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いまち
2025-09-27 15:10:10
18320文字
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妬め! 転生スカリーくん! ~その伴侶は解釈違いです!!~
ぶっちゃけスカセベのつもりで書いてる
何度目かも分からない転生の後、ついにこの時代に追い付きました。かつての生で見た夢、忘れ得ぬ雷鳴の君と同じ時を生きられるこの時代。
そうと知ったのはたまたま目にしたテレビ速報で、知る名が放映されたためでございました。
あぁ、あぁ、彼が学生としているのであれば、貴方はその側に控えているはず。それから彼の元へ向かえたのは
……
七年も経った後でした。えぇ、えぇ、吾輩とておいそれと身動きが出来ぬ立場でありまして。えぇ、えぇ、本当はそのニュースが流れた瞬間に向かいたかったのですが、現代はなかなかどうして自由にさせてもらえませんで。ですが、彼のことを考えなかった日は一日たりともございませんでした。
そうして迎えた七年目、吾輩はようやく茨の谷に足を運ぶことと相成りました。新たな生を迎えるたび足を踏み入れたこの地はもう見知ったものにございます。えぇ、えぇ、彼の御祖父様も、お母さまもよぅく存じ上げております。
いつかの生で彼と勘違いして声をかけた際は巨大な斧を突き付けられましたが、それも今となってはいい思い出です。彼の美しさの源流、ジグボルト氏の邸宅より少々歩いた先、可愛らしい鰐のイラストを添えた「ジグボルト歯科医院」の看板、雷鳴の君のご実家はここなのでしょう。
あぁ、あぁ、ようやくまみえることができると思えば気も急いてしまうというもの。けれど、がっついてはなりません。心を落ち着け、呼吸を整え、準備が整ったところでその戸を開きました。
清潔な消毒液の匂いのするそこは実によくある歯科医院の様相にございます。待合室には数人の妖精が眠たそうな顔をしておりました。吾輩が立ち入り、ドアベルが鳴ると、賑やかな足音が近付いて参りました。雷鳴の君にしては軽い足音でございます。
「はぁい、お待ちどうさま」
「あ
――
」
受付から顔を覗かせたのは私のよく知る俤を携えた美しい女性でした。形良い輪郭が鱗で覆われている姿から察するに彼の君のお母さまなのでしょう。彼女は吾輩を見ると鋭い目を丸くなさいました。きっと、人間である吾輩を珍しく思ったのでしょう。
「お仕事中恐れ入ります、ご婦人。吾輩はスカリー・J・グレイブスと申します。こちらはセベク・ジグボルト様のご自宅でいらっしゃいましたでしょうか」
名乗ると、お母さまはやわらかく破顔しました。吾輩を彼の友人と思ったのでしょう。えぇ、えぇ、そうなのです。吾輩はご子息の親友でありますからして。返事を待つうち、お母さまは笑顔のままお教えくださいました。
彼の君は半年ほど前に妻を迎え家を出てしまった、と。
なんだそれは、聞いてないぞ。
幸いなことに、吾輩がその事実を知らぬのをお母さまは疑問に持つ様子もありませんでした。そして、彼が今住む家を教えて頂きました。
実を申しますと、我輩、少々気が沈んでしまいました。気高い君が色恋に溺れるなぞあっていいのでしょうか? いいえ、なりません。しかし、彼の君は美しく聡明でかつ精悍な方にございます。世の女性が放っておくいわれはございません。
そうは思えども、彼の心はひとり決めた主のものではございませぬか? 夜を統べる美しき竜、彼が主とし、崇拝し、心を砕くのはそのお一人だったはず。とてもじゃありませぬがその主より優先する者がある、というのは吾輩の彼に対する解釈に引っ掛かりを覚えてしまいます。
しかし、今は引っ掛かりを覚えるいとまはございません。一刻でも早く彼にお会いしたい。もつれそうになる足でもって、お母さまより教わった彼の住む家へと向かいました。気は急きますが身体がついてゆきません。この手土産のせいでございましょうか。置いて行けばもう少し早く向かえたでしょうか? 思えども置いてゆけませんので、己の足の遅さをもどかしく思いつつ街路を進みました。
*
教わりました魔法屋、なる店へ向かうとずい分と立地のいい店舗でした。真昼間ではありながらひっきりなしに夜の眷属である妖精たちが出入りする様子を拝見するに、よほど繁盛しておられるのでしょう。この状態では買い物客でもないのに店舗へ踏み入ればお邪魔になってしまいそうです。ですので、周囲の散策をし、閉店を待つことにいたしました。手土産は少々重たいですが、もうすぐ彼の君に逢えることを思えば重さなぞ感じません。
そうして、待つうちに日が暮れる頃合いに店舗から灯りが消えました。代わりに二階建ての上階に灯りが点ります。ようやく、逢いに行けそうです。
あぁ、あぁ、雷鳴の君、やっと貴方にまみえると思えば年甲斐もなく心が踊ってしまいます。浮かれるまま、我輩は家屋側であろうドアをそっと叩きました。
「はぁい」
ややあって、女性らしい声が返ってきます。彼の奥方でしょうか? きっと彼の君にふさわしい、彼のお母さまのような美しく気高さを纏った女性なのでしょう。少々妬けはいたしますが、彼が選んだ女性に我輩がけちをつけられるわけがございません。聡明な彼のこと、間違った女性を娶るとは到底、考えられることではございません。
待つうち、ドアが開かれました。家内より流れてくる暖かい空気が我輩の冷えた身体を柔らかく包みます。
「えっと、どちら様ですか?」
ドアより姿を表したのは、我輩より頭ふたつ、もしくはそれより背の低い小柄な女性でした。桂皮色の柔らかそうな髪をひとつに結い、丸みのある頬の横から垂らしております。我輩を見上げる瞳は今の花畑を彩る三色菫の色を纏い、丸い光を宿しております。意外なことに人間なのでしょう。幼気な雰囲気からするに彼らのご息女でしょうか。彼の鋭さを感じられないあたり、温かさの方を継いだのでしょう。愛情の深そうな面立ちをしておられます。
「初めまして、素敵なお嬢さん。我輩はスカリー・J・グレイブスと申します。こちら、セベク・ジグボルトさんのご自宅でしたでしょうか?」
我輩の容姿はどうも子供受けはいたしません。この愛らしいお嬢さんを怖がらせるわけにはまいりませぬゆえ、膝を付き、彼女にご挨拶をいたします。
「スカリーさん? えっと、セベクくんのお友だちですか?」
彼女はきょとんと眼を丸くしました。はて? 娘、なるものは父親をくん付けで呼ぶものなのでしょうか? いえ、滅多にあることではございません。彼は厳しい御方です。我が子にそんな口をきかせるわけがございません。そもそも今のセベクさんは23・4歳のはず。考えてみればかように大きな子供がいるはずがございません。
なら? 気付き、我輩は考えを改めます。
「左様。ずい分と前にご主人には大変お世話になりました。えぇ、えぇ、それは感謝しきれないほどのものを頂戴いたしました」
であれば、この愛くるしいひとは彼の奥方その人なのでしょう。そうは思えど咄嗟にしっくりこないものと感じてしまいました。
「はぁ
……
?」
「
……
貴女はセベクさんの奥方でいらっしゃる?」
「あ、はい。初めまして、ティナ・キースリンクです」
奥方ははにかみながら我輩に笑いかけてきました。
甘ったるい笑みを浮かべるこの者が、あの美しい方が伴侶として選んだ人間。そう思うと不躾ではありますが、その姿をよくよく凝視してしまいました。
幼気な顔立ちながら、豊かな睫毛に縁取られた大きな瞳は意思の強さを感じさせます。ふっくらと丸みを帯びた肢体は女性らしい美しさをこれでもかと見せつけてきます。豊かな曲線が描く身体は嫋やかで、全てを抱き込む母性をも感じさせます。あどけない顔立ちに対し、身体は成熟した女性のもの。どうにもちぐはぐに感じますが美しいひとはこれをよしとされたのでしょうか。
えぇ、えぇ、我輩とて男です。若かりし雄として欲に振り回された経験は転しょうを繰り返す度にしましてございます。美しき雷鳴の君もひとりの雄ということでありましょう。鮮やかな色を纏い、麗しき肉体美を誇る女性に惹かれたとあらば健全な証にございます。
えぇ、えぇ、幾度生を重ねても、どんな環境で育とうとも褪せた色の、貧相極まる痩躯にしかならぬ我輩には何生かけてもこの奥方のような華やかさを身に纏う日なぞ来やしないでしょう。
我輩の持ち得ぬ色を選んだ彼に少しばかり煤けた気持ちを抱いてしまいましたが、今は奥方に悪感情を抱いている場合ではありません。気を沈め、改めて奥方を拝見いたします。
美しき雷鳴の君、その伴侶にふさわしいのはこういった少女なのやもしれません。
彼の柔らか色味を引き立てる色濃い鮮やかな色彩を持ち、彫刻さながらの肉体美とは真逆のまろやかな美しさを持ち、厳しくも熱い彼の愛をそっと受け止めきれる包容力を持つ、そんなひとでなければいけないのでしょう。えぇ、えぇ、解りますとも。一見不均衡でありましょうが、それがかえって収まりの良いもの。男と女のあるべき姿にございましょうとも。
分かります。よくよく分かりますとも。飲み込み、理解しよういたしました。ですが、吾輩はどうしても受け入れたく存じます。とはいえ、出会ったばかりの人間にそんな腹の裡を匂わせてはなりません。平静を保ちながら、今一度奥方にゆっくりこうべを垂れてみせます。
「お噂はかねがね伺っております。素敵な奥方、この良き出会いにキスをお贈りしても?」
「ぴっ!? えと、あの、私その、セベクくんの奥さんなので!」
「存じております」
「あの、そういうのは旦那さん以外の方とは、その、困るので!」
「
……
左様でございましたか。これは、とんだご無礼を」
「うー
……
」
奥方は頬をうす紅く染め、小さく呻きながら俯いてしまいました。その姿にまた、我輩は落胆を覚えてしまいました。
慌てふためく様子は婚姻を結べる歳の者にしては落ち着きを感じられませぬ。言葉の拙さも併せて考えれば、お顔の通りずい分と若い方なのやもしれませぬ。
しかし彼がそんな幼子を選ぶとは考えにくく存じます。であれば、彼はこの幼子に謀れて娶られたのでしょうか? いえ、彼がそんな盆暗なはずがございません。きっと某かの理由があるのでしょう。
ともあれ、友人として、この奥方とも友好的な関係を築かねばなりません。なんせ、私と彼は深い深い友情で結ばれておりますゆえ。心より慕っております彼の嗜好も受け入れる所存でございます。
などと吾輩ひとり決意を固めておりますと、奥方は真っ直ぐこちらを見上げておりました。そこには先までの揺蕩う様子は微塵も感じられません。
「えと、セベクくんのお友達なんですよね? 上がってください。お待たせしますけど、しばらくしたら帰ってくるので」
「
……
えぇ、お邪魔させていただきます」
「どうぞ」
ふわり、と笑みながら奥方はためらいなく我輩を家に招き入れてくださいました。夫の友人を名乗るからとて、得体の知れぬ男を招き入れるなぞ、なんて無防備なのでしょう。それとも、異性を招き入れるのに慣れてらっしゃるのでしょうか? いや、あの方に限ってそんなふしだらな者と生涯を共にしようと考えるはずがございません。えぇ、えぇ、あってはなりませんとも。
吾輩としたことが、思わず悪しように考えてしまいました。落ち着き、吾輩に無防備な背を向ける奥方を見てみましょう。
柔らかなブラウスは肩口を大きく開けており、彼女の腰の細さを強調するようなスカートの裾はブラウス同様ふんわり膨らんでおります。釣りスカートなのでしょう、豊かな胸を沿うように腰から伸びた一対のリボンが彼女のうなじで括られております。腰にはエプロンと小物入れを下げておりまして、愛らしいと言えなくもない服装をしております。ですが正直、酒場の女中のような俗っぽさを感じてしまいました。赤の他人であればどうとも思わぬ恰好でありますが、彼の妻と思うと首を捻らざるを得ません。
彼には典雅で奥ゆかしい、そんな女性が似つかわしく存じます。どこの誰とも知れぬ相手に肌を晒し、身体を見せびらかすような者では大いに不釣り合いではございませんでしょうか? 端的に申し上げれば、吾輩はこの女性に対し大いに不満を覚えてしまったのです。ただ、ふしだらな恰好ながら最低限の節度はお持ちであろうところは不幸中の幸いではございます。
不満を抱くうち、奥方は吾輩を居間に通しソファに掛けさせました。それから甘い香りのするお茶を出してくださいました。
「お茶をどうぞ。もう三十分くらいしたらセベクくんも帰ってくるので。
……
お待たせしちゃってすみません」
「いえいえ、急に押し掛けたのは我輩ですので。こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
「
……
えへへ。私はキッチンにいますので、何かあったらお声がけください」
「えぇ、承知いたしました」
にっこり笑んで、奥方は居間から出てゆきました。ほどなくして料理をしているのであろう音が響いてまいります。
彼がこの家に帰るまで我輩がすることといえば、彼と交わす言葉について考えるだけ。彼へと用意した手土産を抱きかかえ、居間を見回しながら考えました。 奥方が縫ったのでしょうか、暖炉の上には愛らしいリスのぬいぐるみが飾られています。端切れを縫い合わせたもののようで色柄が実に華やかでございます。輝石の国の農村地帯で似たような物を見た覚えがありますが、奥方はあの辺りの出身なのでしょうか?
であれば、彼があの奥方を娶った理由にも合点がいきます。あの郷は大勢の親族が身を寄せ合う地域柄、一度の食卓に上る料理の量はそれはそれは大それたものにございます。祝いの席とあらばテーブルに乗りきらぬほどの大きさと量の食事を用意するのです。そのような郷から出てきた女性であれば健啖家である彼を満足させられるのかもしれません。俗に言う「胃袋を捕まれ」てしまったのでしょうか。
「
……
だったらいいんだけどな」
実のところ彼と奥方がどのような経緯を経て結ばれたのか吾輩に知る由はございません。ただ、吾輩が永く仰望しております彼の君と契りを結んだ細君が、眼下へ蔑まれるような者であってほしくないと思うのです。
彼女は彼に相応しい者なのでしょうか? 見た目は少々
……
でございますが、本質はいかなるものでしょう。見極めるためにも、しかと会話をせねばなりません。かつて吾輩と彼がそうしたように言葉を交わし、お互いの胸のうちを知るべきではございませんでしょうか。ただ外側を眺めただけで似つかわしくないと嘆くより、そうすべきだと彼なら仰るはずです。
「
……
」
手土産の包みを握り締め、吾輩は芳しい香りの漂う台所へ向かいました。
**
奥方は料理に勤しんでいるようでした。魚の下ごしらえをしておられ、大きな鍋では何かが煮え、調理卓の隅でパンらしき生地が身を膨らませております。奥方は幼気な容姿にそぐわず料理達者なようです。これにはひと安心いたしました。彼の君の美しい身体、それを支えるのが粗末な食事であってはなりませんので。
集中してらっしゃるのでしょう、奥方は吾輩がやってきたことにはお気付きになられていないようです。この鈍さは、どうでしょうか。この鈍重さでは貴き方の護衛を務める君にはふさわしくないのでは? そう感じてしまいます。
いや、まずは言葉を交わすことが肝要にございます。彼女は素敵な彼にふさわしい、まこと素敵な女性であらねばなりません。知るためそうっとその背に近寄ります。
彼女は魚の身を濯いでおりました。水にさらされ血に染まるうす赤い身がみるみる清められております。刃物を使っているのでなければ問題ないでしょう。吾輩は奥方の真後ろに立ち、彼女の身体を挟み込むよう流し台の縁に手をかけ、真上からその顔を覗き込みました。
「どうも、奥方」
「ぴゃいっ!?」
「おっと」
吾輩の声掛けに奥方は鳥のような悲鳴を上げ、文字通り飛び上がりました。これでは無防備な児に他なりません。やはり、ふさわしくないのでは? 咄嗟に湧き出た気持ちを押し込み、奥方の様子を伺います。
吾輩に両脇を阻まれたからか、奥方は身動きが取れないようでした。ひっきりなしに首を回し、辺りを伺っているようです。
「え? スカリーさん? どうしたんですか?」
「奥方は、ハロウィーンをご存知ですか?」
「へ? ハロウィーン? ですか?」
奥方は吾輩の顔を見ようとしていらっしゃるのでしょう。めいっぱい首を持ち上げております。後ろ頭が吾輩の胸に当たりました。
気にせず、調理台に目を向けます。パンを作ったであろう小麦粉に卵にミルク、それと製菓材料とおぼしき食材が氷塊に冷やされながら出番を待っているようでした。食後の甘味も用意されるのでしょうか。たいへんマメな方のようです。
そんな奥方は狼狽えた様子でせわしなくかぶりを振りました。跳ねた前髪が吾輩の顎をくすぐります。
「えと、あの、ちょっと離れてもらっていいですか? その、お話し辛いので」
「ねぇ、奥方」
「へ!?」
あぁ、あぁ、なんてぴょこぴょこと忙しない子供だ。やはり、こんな子供なんてあの方には不相応です。この姦しさに鈍さ、言葉を交わすまでもありません。
そうと気付いてしまえば、この子を初め見た時から吾輩のうちで薄らとございましたもやの正体も分かるというもの。
――
気に食わない。
そう、この子供を一目見た時からそう思っていた。弱く鈍く甘ったれた媚を売るしかできない子供。あぁ、あぁ、まったくもって彼に相応しくない。
えぇ、えぇ、ですが彼はたいへんに懐の深い方。きっと、あまりに無力なこの子供を憐れんで拾ってしまわれたのでしょう。えぇ、えぇ、そうに決まってます。決まっておりますとも。
彼女を知ろうとする心はなりをひそめ、悪しように考えようとする気持ちがそれに勝ってしまいました。流し台を掴む手に思わず力が篭ります。そのままもう一度問いました。
「ハロウィーンは、ご存知でおられますか?」
***
甘い香りが漂う中、玄関より重たい足音が響いて参ります。きっと、彼が帰って来られたのでしょう。
ついに、ついに永年の夢でございました彼との邂逅が叶うのです。我輩の身形は整っておりますでしょうか? 彼にまみえるに相応しい格好でありますでしょうか? 痛む腕は少々不自由にございますが、見苦しい様をお見せするわけにはまいりません。
足音が近付く毎に鼓動が我輩の薄い胸を裂いてしまいそう。呼吸が早まるのを感じます。頬に熱が籠ります。だって、だって、ずうっと焦がれておりましたゆえ。気が遠くなるほどの生を重ね続けたのも、ひとえにこの日を迎えるため。ゆっくり近付く足音は途中で止まってしまいました。恐らくは台所を覗いているのでしょう。焦らされた気がしてしまいます。けれど同時に昂った気も鎮まりました。呼吸を整え、彼を迎えるべく居ずまいを正します。
時間にすればほんの数秒でしょうが、我輩にはひどく長く感じました。やがて彼がドアを開け、その姿を現しました。あぁ、あぁ、幾度となく夢に見、いくつもの生を重ねても我輩のうちから消えることない面差しがそこにございました。春の若草を思わせる淡い色、けれども稲妻の如く鮮烈な形で以て彼はそこにおりました。あの頃より7つの歳を重ねているためでしょう。記憶の彼よりずっと大人びて精悍でありました。
「
……
誰だ?」
彼は我輩を見留めると、突き刺すような眼差しを向けられました。そんな気はいたしましたが、事実そうとなれば侘しさを覚えてしまいます。きっと、彼は我輩のことを覚えておられないのでしょう。バターの香しい匂いが漂う中、我輩は少しだけ、ほんの少しだけ落ち込みました。
ええ、えぇ、覚悟はしておりました。いや、ですが、と思い直します。それはそれでおつなもの。初めましてからでもまた縁を持てますでしょう。なんせ、我輩と彼
――
セベクさんは特別な仲にございますゆえ。
「こんばんは、セベクさん。この素敵な出会いにキスを」
「なッ!?」
あの時と同じく、あの頃より筋ばった手の甲にキスを贈れば、彼もまたあの頃と同じように目を見開かれました。あぁ、あぁ、姿かたちは変われど貴方様は変わらない。それがいたく嬉しく存じます。
セベクさんは我輩の手から自身のそれを勢いよく引き抜くと鋭い目でもって我輩を睨めつけました。
「貴様! あれほど許可なく接吻をするなとッ
……
!
……
?」
彼は自身の口から出た言葉に困惑しているようでした。我輩なぞまる呑みできそうな口を噤み、じぃっと我輩を見つめております。そこには先のような警戒する色は薄れておりまして、惑いの色が濃くございます。
これは、もしかするともしかするのやもしれませぬ。固く握った拳は置き所をなくしたようで、セベクさんは眉間に皺を寄せ、物思いに耽っているようにございます。ならば、ここで背を押してやるのも友の務めでしょう。敬愛するジャックさまに倣い胸に手を置き、名乗る事といたしました。
「我輩はスカリー・J・グレイブスと申します」
「は?」
「お久しゅうございます、セベクさん」
「な
……
いやまさか」
「おそらく、その『まさか』かと存じます」
セベクさんは驚いたように目を見開きながらも、我輩の頭の先からつまの先までじぃっと見つめておいででした。そんなに熱く見詰められれば我輩少々恥ずかしく思えてしまいます。
セベクさんはよほど思考を練ってらしているのか、くるりくるりと表情を変えると最後に眉尻をすとんと落とされました。愛らしい仔犬のような表情に口許が弛んでしまいそうです。
「スカリー、なのか?」
「えぇ、えぇ、その通りにございます。セベクさん」
煮詰まってきたのでしょう、スープの香りが我輩たちの間を通りすぎると、セベクさんはゴーストでも見るような目を我輩に向けました。そう思われても仕方のないことかもしれません。なんせ、この時代のセベクさんが知る我輩は故人でありますゆえ。
「失礼、少々お暇を」
「は?」
立ち尽くすセベクさんの横を抜け台所へお邪魔します。竈の火を落とし、現代では馴染みのない石造りのオーブンからタルトを取り上げました。ひと様のお宅で火事を起こすわけにはまいりませぬし、彼の舌に美味しくないものを触れさすわけにはいきません。
そうして相変わらず棒立ちの彼の元へ戻り、ソファセットに並
――
びたく存じましたがセベクさんが拒否されたために向かい合いに掛け、積もる話をいたしました。セベクさんのこと、我輩のこと、どうしてここにいるのか、あの輝かしい4日間のこと
――
えぇ、えぇ、会話の種はいくらでもございました。話すうち、セベクさんの気も和らいだようで、吾輩に向け友人のように笑んでくださいました。
あぁ、あぁ、よかったよかった。やはりセベクさんと我輩は特別な縁で結ばれていたのでしょう。話も盛り上がったところで台所からパンプキンタルトとポタージュスープを拝借してセベクさんにお出ししました。話すうちに時おり彼のお腹がきゅうと可愛らしく鳴いてしまうものですから。
セベクさんは少々のためらいの後それらを口にしました。食事の前に甘いものなど、とぽつりと呟きはしましたが空腹には抗えないようでした。ひとつ口にすればそれはそれは美味しそうにスプーンを進めて、気持ちのいい食べっぷりを見せてくださいました。
そうでしょう。なんせ、このタルトとスープには特別なカボチャを使用しましたので。喜んでいただけて吾輩、とても嬉しぅございます。
「ねぇ、セベクさん」
「む?」
よほど口に合うのでしょう。ふた切れめのタルトに手を伸ばすセベクさんに声をかけました。だって、ねぇ? これほど美味しそうに食されるのであれば、感想を聞かねばならないでしょう。なので、年甲斐もなくはしゃぎそうになるのを堪えながらセベクさんを見つめました。
「どうですか?
……
奥方のお味は」
「
……
?
……
は?」
聞くと、セベクさんはタルトを頬張りながら呆けたように吾輩を見上げました。ですが次の瞬間、顔を青ざめさせ部屋を駆け出します。雷光の名を冠すだけあり、素晴らしい瞬発力にございます。
「おや」
なぜそこで顔色を変えてしまわれるのでしょう。あまりに心配で吾輩もその後を追いました。
セベクさんはすぐ見つかりました。台所で口を押さえながら血の気の薄れた顔で調理台を見下ろしています。そこには真っ二つに割ったカボチャと鉈
――
吾輩の手土産ですね。それと奥方が支度途中の料理しかございません。
えぇ、とても立派なカボチャです。大きさはそうでもありませんが実がたっぷり詰まり、よく育っているようで身は赤々として栄養がたっぷり含まれておりそうで、セベクさんの血肉に変わるにふさわしいものにございます。その分割るのに大変苦心いたしましたが、鉈
……
もちろん、このために新品を購入し、丹念に洗っておりますそれを叩きつければ吾輩の細腕でもどうにか割るに至りました。えぇ、えぇ、彼の胃を満たすための労を惜しむつもりはございませんが、この強情さは少々憎らしく思えてしまいました。腕は痛めてしまいましたが、割ってしまったので吾輩の勝ち、にございます。
先ほどセベクさんにお出ししたのはこのカボチャで作ったポタージュとタルト。ちょうど製菓材料がありましたので使わせていただきました。にっくき皮は後でまとめて砂糖で炒ろうと思います。粗末にしてはバチが当たるというもの。この甘美なカボチャはセベクさんに重々味わっていただきたいものですので。
「どうされました、セベクさん」
「
……
」
声をかけるとセベクさんはカボチャを見下ろしたまま調理台の縁を握り締めています。よほど強く握っているのか、形よく整えられた爪も関節も真白く浮いております。そんな力を込めては調理台が折れてしまいそう。そうなれば、あの奥方が困ってしまわれるのでは? そんな様子が目に浮かんでしまいます。えぇ、えぇ、あの奥方の困惑したおもてはよぅく存じておりますので。
どれほどそうされたのでしょう、セベクさんは薄ら涙を浮かべながら口を開きました。
「あれは、どこにいる」
「あれ、とは?」
「とぼける気か」
「『あれ』が何を指しておりますのか、吾輩には分かりかねます」
彼から発せられた唸り声はまるで地響きのよう。臓腑が揺さぶられ怖気に似たものが全身を駆け抜けます。いつだって明朗なセベクさんでもこんな声を上げることがあるのだと、新たな一面を知れてまた嬉しく存じます。
「それよりも。ねぇ、セベクさん」
セベクさんが何をお探しなのかは存じません。友として力になるべきところにございましょうが、それよりも吾輩が聞かねばならぬのはこちらです。
「奥方のお味は、いかがでしたか?」
我輩の用意した特別なカボチャ。皮は固くありましたが、赤々とした実がみっちり詰まっており、非常に甘い物だったと存じます。
彼が愛して縁を結んだ奥方は甘い笑顔に小柄ながら豊満な肉体を持っております。こうしてなりを並べてみるとカボチャと似通っているものだから、実に面白く思えてしまいます。
そんな奥方が成した味とくれば、セベクさんのお口に合わないはずがございません。真っ直ぐ問うてみれば、セベクさんはさらに顔を青ざめさせ、口を押さえながら大きく身体をびくつかせました。
はて、彼に食べられない食材でもありましたでしょうか? いえ、あったとしてもセベクさんが食したものは我輩が用意したカボチャ以外、すべてこの家にあったものです。果たしてあの奥方が夫が食せぬものを家に置きますでしょうか? いえ、あってはなりませぬ。ならばセベクさんの不調の理由はなんなのでしょう。
「
……
ふ、ぐぅッ!!」
よほど苦しんだのでしょう、えずいたものを飲み込んだセベクさんは涙を浮かべると、充血した瞳でもって我輩を睨めつけました。あまりに熱烈な色を向けられたものですから我輩、少々ドキッとしてしまいました。いえ、もしかしたら危機を覚えたゆえに命を繋ごうとする働きやもしれません。端的に申しませば興奮してしまいました。我ながらはしたなさに頬が熱くなるのを感じると同時に背中に衝撃が走ります。
眼前には怒りを隠さぬセベクさんの相貌、背中には壁。どうやら我輩はセベクさんの手により壁に押し付けられてしまったようです。
あぁ、あぁ、なんという力強さ。なんという逞しさ。同性ながらに惚れ惚れしてしまいます。セベクさんは男して、雄としてこの腕であの奥方を抱くのでしょうと思えば妬けてしまいます。セベクさんは清廉潔白な方、情に溺れるなぞ解釈違いも甚だしくございますが、そんな様もきっと美しくあるのでしょう。それを一人占めしてきた奥方には嫉妬の念に堪えません。
あぁ、あぁ、本当にあの奥方は憎い。女というだけでこの方の全てを受け止められるのですから。
「スカリー・J・グレイブス」
「あぁ、ようやく我輩の名を
――
」
「もう一度聞こう。あれは、僕の妻はどこにいる?」
「存じ上げません。セベクさんならご存知なのでは?」
セベクさんに押さえ付けられ首が締まっているからか、はたまた慣れぬ作業で痛めてしまったからか腕が思うように上がりません。それでもどうにかその方を指しました。セベクさんは我輩の指の先を辿り、ご自身の腹部に目を落とすと鋭く息を飲んだようです。そして我輩の視界は大きく回りました。セベクさんの手により床に組み伏せられたのだと遅れて気付くと、眼前にはそれはそれは恐ろしい面立ちの彼が我輩を見下ろしておりました。捕食者に捕らわれた獣はかような心持ちになるのかもしれません。存外悪くないと思ってしまいました。
はて、さて。
セベクさんは何をお怒りになられているのでしょう? 我輩が問いに答えられなかったからにでございましょうか? 我輩だって慕っております彼の力になろうとする思いは重々ございます。けれど、分からぬものは答えようがございません。それでこうも当たられてしまえば少々不服というもの。いやしかしと考えます。あの奥方はかように当たられたことなぞないのでは? 彼は言動こそ粗野ともとれるきらいはございますがその実は繊細な方。か弱き女子供をはじめ、ひと様に手を上げる方ではございません。とあらば、この暴力とも取れる振る舞いを受けることができるのは、ごく限られた者のみのはずです。
気付いてしまえば我輩の心も高まるというもの。若い月のような鋭い瞳を見上げながら彼の放った言の葉の意味を考えました。けれど、あぁ、いけません。考えねばならぬのに、我輩ときたら初めてまみえます彼の表情から目が離せないのです。鋭い美しさを湛えたかんばせはよく整えられた彫刻のよう、その上に纏う表情は荒々しい獣のようで、その不均衡さがたいへん唆ってしまいます。
「ンっ
……
ふふ
……
」
「なにがおかしい!! 僕の質問に答えろ、スカリー・J・グレイブス!!!!!」
「いえ、だって
――
」
――
貴方があまりにも眩いものですから。
目まぐるしく変わる表情から目を逸らせません。それほどに貴方は鮮烈なのですから。けれど、正直に言ってしまっていいのでしょうか? この状況にそぐわぬ発言になりませんでしょうか? それでセベクさんは気を損ねてしまうやもしれません。吾輩としてはかように不快感を露わにされるのは本意ではございません。かといって、彼の機嫌をとるため欺くなどもってのほか。
けれど、ねぇ。こうも慌てふためき吾輩に強く当たるセベクさんは実にかわいらしく思えてしまうのです。どうしたものか逡巡いたしまして、もう少しばかりこのこのままでいようと考えました。少々息苦しくはありますが、彼からもたらされるものと思えば不思議と心地よく思えるので。
****
さてどうしたものか。考えているとひとつ物音がいたしました。ドアを開け閉めする音、ついで、パタパタと忙しない足音がこちらに近寄ってまいりました。物音はセベクさんの耳にも届いたのでしょう、吾輩を抑えつける手が緩み、首を捻って台所の入り口を見やっております。
少々呆けたお顔をされておりますが、それもまたあどけなさが覗いて愛らしく思えてしまいます。
どうやら、この時間もこれまでのようです。
「
……
セベクくん? と、スカリーさん?」
台所の入り口から目を丸くし此方を見下ろしているのは、柔らかなストールを羽織り、大きなカゴを背負った奥方でした。
「あぁ、奥方。お帰りなさいませ」
「ただいまです。すみません、お留守番をお願いしちゃって」
「いえいえ、なんでもお申しつけくださいませ」
「えへへ
……
ところで」
あどけない少女のようにはにかんでいた奥方ですが、ふいにその目が鋭く細められました。その鋭さときたら、以前観光地で吾輩のランチを掻っ攫っていった猛禽類によく似ておられます。
愛らしいばかりと思っておりましたが、なかなかどうして女性というものは爪を隠すもののようです。奥方は組み伏せられている吾輩を見るとそのまま唖然とするセベクさんに目を移しました。
「セベクくん。浮気?」
「断じて違うッ!!!!!」
「おっと」
床が小刻みに揺れました。セベクさんの大声と、彼が勢いよく吾輩の上から退いたためでしょう。セベクさんの手が離れ、ようやく吾輩も身動きがとれるようになりました。
吾輩といたしましてはここで間違いのひとつを犯すのもやぶさかではありませんが、彼を不義の者にするのには抵抗がございます。気高き雷鳴の君が二心を持つなぞあってはなりませぬゆえ。
自由の身になったところで吾輩も起き上がり、お二方を眺めます。必死の形相で弁明しているセベクさんと、彼をじっとりした目で見上げている奥方。こうして並んでいると親子のような体格差ではありますが、なかなかどうして似合うように存じます。真反対だからこそ、男女は噛み合うものでございますから。
あぁ、彼は愛する者へはあのような表情をされるのですね。焦ったふうに奥方となにやら話し込むセベクさんを眺めていると、彼は徐に吾輩へ顔を向けました。
「おい、スカリー! どういうことだ!!」
「何が、でございましょうか?」
突然呼ばれ吾輩つい首を傾げてしまいました。当惑しきった様子のセベクさんと唇を尖らせる奥方に見つめられ、仲の良さを見せつけられた気になり、少々こそばゆく感じてしまいます。それはともかくとして先ほどからセベクさんの仰る意味が分かりません。
なにかと思っておりますと、セベクさんはぎりりと歯を食いしばり、かばうように奥方を抱きながら吾輩を睨めつけました。抱かれた奥方は驚いたようにいたいけな目を見開き、ついでうっとりと細めました。こうも見せつけられては吾輩も気分はよくありません。いえまぁ、彼が吾輩の思う通り情の深い御方だと知れたのは収穫ではございますが。
「こいつが、僕の腹にいるなど
……
よくも騙してくれたな!!」
「うえっ!?」
「えっ」
吾輩、そんなことは一言も申しておりません。セベクさんの仰る意味がいっそう分からず困惑してしまいました。奥方も同じく思ってらっしゃるのでしょう、先の陶然とした様子から一転し、目を丸くしながら吾輩とセベクさんとを交互に見ております。
いえしかし、困惑している場合ではございません。セベクさんの言わんとする意味を汲み取らねば。奥方が彼の腹になど、なにをどうしたらかような発想になるのでしょうか。
まったくもって分かりませんゆえ、我輩がここにきてから起きたこと、行ったことを振り返ります。
まずは奥方にハロウィーンをご存知か伺いました。ハロウィーンは素敵な行事、奥方がご存知であれば会話のとっかかりになると思ったのです。幸い、奥方は話の分かる方でした。
ハロウィーンの話より言葉を重ねるうち、彼女もまたセベクさんへの深い愛情と理解をもつ方だと知ることができました。きちんと言葉を交わし相互に理解を得られ、嬉しくなったところで持ってきた手土産
……
茨の谷へ向かう道中で開かれておりました物産展で購入した、見るも美事なカボチャをお渡ししました。
奥方は料理が好きだそうで、我輩の手土産をたいそう気に入っていただけたようです。楽しそうに笑みながら早速調理しようと包丁を取り上げましたが、先も申し上げた通り、このカボチャは非常に強情な固さを帯びております。奥方が調理されるとあらば、セベクさんの口に入るものにございます。下手な処理をされてはかなわぬので奥方にはカボチャ料理の下準備をしていただき、我輩はこのカボチャを解体しようと鉈を取り出しました。
我輩とて男です、カボチャを割るなぞ造作もない
……
そう思っておりました。ですが我輩、ジャック・オー・ランタンを作るのは慣れたものですが、調理となると完成品の知識のみで少々知識と経験が足りません。そのため、カボチャをどうにか真っ二つにしたところでしこたま腕を傷めてしまったのです。思わず呻き声を上げてしまった我輩を奥方はたいそう心配してくださいました。そして、すぐさま傷めた腕に奥方が作られたという貼り薬を使っていただきました。
それから我輩に安静にするよう言いつけると、奥方はにっくきカボチャをサクサク捌き、スープとタルトを作ってくださり、それぞれを火にかけました。そして、人数が増えた分の料理の材料を調達すると吾輩にささやかな台所仕事と留守の番を委ねまして出かけてしまわれました。
腕を痛めていたこともあり、吾輩は時折スープを混ぜる以外は静かに待つことといたしました。それから帰ってきたセベクさんと談笑し、奥方に頼まれたささやかな台所仕事
……
煮詰まったスープの火を止め、焼き上がったタルトを取り上げただけ
……
をこなしました。それだけです。
あぁ、奥方からはセベクさんが空腹そうにしているのであれば、それらを出して味の感想を問うよう仰せつかいましたが、そちらはセベクさんがお怒りになられたがために叶いませんでした。
そうして、振り返ってみたものの、セベクさんの仰る意味が分かりかねます。
「むむぅ?」
「う
……
?」
わけが分からず、セベクさんの腕の中にすっぽり収まってらっしゃるにっくき奥方と顔を合わせます。奥方も困惑しているようで、頭にハテナが浮かんでいるような表情をされておりました。奇妙な空気の中、セベクさんだけが色めきだっており、なんとも不思議な心地にございました。
*****
それから紆余曲折あり、どうにか誤解も解けました。
セベクさんはどうやら我輩が奥方をカボチャに変え、それを調理したものを彼に食させた。などという、実に恐ろしい勘違いをされていたようです。一体どうしたらそんな発想に至るのでしょう。
……
なんて、思うところでございましたが、我輩はその思い違いが嬉しぅございました。
だって、我輩が人をカボチャ
――
ジャック・オ・ランタンに変えられたのは最初の生、セベクさんに出会った頃のユニーク魔法でございます。我輩がそうできるとセベクさんが思われたのであれば、あの出会いを覚えていたからに他なりませんので。残念なことに、今生ではまるで違う魔法を発現させているため、10月31日は使えません。幾重に魔法を組み合わせれば再現はできなくもありませんが、相当に骨が折れてしまいます。
……
セベクさんが望むのであれば労は惜しみませんが、彼がそんなことを望むはずはありませんでしょう。
しかし奥方は我輩のことはご存じないため、セベクさんの言葉の意味が分からぬようでした。さらなるハテナを浮かべ、「ヘンなこと言うくらい疲れてるなら休んだら?」と彼を労っておいででした。そんな奥方の滑稽な気遣いに対して、セベクさんは拗ねたように唇を尖らせてしまいました。それがまた仲睦まじく見えてしまい、少々妬けてしまいました。
しかし、あの日のことは部外者不可侵であり、吾輩とセベクさんだけの思い出にございます。残念ですが奥方には分からぬままでいていただきましょう。少しだけ優位に立った気分でいると、セベクさんは奥方に背中を撫でられながらぎりりと歯を噛みしめ吾輩を睨めつけました。
「
……
っ、そもそも貴様が紛らわしい言い方をしたからだろうが!!」
「え? そうでございますか?」
「そうだ!! これの味なんてややこしい言い方をしくさって!!」
「え? えぇ、奥方のお手製ですので」
本来であればこのタルトは我輩が拵えたかったのですが、いかんせんひどく腕を痛めてしまい叶いませんでした。なので、奥方に調理していただいたのです。吾輩としては「母の味」なとど申すように「奥方の味」としました。そのつもりでしたが、どうやら勘違いの元になってしまわれたようです。言葉とは難しいものにございます。
「~ッ! ならなぜあれの場所を聞いた時に僕の腹を指差した!!」
「窓から奥方があちらへ向かったのが見えたので。セベクさんのお腹を指すつもりはありませんでしたが、腕を痛めておりましてあまり上げられないのです」
「お薬多めに作っておきますね」
「ありがとうございます」
「ぐぐ
……
」
そんなこんなで、セベクさんの誤解が解け、落ち着いたところで彼らの夕食のご相伴にあずかりました。
セベクさんのお爺様からいただいたという魚を使った料理は非常に美味であり、ついつい食べ過ぎてしまいそうです。奥方はあれからさらにカボチャを料理してくださったようで、彩り鮮やかな美味しい料理をたらふくいただくことと相成りました。
奥方の料理は品数は多く、どれも絶品でありまして、食しているうちにセベクさんも顔をほころばせておりました。
……
それにまたも妬けはいたしましたが、それよりも吾輩の思った通りであることにほっといたしました。
「く
……
うふふ」
「なにがおかしい」
ほっとするまま込み上げてきた笑いを洩らすと、セベクさんは怪訝な眼を我輩に向けられました。
「いやはや、これは失礼を。ふぅ」
奥方は俗物ではなく、彼の胃と心を満たせるだけの愛情と技量を持つ方であったと。そして、セベクさんはきちんと己に相応しい者を選べる眼を持った方であったと。それがなによりも嬉しく存じます。
食後は奥方が追加で焼いてくださったパイと、彼が淹れてくださったお茶をいただきました。茶葉を使わぬハーブティーなのでしょう。身体の芯から温まり、心の底から安堵できるような優しいものでした。これにもまた、セベクさんの奥方への情が見えた気がいたしました。
かように思い合う二人の間にどうして我輩が割り込めましょう。元より割り込むつもりなぞございませんでしたが、こうも見せ付けられては改めてそう感じてしまうというもの。そうとなれば、これ以上の長居は無用にございます。なんせ、セベクさんを一目でも拝見したいという我輩の願いはとうに叶っているのですから。
なので仕事を理由に暇を告げました。すると案の定二方は遅いから泊まっていくよう提案してくださいました。本当に、人の好い彼ららしくございます。非常に魅力的な提案ではありますが頷くわけにはまいりません。謝意を告げ、我輩を引き留めようとするお二方の間を抜け、急ぎ彼らの住まいを後にしました。
だって、ねぇ。これ以上ひたむきに思い合う二人を前にするのは心苦しく思えてしまうのです。あの頃のように「ずるい」などと喚こうとは思いませんが、それでも、嫉みなるものはなかなかどうしてうちから湧き出てしまうもの。
我輩は本当にあの奥方が羨ましく存じます。吾輩が幾百年と焦がれていたセベクさんをあっさりとそのうちに抱えてしまうのですから。
たまたま女性として性を受け、たまたま彼と縁を持った。それだけで彼と深く結ばれてしまうのですから。
「本当に、妬ましい」
誰にともなく独り言ちて茨の谷を後にします。非常に名残惜しくございますが、本当にこれ以上の長居はよろしくありません。
なんせ、今生の吾輩といえば労働契約なる忌まわしき呪いともいえますものに囚われている身。半休をとっておりますが、午後の始業までににっくき事務所へ戻らねばなりません。後ろ髪を引かれる思いに駆られつつ、山を越えるため愛用の箒を喚び出しました。
星の瞬きも遠い空の合間を縫いながら繋がりを持てぬスマートフォンを取り出します。そこに増えた連絡先のお名前をなぞり、次はいつ彼らの住まいにお邪魔いたしましょうか考えました。今生はまだまだ時間はございます、我輩の知らぬ彼の姿を拝見します機会は幾度もございましょう。また次の機会を楽しみに、山向うの我が家まで帰宅することといたしました。
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