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Rana
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レノシス(短編)
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余熱
レノ✕シスネ
レノに電話をかけたのは、完全な衝動だった。
「
……
今から飲まない?」
任務の報告を済ませたあと、ホテルにも戻らず、ただ街に出て、いつもの店を目指した。僅かな沈黙のあと、ふっと笑うような声が返ってきた。
「いいぜ。今ちょうどメシ食ってたとこだ。そこ、あとで行く」
取り立てて特別な会話じゃない。でも、それだけで張り詰めていた心がふっと緩む。
カウンターの隅。明かりを落とした店内に、ジャズの旋律が静かに流れている。レノはまだ現れない。グラスの氷が小さく音を立てたとき、不意に声をかけてきたのは見知らぬ男だった。
「へぇ、こんなとこでひとり飲み? 渋いね」
細身のスーツに、きっちりと整えられた髪。口調も笑みも、手慣れている。まっすぐな視線を向けてきて、悪びれもせず、隣の席に腰を下ろした。
「待ち合わせよ」
「それまで、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいだろ?」
グラスを覗き込みながら、軽く笑う。あからさまな視線が鬱陶しい。舌打ちしそうになるのを、無言で飲み込む。
「悪いけど、遠慮するわ」
「そう言わずさ。綺麗な人と話せるなんて、今日は運がいい」
しつこい。こういう場面には慣れているつもりだったけど、今夜は妙に疲れていた。返す言葉すら面倒に感じる。
──そんな空気を断ち切ったのは、背後からの声だった。
「
……
よぉ。誰だよ、おまえ」
その瞬間、男の肩がぴくりと揺れる。振り返れば、赤毛の男がそこに立っていた。笑っているのに、目はまるで笑っていない。
「そこ、俺の席なんだけど」
「
……
は?」
「聞こえなかったか?」
声のトーンがわずかに低くなる。ふざけた口調の裏にある圧が、空気の温度を一段下げた。男は無言でグラスを置き、舌打ち混じりにその場を去っていった。入れ替わるように、レノが隣に腰を下ろす。
──何も言わなくても、絶妙なタイミングで現れるのは、昔から変わらない。それだけで、張りつめていたものが、ふっとほどけてしまうのが悔しかった。
「
……
遅いわよ」
グラスを口に運びながら、つい口をついて出た言葉。レノは照れくさそうに頭をかきながら答えた。
「悪ぃ、新人とメシ行っててさ」
その一言で、指がグラスの縁でぴたりと止まる。
──新人。たったそれだけの言葉なのに、知らない誰かの顔がぼんやりと浮かぶ。今の彼の日常に、自分の知らない人間がいることを、唐突に突きつけられたような気がした。
「
……
ごめん。なら、来なくてもよかったのに」
思わず零れた声は、我ながら拗ねたように聞こえた。レノは驚いたように目を見開いたあと、グラスを持ち上げる。
「
……
おまえの誘い、蹴るわけねぇだろ」
不器用な言い回しなのに、どこか真っすぐで。それだけで、胸の奥が少しだけあたたかくなる。多分、誰にでも言うような軽口だ。レノらしい、いつもの調子。
──それでも、どこか特別に感じてしまうのは、きっと私のほうなんだろう。
気づけばグラスの中身は空になっていた。静かにカウンターに置く。レノはすでに次の一杯に口をつけていた。仕事帰りで疲れているはずなのに、どこか気が抜けていて、リラックスした空気を纏っている。
「
……
もう一杯、付き合ってくれる?」
言ったあとで、ほんの少しだけ間を置いた。挑むように視線を向けると、レノはグラスを傾けたまま、にやりと笑う。
「朝まででも付き合うぜ?」
熱を持った言葉が、酔いとは別の火照りを呼ぶ。顔に出すのは癪だから、そっぽを向いてグラスを手に取った。
「口だけは達者ね」
「口だけじゃないぞ?」
軽口混じりの声音の奥に、かすかな熱が滲んでいた。
──この人は、昔からずるい。ふざけた言葉の中に、本音をさりげなく紛れ込ませてくる。だから、つい探りたくなってしまう。
「なぁ、シスネ」
「なに?」
「おまえが戻ってきてくれて
……
ちょっと、ほっとした」
ぽつりとこぼれたその一言に、胸の奥がじんわりと温かくなる。視線は交わさないまま、溶けた氷の残るグラスの縁を、指先でそっとなぞった。
夜風が、酔いを少しずつ冷ましていく。店を出ると、路地はひっそりと静まり返っていて、遠くのネオンが滲んで見えた。歩くヒールの音だけが、舗道に小さく響いている。
隣を歩くレノは、さっきよりも口数が少ない。肩が時おり触れそうになるたび、私は目を逸らした。ほんの少し。あと数センチ。手を伸ばせば届く距離なのに、それがやけに遠く思えた。
「
……
いつ発つんだ?」
不意にかけられた声に、ほんのわずか足が止まりそうになる。
「明日の朝には」
「早ぇな」
「別働隊の任務って、そういうものよ。戻れたのも一時的な措置だもの」
平静を装ったつもりだった。でも、自分でもわかるほど、言葉の響きは空虚だった。
「
……
次、いつ戻ってくる?」
「未定。向こうの拠点の様子によって変わると思う」
「長くなるのか」
「かもしれないわね」
「
……
そっか」
風の音だけが耳に残る。頬をかすめる夜風が少し冷たくて、遠くのネオンが揺れていた。アスファルトに並ぶふたつの影が、滲むように伸びていく。
沈黙のまま、しばらく歩いた。
「ホテルまで送る」
「いらないわ。近いから」
「いいから
……
送らせろよ、と」
レノは肩をすくめながら、先に歩き出す。いつもの軽口のはずなのに、背中がどこか寂しげで、言葉を飲み込んだまま、その背を追った。
ホテルの自動ドアが開く。冷たい空調が二人のあいだに流れ込み、現実を突きつけるように距離を作る。
「じゃ、また呼べよ。帰ってきたら」
「
……
ええ」
レノの手がポケットの中でもぞりと動いた。言いかけた言葉が喉元で滞り、そのままぽつりと漏れた。
「
……
連れてっちまいてぇな」
思わず目を見開く。レノは顔を背けて、照れ隠しのように笑った。
「おまえがいりゃ、任務も退屈しねぇし」
「そう。なら──いっそ、上まで来る?」
冗談めかして言ったはずなのに、声の温度が思いのほか高かった。レノは一瞬、動きを止める。数秒の沈黙のあと、ゆっくりと頭をかきながら、苦笑いをこぼした。
「
……
ダメだな。今それやったら、もう離れらんなくなりそうだ」
うつむきかけた視線を、もう一度だけ上げる。その顔を、ちゃんと見たくて。
「じゃあ
……
離れてても、忘れないで」
「
……
忘れられるかよ」
呟くように返された声は、静かに、でも確かに熱を帯びていた。
次の瞬間、腕を掴まれ、視界がふわりと傾く。触れるような、揺れるような──それでも間違いなく、唇が重なった。あたたかくて、でもどこか震えているキス。長くはなかったのに、どんな会話よりも深く、気持ちを刻みつけるようだった。唇が離れると、レノはそっと息を吐き、小さく笑った。
「
……
気をつけろよ、と」
「ええ。
……
あなたも」
自動ドアが開いて、彼が背を向けた。その肩がすっと遠ざかっていくのを、何も言わずに見送る。ひとつ息を吐いて、足を踏み出した。ドアが閉まる音が、背中にひんやりとした現実を落としていく。
冷たい空気のなか、まだ熱の残る唇に、そっと指を触れた。あたたかさだけが、ほんの少し残っていた。
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