来羅
2025-09-27 23:06:31
1808文字
Public トワウォ
 

秘密(風信)

ワンドロライ第11回。





 死ぬことを怖いと思ったことはなかった。
 所詮、他人の命を数多く奪ってきた人生だ。ロクな死に方は望めない。殴られるか、刺されるか、斬られるか、突き落とされるか、叩き潰されるか、生きたまま焼かれるか。黒社会に生きていれば、どれもがあり得るし、それは明日かもしれない。そんな毎日だ。
 怖いと思ったことは、なかった。
「ひとはしんだらどうなるの?」
 祖哥哥、と夜中に枕を抱えてやってきた養い子は、そのけぶるような睫毛を震わせてぼそりと呟いた。
「おばけになっちゃう?」
「それは、どうだろうな」
「しんだら、うごかなくなるでしょ。ずっとねてるのとおんなじなの?」
「ん?」
「ゆめはみる?」
 ずっとねてるなら、たのしいゆめがいいなぁ。
 思っていたのと違う言葉が返ってきて、龍捲風は小さく笑う。
 子供にとっての『死』は遠いものだ。
「信仔はどんな夢がいい?」
「うーん、祖哥哥と西多士たべたい!」
「それは明日の朝のリクエストか?」
 へへ、と笑う信一は、あとは蛋撻でしょ、芒果布甸でしょ、菠蘿包もたべたいし紙包蛋糕も、と好きなデザートを並べて龍捲風を見上げた。
「祖哥哥といっしょにたべるんだよ」
 ずっと、いっしょだよ、と。
 半分すでに夢の中に旅立ちながら、信一は龍捲風の腕を抱き枕にしてぎゅっとしがみついた。
 クラスメイトの父親が事故で死んだと聞いたのは一昨日の夜のことだ。子供ながらに思うところがあったのだろう。小さな体を丸めて眠る信一が泣いているかのようで、龍捲風はしばらく抱きしめてやる。
 ずっといっしょだよ。
 その言葉が夜通し耳の奥で鈴の音のように鳴り響いていた。



「カラオケ屋やろうと思うんだよ」
 雑誌をぱらぱらとめくりながら、信一が言った。
「なんの話だ?」
「ここ、取り壊されたらさ。イイ感じの物件見つけたから。そこでカラオケ屋」
「お前が?」
「一緒に、だよ。大佬は俺の隣でお客さんの相手したりして、俺は帳簿の整理すんの」
「今と変わらんな」
「だろ。歌いたいやつは勝手に歌ってるだろうし、だから、いいと思うんだよな」
 第二の人生の始まり!
 二ッと笑う信一が、雑誌を閉じる。ごろりとソファで寝返りを打って龍捲風を見つめた。その眼差しは真剣で、龍捲風が茶化して誤魔化そうとするのを許さない。
「俺は大佬とずっと一緒にいるから」
 ずっと一緒に。
 そんな日は来ないだろう。
 喉元まで出かかった言葉はいつもの通りに音にはならなかった。
 そんな日は来ない。城砦が取り壊される日をこの目で見ることもないかもしれない。否、その可能性の方がおそらく高い。
「そうか」
 結局それだけを口にした龍捲風に、信一はまただらりとして「大佬の湯圓とか出したら売れるかな」などと呟いている。
 死を怖いと思ったことはなかった。
 今も怖いとは思わない。
 けれども。
『ずっと、いっしょに』
 その言葉に頷いてやれない。
 それは随分と怖いことなのだと、そのとき知った。




「大佬! 開けてくれ!」
 端正な顔に真一文字の傷を負った愛し子が涙の膜を張った瞳を見開いて叫んでいる。
 シャッター越しでは、触れることさえできない。もう二度と、抱きしめることさえ叶わない。
「信一」
 所詮は後ろ暗い人生だ。
 こんなことは予想の範囲、むしろ命の使いどころとしては万々歳ではないか。
 笑んだつもりだったが、唇の端は引き攣れた。
 ずっと、いっしょに。
 知っていただろうか。その言葉がどれだけ嬉しかったか。
 知っていただろうか。それが、どれだけ辛かったか。
 死ぬことは怖くない。怖くはなかった。
 けれどもお前と離れることだけは怖かったのだと。
 知っていただろうか。
 知られずにすんだだろうか。
 信一。
 この人生におけるただひとつの光。
 最愛の愛し子。
「生きろ」
 この秘めた想いは地獄の底まで持っていこう。
 誰にも知られず、この胸の中に抱きながら、ただひっそりと。
 そうして愛しい人と共に過ごす夢を見る。
 それは随分と幸せな永遠ではないだろうか。



 霞む視界の先、崩れたアスファルトだけが、揺れる裸電球にぼんやりと照らされている。
 希望は去った。希望は残った。
 なぜか辺りはなおも眩しい。龍捲風は笑いながら眇めるように目を閉じた。