果南(カナン)
2025-09-26 23:00:00
4906文字
Public さめしし
 

萌動

さめしし。ワンドロのお題「ジャンプ」「風」で書きました。片想いのさめ→(←)ししが、秋空のデートで告白するお話です。ししさんがかっこよく動くのが見たくて、こうなりました🏀✨!




 ころころ、と足下にボールが転がってきた。
 隣に座っている獅子神が、迷わずに立ち上がって手を伸ばす。茶色に黒の細い曲線が描かれたバスケットボール、片手にはやや余る大きさのそれを拾って、一続きの動作で難なく投げ返した。
「すみませーん! ありがとうございます!」
 古びたゴールポストの下に集まっている若者が、口々に叫んでお辞儀をする。おそらく高校生くらいだろう。獅子神は人当たりの良さそうな笑顔でひらひらと手を振ってやって、再び私の隣に腰を下ろした。
「元気だなぁ」
 若者達を眺めて、楽しそうに呟く。よく晴れた秋空の薄い青が、瞳に映えて綺麗だった。ようやく涼しくなってきた風が、さらさらと彼の金髪を揺らしていく。
 私は若者達に一応目を遣ってから、獅子神の横顔を見つめて口を開いた。
「あなたもだ」
「え?」
 怪訝な顔が、こちらを向いた。
「先ほど昼食を終えたばかりだろう。なのに、よく機敏に動こうという気になる」
「それ、言うほどのことかぁ?」
 獅子神は可笑しそうに表情を崩した。
「ボール、拾って投げてやっただけだろ。別にドリブルで走って、ダンクシュート決めたりしたわけじゃねえし」
……そういうものか」
「それにオレ、おめーほど食ってないし。ったく、ランチとはいえコースひととおりに追加でピッツァって、よく腹に入るよなぁ」
「ピッツァはあなたも食べただろう」
「一切れだけな。残りは全部お前だろ」
「ふん」
 分が悪くなってきたので、私は鼻を鳴らして会話を打ち切った。獅子神はにやりと唇の端を持ち上げて、またバスケットボールの様子を眺め始める。口元の笑みはしばらくそのままで、偶に私をやり込めた嬉しさを隠そうともしないのが微笑ましく、また愛らしかった。
 賭事でも何でも、大半のことでは負ける気がしないが、体を使うことと料理をすることに関しては、残念ながら私は獅子神には及ばない。これは今まで生きてきた中でそもそも関心の方向性が異なっていたのだから仕方がないわけで、敢えて張り合おうとも、自分を変えようとも思わない。それに、私は美味しい料理を食べることが好きで、彼はそれを作ることが好きなのだから、これでバランスが取れているし需要と供給を満たしきっているといえる。つまり、あとは私達が末永く共に在れば——その約束を獅子神から引き出せれば、すべては丸く収まるはずなのだった。
 手放したくない。
 こうして休日に二人で出かけたり、食事をしたりしているのだし、最近では仕事帰りに家に寄らせてもらって一緒に過ごす機会も増えてきた。だから獅子神だって、私のことを好いてくれているのだろうと思う。少しずつ近づく距離、その度に見られる彼の発汗や紅潮、心拍数の上昇、筋の緊張などから、恋愛経験の乏しい私でもそれくらいの察しはついた。
 だが、足りない。
 素直でお人好しで、懐に入れた相手にはつい優しくしてしまう彼が、他の誰でもなく私のものだという確証が欲しかった。
 私だけが特別なのだという、証が。
 どうすればそれを、獅子神から得られるだろう?
 私は内心でため息をつきながら、獅子神から眼を離して周囲を見渡した。昼下がりの広い公園は思ったよりも人が多く、賑やかだ。先ほどボールを転がしてきた若者達の他にも、数組の少年達が広場でサッカーボールを追っているし、金網の向こうの遊具が立ち並ぶエリアには、小さな子供を連れた家族らがひしめいている。そして外周に沿って点々と置かれたベンチは、日課の日向ぼっこ中と思しき老人や、休日にも関わらずスーツで缶コーヒーを握るサラリーマン、ぴたりと体を寄せ合って会話を続けるカップルなどで軒並み埋まっていた。男性の二人連れという組み合わせは、目視可能な範囲で私たちだけだ。
 勿論私は、それを不自然だとも、恥ずかしいことだとも思わない。こうして共に過ごす時間を、ただ好ましく思うだけだ。
 このような機会が確固たるものとして、長く続いてほしい。

 しかし獅子神は、どう思っているのだろう?
 私と同じように、友人以上の存在として私を求めてくれるだろうか?

 好かれている自信はあっても、それ以上の事となると心許ない。自分の不甲斐なさに呆れて、私はもう一度ため息をついた。今度は実際に、動作として出てしまう。
「どーしたよ、先生?」
 獅子神が反応して、私の顔を覗き込んできた。長い睫毛をぱちぱちと瞬かせてから、にやっと笑う。
「ひょっとして、やっぱり無理してんのか? 胃もたれしてるんじゃねーの?」
「何を言う。食事は大変美味かった。デザートをもう一品追加しても良かったくらいだ」
「まだ食えるのかよ……
 呆れた表情になりながらも、獅子神は獅子神で食事の内容を反芻したらしかった。片肘をベンチの背に置いて後ろにもたれながら、何が好きだった?と尋ねてくる。
「それは勿論、メインのラムのソテーだな」
……あー、オレの訊き方が悪かったわ。肉以外でな」
「では、きのことブルーチーズのフェットチーネだな。申し分のないコクがあって、麺の舌触りも素晴らしかった」
 私が言うと、獅子神も顔を輝かせた。
「あれ美味かったよな! ちょっと不思議な味わいで、スルスルと食っちまった。なんか普通のブルーチーズと、違ったよな?」
「おそらくロックフォールを使っていたのだろう。羊の乳らしい独特の匂いと、ピリッとした味わいがあった」
「へー、やっぱ凄ぇな。お前」
 獅子神は目を丸くしてから、ぱっと屈託のない笑顔になった。
 爽やかな初秋の午後に、賑やかな公園のベンチで、木漏れ陽に照らされて。私の想い人は寛いだ様子で、楽しそうに笑っている。風が木々を揺らす度に差し込む光も揺れ、獅子神の美しい金髪がきらきらと煌めいた。

 今、この時間の獅子神は、私だけのもの。
 ずっと、こう在りたい。

 誰にも気兼ねすることなく、堂々と。
 私こそが、あなたの——

「ああぁっ⁉︎ 何でっ⁉︎」
「バカっ! お前、また……!」
 突然大きな声がして、ボンっとボールが跳ねる音が続いた。先ほどと同じバスケットボールが、勢いよくこちらへ飛んでくる。
……!」
 咄嗟のことで、私はベンチに座ったまま動けなかった。両手を出して受け止めるべきか、それとも避けるべきか迷ったのだ。避ければ獅子神に当たってしまうかもしれない。だが万が一にも自分が手を怪我するわけにもいかない、明日は手術だ。そんな失態は。
 ——でも。
「おっ、と!」
 一瞬で、目の前には立ち上がった獅子神の後ろ姿があった。ぱし、と大きな手がボールを受け止めた音が、遅れて耳に届く。
「おーい、お前らぁ。気をつけろよー?」
 獅子神の太い声がのんびりとした調子で、しかし十分な凄みを持って発せられた。顔は見えなかったが、きっと笑顔のままなのだろう。それでも、威圧感はしっかりと伝わったはずだった。
「す、すみませーん!」
「ごめんなさい! 何度も!」
 焦った様子で、若者達がこちらへ駆けてこようとする。獅子神はボールを右手で持って振りかぶり、投げかけて。
 そこで、動作を止めた。

 ニヤッと笑ったのだと、思った。
 私の位置から、彼の顔は見えないままだったが。
 でも、確実に。

「ちょっと待っててな、村雨」

 振り返らないままで、楽しげに獅子神が言う。
 そして——動いた。

 ダ、ダン、とボールが地に打ちつけられる。獅子神の手との間を行き来しながら、まっしぐらにゴールへ向かっていく。
 上等な革靴で砂の地面を蹴り、薄紺色のジャケットの裾を翻して、獅子神はバスケットボールを見事にドリブルしながら駆けていた。野晒しの古びたゴールポストが、みるみるうちに近づいてくる。
 私はベンチから腰を浮かせたものの、呆気にとられて見ていることしかできなかった。若者達も同じで、揃って口をぽかんと開けたままで、ただ立ちつくしている。
 獅子神はそんな彼らの間を駆け抜けると、軽く身を沈める。
 大きな手でボールを持ち、しなやかに跳んだ。

 ふわりとジャンプした体が、空中で伸び上がる。
 振り上げた右手が、いつの間にか掲げていたボールを優しく放った。
 
 獅子神の手を離れたボールは、色褪せたバックボードの四角い枠の中で、予め定められていたかのように綺麗な角度で跳ね返る。そのまま当然の如く、丸い輪とネットをくぐり抜けてボン、と地面に落ちて弾んだ。
 ゴールの向こう側に着地した獅子神が、振り返って笑う。
 転がったボールを拾って、そばにいた若者の胸に押しつけた。
「勝手に使ってごめんな。でも、もう他人に当たりそうな遊び方はすんなよ。相手が小さい子とかだったら、大変なことになるだろ」
「は、はい!」
「すみませんでした!」
 恐縮する若者達に手を振って、獅子神はコートに背を向ける。
 そうして真っ直ぐに、私の方へ歩いてきた。
「ししがみ」
 私はベンチの前に立ち、彼の名を呼んだ。声が、震えている。風のせいでそのように聞こえたのだと、彼が思ってくれることを願った。
 獅子神は楽しそうな笑顔のまま、私に近づいてくる。
 その一挙手一投足から、眼が離せなかった。
 どくどくと、心臓が脈を打つ。痛いほどに強く、速く。
「お待たせ、村雨。見てたか? さすがにダンク決めるってわけにはいかなかったケド、なかなかのモンだったろ?」
……獅子神」
「やっぱカラダ動かすと、気持ちいいよなぁ。今度、真経津たちも誘って……
「獅子神。好きだ」

 自然にその言葉が、口からこぼれ落ちていた。
 何も、考える間もなく。

「いっ⁉︎」
 獅子神は驚いたように、眼を見開いた。
 彼が後ずさったので、私は前に出る。引きかけた腕の袖口を捉えて、薄青色の瞳をじっと見つめた。
 晴れわたる今日の空と同じ色の、澄んだ瞳を。
「あなたのことが好きだ。私の恋人になってほしい」
「えーっと、その……いきなりすぎるだろ! お前!」
「いきなりではない。ずっと考えていた」
「だからって……!」
 こんな真っ昼間から、とか、普通の公園だぞここ、とか獅子神は口の中でぶつぶつと言い続けている。しかし、私に掴まれたままの袖を振りほどこうとはしなかった。
 彼の力なら、簡単に成し得るはずなのに。
 一気に赤く染まった頬も、跳ね上がった心拍数も、戸惑いと照れに溢れてのもので、忌避や防衛といった兆候は感じられない。美しい瞳はちゃんと意思を持って、正面から私を見つめている。
 私の言葉を、聴こうとしてくれている。

 そうか、と合点がいった。
 この一歩が、必要だったのだ。

 冷静に判断してばかりではなく、心の赴くままに跳び出す勇気。
 なりふり構わず、欲するものに手を伸ばす情熱。
 理性がみっともないと思っていても。己の意思に、正直になって。
 それで、良かったのだ。
 私は——恋に落ちているのだから。

 背中から風が吹き抜け、私たちの髪を揺らした。一瞬、前髪で視界が遮られ、すぐにまた明るく開ける。
 そこには、同じように前髪を乱した獅子神がいて。
 真っ赤になった顔で、私を見つめていた。
「本気なの、オマエ」
 やわらかそうな唇が、慎重に言葉を紡ぐ。
「もちろん、そうだ」
 私が胸を張って答えると、獅子神は上手く笑えないが笑った、と言うような表情になった。ぎこちない笑顔は、しかし確実に明るく、伸びやかな声で続きを口にする。
「じゃあとりあえず、家に帰ろうぜ。こんなトコじゃ、落ち着いて話せねぇだろ」
「あぁ。是非そうしよう」
 私も、笑った。上手く笑えていないかもしれないが、それでも。
 きっと同じだと、伝わると信じて。

 秋の空の、爽やかな追い風に吹かれて。
 今まで立ちつくしていた縁からいつの間にかジャンプして、恐れていた溝を軽やかに跳び越えて。
 私は獅子神に、優しく、しっかりと受け止められたのだった。