仕事で現地集合なことだってあったし、たまたま時間が合いそうで迎えに行ったことだって何度もあった。それなのに、今日は今までと全く違うふうに心臓が高鳴っていた。
待ち合わせ時間の三十分前。あまり早くても気を使わせてしまうかも、でも家でジッと時間が過ぎるのを待つのも限界で、自分の中で折り合いをつけてのこの時間だった。当然約束した場所にその人はいない。ひとまず待たせることにならなかったことにほっと息を吐き、カバンからスマホを取り出した。
メッセージアプリを開き、昨夜のやり取りを見返す。どこに行きたいとか、何を食べたいとか、俺の希望を聞き出そうとしてくれるメッセージが送られてくるたびにキューッと胸が締め付けられて、今も、その優しい言葉を見返すだけでにやけてしまいそうになって唇を噛んだ。昨日から何度も確認した待ち合わせの時間と場所をもう一度確認してよしと頷く。浮かれて読み違えがあったら最悪だ。
落ち着かずに顔を上げてあたりを見渡し、深呼吸をして心を静めようとしても、そんなの少しも意味がない。あと三十分もこんなにソワソワしていたら不審者がいるって通報されてしまうかも。今さらだけどどこかで時間を潰していた方が良かったかな。すぐそこにあるカフェならここも見えるからすぐに出て来れるし……でも、やっぱりここで待っていたいな。俺が先に見つけてあげて、それで俺のことを見つける瞬間のその人を見ていたい。
スマホの画面に表示された時間は俺が到着してからまだ五分しか進んでいない。一分一秒がとても長くて、だけどそれが少しも嫌じゃなかった。好きな人を待っていられる時間がこんなにドキドキして楽しいなんて、初めて知った。
数分おきに駅から人の波が出てくる。その度にその人がいないか探して、見つけられずに落胆する。いや、まだ時間はたっぷりあるから。人の流れが途切れたところではぁと息を吐いた俺に、後ろから「待たせたか?」と声がかかった。ビクッと肩を跳ねさせて慌てて振り返るとすぐ近くで男の人が女の人の手を取っていた。あ、違う待ち合わせの人……。思い返せば声が全然違った。
約束した時間まであと何分だろう。スマホに視線を下げた途端、すぐ近くに人の気配を感じて、俺はパッと顔を上げた。
「っ、悪い、驚かせたか。……お待たせ?」
「あ、えっと、……早いですね?」
「俺より先についてるおまえに言われてもな?」
くすっと笑った逢さんに、心臓が一層強く主張してくる。いつからいたんだ?という質問を曖昧に誤魔化しながらスマホをカバンの中に落として、改めてそっと顔を上げた。視線が重なって、逢さんは軽く目を瞠ったあとにふっと優しく笑みを浮かべた。
「行くか、デート」
「……はい、よろしくお願いします」
「硬いな。まあいい。とりあえず何か食べよう。昼、まだだろう?」
「はい、まだです。逢さんは?」
「珍しいことに、腹が減ってる」
「えっ。朝ごはんちゃんと食べましたか?」
「いいや。コーヒーだけ」
「ちゃんと食べないと」
「緊張してたんだよ、由鶴と初めてのデートから」
「……!」
「ふ、でも、緊張する必要なかったかもな。おまえの隣は落ち着く」
とびきりの殺し文句を乱射して、逢さんは可愛らしく微笑んだ。いつもより緩んだ表情にも胸を打たれ、俺は思わず足を止める。
すぐに気がついた逢さんは俺のところまで戻ってきて、体の横に垂れた俺の手を恭しく持ち上げた。
「手を引いてあげましょうか?」
「……揶揄わないでください……」
「ふふ、珍しい由鶴だ。緊張してるのか?」
「とても」
「ありがとう」
「……どうして、お礼を言うんですか」
「俺のことを意識してくれているんだろう?」
「……」
「そのうち慣れる。やっぱり手を繋いで行くか」
「……今日は、やめておきます。ドキドキしすぎて死んじゃいそうなので」
「……じゃあ、また今度」
嬉しそうに笑った逢さんに身体中が心臓になったみたいにドキドキして壊れてしまいそうだった。逢さんみたいに、隣にいたら落ち着くって言いたいけれど、まだこの人が俺のことを好きだっていう事実を受け止めきれていなくてそれは難しそうだ。
「すみません……」
「? 何に謝ってるんだ」
「俺、逢さんが俺の恋人だってまだ慣れてなくて、せっかく初めてのデートなのにすごいドキドキしてて、もっとスマートにしたかったのに……」
「……謝る必要はない。いつもと違う由鶴を見られるのは恋人の特権だろう。それに、由鶴が俺のことを好きなんだってわかって嬉しい」
死ぬなよ、と笑い声混じりに囁いて、逢さんは俺の手を取った。グッと引っ張られて足が勝手に動き、俯いていた顔を上げて逢さんを見つめる。
見たことのない服はシワ一つなくて、たぶん、新品で。逢さんがプライベートの時だけ付ける香水の香りが風に乗って届き、俺は繋がれた手をぎゅっと握った。
緊張してるだけじゃ、もったいない。恋人の逢さんにはこれから慣れていけばいいけれど、今日はたった一度しかないんだ。大きく足を踏み出して逢さんの隣に並び、すぐそばにいる逢さんの視線を感じながらすぅっと息を吸った。
「逢さん、今日一日、よろしくお願いします」
「……ふ、だから、硬いって」
由鶴、と優しい声で名前を呼ばれて隣を向く。可愛らしいその笑顔が俺専用であることに感動しているうちに、逢さんはまた口を開いた。
「これから一生、よろしく?」
きっと俺はいつまでもこの人に敵わないだろうと、爆発しそうな胸を押さえながらそう思った。
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