを察して、工場職員が表情を曇らせた。
「……その通り。正直、コストに見合った成果が挙げられているとは言えません」
「だろうね。水、光熱費、暖房費……種だって星外からの輸入だろう。とても、市井のルビコニアンが買える単価にはならない」
「……」
手痛いところを突かれ、工場職員は黙ってしまった。カーラが言う通り、ここで栽培された野菜や加工品は利益にならない。ルビコニアンの腹を少しでも満たし、栄養状態の改善に一役買ってはいるのだが、赤字のまま星内に出荷されている実情がある。赤字は解放戦線が補填しており、その負担は決して少なくない。
その厳しい状況をどこまで話したものか……。黙ったままの職員に代わり、フラットウェルが一歩前に出て口を開く。
「だとしても、ルビコンで栽培し続けることが必要なのだ。我々だけで生きていくための技術を絶やさないためにな」
財政状況は伏せても、厳しいことは否定しない。隠し事をしていても、フラットウェルは嘘はつかなかった。
「……大変だねえ、師叔ってのは」
「……」
カーラの皮肉に、フラットウェルは含みのあるため息を返した。辛くとも、こうした前向きな苦労ばかりなら良い。実際はもっときな臭く、胃が痛い問題が山積みなのだった。
ルビコン内の各勢力も、一致団結しているとは言い難い。ドーザー集団とはいえ、RaDのような力のある組織が解放戦線に協力してくれたらと思いもするが、間違いなく反発する者も出る。彼らを納得させる材料を集めねば――。そこまで考えて、実質的指導者と言いながら、内情はただの調整役ではないか、と自嘲した思いが浮かぶ。だとしても――。
「師叔が仰ったように、我々が我々自身の力で生きていくのには、まだ時間がかかるだろう。それでも、歩みを止めず、一歩ずつ積み重ねていくしかないんだ」
そう話してくれるアーシルのように、信頼できる仲間も多い。フラットウェルもまた、一人のリーダーとして、前を向き続けなければならない立場にあるのだ。そして、その隣では……。
(……くっ、私だって、声を出せたら……戦友に一言言ってやれたのに……!)
アーシルとフラットウェルの話を真っ直ぐに聞いている621を見て、ラスティがぐっと拳を握る。せめて、独立傭兵レイヴンが工場見学をしたという噂を聞いたふりをして、ボイスメッセージを送っておこう……そう決めて、ラスティは誰にも気付かれないように、こっそりと歯噛みしたのだった。
その後、一行は別の栽培プラントや収穫された野菜の加工工場を見学して回り、最初に通された会議室へと戻ってきた。道中、見たことのない野菜や機械に各々があれこれ質問をして、フラットウェルが想像していた以上に見学会は盛り上がった。工場職員たちも拠点を取り戻してすぐの見学会に戸惑いがあったものの、自分たちの仕事に興味を持ってもらえたことが素直に嬉しく、説明もどんどん饒舌になっていった。そういった点において、621やRaDの面々は良きビジターだと言えた。解放戦線の中でも、赤字を垂れ流す食料工場に厳しい目を向ける者たちも少なくない。だが、この拠点は間違いなく、未来のルビコンを支える足がかりになる場所だ。惑星ごとコーラルを燃やし尽くそうと画策する者たちが見学者の中に混じっていたとしても、今この時点では、その事実は変わらない。
会議室に戻った面々には一旦休憩時間が設けられ、その間に工場で採れた野菜の試食の準備を進めてくれるという。
「どうだ、ビジター。実際の工場見学は」
「ん……すごい、映像で見る、のとは……違う。広くて、音も、機械も……面白い、な」
チャティに尋ねられ、621はぽつぽつと感想を口にした。621は言葉で表現するのが得意な方ではない。だが、その口ぶりや表情からして、十分に楽しめているらしい。
大量の野菜がずらりと並んだ栽培プラントは圧巻だったし、加工工場で大型の機械が稼働する様子はガラス窓越しに見ても迫力があった。621には説明を聞いても良くわからないことも多かったが、みんなが熱意を持って工場を動かしていることは十分理解できた。
「来て、良かった、な……チャティ、も、楽しい?」
「ああ。工場というのは俺もスキャンのしがいがある場所だからな。スキャンした結果はありがたく持ち帰らせてもらう。ボスたちも楽しそうで何よりだ」
ちらりとチャティが視線をやった先では、カーラがRaDのドーザーたちと工場で見聞きしたあれこれを踏まえ、早速、次の新作についてのアイデア出しをしていた。その様子を見て、621も嬉しくなる。RaDの皆も楽しんでくれているようで良かった。
(これだけの作物が実っているところを見るのは初めてです! すごかったですね、レイヴン)
エアも初めての光景に興奮気味だ。ドーザーと一緒になることもあって同行には最後まで迷っていたけれど、この調子なら連れてきたのは正解だったようだ。あとは……。
「ウォルター、は……楽しい、ですか?」
621の隣にいるウォルターは終始神妙な顔をしていた。無理を言ったから、本当は怒っているのかも知れない。普段のウォルターは怒りや不満を顔に出すことはほとんどない。だから余計に、黙ったままのウォルターの様子が気になった。
621に尋ねられ、ウォルターはやっと表情を和らげた。身の安全のため気を張っていた、というのはある。だが途中から胸の奥に浮かんだことは、見ないふりをしようとし、押し殺してきた途方もない罪悪感。大多数の人々の未来ごと惑星を焼き払おうとしていることも、その目的を隠したまま621を利用していることにも、どうしようもない後ろめたさを感じていた。それを口にするつもりは、今もこの先も、絶対に無かったが。
心配げな表情の621の頭をぽんと撫で、ウォルターは言った。
「……ああ。ルビコン星内にこんな工場があるとは驚いた。十分楽しんでいる。心配するな」
「なら、良かった……です」
ウォルターの返事に、一旦621はほっとしたようだ。しかし、ウォルターは嘘をつくのが下手でも上手くもない。621を騙す程度には下手ではないが、カーラを誤魔化せるほど上手くはなかった。
(……やっぱり、この計画の遂行に、あんたは優しすぎたよ)
聞き耳を立てていたカーラはそう思うものの、今更止められも、止めるつもりもない。自分よりも若い――見た目はともかく――ウォルターは、きっと自分ほど割り切れていないのだと、改めて気が重くなる。
それぞれが様々な思惑を抱える中、トレーを持った職員が会議室に入ってきた。試食用の野菜を持ってきてくれたのだ。トレーの上には、小さなボウルにこんもり盛られた野菜が人数分。それが職員の手で手際よく配られていく。
「わ……! すごい、さっき、見たのと、同じ……」
目の前に置かれた野菜に、621は目を輝かせた。ガラス越しに見るのと、間近で見るのはやはり違う。
「……」
喜ぶ621を挟んで、ウォルターがチャティに目配せをする。試食があるかも知れないのは想定済だ。それは結構なことだが、そこに良からぬものが入れられていないとも限らない。
チャティは瞬時に配られた食品をスキャンすると、ウォルターに小さく頷き返した。問題なし、ということだ。
「先程収穫したばかりのレタスです。塩を振ってありますから、そのまま食べられますよ」
職員の案内に、それぞれがサラダボウルに手をつけ始めた……のだが、肝心の621は困った顔でウォルターを見つめるばかり。
「あ、あの……ウォルター……顔……どう、しましょう」
顔を隠すためにマスクをしてきたのに、食べるとなると外さなければならない。最初の案内の時にすでに試食の話は出ていたのに、いざ実物を見るまで621はそのジレンマに気付いていなかったのである。絶対に食べたいのに、まさかここまできて我慢するのは……!
困り顔の621にウォルターは頷き返すと、再びチャティを見た。
「安心しろ、621。こういう時のために、ちゃんと顔を隠す装置を持ってきてある。チャティ、頼む」
「?」
ウォルターの命を受け、チャティが持って来た鞄の中からひょいひょいと何枚かの板を取り出した。鮮やかな手つきで板を組み立てると、底の抜けた箱のようなものが出来上がる。
「要するにバケツを頭から被るようなものだが、これで顔を隠しながら食事が出来る。中には小さな明かりがつくようになっているから、視界も良好のはずだ」
突然目の前に現れた箱にあっけに取られているのは621だけではなく、周囲の解放戦線の面々も同じだった。眼鏡をかけているとはいえ目元がバレているのだから、あまり意味がないような気もするが……。ここまで用心しつつ試食をさせてやりたいとは、独立傭兵レイヴンのハンドラーは、想像以上に過保護のようだ。だが、今日一日のレイヴンの様子を伺うに、そう扱いたくなる気持ちもわからなくはない。よく言えば幼く、悪く言えば隙だらけ。名の知れた傭兵がそんな調子では、せめて顔を隠しておいてやりたいというのは主として当然のことかも知れない。
「気を悪くしないでくれ。疑っている訳ではないが、こちらにも事情がある」
「構わん。そちらの事情も理解しているつもりだ。いつどこで誰が見ているかわからないのは、我々も同じだからな」
フラットウェルも呆れた様子もなくウォルターに返事をした。この施設自体、ベイラムから奪還したばかり。不審なものや侵入者がないか確認は済ませてはいるが、いつどこでネズミが紛れ込んでくるかはわからない。用心するに越したことはない。
そんな大真面目なやり取りをする二人をよそに、チャティによって頭に組み立てキットを被せられた621は、頭を支えるのに苦労していた。ACに乗る時に被るヘルメットと同じくらいの重さだが、空間が広い分、支えるのは難しい。ふらふらしながらも、目の前にあるのは今日一日、わくわくしながら見てきた野菜そのもの。
「ビジター、俺が支えていよう。存分に食べてくれ」
「うう……チャティ、あり、がとう……」
621の頭に被せた箱をしっかりと支え、チャティが側面にあるスイッチをかちりと押した。小さな明かりが箱の中を照らす。これなら手元もしっかり見える。
「じゃあ、いただき、ます……」
フォークを手に取り、レタスに差し込むと、しゃくりと瑞々しい音がした。初めての感覚に、621は目をぱちくりさせる。一体どんな味がするのだろう。おそるおそる口に運ぶ。爽やかな青い匂い。621に強化人間として目覚める以前の記憶はなかったが、どこかで嗅いだことがあるのか、懐かしい気がした。
「……!」
端を齧ると、もしゃ、と不思議な食感がした。味は濃くない。残りを口に入れて咀嚼すると、じゃく、じゃく、と、今まで食べたことのない歯ざわりだった。噛むたびに、じゅわりと水分が溢れてくる。少し苦くて、ほんのり甘さもあって、それを振られた塩が引き締めてくる。
「不思議、な、味……と、食感、だ……水が、出てくる……?」
その素朴な感想に、ウォルターはふっと笑って自分もレタスを口に運んだ。たっぷりの水分を湛えたそれは、瑞々しく爽やかで、口の中をさっぱりさせてくれる。このまま食べても良いが、肉や揚げ物に添えられていたら完璧だ。
「ビジター、一体どんな食べ物なんだ……?」
箱を支えているせいでまだ食べられていないチャティは、621の感想を聞く以外にレタスについて知る術は無かった。
「初めて、だから……うまく、言えない……しゃくしゃくで、美味しいん、だけど……」
「美味しいなら良かったが……」
「チャティ、俺と変わろう。お前も食べてみるといい」
「すまないな、ハンドラー」
ウォルターと交代し、チャティも席につく。フォークをレタスに刺し、一口。葉にたっぷり含まれた水分が、噛むたびに溢れ出てくる。生の植物を食べるとこうなるのか、と驚くと同時に、味は正直あまりしないなとチャティは思った。だが、ほのかな苦みとしゃきしゃきの食感は心地よく、味付けや一緒に食べる食材次第で無限に化けそうだ。
「なるほど、確かに不思議な味だ。いろんな食べ方を試してみるのも良いだろうな」
腕っぷしで選んだから今日は同行していないが、料理好きのドーザーを連れてきていれば、様々なアイデアを出してくれただろう。チャティがちらりとカーラを見ると、似たようなことを考えているらしく、ニッと口角を上げている。
「お土産に、いくらかこれを買い取って行くのも良いかも知れないね。タダで工場見学させてもらったんじゃあ、RaDの名がすたるってもんさ」
「それはありがたい申し出だが……いいのか?」
工場側も取引先がない訳ではないが、レタスは贅沢品に近い扱いを受けており、需要が多いとは言えない。大勢の構成員を抱えるRaDが買ってくれるなら願ったりだ。フラットウェルの質問に、カーラは頷いた。
「もちろん。しっかり利益の出る額をつけなよ。今日だけは足元を見ないでおいてやるさ」
今日〝だけは〟というあたりにRaDらしい怖さがあったが、フラットウェルはあえて乗ることにした。おそらく、彼女なりの礼であろう。ならば乗らない方が不義理というものだ。
「……わかった。では、今日だけはお言葉に甘えさせていただくとしよう」
食べ終わったカーラとフラットウェルはそれぞれの護衛を伴い、ビジネスを話をしに別室へ出ていった。そして。
「チャティ、そろそろ……」
「はっ、すまない、ハンドラー。代わろう」
老人にはいささか箱を支え続けるのは辛かったようだ。チャティは慌てて箱を掴みに戻った。箱の中にこっそり設置した小型カメラと同期して確認すると、食べ終わるにはもう少しかかりそうだった。
(初めて生野菜を食べるビジター……録画もちゃんと撮れているな、よし)
動画は後で送っておいてやろうと決め、チャティは621が食べ終わるのを待った。他のメンバーたちはすでに食べ終わり、感想を言い合ったり、思い思いに過ごしている。
そして、箱の中では――。
(レイヴン、レタスというのは……不思議な食べ物ですね)
(ん……思ったより、味がない、けど……しゃくしゃく、楽しいな。いろんな野菜、食べて、みたくなる……)
外の様子を知る術もなく、621はエアとのんびり食事を楽しんでいた。工場見学の間は、エアは621に気を遣って黙っていた。職員の説明を熱心に聞くのを邪魔したくなかったのだ。きっと、この工場について、ルビコンについて知ることは、エア自身の――コーラルの未来について考えるために、必要になることだと思ったから。
(……私も、いつか……貴方と共に、それを食べてみたいです)
これは、621への交信ではなく、エアの小さな独り言だった。どうやったら成せるのかもわからない、夢のような願い。優しい彼はきっと、友達の願いに本気で頭を悩ませてしまうから、エアはそれを自身の胸のうちに留めておくことにした。……今は、まだ。
「ふう……ごちそう、さま、でした……」
ことりとボウルとフォークを置いてマスクをつけると、中の様子を伺っていたチャティが、タイミングよく箱を外してくれた。みんなはすでに食べ終わり、食器の片付けをし始めている。621も慌てて職員の持つトレーにボウルとフォークを返しに行った。
「試食も楽しんでいただけたようで良かった。工場見学は以上で終了となります。本日はありがとうございました」
621が席に戻ると、アーシルが見学会の終了を告げた。621がぱちぱちと拍手を返し、それにつられるように、参加者たちも次々と拍手をし始めた。陽気すぎるドーザーが指笛を鳴らし、お祭りじゃねえんだぞ、と誰かがツッコミを入れ、場は一気に和やかになる。アーシルは苦笑しつつ、ぺこりと頭を下げた。
「最後に、皆さんにお土産をお配りします。工場で作っている野菜ジュースです。栄養満点で解放戦線でも愛飲されているものですよ。どうぞご自宅でお楽しみください」
「お土産……いい、んですか」
試食もあり、お土産までもらえるとは。621は思わずアーシルに尋ねた。
「ああ。こうした工場があることや、どんなものを作っているのかを知ってもらえることは、我々にとっても嬉しいことなんだ。遠慮せずに持ち帰ってくれ」
アーシルは621にそう言って微笑むと、六個入りの紙パックジュースを渡してくれた。ジュースのこのずしりとした重みは、一体レタス何個分なのだろう……。
「……あり、がとう、アーシル。だいじに、飲み、ます」
621はマスクの下でアーシルに微笑み返した。アーシルもまた、この素直な青年の言葉に頬を緩ませ、そうしてくれると嬉しい、と返事をした。突如として決まった工場見学だったが、621にとっても解放戦線にとっても、それなりに実りのある会となったようだ。
そして、621から数メートル離れた場所では……。
(戦友……アーシルの名は呼ぶのに、私は……)
ドーザーの男にジュースを配りながら、ラスティが悔しそうに顔を歪めていたのだった。
楽しい工場見学は終わり、RaDの面々はグリッド086へ、621とウォルターは自らの拠点へと戻ってきた。帰りは遅く、グリッド086に泊まりたい気持ちはあったが、621は翌日の昼から仕事が入っており、どうしても帰らなければならなかったのである。
拠点に帰り着く頃にはとっぷりと日が暮れていた。移動中に軽い食事を済ませておいたから、寝る時間には少々ゆとりがあるが、たくさん歩いた疲れもあり、早めに休んだ方がいいだろう。
「今日は楽しかったか、621」
「はい。ウォルター、ありがとう、ござい、ました」
礼を言う621の頭を撫で、ウォルターは明日に備えて夜ふかしせずに早めに休めと返した。はい、と元気よく返事をする621に苦笑して、ウォルターと621はそれぞれの自室に戻る。流石の621も、今夜ばかりはいつもの動画鑑賞はお休みにして、チャティとちょっとだけ話をしてから眠ろうと考えていた。
帽子と眼鏡とマスクを外し、シャワーを浴びて、タブレットを手にベッドの中へ。チャティからすでにメッセージが届いており、そこには画像ファイルがいくつか添付されていた。開くと、そこには野菜をもしゃもしゃ食べている自分の姿が写っている。帽子と眼鏡で変装しているから、なんだか自分じゃないみたいだった。
(なんだか、前に動画で見たうさぎみたいですね、レイヴン)
「そう、かも……ちょっと、恥ずかしい、な」
エアと一緒にくすくす笑って、621はチャティからのメッセージに返事をした。
いつの間に撮ってたの、寝支度も終わったから話そう、そう送ると、すぐに通話リクエストが届いた。
「無事に帰ったようで何よりだ、ビジター。今日は楽しかったな」
「ああ。今日は、ありがとう。きみの、おかげで……野菜も、食べられた……」
「気にするな。いい写真も撮れたからな」
「はは……」
隠し撮りはともかく、621自身、顔を隠しながら食事をしないといけなくなるかも知れないとは考えていなかった。ウォルターとチャティには本当に感謝だ。
「ボスもたっぷりレタスを買い付けていた。早速料理好きのドーザーが大喜びでレシピを考えていたぞ」
「どんな、料理に……なるん、だろうな」
「生で食べてもいいが、意外と火を通してもイケるそうだ。美味くいけば、今度来た時に振る舞ってもらえるかもな」
「へえ……」
グリッド086に戻ってからまだ数時間しか経ってないのに、すでに試行錯誤が始まっているようだ。RaDのメンバーはつくづく仕事が早い。
621が感心していると、チャティが尋ねた。
「そういえば、あのジュースはもう飲んでみたか?」
「まだ、だな……。なんだか、もったい、なくて」
お土産にもらったジュースは未開封のままテーブルの上に置いてある。飲んでみたい気持ちはやまやまだが、六個しかないと思うと、すぐに飲もうとはならなかったのだ。
「俺もまだ飲んでいないんだ。せっかくなら一緒にと思ってな」
「……じゃあ、飲んで、みようか」
保存用に加工されているから、賞味期限は長い。とはいえ、工場で作りたてのジュースなら、早く飲んだ方が美味しいのは間違いないはずだ。チャティと一緒に感想を言い合いながら飲むのも楽しいだろう。621はベッドを出て、テーブルの上のジュースを一つ手に取り、付属のストローを飲み口に刺した。
「……どんな、味だろ……?」
(楽しみですね、レイヴン!)
エアもその味に興味津々のようだ。味はわからないが、栄養満点、とアーシルは言っていた。明日は仕事があるし、栄養満点のジュースを飲んで眠ったら、明日はきっといい動きが出来るはず。621はそう思い、チャティと共にストローに口をつけた……のだが。
「――‼」
「ぐっ……! これは……ッ‼」
(レイヴン! どうしたんですか⁉)
苦い。その単語だけが二人の頭と電子頭脳をぐるぐる回った。とんでもなく苦く、青臭い。レタスはあんなにも薄味だったのに、これは一体。
渡された野菜ジュースの原材料は、ケール、大麦若葉、明日葉、桑の葉……かつての日本と呼ばれる国で製造されていた青汁と同じ成分だったのである。しかも苦味成分を含むケールが多く配合されていたため、その苦さは折り紙つきだ。解放戦線で愛飲されているという言葉に嘘はないが、解放戦線の戦士たちの出撃前の景気づけに飲まれているという側面もあった。
「どうした、621!」
気が遠くなるほどの苦さにその場にへたり込んだ621を監視カメラ越しに見ていたウォルターは、大慌てで部屋にやって来た。
「に、にがい……」
「621、しっかりしろ!」
(立てなくなるほどの味……そういうのもあるのですね……)
621の手には紙パックのジュースが握られている。それを見てウォルターは大体の事情を察した。放心状態になっても中身を溢していない、その根性と人の良さは相当なものだ。だが、この苦さは少々……いや、かなり刺激が強すぎたらしい。
「無理をするな、621……味には好みがある……」
「うう……でも、飲まない、と……ヴッ、にがい……っ!」
口に残る苦さに、621は顔をしかめた。ウォルターは部屋に置いてあるペットボトルの水を飲ませてやり、紙パックジュースを621の手から優しく奪い取った。
「飲みやすくアレンジしてやる。少し待っていろ」
「へ……?」
部屋を出ていくウォルターの背を、621はぽかんとした顔で見送った。飲みやすく、と主は言った。あの苦さをどうにか出来るとは思えないが、あのまま飲み切るのは自分には難しい自覚もある。
「ビジター、大丈夫か」
「あ、ああ……」
通話は繋げっぱなしだったから、ウォルターと621のやり取りはチャティも聞いていた。飲みやすいアレンジ、というのはチャティにも興味がある。チャティにとってもこのジュースは苦すぎたからだ。
621が水をくぴくぴ飲みながら待っていると、数分でウォルターが戻ってきた。その手には、ほかほかと湯気を立てるマグカップ。
「飲んでみろ、621」
マグカップの中には、薄緑のミルキーな液体が入っていた。緑はおそらくあのジュースの色。ほんのりと甘い匂いもする。
「さっきのジュースにクリーミングパウダーと砂糖を混ぜたものだ。多少は飲みやすいだろう」
「……あり、がとう、ウォルター」
そうは言っても、どうしてもさっきの苦さが頭を過ぎる。しかし、せっかく主が作ってくれたものなのだし……と、621は意を決してそれに口をつけた。
「!」
苦さも青臭さも残ってはいるが、ミルク感と甘さのおかげでだいぶまろやかになっている。苦さは濃いフィーカくらい。しかしフィーカよりさっぱりとしていて、これはこれで美味しいドリンクになっている。
「おい、しい……! ウォルター、すごい……!」
(少しの工夫でこうも味を変えるとは……さすがウォルターですね)
エアはより一層、食や味というものに興味が出たようだ。目を輝かせながらふうふうとマグに口をつける621を見て、ウォルターは照れくさそうに苦笑する。
「さあ、それを飲んだらもう休め。明日に障るぞ」
「はい。ウォルター、おやすみ、なさい……」
そんなやり取りを聞いていたチャティもまた、手近にあったマグにクリーミングパウダーと砂糖、ジュースを入れると、電子レンジにかけに向かったのだった……。
一方その頃、解放戦線のある拠点の一室で、フラットウェルとアーシル、そしてラスティがこそこそと打ち合わせをしていた。話題はもちろん今日の工場見学――というより、独立傭兵レイヴンについてだ。
「まさか、独立傭兵レイヴンが、その……ああも幼いとはな」
「強化人間手術の影響でしょうか。古い術式では記憶や人格にも影響があったと聞きます」
「外見的な年齢からしてそうだろう。任務の間喋らせなかったのも、飼い主からそう言い含められていたからに違いない」
フラットウェルの推測は外れており、喋るなとまでは言われていない。ただ、その場その場で交流の少ない相手と話をするのが苦手なだけである。
「幼いなら、その分懐柔もしやすそうだが……ああも飼い主が過保護ではな……」
「ハンドラー・ウォルターだけでなく、ドーザーたちも良く面倒を見ている様子でした」
アーシルが言った通り、シンダー・カーラやその参謀だけでなく、一般ドーザーたちからも悪く思われていなさそうな雰囲気はフラットウェルも感じ取っていた。RaDのドーザーたちは技術者としての能力はもちろん、武闘派集団としても知られている。狡猾な乱暴者というのはとにかく厄介だ。味方につけられれば力強いが、カーラもまた一筋縄ではいかない人物だ。本人の性情はともかく、外堀は堅く固められ過ぎている……。
「なんとかこちら側に引き込めたら良いのだが……ラスティ?」
「ん? ああ……聞いている。聞いているが……」
さっきから黙ったままのラスティは、どこか上の空といった様子だった。フラットウェルに声をかけられても、物憂げなため息をつくばかり。
「……〝戦友〟の姿が、イメージと違いすぎてショックだったんでしょうか」
「さあな……」
こそこそと話す二人をよそに、ラスティの頭の中は今日初めて見た独立傭兵レイヴンのことでいっぱいになっていた。
イメージと違っていたことは否定しない。ACに乗っている時の彼は、傷つくことも厭わず突撃し、かと思えばスマートに銃弾を躱し、最後には見事に敵の動きを封じていく――そんな、遥か高みから相手をコントロールしているかのような、熟練のAC乗りだった。
多かれ少なかれ、ACの動きにはパイロットらしさが滲み出るものだ。だが、彼にはそれを感じない。もちろん、たった数時間、しかも工場見学という人の説明を聞くことが主になる場で、それを計るというのは烏滸がましい考えかも知れない。しかし、ラスティもスパイ教育を叩き込まれた人間、人を見る目はあるつもりだった。それなのに、彼の本質は見えないまま。
「知りたい……戦友のことを、もっと……」
彼が何のために戦い、何を思ってACを駆るのか。その背景を知ることが出来たなら、もし、共に歩める未来があるのなら、その時は――。
「……重症ですね」
「はあ……」
思い悩むラスティを見て、二人は色々と勘違いをしつつ、揃ってため息をついた。
彼らのデスクの上には、工場直送の野菜ジュースが三本並んで置いてある。今後についての打ち合わせは、まだまだ始まったばかりのようだ。
おしまい
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