2025-09-26 20:25:02
4938文字
Public 小説(pixiv公開済)
 

葡萄ひとつぶの距離で

月雲了さん、お誕生日おめでとうございます。
貴方の掌のなかに、それはあります。

つきあってる了モモの、つきあいはじめの小さなエピソード。初めてじゃないけれど初めてのお部屋訪問。
ムビナナ・シャフユニ他、ストーリーの諸々すべて通過後の時間軸を想定しています。
捏造過多。なんでも許せる人向けです。

シリーズは自分内で了モモを書く時の世界線として切り分けています。
長編や続きものではありません。

 伸ばした手の届かぬままに、収穫しそこねた葡萄。
 そのはずだった。

 ◇     ◇     ◇

 モモと、恋人同士になった。

 なってしまったものは引き戻せない。炙られた卵が二度と透きとおらないように、熟れた果実が二度と青く輝かないように。
 であれば、現況を優先し、手立てを講じていくしかない。
『えっ事務所公認のお付き合いにすんの? それはまたずいぶん、積極的っていうか……真剣交際すぎない?』
 通話中のスマートフォンからは、ひどくあっけらかんとした声が聞こえてきた。
 つきあい始めたことを事務所に共有するべき、と提案しての第一声がこれだ。能天気にも程がある。零時を過ぎた深夜の通話だが、飲んでいる気配もないというのに。
 仕方がないので、懇切丁寧に説明してやる。
 言うまでもなく、モモは芸能人だ。加えて、僕には複数の監視がついている。関係性の露見を避けるのは大前提として、どの方面からにせよ、無用の裏読みをされるのは煩わしい。
 岡崎事務所、そして岡崎凛太郎は、一連の立ち回りで業界での存在感を増している。士郎がツクモとのパイプとなっているのも好材料だ。ここに話を通しておけば、後憂が幾分か目減りする。
「トップについては、切れ者か傾奇者か、風評も紙一重だけどね」
 新ブラホワを他事務所へと献上したことは、殊に評価の割れるところだ。それはモモも当たり前に知っているのだろう。スマートフォンの小さなスピーカーから、苦笑いがくぐもった音となって響く。
『うちの社長は、まあ、ああいう人だし。Re:valeだって、もとからそんな感じでやってきたからさ。オレたちは……オレは、納得してるよ』
 わざわざ言い直す必要もないだろうに。見えないのは承知の上、無言のままに冷えた笑みを浮かべる。
 釘を刺すかのように、最初に言われた言葉があった。

「オレは、何よりもまず、Re:valeの百を優先するから」

 モモがRe:valeで在ることにより、Re:valeはRe:valeとして在り続ける。かつてモモが求め、世が求め、世に求められたことだ。
 今となっては幾許か事情が変わっている。
 ――のための葡萄で在り続ける。
 それは、モモ自身の、モモだけの望みとなった。

 ◇     ◇     ◇

「チーフマネと、社長と、……相方。ユキにも、伝えたよ。社長はそのうち宇都木さんに牽制がてらの裏取りをすると思う」
 あんまり迷惑をかけないといいんだけど、と呟きながら僕の部屋に足を踏み入れたモモが、室内をぐるりと見回す。
「ここが、了さんの新しい部屋?」
 そう言って変装用のサングラスを外し、窓シャッターの隙間から射す光に目を細めた。黄昏の長い陽射しが、モモの頬から滑り落ちて、無機質なリノリウムの床に光の帯を作る。
「別に引っ越したというわけじゃない。ここは前からのセーフハウスのひとつだ」
「セーフハウス……
 コンクリート打ちっぱなしの壁に、がらんとした高い天井。床にはローテーブル、フロアベッドと、必要最低限の家具を無造作に置いただけ。
 空洞のような部屋の真ん中に立ったモモが、首を傾けて小さく笑う。
「ちょっと殺伐としてるけど、オレは好きだな、この部屋。なんか……なんか、いい感じがする」
「どうも。所詮は仮の宿りだけどね」
 そう嘯いてはみたものの、現在はこの部屋を事実上の根城に生活をしている。
 以前のマンションには警察の家宅捜索が入り、メモ紙から電子機器に至るまで好き勝手に覗かれ押収された。不特定多数に踏み込まれた痕跡を清め、住居として整え直すのがどうにも億劫で、荒らされたままに放置している。
 あの部屋にモモが最後に来たのは、いつのことだったか。二度と来ないと言い置いた言葉のまま、足を踏み入れることは無かった。
 かわり、でもないが、この部屋にモモが来るのは今日が初めてだ。どころか、恋人同士となってから、まとまった時間を作って会うのも初めてになる。
 アイドルであるモモと、アイドルならずとも業界に悪名と顔の売れている僕が一緒の時間を過ごすのは、当然に難易度が高い。衆人環視と属人監視。寸暇もない多忙と果たすべき失地回復。
 そして、拭いきれない後ろめたさが立ち塞がる。僕も、モモも。

 グラスをふたつ、ローテーブルに置く。
 何を飲むかと聞いたら、ノンアルならなんでも、との答えが返ってきた。意味ありげに眉を上げた横顔を眺めつつ、生ぬるいミネラルウォーターを注いでやる。
「常温水だ。いいね。オールシーズン飲めて、身体に優しいやつ」
 そう言ってモモは、やけに嬉しそうな様子で、抱きしめるようにグラスを受け取った。
「ただの嫌がらせだけど? さすが、トップアイドル様は意識の高いことで」
「そういうあれでもないけどさ。今日くらいは素面で居たいじゃん」
「素面で、ね」
 ボトルに残った水をもうひとつのグラスに注ぎ、手に持って揺らす。色を持たない液体が、ゆるく渦を巻いた。
「いい心掛けだ。また最終形態まで行って管を巻いた挙句、不用意な約束をされたらかなわないからね」
「うっわ。了さんさあ、そういうこと言う? ちょっと胸に手を当てて考えてみなよ! オレにだって、酒絡みで了さんに言いたいことなんて山程あるんですけど!?」
 キャンキャンと突っ込みの勢いはあるが、怒気はない。気安く軽口を叩くような声音だ。
 酔いのない明瞭な声で、モモが僕の名を口にする。
 酔いのない清明な瞳で、モモが僕だけを見ている。
 ――それは、悪い気分のするものではなかった。
「幾らでも、好きに言ったら。いまさら気を遣うところではないだろう」
 モモは肩をすくめてグラスの水をぐっと飲み干し、下唇をぺろりと舐めた。いや、舌を出されたのか。
「それはまた今度。思いっきり飲んでべろべろに管を巻いてやるから、楽しみにしといて」
「は?」
 空っぽになったグラスをテーブルに置き、僕の顔を見て、めちゃくちゃ嫌そうな顔してる! と小憎らしく笑う。
「まあ、節制しているのはあるよ。いまだいぶ仕事が詰まっててさ。来週、クランクインするドラマがあって」
「秋クールのあれか。映画の撮影も並行するんだっけ」
 久しぶりとなるRe:valeのダブル主演ドラマ。人気ブロマンス小説の初映像化で、来春公開予定の映画と連動する大型企画だ。いずれの主題歌もRe:valeが担当するため、楽曲制作にも時間は取られることだろう。
「さすがに耳が早いな、了さんは。そんなわけで、次はいつ、この部屋に来る時間が作れるか、わからないんだ。だから、今日のところは、素面のままで……
 モモが手が伸ばし、僕の首に回す。わずかに踵を上げたのか、目の高さが合った。夕暮れの斜光の中、宵の星めいて光る瞳が、ひたりと僕を見つめる。
「練習、させて」
「練習?」
 練習。と、おうむ返しにおうむ返しで差し戻される。
「オレと了さんの身長差、なかなか便利だと思うんだよね。ちょうどいいっていうか……
 口もとに佩かれた薄い笑みと、遠く透かし見るような目の色に、ああ、と思った。
「なるほど、練習ね」
 Re:valeのプロフィールは、幾度となく見た。成人してからの背丈など世間話の種にもなりはしないが、それでもふと目を止めて、モモの相方が、僕と身長を同じくすることを知り。ひとたび意識してしまった数字は、もう忘れることは出来なかった。
 ちょうどいい、5cmの身長差。
 相方に成り代わっての練習台とは、道化の狐に似つかわしい役回りだろう。それともこれは、科せられた咎なのか。
 誰ならぬモモに、誰ならぬ相方の身代わりを求められるなど。
 ――贖罪の葡萄。
 そんな物語が、確かあった。蔓からもがれた一房の葡萄を、一粒ずつ口に運ぶたび、罪は拭われ浄められる。
 たった5cmの距離に阻まれて、葡萄の房に手は届かない。
……了さん」
 小さく窄められたつややかな唇が、そっと僕の名を呼ぶ。
 甘い視線を撥ね退けるように、冷然と見つめ返した。首にかけられたモモの手を外し、身体ごと押しやる。
 モモは少しだけ意外そうな顔をして踵を下ろし、探るような上目遣いで僕を見て、なんで? と言った。
「練習なんて必要ないだろ。ドラマでもバラエティでも、散々やってる癖に」
「えぇ……ドラマとはやっぱり違うって。あと、オレは……
「練習台相手にドラマよりも身構えていたら、それこそ本末転倒じゃないの」
 出来るだけ平板に、鬱屈を悟らせないようにと、注意深く声を作って言った。けれどモモは何かを感じ取ったのか、あざとい面持ちを作るのをやめて、きょとんとする。
「練習台?」
「そう言ったじゃないか。撮影に備えた練習、身長差のシミュレーションなんだろう。千の代わりの」
「りょ……了さん、何言ってんの。ほんと、何言ってんの!?」
 モモの口が、あんぐりと開く。
 それから、大きく開いた口のまま、顔いっぱいで太陽みたいに笑った。憮然と佇む僕を見やり、まじまじと表情を眺めて、邪気なく――むしろ邪気しかなく、身を二つに折ってまで、さらにけたけたと発作のように笑う。
「んなわけないじゃん! だいたい、仕事の練習なら、普通にユキ本人に頼むっつうの」
「それは……頼みにくかった、とか。役柄的に」
 原作はブロマンスではあるが、主役ふたりの関係性は相当に危うい、紙一重のものであるらしい。それなりの気まずさは感じるのではないか。
「オレたちRe:valeだよ、今さらすぎるでしょ。じゃなくて、えーと、違うんだ。練習って言ったのは、そのまま、了さんとの練習って意味なの。了さん本人との」
「は? 何それ。僕との?」
 言わんとする意味がわからない。
 いつだってそう。モモはわからない。僕とつきあい始めた意味。僕の部屋にやって来た意味。
 そんなにも甘く優しい瞳で、僕を見つめてくれる意味。
「確かにオレ、仕事がら経験はそこそこあるかも知れないけど」
 ようやっと笑いを消したモモが、真面目な顔になって言う。
「自分よりも背が高い人と恋人同士になるのは、初めてだから。どんな感じなのか、わかんないよ。だいたい、……了さんとは、初めて……になるわけだし」
 自分よりも5cm背の高い相手とは、初めて。
 僕とは、初めて。
……へえ。それって、キスだけの話? それとも?」
 反射的に、モモがちらりと床を眺めた。正しくは、床に置かれたフロアベッドを。
 僕へと戻った視線を、しっかりと絡めて捉え、今度はこちらが、くつくつと笑って見せる。と、モモの顔が見る間に赤くなった。
「だからっ……また今度って、言ったじゃん。節制しないとなんだから。ドラマと映画に、作詞も控えてて、……た、体力的にも、しばらくきついし」
 以前の――つきあう前のモモならば吠え猛るところだろうに。ごにょごにょと往生際悪く呟いている。
 ふと、モモが顔を上げた。瞳が閃き、真っ直ぐに僕を射抜く。
……オレさ。会えないあいだ、ずっと、考えてたんだよ。オレと了さんが、つきあうってこと。オレはどうしたってRe:valeの百が最優先だし、――のための葡萄で在り続けることが最優先なんだ。でも、ねえ、了さん」
 そこで、いちど口を閉じる。薄暮に沈む部屋の中で、モモの頬だけが、照る陽の名残りを宿して、柔らかな果実のように色づいていた。
「この部屋に立っているオレは、葡萄じゃなくて桃なんだ。了さんの『モモ』なんだよ」
 そう言ってモモは、くい、と踵をあげた。また同じ目線になって、宵闇に紛れるように、顔を寄せてくる。
 5cmの距離は消え去り、唇と唇のあいだ、あと葡萄一粒だけの距離を僕が縮めれば、そこには。

 収穫しそこねたはずの葡萄。
 僕の掌中に身をおもねる桃。
 手に入れるのは誰なのか。手に入れられるのはどちらなのか。

 どっちでもいい。どっちだって、同じことだ。
 つるりと皮を剥いた果実を、いまはただ、存分に。


〈Fin〉