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夢篠
2025-09-28 20:00:00
5473文字
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暁の女神の君
タソガレドキの魔性の男と山本陣内
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
ナマエ
柔らかな陽だまりと怜悧な月光をその身の内で上手に飼い慣らしているようなひとだった。太陽のように朗らかに、弾けるような笑顔を見せたその夜に、氷のように冷たく美しい顔で微笑みながら平然と人を殺すその横顔から目が離せなかった。震えも掠れも無い玉のような声で集中しなさい、と私を嗜めた彼は、
ナマエ
さんは私の事を一体どう思っていたのだろう。
私はその人の事を「美しい」という形容がこの世の誰よりも相応しい人だと思っていた。その人は名を
ナマエ
と言い、私より少し歳上のとても優秀な忍びだった。彼と初めて顔を合わせた時、私は幼いながらに世にこれ程美しく、完成された人がいる事に感動を通り越して怖しさすら感じた。同じ人間には思えなかった。私の周囲に存在するどんな人間より彼は「完全」な存在であった。
彼は良く「愛らしい」とか「美しい」と形容された。事実、その細面の顔立ちは、良く人好きしそうでそこにいるだけで場を華やかにした。でも顔貌の美しさなんて所詮無常だ。
ナマエ
さんの美しさの真髄はきっともっと、別の場所にある。私はそう確信していたし、だからこそ彼の容貌を持て囃す人間たちを冷笑した。自分だって彼の顔立ちに魅了されている癖に。
彼は何もかも完成されていた。良く通るその声が笑うと娘たちだけでなく男たちも皆夢中になったし、切れ長の瞳が視線を巡らせるだけで老若男女問わず魅了されたからだ。均整の取れた身体付きも繊細な指先も、全て「
ナマエ
さん」という存在が人を魅了する事に大いに役立った。顔貌のような見える技だけでは無い。寧ろ不可視の技こそ彼を酷く魅力的に見せた。美しい声が作る言葉には、「従いたい」と思わせる不可思議な力があった。純粋な知識も、それを使い熟す知性も彼は里の誰より秀でていただろう。誰しもが彼の視線を強請り、その心に触れる事を願った。或いは雑渡様すら
ナマエ
さんに夢中だったのかも知れない。二人は良く、同じ室で時を過ごしていた。二人で連れ立って室に入るその後ろ姿は私には正視するに能わなかった。だって、まるで、それは。
その美しさは最早天性の、傾国そのものであった。彼は先代の主人にすら、「忍びにしておくには惜しい」と言われた人だった。私もそう思っていた。
ナマエ
さんが忍びでなければ良かったのにと。あの美しさと忍びとしての名声を同じ身の上で併せ持つ彼に憧れていた。そして密かに妬ましくさえ思っていたような気がする。確信は持てなかった。だって彼は余りに輝いていて、目が潰れそうなくらいに眩しかったから。
彼と初めて相対した人間は、彼を「忍びには向いていない」と判ずる事が多い。なぜなら原則として忍びは人の目を引いてはならぬからだ。市井に紛れる事を生業とし、闇夜に乗じて息をする。存在自体が光り輝いていては影の世界には生きられない。だのに彼はとても美しく、存在その物が人々の耳目を集めてしまう。微笑みに、微かな動作に、その感情の行先に。とても多くの人間が惹き付けられていた。そして彼はその注目を利用していとも簡単に仕事をした。
ナマエ
さんは装う事で仕事をする事が多かった。一番得意なのはやはり、生まれ付きの容貌を活かした華やかな姿だったけれど、装いを凝らせば淑やかな娘にも荒々しい無頼徒にもそれこそ公達や侍まで、何にでも化ける事が出来た。でもいつだって確かだった事は、
ナマエ
さんが扮する彼ら彼女らはどんな姿でもとても美しいという事だ。
「美しい」という言葉に内包される意味合いにはきっと数多の種類があるのだろうけれど、私が
ナマエ
さんの装いの姿を見て思う「美しさ」はいつもたったひとつだった。それは恐らく、私が、否、私のような生業の人間は決して感じてはいけないのだろうある種の信念のような感情だった。
それは神仏の恩寵、と形容するのが相応しい気がした。
ナマエ
さんの微笑む横顔、幼子を見詰めるその目の温もり、人を殺す迷い無き手付き、雑渡様に愛されるしなやかな身体、私に触れる指先の柔らかさ、その全てに人には決して成し得ぬ何か特別で超人的な美しさが宿っているような気がしていた。そしてその力が私を強くも弱くもさせる事が酷く怖しい。その美しさに肯定されるために身命すら賭しているような私は酷く滑稽で、蒙昧なただの人間であった。それでも、
ナマエ
さんの目に映るにはそうするしか出来なかった。
美しい
ナマエ
さんは美しいものが好きだったからだ。着物も装飾品も景色も或いは人ですらも。彼は美しいものを好み、醜いものとは到底似つかわしくないように見えた。彼の周りには当然のように美しいものばかりが集まった。着物も装飾品も景色も或いは人も。その中で特に彼に相応しいものだけが、彼と共にある事を許された。彼はその判断をしないけれど、彼の周りがそうした。私は、いつまで許されるのだろう。眠れぬ夜に天井の木目を見詰めながらそれを考えると息が出来なくなるような気がした。
ナマエ
さんの一等の「お気に入り」は雑渡様から与えられた簪と、それから。それから、何故か私だった。より正確に言うならば、娘姿の私だった。私より美しい娘も、私より美しい娘姿の者も沢山、いる筈なのに。
彼は私の娘姿に化粧を施すのが好きだった。彼の使う化粧道具で彼の手によって化粧を施されると私はいつもより洗練された娘のように見えた。星屑を散りばめたような瞳がいつもより近い距離で私を見詰めている事に震えるくらいに身体を熱くしているのを彼は知らないだろう。誤魔化すように目を逸らすのをとても小さな手のひらの力が阻む。
「ほら、陣内。うごいてはだめ」
「
……
、すみません」
強い目の力が私を縫い止めて、唇を柔らかく潰すように紅を差されている。
ナマエ
さんの形の良い指が私の唇をなぞっていく事がこの世のどんな事よりも恥ずべき事のように思えた。今までにもっとずっと、恥ずかしい事だってしてきた筈なのに。
「陣内、くちをすこしひらいて」
綿のような声が降ってくる。見詰めたその目はとても真剣な色をしていた。薄い色の瞳が私のために時間を割いて、私だけを見詰めてくれている。それを喜ばしいと思う反面、惨めにも思った。雑渡様の事はどのような眼差しで見詰めたのですか、とは聞きたくても聞けずにいた。聞いたって良い事などひとつも無いだろう。その答えはきっと、私にとってとても簡潔で、とても残酷なものにしかならないだろうから。
「はい、できた。これで陣内はどこからどうみてもかわいいむすめさんだね」
装いを凝らしていない
ナマエ
さんの方がどう見たって美しい筈なのに、彼はとても嬉しそうに笑って、私のこめかみの辺りを指先で甘くくすぐった。娘の姿になった私を、
ナマエ
さんはいつも恋仲のように扱うから、その心許なさに胸の挙動がおかしくなる。
ナマエ
さんの視線に指先ひとつに逃げ出したくなる衝動に駆られる。まだ、終わってなどいないのに。
「つぎはかみだね」
化粧を崩さない程度の柔らかさで頬を撫でられてから、
ナマエ
さんが背後に回る。ふわ、と香る
ナマエ
さん自身の香りは私にはとても甘く感じられた。下ろした私の髪に差し入れられた手が器用に動いて結い髪を作っていく。たったそれだけの事なのに、どうして閨事くらい気を昂らせているのだろう。身に起こる変化の兆しを必死になって隠している。浅ましい。本当に汚らしい。
ナマエ
さんに掛けられた言葉に必死に言葉を返しているけれど、その内容は自分の言葉なのに上滑りして何ひとつ理解すら能わなかった。
「はい、できた。きょうもかわいいね、陣子さん」
肩越しに躍るような声が聞こえ、顔を覗き込まれる。吐息の混じり合うような距離でにっこりと美しく微笑んで見せた
ナマエ
さんが私の頬に再び手を伸ばす。きた。この瞬間が堪らなく楽しみで堪らなく怖い。私の耳を愛撫する指先に抑えきれない声が漏れる。何もかもを見透かしたような瞳が近付いてくる。目は閉じなかった。
ナマエ
さんも。
肩越しに触れ合った唇は、ただ触れ合うだけだ。本当は喰んで欲しかったけれど、せっかく差してもらった紅が落ちてはいけないから。睫毛の絡み合うような距離で私たちは見詰め合いながらただ、唇を触れ合わせているだけだった。唇が離れあうまで。
「
……
はい。これで陣内はとてもかわいいむすめさんになったよ。わたしのだいすきな、かわいい陣子さん」
その囁きを掛けられる度にそれを呪いのようだと思った。かわいい。その言葉が私を縛り付ける。
ナマエ
さんの視線を貰うには、彼の言う「かわいい」でいなければならない。彼が言う「かわいい陣子」でなくなったならば、彼はきっと虫螻や路傍の石のように私を通り過ぎて行くだろう。その日が来るのが怖しい。けれど私は、自分が永遠に「そう」在り続ける事は出来ないのだと心の何処かで確信して、そしてその事についてどうしようもなく絶望していた。
自分の身体が
ナマエ
さんの言う「かわいい」に沿って成長しているとは到底思えなかった。姿見を見る度に、硬くなっていく節々に、厚くなっていく身体に、男になっていく自分にどうしようもない絶望だけが私を襲った。声は日増しに低くなって、最早愛らしい娘になどなり得もしなかった。それは私にとって死に値するといっても過言ではない純粋な絶望だった。
どうして、私は男になってしまうのだろう。どうして、美しくいられないのだろう。どうしたら、「かわいい」ままでいられるのだろう。どうか、
ナマエ
さんの「お気に入り」のままでいたい。あの目が私を通り過ぎる事を想像するだけで喉が締められるように苦しい。雑渡様も同じように感じたのだろうか。
半年ほど前から、
ナマエ
さんが雑渡様と室に篭ることがぱたりと無くなった。雑渡様は彼に意味深に視線を送るのに、
ナマエ
さんはその事に急に鈍感になってしまったようだ。何があったかなんて私には知りようも無いけれど、きっと雑渡様は「お気に入り」では無くなってしまったのだろうと思った。そしていつか同じように私の番が来るのかと思うと胸がおかしなくらいに速くなった。
「かわいい陣子さん。いま、なにをかんがえているの?」
さら、と
ナマエ
さんの結っていない髪が流れ落ちて私の肩に掛かる。ぼんやりとしてしまっていたのを咎められているようで慌てて首を振る。
「す、すみません。考え事をしていて。
…………
その、私は、」
「うん、なあに?」
口篭る。言葉が継げない。確かめるのが怖い。言葉にするのが怖い。確かめて一度確信を得てしまったならば、それを失うのは暗闇の中で標を失うのと同義だ。それなのに感情が勝手に口を動かしてしまう。
「その、私は、『かわいい』、ですか。あなたの言う『かわいい』で居続ければ、あなたにずっと、愛してもらえますか」
蚊の鳴くような弱々しい情けの無い声が愚かな問いを言葉にしてしまう。
ナマエ
さんが不思議そうに目を瞬かせるのが見えた。嗚呼、言ってしまった。この世に言葉としてその問いを形にしてしまった。怖しい。この問いの答えを聞くのが怖しい。聞きたいのに聞きたくない。自分の中の矛盾が酷く怖しい。私がこれ程までに非論理的な人間である事を私自身初めて知った。
「きゅうに、どうしたの?わたしの陣子さんは、そんなことをきにするむすめだったの?」
ナマエ
さんの目はびいどろのように透明な光を湛えていた。美しく光を反射はするけれど、何ひとつ感情の乗せられていない。その目は暖かみの欠片も無かった。胸が急激に早鐘を打ち、頭から血の気が一気に下がるような気がした。間違えた、と思った。
「
…………
い、いえ。何、でも無い、です。すみません
……
」
「ううん。なんでもないならいいんだ。かわいい陣子さん、きょうはなにをしてあそぶ?」
氷のような冷え切った表情は直ぐに消えて、また日向の暖かさばかりのような柔らかな表情が私を安心させる。だが、気付いてしまった。
ナマエ
さんが私を「お気に入り」のひとつにしてくれた理由。そして雑渡様がそうでなくなった理由も。
彼はきっと、愛される事が好きだ。己を大切にして、己に傅く人間が好きなのだ。けれど誰かに所有されるような器ではない。たった一人の誰かの物になろうなんて考えた事も無いのだろう。あちこちの花に止まって蜜を吸う蝶々のように、都合の良い花を見付けては飛び回る。ひとつの花に留まっていては、蜜が枯れて生きられなくなってしまう。雑渡様が「お気に入り」で無くなったのはきっと、雑渡様が
ナマエ
さんを本心から得ようとしたからだろう。私が「お気に入り」なのはきっと、私にその勇気が無い事を、彼が最初から知っていたからだ。
私が、肝心な所で何も出来ない愚かな意気地なしである事に
ナマエ
さんが最初から気付いていたからだ。だから今、私が彼への恋情を仄めかした事に一度だけ警告をくれた。「次」は無いのだと確信している。そして私は意気地なしだから、その警告に怯え、何も出来ない。そしていつまでも眠れぬ夜を過ごすのだ。
ナマエ
さんが私を見限るその日まで。進むべき道を見失うような恐怖と死にたいくらいの絶望を抱えながら。
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