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2025-09-27 17:34:28
12963文字
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Unreal Sanctuary(後編)
翌朝。恭が目を覚ます頃には、話が決まっていた。
「えと、じゃあ、俺はなかみーと村長さんとこ行けばいい?」
「そう。注意は昨日と一緒。何だった?」
「村人さんと話さない、村のものは食べない、
……
あ、なかみーから離れない!」
「よし」
銭湯で朝食を食べながら、今日の行動予定を聞く。陵がどうにも納得していなさそうな顔をしているのは、律が同行しないからだろう。律自身は一旦車で別の仕事をしながら待機する、ということになったらしい。何で付き添いが律ではなく陵なのかと思いはしたものの、律は良くも悪くも一人で動くことに慣れている。今回は別行動の方がいいと判断したのだろう。
そんなわけで、ひとまずは村の入り口まで移動する。頑張ってね、と手を振る律に見送られ、今日は陵と共に村長の家への道を歩くこととなった。道中は当然ながら、それなりの山道である。
「律さん山登りしたくなかっただけでは?」
「私もそれを疑ってるんですけどね
……
」
ようやっとと言うべきだろうか。今回は広場まで戻されることもなく、村長の家らしき場所に辿り着いた。、そこにあったのは、まるでカフェのように整えられた小洒落た古民家だ。外側に縁側も設けられていたが、そちらは戸が閉められており、中の様子を窺うことはできない。
「えーと
……
ごめんくださいお邪魔しますでいいのかな
……
?」
「あまりそういうことを言わない方がいいような気がしますが」
「だって人んちだし
……
やめといた方がいい?」
「絶対に駄目よ」
恭のささやかな疑問に陵が首を傾げ、そして『黄昏の女王』が明確に否定する。何で、と問えば少し考えんだ『黄昏の女王』が、言葉を選ぶように小さく唸った。
「
……
まずこの場所。鳥の声も虫の声もしないでしょう」
「お?
……
あ、言われてみればすごく静か」
「そうですね、生き物の気配がしません」
何の気配も、そこにはない。山の中に、音がない。ただ木々を風が揺らしているだけの異様な静けさが、この場を支配している。
二人の言葉に、『黄昏の女王』は緊張した面持ちで頷いて。
「ただでさえ既にアイツの『領域』にいるのよ。招かれる、入る。それに対して『お邪魔します』なんてことを言ってしまうのは、この『領域』にどっぷり、頭のてっぺんまで浸かります、って宣言しているようなものだわ」
「おお
……
だめそう
……
」
「こういうことは陰陽師がきちんと説明すべきなのではなくて?」
「すみません。分かりやすい説明をありがとうございます」
にこりと笑む陵に、『黄昏の女王』が肩を竦める。何であれ、うかつな発言をしてはならないということだ。なるべく黙っておこう、と恭は口を噤む。
しかしひとまず、家の中に入れるかどうかは確認しなければならない。玄関の方に向かおうとした恭を、陵が引き留める。どうしたのかと首を傾げると、陵が玄関とは反対側を指差した。
「念の為、家の周りをぐるっと確認しておきましょう。他にも入り口があるかもしれませんから」
「あ、そっか」
幸いと言うべきか、それほど大きな家ではない。一周確認するだけならば、それほど時間もかからないだろう。何かが起きる可能性は否定できないため、二手に分かれることは諦め、二人でぐるりと周囲を見て回る。
幾つか窓はあるものの、白く濁っていてどれも中の様子は見えない。縁側も同様だ。何らかの力が働いて、中が見えないようにしているのだろう。
そして玄関とは真反対の角に、扉がひとつ。
「勝手口でしょうかね」
「かってぐち?」
「昔の家には台所に結構あったんですよ。裏口と言えば分かりますか? 玄関とは別の出入り口ですね」
「へー。じゃあ開けたら台所っすかねえ」
「開かないとは思いますが
……
、あ」
扉に手を掛けた陵がそれを引くと、何の抵抗もなく扉が開いた。思わぬことに二人で顔を見合わせ、恐る恐る中を覗き込む。
陵の言う通り、中は台所になっているようだった。生活感はあるが、綺麗に片付けられている。勝手口の対角には扉がある
――
その先はどこか他の部屋に繋がっているのだろう。
「え、どうしよ
……
こっから入る?」
「ここだけ開いているというのが逆に気にかかります、やめておきましょう。万が一のときのために扉は開けておいて、何かあったらここから逃げるということで」
「うす」
閉められてしまう可能性はあるが、万が一ということで扉は開け放ったままにしておく。そのまま再び家の周囲を回ってみるが、何も気になる場所はないまま玄関の前に戻ってきた。
となれば、あとはここから入るのみだ。深呼吸して、玄関をノックする。すると中から「どうぞお入りください」という声が聞こえた。
「おじゃ
……
っ、うぐっ」
「恭くん、もう私の話を忘れたの?」
「ほへんなはい
……
」
「
……
アリスちゃん、何かあったらすぐ柳川くんの口塞いであげてください
……
」
呆れた声で呟く陵に、恭の口を塞いだまま『黄昏の女王』が頷く。話してはいけないと分かっているものの、日常無意識に行っている挨拶を言わないというのはなかなか難しい。
玄関の扉が開いて、恐る恐る中に入る。扉が閉まった瞬間、がちゃりと錠が落ちる音。慌てて扉を押してみたが、扉は動かず、鍵のようなものも見当たらない。完全に閉じ込められている。
よくあることだと気持ちを切り替え、家の中を調べていくことにする。中央に通った廊下、扉は両横に2つずつ。見える範囲では4つの部屋があると考えてよさそうだ。左奥の部屋は先程見た台所だろうという当たりをつけ、まずは左手前の部屋に入る。
「応接間っぽいですね」
「おー、めっちゃ使ってる感ある」
「客人が来ているわけですし、使っていたのかもしれません」
まるで人がいるかのように生活感に溢れた部屋。置かれているソファに腰を下ろしてみたが、座り心地の良い普通のソファだ。何もないと判断して部屋を出たところで、陵が不意に足を止めた。その視線は廊下の奥に向けられている。何かあるのかと思ったが、恭が見ても何も見つけられない。
話しかけようと思ったのを察知したのか、しい、と陵に諭されて言葉を呑み込む。廊下の奥へと歩いていき、屈み込んだ陵は板張りの床に手を掛け。
「
……
おお? 地下?」
「隠し扉になってますね。下には降りられそうですが」
「めっちゃ暗いっすねえ。懐中電灯いるかなあ」
律がいれば魔術で光源を作ってくれるだろうが、今はいないのでその手段がない。人一人がぎりぎり通れるだろうかと思う程度の穴の底は見えず、今は危険だという陵の判断で、再び床は閉じられる。どうにも何か嫌な雰囲気に、恭はそっとその場を離れた。
寄り道のような形になってしまったものの、家の中の探索を再開する。次は右手前にある部屋の扉を開けば、そこは寝室のような空間になっていた。どことなく旅館にも似通った雰囲気を感じるので、恐らくは客を泊めるための部屋なのだろう。特段変わったものは見当たらず、次の部屋に行こうとくるりと後ろを振り返り。
「え」
いつの間に現れたのか。扉の前に子供が立っていた。白い髪、白い肌、白い着物
――
そして目まで白い子供が、きょとんとした顔で二人を見ている。
思わず話しかけようとした恭の口を、『黄昏の女王』が塞ぐ。心なしか、その手がかたかたと震えているのを感じて、無意識に体が強張った。
目の前のこの子供は
――
何だ。
「
……
、うん」
小さな、何かを決めたような声が聞こえて。すっとその指が、陵の方へと向けられ。
---
「茅嶋ァ!」
「うわびっくりしたあ!?」
二人を待っている間、溜まっている報告書を片付けるべく情報整理をしていると、急に車のドアが開いて急に怒鳴られた。怒鳴った張本人
――
陵は、何事かと目を瞬かせている律を暫し眺めた後、急に脱力してぐったりとした様子で後部座席の扉を開け、そのまま座席に身を預ける。
全くもって意味が分からない。何があったのかとまだ車の外にいる恭の様子を窺えば、『黄昏の女王』と何か話しているようだった。どこか『黄昏の女王』の表情が強張っているように見えて、律は再度陵に視線を戻す。
「どうしたの急に、丁野先生みたいな怒鳴り方しちゃって」
「
……
私はもう疲れました
……
」
「お、お疲れ様でした
……
?」
「
……
、茅嶋案件が出たんですが」
「何も分からん。俺でも分かるようにちゃんと説明していただけます
……
?」
「出てきちゃいけないものが出てきたんですよ
……
そもそもこの村は存在してはいけないんですよ
……
」
「お、おう
……
?」
ほぼ愚痴の様相を呈している陵から、何とか話を聞き出す。村長の家に辿り着き、家の調査を進めていたこと。廊下には地下に通じる扉があったが、暗くてよく見えなかったこと。そして客間らしき部屋を調べていると、子供が現れたこと。
――
その子供に指差された瞬間、死んだ、と感じたこと。
「式神使ってなきゃ絶対死んでました
……
あんなの被害者が大量に出て公安が仕事増えて、また茅嶋さんに依頼が来て仕事が増えて、そして私に手伝いを依頼してくるやつですよ
……
私が苦労するんですよ
……
」
「落ち着いてなかみー、もう何言ってるか分からない」
余程堪えたのだろう。ぶつぶつと文句を言い続ける陵に苦笑しつつ、思考を巡らせる。現れた子供といくのは、間違いなく村長の『特別な客人』だろう。信司がこの村にいて、そしてボスの話をしていたことから考えても、その子供が『ボス』に当たる存在だと考えていい。そうであれば、おおよそその正体にも想像はつく。確かに一度死んでもおかしくない相手であり、できれば相手にはしたくない。
なるほどな、と頷き、再度外の恭と『黄昏の女王』の様子を確認する。律の予想通りであれば、相手は『黄昏の女王』では歯が立たないはずだ。それでも何とか陵と恭をここまで連れて戻ってくれたのだろう。そのまま消し飛んでいても何もおかしくはなかった
――
決死の覚悟だったことは想像に難くない。
「
……
という報告をされたところで、お入りくださいって家に招かれたのは恭くんとなかみーであって、俺はお呼ばれしてないんで入れないんですよねー
……
」
「何とかしてくださいよ
……
どぅしろって言うんですか
……
」
「えー
……
、
……
ちなみにお腰につけたお水は何のためにお持ちで
……
?」
「
……
効くんですか?」
「龍神様の清浄な水で祓えない相手がこの国にいると思えないな
……
」
強弱はあれ、一時的に祓うことは可能な筈だ。それすらも効力を持たない相手というのは、律には想像がつかない。
それきり黙ってしまった陵は、珍しく不貞腐れているのだろう。これは駄目だなと判断して、広げていた資料を片付ける。今日はこれ以上進めるのは無理そうだ。
「恭くんー、なかみー拗ねちゃったから昼ごはん食べに行こー」
「えっ拗ねたのなかみー」
「拗ねてません」
「あはは。天ぷらそば奢るからさ。もっかい作戦会議といこう」
今のところ、律が村長の家に入れないのは変わらない。どうにか二人で対応してもらう他ないが、いざというときのために近くで待機する必要はありそうだ、。信司と、そして恭に呪いをかけた男の動向も気に掛かる。
運転席に恭が乗って、3人はそのまま朝来た道を引き返したのだった。
---
誰がどうごねようとも状況は変わらない。
ということで、昼食の後、恭は再び陵と共に村長の家の前にいた。今回、律は「一応もう一回情報収集はしてみる」とのことで、村の方で待機しつつ調査を進めてくれている。別れる際、陵が真顔で「私が死んだら後は頼みますよ」と律に言っていて、それを聞いた律が本気で爆笑していた。内容としては全く笑いごとではない。
覚悟を決めて、家の中に入る。朝と同様に玄関の扉は閉まり、中から押しても引いてもびくともしない。何となくノックもしてみたが、当然外から返事が返ってくるわけもなく。
「あの
……
何してるんですか
……
?」
「へ」
呆れた声に振り返る。いつからそこにいたのか、奥の部屋の前辺りに信司が立っていた。
「あ、いやまあ、事情は大体分かってるんですけど」
「どれくらい分かってますか?」
「お二人、うちのボスに会われた
……
んですよね?」
「殺されかけましたね」
「うん、ボスも何で死ななかったんだろうって言ってました
……
」
あの子供のことかと問いそうになって、恭は慌てて口を閉じた。律から改めて何も喋るなと言われた上、『黄昏の女王』があのとき口を塞いでいてくれなかったら危険であったことは分かったからだ。ここは陵に任せておくべきだろう。
そろ、と隣の『黄昏の女王』の様子を伺う。恭が自ら口を噤んだことを肯定するように頷いてくれたので、ひとまずはセーフだ。
「まあそれで、様子を見に来ました」
「全く会話ができなかったんですが」
「あー
……
無口な方なので
……
」
「無口だからって初手でアレはないでしょう」
気色ばむ陵に、信司からは乾いた笑いが返ってくる。彼自身、まさか鉢合わせてそんなことになるとは思っていなかったのかもしれない。
「あの、まあオレとしては魔術師と、ここの村長とお二人を会わせるって約束をしてるわけじゃないですか
……
、約束は果たさないとまずいので
……
」
「まあそれはそうでしょうね。契約を反故にするようなものですし」
「あはは。それで
……
まあだから、そう。村長はこちらの部屋でお待ちですよ」
そういった信司が指し示したのは、右奥の部屋の扉。誘導されるようにその部屋に近づいて、ふと気付く。信司が立っているのは、先程陵が地下に繋がる道を見つけた扉の上だ。わざわざその上に立っているということは、やはり何かあるのだろうか。
同じことを、陵も気付いていたのだろう。その指が床の扉を指す。
「ちなみになんですが、その下のことは何か知ってますか?」
「あー
……
いや
……
それを口にするとオレがボスにすごい怒られるんで、察していただいて
……
」
「
……
何か顔変
……
?」
「どういう意味ですかそれ?」
「いや、そんな顔するんだ
……
と思って
……
?」
どことなく感じた違和感が、思わず口を衝いて出る。きょとんとした信司に、上手い言葉が分からずに恭は首を横に振った。そもそも、恭が信司に会うことはそれほど多くない。きっと気のせいだろうと気を取り直して、恭は右奥の部屋の扉に視線を向けた。
――
この先にようやっと、村長がいる。
一応、と180度向きを変え、左奥の部屋の扉を開く。思っていた通り、そこは勝手口のあった台所だった。勝手口の扉は、朝開いたままになっている。何かあれば、ここから外に出ることはできそうだ。
「なかみー、開けっぱにしといていい?」
「構いませんよ。
……
では、行きましょうか」
頷いた陵が、右奥の部屋の扉をノックする。どうぞという声と共に、キィと扉が開いた。開いた部屋の先は、暗闇。真っ暗で何も見えないがしかし、恐る恐る一歩踏み出してみると、足元は廊下と同じ板張りの感覚がある。ひとまずは大丈夫そうだ、とそろそろと中に入っていく。
「恭く、」
「へ」
焦ったような『黄昏の女王』の声が聞こえ、途切れる。振り返ると同時にばたんと目の前でその扉は閉まった。途端、『黄昏の女王』の存在は分からなくなる。慌ててポケットの中のスマートフォンを確認するが、そこに『分体』の気配も感じられず、つけているチェシャ猫のキーホルダーに触れてみたが、特に何も感じられない。
「えっアリスちゃん、ぶんちゃん
……
!?」
「落ち着いてください、柳川くん。分断されただけです」
「え、どうしよ」
「大丈夫ですよ。彼女であれば、ここに入れないと悟れば茅嶋さんのところに行くはずです」
「そ、そっか」
ずっと隣にいてくれた彼女が突然いなくなってしまうのは、どうにも心許ない。不安になりながらも、きょろきょろと周囲を見回す。部屋の中は全く見えないが、不思議と陵の姿だけははっきりと分かる。恐らくは何かの術の影響で室内が分からなくなっているのだろう。
「
……
おや。招かれざるお客さんがいらっしゃいますね」
不意に聞こえた声は、村長のものだ。少し離れた位置に、ぼうと村長の姿が伺える。その背後には、巨大な骸骨。どことなく覚えがあるような雰囲気があるが、それが何なのかが分からない。
「一人は付き添ってよいとお伺いしましたので。私は彼の保護者として付き添ったまでです」
「
……
ん? 保護者? 彼は成人ですよね
……
?」
「え、うん。保護者」
「ほら」
陵の言葉に村長が首を傾げたので、肯定する。一体何を言っているのかとでも言いたげに村長は目を瞬かせたが、しかし緩く首を振った。考えるのをやめたらしい。
「まあいいです。ここまで来てくれたのですから」
「
……
ッ」
にこやかに、村長が恭に笑んでみせる。思わず答えかけて、慌てて自分で自分の口を塞いだ。不用意に答えてはいけない
――
今は止めてくれる『黄昏の女王』もいないのだ。
きょろきょろと村長の視線が動き、そして指先が動いた。その動きに既視感を覚えて、恭は眉を寄せた。
――
気付いた瞬間、雷撃が降り注ぎ。
「ッ
……
、あ!?」
「柳川くん!? 大丈夫ですか!?」
「だ、いじょぶ
……
っ」
ぎりぎりで『変身』は間に合ったものの、雷撃の直撃を受けて膝をつく。びりびりとした痛みと熱さが全身を襲って、息が詰まる。
間違いなく、覚えのある感覚。
――
どういう理屈かは知らないが、これは律の魔術だ。
恭を気にしながらも村長に向き直った陵が鉄刀を抜く。余裕そうな表情を見せている村長が、ゆっくりと恭へと歩を進める。身体はまだ痺れている、ひどい痛みが全身を支配していてろくに動けない。それでも、陵が斬りかかるタイミングで足を動かし、村長の足を引っかけて動きを鈍らせる。不意に足を取られた形になった村長は上手く対応できなかったのだろうy、陵の刀は確実に村長を捉えた。何らかの力で軽減されてはいるものの、左腕を打ち据えている。
「ああ、ひどい。何てことを」
「ひどいのはどちらですか」
「新たな住人を迎えようとしているだけですよ。邪魔をしないでいただきたいですね」
笑った村長の指先が再び動く。まずいと思ったが、恭に向けて放たれた雷撃は陵が『式神』で受け止めてくれた。避けられるような状態でないことは見て分かるのだろう。
「柳川くん、これを」
「
……
あ、りがとっす
……
」
陵に渡されたのは薬瓶だ。直後、村長に一太刀を浴びせて距離を取ってくれる。安堵とともにぐ、とそれを一口飲めば、体の痛みが軽減されていくのが分かった。ふらふらながらも何とか立ち上がって、恭は村長に視線を向けた。
言っておかなければならないことが、ある。
「
……
俺は、ここの住人には、ならないっす
……
」
「
――
だそうですよ。残念でしたね」
何があっても、絶対に家に帰る。それが恭の決意だからこそ。
恭の宣言に村長が目を見開き、できた隙を狙って、三度陵の刀が閃いた。袈裟懸けに打ち据えられた村長は、そのまま形を失って消えていく。
一息つきたいところだが、まだ巨大な骸骨が残っている。村長と戦っているときは全く動く気配がなかったが、果たしてあれは何なのかと考えたそのとき、かたかたと髑髏が音を立てた。
――
笑っている。
「なァんだ、まだ堕ちねえのか。じゃあコレは?」
聞き覚えのある声。それが誰だったのかを思い出す前に、急に室内の暗闇が晴れていく。
「
……
っ、ひ
……
!?」
喉が引き攣る。呼吸の仕方を忘れる。強烈な不快感が我慢できない。ここに来る前に食べた昼食が、あっという間に胃から迫り上がる。
くるしい。
口許を押さえて蹲って、しかし視界に入ったどす黒い赤に、びちゃびちゃと指の隙間からこぼれ落ちていく。
陵が何か言いながら恭の背を擦ってくれている、その言葉を聞く余裕がない。頭が理解を拒否している。がたがたと自分の身体が震えているのが分かる。どうして、何で。問うても何も分からない。
室内には
――
大量の遺体が、転がっていた。
傷だらけのもの、体が引き千切られているもの、原型を留めないほどぼろぼろになったもの。そこまでする必要があるのかと思うほどに損壊した遺体の人物たちに、恭は嫌というほど見覚えがある。
最初に目に入ったのは、無残に食い千切られた古賀の姿。
そして、うちでお茶でもどうかと誘ってくれた村人。
村長が来られたよと教えてくれた村人。
祭りの準備を一緒にした村人。
家を片付けておいたからと笑ってくれた村人。
他にも、他にも、他にも。吐くものもなくなってえづくだけの恭の耳に届いたのは、面白がっているような笑い声。
――
笑いごとではない。こんな所業が、許されてはいけない。
「見なくていい」
知った声が、不意に耳に届く。のろのろと顔を上げると、恭の視界から遺体が消えている。声がした方に何とか顔を向ければ、そこには無表情に骸骨を眺める律の姿があった。
---
話は少し遡る。
再度二人を見送った後、律は極力気配を隠しつつ村の再調査を行っていた。とはいえ、姿を隠していても目ぼしい情報は入ってこない。陵が持っていた『陰陽連』の行方不明者リストに載っていた顔をちらほら見掛けることと、すぐに「村長に報告しないとね」といった類の会話が聞こえる程度のものだ。
「どうしようかなあ
……
」
これ以上調査できることも特にない。この村の住人に片足を入れるようなことをすれば、もう少し手に入る情報はあるだろう。だが、恭のことを考えると選びづらい選択肢だ。当てもないので、ひとまずなるべく近くにいた方がいいかもしれない。そう考えて村に戻されない程度の山の中腹で休息を取っていた、そのときだった。
「魔術師!」
「アリスちゃん。
……
何か起きたね?」
焦った様子の『黄昏の女王』に、律は眉を寄せる。現状、彼女が恭の傍を離れる理由がない。話を聞けば案の定、村長がいるという部屋に恭が入った瞬間、恭との繋がりが途切れて外に追い出されてしまったとのことだった。
家とその周辺については、間違いなく村長の『領域』だ。その部屋には加えて強い結界のようなものも使われているということだろう。他の『カミ』に干渉されないよう、手を打ってあるということだ。
すぐに向かいたいところではあるがしかし、律が村長の家に近づけない状況は変わらない。念の為『黄昏の女王』に移動が可能かどうか確認してもらったが、家には全く近づけないとのことだった。
「
……
交戦中かな。それなら村長がいなくなれば、まあ近づけるとは思うんだけど」
「勝てるという読みなの?」
「まあ、なかみー陰陽師だし、場数異常に踏んでるし、ちょっとやそっとじゃ負けないよ。その心配は全然してないけど
……
」
問題があるとすれば、恭の方だ。
どういう手段で、相手が恭の感情を揺さぶってくるか分からない。今の恭はこの村に両足を突っ込んでしまっている。ほんの少し、上手に背中を押すだけで、そのバランスは容易に崩れてしまう。『黄昏の女王』がいなくとも陵が傍にいるのであれば、上手くフォローはしてくれるだろうが。
とにもかくにも、『領域』が緩まないことには近寄れない。村自体も『領域』ではあるので、織り交ぜられたものからそれを感知すべく、意識を集中させる。揺らぎがあれば、すぐに村長の家に向かえるように。
数分の後、ふと場の揺らぎを感じて律は『黄昏の女王』に視線を向けた。軽く頷いた彼女に手を掴まれ、瞬きの間に律は知らぬ家の中に立っていた。『黄昏の女王』が仲間で送り届けてくれたのだと合点する。そして目の前には、突然現れた律に驚いた表情をしている信司の姿。
瞬間、迷いなく信司に銃口を向け、魔術の構成を組み上げる。
「えええ待ってください待ってください何で!?」
「どうも。うちの相棒返していただいて」
「あっと
……
セイバーのことですよね
……
」
「二人は今どこ?」
「えっと、こちらの部屋に
……
」
恐る恐るといった様子で、信司は自身の隣の部屋の扉を指し示す。一瞬ちらりと視線を向けて、しかし銃口は信司に向けたまま下ろさない。
――
彼には、確認すべきことがある。
「何しようとした」
「
……
あのすいません、黙秘権あります
……
?」
「水かけて消してやろうか。端的に、きちんと答えて、『上里くん』」
言外に含みを持たせて。もう一度おろおろと視線を泳がせ、『信司』は降参を示すように両手を上げた。
「
……
ボスを、呼ぼうと
……
いやあの、ボスに呼べって言われてましてね
……
? 本当に俺は呼べって言われただけなんですけれども
……
」
「あ、そう。呼んだらどうなるか分かってて呼ぼうとしたってことだね」
「それはその」
「俺とやる気ってことだ」
「やりませんが!? 絶対やりませんよそんな敗北が見えてる勝負は!?」
慌ててぶんぶんと首を横に振る『信司』からは、確かに戦意は感じられない。
しかし現状、だからといって彼がボスを呼ばないという話ではない。そして今、彼のボスにこの場に来られてしまうのは非常に問題がある。
――
誰一人生きて帰さないと言われているも同義なので。
「オレは何もしないので、はい、お通りください」
「ボス来たら止めるって確約してもらうまで行けなくて困ってるんだよね」
「
……
それ、オレが確約できないって分かってて言ってますよね
……
?」
「確約しないなら撃つだけの話なんだけど」
「え、これ交渉じゃなくて脅迫なんですか?」
「どう取ってもらっても別に。で? どうする?」
「
……
あの本当に、確約はボスに怒られるので
……
、妥協案です、ボスがこの場に来ることのないよう距離を取ります、それでいかがでしょうか
……
」
――
つまり、ボスがこの場に現れるには何かしらの条件がある。そして『信司』の存在がこの場に必要だということになるのだろう。他に条件があるとしたら、それは恐らく恭と陵がいるという部屋の中だ。
頷いて、早く行けと銃で示す。げんなりとした表情で、『信司』はふらふらと家の外へと出ていった。その後ろ姿を見送ってから、律は部屋の扉を開き。
目に入ったのは、部屋中に散乱している大量の遺体。一件しただけで、両手の指では足りない数だということが分かる。
そして蹲って嘔吐している恭と、その背を擦りながら前を睨んでいる陵。視線の先には、骸骨。
――
ああ、恭に呪いをかけたあの男かとその気配で合点する。
即座に魔術を構築、恭の視界から遺体を消し去る。さすがにこの状況は、恭には耐えられない。声を掛ければ、何とか顔を上げた恭はひどい顔色をしている。
「茅嶋さん」
「無事入れてよかった。なかみーは大丈夫そうだね」
「ええ、お陰様で」
「うわ、面倒なの増えたな」
がしゃり。音を立てて、巨大な骨の手が迫る。即座に陵が『式神』を発動して防いだものの、その顔色は冴えない。
「
……
使い切った?」
「残念ながら」
「分かった。ありがとう、準備だけさせて」
手心を加えるつもりはない。そして早急に対処する必要がある。魔術で視界を隠したとはいえ、いつまでも恭をこの場に留めるわけにはいかない。
律が何をしようとしているのかは、恭はすぐ察知したのだろう。陵の手を借りてふらふらと立ち上がるのを見て、髑髏が笑う。耳障りだなと思いながらも、しかし準備は整った。
「
――
【世界に愛されし者、世界に嫌悪されし者、その献身を、その暴虐を、我に貸し与え給え。我望むは君臨せし者の力なりて、音奏でし者としてその資格を得んことを】」
『キレすぎ。落ち着けよ』
巧都の声と共に、いつも通りに代償を持っていかれる感覚。それがいつもほどつらく感じないのは、気が立っているからだろう。宙に浮かぶ鍵盤に指を乗せ。
――
直後、現れた巨大な骨の手が、恭の身体を薙いだ。まだ足元がふらついていた恭は、抵抗する間もなく吹き飛ばされ、部屋の壁に強かに体を打ち付ける。恐らく頭を強打してしまったのか、壁伝いにずるずると滑り落ちた恭は、そのまま動かなくなってしまった。
「柳川くん!?」
「部屋にアリスちゃんが入れた、大丈夫」
「
……
っ、今はこちらに集中、ですか」
恭に駆け寄ろうとした陵が踏み留まる。『黄昏の女王』が恭の名を呼ぶ声を聞きながら、律は指を動かした。ピアノの音と共に、骨に降り注いだのは炎の矢。燃えながら、わざとらしく骨は笑う。
「おいおい、セイバーの心配してやれよ?」
「後でね」
そうそう隙を見せるつもりはない。続けて奏でた音は、陵の鉄刀に雷を纏わせる。即座に動いた陵が斬りかかり、一瞬骨が砕けたがすぐに元に戻ってしまった。それに苛立ったのか、再度現れた巨大な骨の手は律の方へ。防御壁で軽減したものの、その指先は肩口を掠めていく。
痛みはあるが、対処は後だ。陵の一撃は確実に効いている。
――
ならば。
「追撃お願い」
「お任せを」
ちゃき、と陵が肩を構え直し。先程よりも強いピアノの音と共に、再度鉄刀に雷撃が乗る。確認することもなく、陵がその鉄刀を閃かせ
――
次の瞬間、骨がばらばらに砕け散った。
---
「
……
さすがに
……
疲れました
……
」
「ねー
……
お疲れ
……
」
――
その後。律は陵と共に、車まで戻ってきていた。気を失った恭は、『黄昏の女王』によって後部座席に寝かせられ、治療を受けている。身体よりも精神的なダメージが大きいので、戻り次第一旦神社で静養することになりそうだ。もっとも、それは巧都の力を借りるために代償を支払った律も同様だが。
骨は砕いたがしかし、すぐに形を取り戻していた。しかし全く引く気のない律と陵に、「やってられるか」と向こうの方が逃げ出してくれた格好だ。その後陵の案内で家の地下を確認し、上の部屋同様に遺体が残されているのを確認。その際に鉄塔近くから持ち去られたのであろう『人造怪異』の証拠を見つけ、陵と相談の結果、残りの処理は公安に任せる形となった。車に戻ってから連絡を取った公安は、既に村の中に入って処理を始めている。
律と陵が車に戻るべく下山したときには既に、村はがらんとしていて誰もいなかった。人の気配はなく、生き物の気配もない、廃墟の村。ただただ静かな、何もない場所。
遺体の件から察するに、村長は『殺す』ことで相手を取り込み、そして新たに自分の眷属のような形で生み出し、自分の手元に置いていたのだろう。主である村長が消えてしまえば、そんな形で生み出された村人たちは当然消えてしまう。ここの村人になってしまったが最後、生きて帰るすべはなかったということだ。ルキが助かったのは、本当に運が良かったと言うべきだろう。
「
……
まあこれでルキくんも恭くんも縁は切れたし」
「そうですね
……
こんなに苦労することになるとは
……
」
「まああれだけ犠牲になってるくらいだしね。妙な横槍も入ったせいで
……
いやあの横槍洒落にならなかったな
……
」
「二度と会いたくないです」
「俺は一生会いたくないです」
会わずに済むのであれば、それが一番いい。対応しなければならなくなったときのことなど考えたくもない。どうにか条件を満たさないよう、大人しくさせておくしかないだろう。
深い溜め息。疲労と共に襲ってくる睡魔を振り払い、律は座席に腰掛け直した。
「じゃあなかみー、疲れてるとこ悪いけど運転してもらって」
「茅嶋さん今からでも免許取ってください」
「嫌ですが
……
?」
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