水樹が冬人の職場であるレストランを訪れると、席の案内に店長が現れた。気さくに笑う彼に返す水樹の笑みも親しみやすいもので、顔見知りらしい和やかな空気が双方の間にある。
「や、いらっしゃい。今日は天気がいいので窓辺の席なんてどうでしょう」
「お願いします!」
「はいはい、お願いされました」
軽妙に頷いた店長に促されるまま席に向かう水樹は周囲をきょろりと見渡す。見知った冬人の姿がないのだ。彼は調理担当故に奥へ引っ込んでいることが多いものの、冬人と水樹の関係を知る店長は水樹が店を訪った際には冬人を呼んでくれるのが定番だった。忙しいのかしらと思っても、混む時間帯を避けて訪ったためテーブルの幾つかは空いている。いつもであれば冬人でも顔を見せることはできそうなものなのだけど。
「これは残念なお知らせですが、立花は休みです」
周囲を窺う水樹へお冷を供する店長の言葉。
「え、なにがあったんですか?」
驚きと心配とで眉を下げる水樹に店長は顔の前で手を振る。
「病気とかじゃないんだけど、今朝方から脚が随分痛むらしくて」
急に冷え込むようになったから、と続ける店長の言葉へ曖昧に聞き、水樹はふと店の入り口を見遣って二の腕を撫でる。外を歩いてきたばかりの腕は冷い感触、そこに秋の香気がほんのりと残っていた。
油断したな、と冬人は思う。
既に思い出となった片脚の手術。問題なく成功して日常の動きに支障はないし、なんなら水樹とランニングする余裕もあるほどなのだが、不意に思い出したように痛むときがある。それは大抵気温の低いときで、主に冬場の冷え込みが強くなったときに起きることだ。
だが、最近急に冷え込んだことで体がついてこなかったのか、今朝の冬人は痛みで目を覚ました。
起き上がることはできる。立ち上がって歩くこともできる。だが、長時間は厳しい。冬人の職場はレストランで配置は厨房。立ち仕事を数時間続けるのは厳しいと判断し、冬人は早々に学生時代の先輩でもある店長へ休みの連絡を入れた。急な休みは迷惑をかけてしまうだろうから申し訳なかったが、店長は「おっけ! お大事に」と軽い返事をくれるのみだった。人間関係に恵まれてるな、と微笑んだ瞬間にも痛みが走り、冬人はベッドで唸る。
唸りながら端末を握り締め、冬人は恵まれた人間関係の筆頭である水樹の顔を思い浮かべた。
水樹はよくレストランを利用してくれる。今日は自分が不在なのだと連絡するべきだろうか。ただ休日なのだと嘘を吐くのは不自然だし、ほんとうにそうなら冬人は水樹を家に誘ったり一緒に出かけるのがいつものことだ。馬鹿正直に体調不良だと告げるのも気が引ける。心配させたいわけではないのだ。態々言うようなことではないと思う。
(でも、後から知ったら余計に心配させそうっていうか……)
ちょっとちょっと、冬人さん。水くさいじゃないですか。
冬人に気を遣わせないように敢えて軽妙に言う水樹が目に浮かぶ。
心配はかけたくない。不誠実にもなりたくない。
どうしようかな、と思いながら片脚を撫でたところで端末が通知を告げた。
「え……」
水樹からの連絡であった。
驚きながらメッセージを開き、冬人は苦笑する。
──店長さんから聞きました。脚大丈夫? あとでご飯作りに行くね!
やはり、水樹はレストランのほうへ行ったらしい。そうすればなるほど、ぺらぺらとなんでも喋るひとではないが店長であれば親しい間柄の冬人の休みについて教えるだろう。
冬人は躊躇うように指を端末の手前で彷徨わせてから、とんとんと画面を叩き始める。
大丈夫だよ。病気じゃないから心配しないで。
程なく返信。
でも立ってるのつらいでしょ? 今日は僕に任せてくださいよ。
確かに水樹の言うとおりだ。食事を作るのも億劫で今日は碌に食べていない有様だった。
心配させるのも手間をかけるのも申し訳ないが、水樹からのメッセージを読んで冬人の胸は暖かくなる。
ありがとう。楽しみにしてるね。
返事は「まかせて」と吹き出しのついた犬のイラストスタンプであった。
それから冬人は牛乳だけ飲んで鎮痛剤を流し込んだり、ベッドで横になりながら本を読んで過ごした。水樹の職場である本屋で購入した本はミステリーもので、これを冬人は最後のほうを確認してから読む。この読み方に水樹が随分と驚いていたのを思い出し、冬人の口元に笑みが浮かぶ。同じ本を読んでもうんうんと唸りながらトリックを解こうとする水樹と自分では読み方が随分と違う。
日が短くなってきたからか、部屋が薄暗くなるのは存外早い。リモコンで灯りをつけたところでまた連絡があった。家の前についたけど出てこないようにとの内容だ。水樹には合鍵を渡しているので冬人が鍵を開けなくても彼が出入りすることはできる。短い距離でも冬人が歩かなくていいようにという配慮だろう。
そんなに心配しなくていいのに、と苦笑したところで玄関で鍵の開く音がする。
止められはしたけど出迎えくらいは、と立ち上がればスーパーの買い物袋を持った水樹が顔を覗かせる。
「こんばんは!」
「こんばんは。来てくれてありがとう」
「いえいえ。店長さんから聞いたときにはびっくりしましたよ。僕たちの仲で水くさいじゃないですか」
想像していたとおりのことを言う水樹に笑い、冬人は彼が持っていた買い物袋を受け取ろうと手を伸ばしたが、水樹は「これは僕が運びます」と頑として譲らなかった。
「ほんとうに心配しなくても大丈夫だよ?」
「心配もしてるけど、僕は冬人さんを大事にしたいから」
そう言われれば、冬人はむず痒い気持ちとともに引き下がるしかない。恋人から面と向かって大事にしたいと言われて遠慮するなど、それこそ失礼な話である。
「台所借りていい?」
「もちろん」
「ありがとう。冬人さんは今日休んでいてくださいね。僕が驚きの料理を提供するので……」
「楽しみだなあ」
「ふふ、任せてくださいよ」
むん、と力こぶを作った水樹に柔く背中を押され、冬人は台所を出ていく。
床に座りながら台所のほうを見つめてしまうのは、水樹の腕を心配してのことではない。自分のために料理をしてくれることが嬉しくて、その姿を見ていたいと思うからだ。
「ふむふむ、なるほど。これを最初に混ぜておくことで……」
手順を確認する声と聞こえ始めたとんとんと食材を切る音。いつもであれば隣で一緒に作るのだが、今日は水樹の背中を見ているばかりなのが少しだけ寂しい。でも、この寂しさは贅沢なものなのだとも分かっている。
暫くするとなにかを炒める音が聞こえてきて、じゅうじゅう、ぱちぱちという音に水樹の鼻歌が混じる。この前、一緒に観た映画の戦闘BGMだ。水樹の心持ちとしては食材との戦いでもあるらしい。
水樹の鼻歌が感動的な主題歌に変わった頃、料理の終わる気配がした。流石にずっと待っているだけは、と思い、皿などを出しに立ち上がりかけた冬人を察したのか、水樹がぱっと振り返る。
「冬人さんは座っててね」
「でも」
「今日の立花家の台所は僕の城です」
「そっかあ……」
料理人なのに城を占拠されてしまった。
くすくす笑っていれば水樹がお盆を両手に台所からやってきて、テーブルに料理を並べる。
黄色の卵がふわりと被さった上に、とろりとしたきのこたっぷりのあんかけがかけられたオムライス。
「和風オムライスに挑戦してみました」
「すごくいい匂いがするね」
「ふふ、ちゃんと味見したけどなかなかの味ですよ。冷めないうちに食べてみて」
さあさあと促され、いただきますと合わせた両手。
熱々のあんかけにふうふうと息を吹きかけて頬張ったオムライスはきのこの旨みたっぷりで、出汁の染み込んだご飯とややぱりっとした卵との味わいがとても美味しかった。
「すごく美味しい。いつの間にこんなに腕上げたの?」
「ふふ、良かった。日頃、シェフが一緒に作ってくれるおかげですね。でも、ほんとうは卵がもっととろとろになるはずだったんだけどさ、まだ難しかったみたい」
「俺はこれ大好きだけどなあ」
オムライスの卵はふわとろにすべし、という風潮があるけれど、冬人は水樹の作ってくれた端っこのぱりぱりしたオムライスが大好きだった。
そう伝えれば水樹は照れくさそうな顔をして、大きく掬ったひと口を頬張ってはあちちと水を飲んだ。
「ふう……あのさ、冬人さん」
「なに?」
「今日、泊まってもいい?」
皿にスプーンを置いた水樹の問いかけにいいよ、と頷いて冬人は水樹の顔を見る。
「……脚のこと心配?」
「んー、そりゃ心配だけど……明日お休みだからさ、一緒にいたいなって」
脚のことを心配して付き添いの気持ちで言ってくれたなら申し訳ないと思う冬人だが、水樹が一緒にいたいと言ってくれて気持ちがふわりとする。
「……俺も、一緒にいてほしいな。明日、一緒に朝ごはん作ろう」
「うん!」
水樹の笑顔を見て、冬人は脚の痛みが和らいだような気がした。
きっと、明日はふたり並んで台所へ立つことができるだろう。
水樹はなにが食べたいかしら。彼の好きなものを作りたいな、と思いながら、冬人は自身もオムライスを大きく頬張った。
胸まで暖かくなる味に目を細めながら。
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