桐子
2025-09-26 00:01:57
1454文字
Public
 

まわる世界⑬


一晩中水木の帰りを待っていたゲゲ郎は、玄関先から薄暗い外を見てため息をついた。とぼとぼ自室へ戻っていると、朝食の準備をするために起きてきた砂かけ婆に会ってしまった。
「親父さん、どうしたんじゃ」
「実は……
ゲゲ郎は昨夜の顛末を砂かけ婆に話した。水木にプレゼントを渡そうとしたら、なぜかそれを愛人に用意させたと勘違いされた。誤解だといくら言っても分かってもらえず、水木はそのまま家を飛び出したのだ、と。砂かけ婆はふむふむと話を聞いていたが、次第にその眉間にしわが寄ってきた。
「親父さんののんきなところは、長所でもあるが欠点でもあるのう」
砂かけ婆はやれやれと首を振った。
「親父さんは、水木どののことをどう思っておるんじゃ?」
砂かけ婆の問いに、ゲゲ郎は首をかしげた。
「どう、とは?」
「まどろっこしいのう。親父さんは、水木どのが好きなんじゃろう?」

好き?
自分が、水木のことを?

それは青天の霹靂だった。まさかそんなはずがない、そう笑い飛ばそうとしても、なぜかうまくいかなかった。自分は妻一筋だ。今でも妻の事を愛している。その一方で、水木のことを好ましく思っていたのも事実だった。避けられると悲しかったし、笑ってくれると嬉しかった。それは友人として好ましく思っていたのだと思っていたが、本当にそれだけだったのだろうか。
「わしは……
曖昧だった感情が、ゲゲ郎の中でようやくはっきりとした輪郭を持ち形になりつつあった。
その時だった。
「誰かいるか!?」
慌てた様子で玄関へ入ってきたのはねずみ男だった。彼はゲゲ郎の姿をみとめると、「兄さんが」と言って駆け寄って来た。
「水木がどうした?」
ゲゲ郎は身を乗り出すようにして聞いた。まさか事故にでも遭ったのか。
「早う言え! 水木がどうした!?」
気がせいてねずみ男の襟首をつかみ、がくがくと揺さぶる。ぐええと喉を絞められた鳥のような声しか出さないねずみ男を見て、砂かけ婆が慌てて止めに入った。
「親父どの、落ち着け」
確かに、ここでねずみ男を絞めても意味がない。ゲゲ郎は我に返って手を離した。ねずみ男は、その場にへたり込みながらも、息を整えながら話し始めた。
「屋敷の少し先に、これが落ちてたんだ……ちょっと中身を拝見したら、兄さんの学生証が入ってて」
そう言いながら見せられたのは、水木がいつも通学に使っている黒いショルダーバッグだった。昨夜、怒って飛び出したときに肩にかけていたものとよく似ている。ゲゲ郎は恐る恐る中身をあらためた。財布もハンカチもスマホにも見覚えがある。そして、ねずみ男の言う通り学生証も入っていた。間違いなく水木の持ち物だろう。
どこへ行くにしても、スマホや財布がなければ困るだろう。それらをすべて置き去りにしているなんて、事故か、事件か。とにかく、水木が何事かに巻き込まれたことは確かだろう。

――――もし、このまま水木と生きて会うことが叶わなかったら。

そう考えて血の気が引いた。冷たく硬くなった手、もう二度と目を開けることがない瞳。優しい声も、美しい微笑みも、もう二度と見ることができないという絶望。あんな思いは二度としたくない。
……ねずみの。今すぐに一反もめんとぬり壁を呼んでくるのじゃ」
「ヒッ! ははははい!」
ねずみ男は弾かれたように飛び上がり、そのままこけつまろびつしながら一反もめんの部屋へ向かっていく。
「わしは水木を探す。屋敷のことは任せたぞ」
砂かけ婆はゲゲ郎の言葉に深く頷いた。