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2025-09-02 21:22:07
4333文字
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燭鶴「ひまわり」

ひまわり畑での二人の話。なんだか死の気配がして危うい鶴さんと、その鶴さんをつなぎとめる光忠くんの話です。
枯れたひまわりって、なんか怖いのに綺麗で不思議。

 枯れたひまわりが静かに風に揺れていた。
 その隙間に、鶴丸の姿がふっと消えた。

「盛りは過ぎたが、この夏のひまわりを見に行かないかい」
 そう言って鶴丸は光忠を本丸の離れにあるひまわり畑に誘った。彼は背の高い花に囲まれる非日常を楽しんでいるようで、畑に到着した直後から無邪気に楽しそうだった。
 彼は光忠の先をどんどんあちらこちらに不規則に歩き進んで行くものだから、光忠の視界には彼の被っている麦わら帽子が現れたり消えたりしている。だから、鶴丸を見失うことはある程度想定していた。

「鶴さん?あんまり離れるとはぐれちゃうよ」
 光忠は彼の姿を最後に見た方向に向かって呼びかけて、少し歩く速度を落とした。しかし、周囲のひまわりが風に揺れるかすかな音がするだけで、返事はない。

 光忠は立ち止まって、あたりを見回した。三六〇度、ひまわり、ひまわり、ひまわり。

 先ほど鶴丸と一緒に歩いていたあいだ、ひまわりはとても明るい快活な隣人だったけれど、今この瞬間の光忠の目に映るひまわりは、なんだか違う印象だった。急に知らない人になったかのようによそよそしい。

 こんなに陽が傾いていたっけ。

 光忠は空を見上げて少し目を細めた。日差しは先ほどよりも赤みを増していて、その光によってひまわりの影が足元に長く伸びている。ほんの少しだけ体感温度が下がった、黄昏時。
「鶴さーん、どこ?」
 先ほどの呼びかけに返事がないのを確認して、光忠は再び彼の名を読んだ。酔狂な彼のことだ、また何か驚かせようと企んでいるのかもしれない。きっと、どう驚かせてやろうか、光忠がどんな顔をするのか、そんなことを考えてわくわくしているに違いないのだ。
 きっとそうだ、と光忠は呆れたように肩をすくめたが、それは、そうに違いない、と自分に言い聞かせる仕草でもあった。そういうふうにしておかないと、なんだか急に何かに不安になる自分がいたからだ。

 あたりはひまわりばかり。鶴丸の気配は、ない。

「つーるーさん」
 ここかな?とかくれんぼをする幼子に呼びかけるようにしながら、光忠は少し場所を移動した。相変わらず鶴丸の気配ははないし、呼びかける光忠を遠巻きに笑うようにひまわりがかすかに揺れる音がしている。

 光忠は再び立ち止まって、周囲を見回した。相変わらずどこを見ても、ひまわり、ひまわり、ひまわり。

 驚かせるにしては、ちょっと間が長すぎないか、と光忠は思った。こういうのはテンポよく消えて現れるから驚きに繋がるのであって、この状況は冗談にしては少々たちが悪い。
 こんなことを考えているのはたぶん、不安になっているからだ。鶴丸はどこにいってしまったのだろう。彼をなんとしても見つけなければいけないような気がした。
「ねぇ、鶴さんを見かけなかったかな」
 自分しか聞いていないのをいいことに、光忠は周りのひまわりに尋ねた。ひまわりは皆一様に同じ方向に花を向けて沈黙している。それがなんとなく薄気味悪い。
 こんなことなら、先を行く彼と手を繋いでおくべきだった、と光忠は溜め息をついた。その溜め息は、妙に不安に駆られている自分にも向けられていた。

 どうしてこんなに不安になるんだろう。でも、ここで鶴丸を見つけなければ、見つけなければ、……見つけられなければ、どうなる?

 小さなさざめきのようだったひまわりの揺れる音が、今や大きなうねりのように聞こえて、それが光忠の焦りを表しているようだった。
「鶴さん!」
それが最高潮に達して、強く彼を呼んだ瞬間、背中に何かが確かにぶつかった。

――っ、ぅわ、?!」
「お!光坊じゃないか」
 驚いて振り向くと、真後ろの至近距離に鶴丸がいた。
「どうした光坊、ちょっと顔色が悪いぜ」
 ちょっとこちら距離をとった鶴丸は、と目深に被った麦わら帽子のつばを、くい、持ち上げながら光忠をうかがった。
「いや、ううん、大丈夫。……急にいなくなるから、びっくりしたよ」
「すまんすまん、一番見事な花に呼ばれていたのさ」
 そう言った鶴丸は、確かに何かを後ろ手に隠し持っている様子である。その、見事な花を刈り取ってきてしまったのだろうか。
「えっと、ひまわり、ってことだよね」
 光忠から見ればこの畑にあるひまわりはどれも美しく、どれが一番見事なのか分からない――さすがに枯れてしまっている花が、その「見事な花」に値しないのは分かる――けれど、鶴丸には選べるのかもしれない。光忠は首を傾げた。
「あぁ、そうだ。ほら、」
 そんな光忠に、鶴丸は満面の笑みを見せ、背後に隠し持っていた大輪のひまわりを正面に持ってきて抱えてみせた。

 そう、大輪のひまわり。
 枯れている、ひまわり。

 鶴丸が抱えている大きなひまわりは、すでに朽ちはじめており、花びらはしおれてところどころ落ちている。うなだれていて、中心部は真っ黒になっていた。落ち窪んだ眼孔のように。夏の象徴が、骸になっている。

「大きくて見事だろう?こいつが自分を見てくれって俺を呼んだんだ。このひまわり、花の部分が赤子の頭くらいあるぜ。おぉ、よしよし」
 両手で枯れたひまわりを抱えた鶴丸は、ふざけてそのひまわりを赤子をあやすように揺らしている。
 慈愛に満ちた鶴丸の視線を受け止める、枯れた大輪のひまわり。聖母のような手つきで「夏の骸」を抱く、端正な青年。
 光忠はその光景が孕むあらゆる歪みに頭がくらくらしていた。

 「骸」は鶴丸の腕の中で、枯れた花びらを地面に落としながらゆらゆら揺れている。その様はまるで赤子があやされているようで、あるいは、鶴丸にリードを取られて踊っているようで――
 光忠の背筋に何か冷たいものが伝った。
 確かにぞっとするもののはずなのに、鶴丸とその骸が共にある様子はとても美しかった。美しいと思ってしまった。

 死をあやし、死と踊る、白き鶴。

 光忠は鶴丸とひまわりの骸に魅入りながら、眩暈を覚えていた。とても美しかった。この世のものではないみたいに。自分からずっと遠くにあるみたいだった。

 綺麗だ。手が、届かない。いや、手を伸ばさなくては。

 光忠は鶴丸の方に一歩踏み出して、衝動的に両手で彼の手首をそれぞれ掴んだ。その拍子で彼の抱いていたひまわりが、二人の足元に落ちて、一度跳ねた。
「鶴さん、」
……?どうした?光坊」
 鶴丸は、突然手首を掴まれたことに驚いたようだったが、その手を振りほどこうとはしなかった。不思議そうに目を丸くしているけれど、同時に彼の眼差しには少し喜びのような何かが感じられる。いや、これは光忠の気のせいかもしれない。

「これは、僕のわがままだけど、……
 二人の影が二人の向こう側に長く伸びる。伸びて、ひまわり畑の中に消える。掴んでいる手首は、手袋越しにも骨ばっていて、自分よりも華奢だった。この人は確かに美しいけれど、まだ、此岸にいてほしい。
「あなたは、まだ向こうへ行かないで」
……?」

 鶴丸はよく分からないと言いたげに眉を下げて、曖昧に困った表情を浮かべた。そういう表情すらも美しいのが、この人だ。悲しいくらいに美しくて、儚くすら感じられる。綺麗だ。
……僕のそばにいてね、鶴さん」

 いつだって彼の周りは光に溢れているように見えるのに、その実、彼は死をまとっているのだ。

 そのことが強く感じられたから、この人の手を取って確かに引き留めておかなくては、と光忠は思ったのだった。
 光忠は、自分がどんな顔をしているのか分からなかった。ただ目の前の鶴丸が、珍しく困ったように微笑んでいるのだけが見えていた。同時になんとなく照れているようにも見えた。どうしてだろう。
 彼はひまわり畑に視線を向けながら言った。
「なら、しっかりと手を繋いでいてくれないかい、光坊」
「うん」
 光忠は鶴丸の手首を放して、代わりに彼の片手と手を繋いだ。手袋をあいだに挟んでいても、いつもよりも鶴丸の手のひらは冷えているような気がする。

――わがままなんてきみは言うが、光坊が手を引いてくれるから、俺は、」
……?」
「いいや? なんでもない。さ、帰るとしよう。夜が来て二人とも迷子になったら困るからな」
 鶴丸が歩き出したので、光忠もそれに続く。「夏の骸」に別れを告げて。繋いだ手のひらは、互いに先ほどよりもあたたかくなってきていた。

……あぁ、また向こうへ踏み越えるところだった、か」
「?」
「まだ戻ってこられる――

 独り言だったのだろうか。隣を歩く鶴丸の囁きを拾って光忠は彼を伺ったけれど、鶴丸は詳細を話さなかった。光忠もそれを追求はしなかった。したくなかったのかもしれない。
 何か迷いを振り切るように鶴丸は、ぶんぶん、と大きく繋いだ手を振った。

「ま、俺はこれからも平気だ。光坊という錨が俺を繋ぎとめているからな」
「錨、……?、かどうかは分からないけど、僕はいつも鶴さんのそばにいるよ。僕がそうしたいから」
 そう言って光忠は繋いだ手に力を込めた。この手を離してはいけないし、離したくない、と思いながら。
「はは、きみは頼もしいなぁ! 光坊、俺はきみのそういうところが好きだ。いや、全部が好きな前提でだぞ?」
「ふふ、ありがとう。僕もつるさんの全部が大好きだよ。だから、もし嫌じゃなかったら、こうしていい?」

 光忠は、しっかり繋いだ手を一度するりと離すと鶴丸の指のあいだに自分の指を滑り込ませて、改めてしっかり繋ぎなおした。いわゆる恋人つなぎというやつである。
「こっちのほうが簡単にほどけないから」
 あなたが向こうへと何に呼ばれたとしても絶対に離さないよ、というやや重い気持ちを乗せて光忠は言ったのだが、彼はなんだか嬉しそうだった。

「光坊は謙虚だが、同時にこうやって大胆なところがいい」
 鶴丸は機嫌良さそうに言うと、光忠の手を繋いだままの状態で引き寄せて互いの繋ぎ目の部分に口づけた。祈りのようで、同時に愛の具現化のような丁寧な口づけ。あまりに優しく唇が触れるから、光忠はなんだか少し照れてしまった。

……鶴さんのほうが大胆じゃないかな」
「そうか?」
「そうだよ」

 手を繋いで隣にいる彼の笑顔は、太陽はひまわりよりもずっとずっと明るい。だから、あぁ、もう大丈夫だ、と光忠は思った。先ほどよりやわらかく鶴丸の手を握る。
 手を繋いだ二人の影が、一緒にひまわり畑から離れていく。黄昏の陽の中、寄り添いながら。

 夏の終わりの匂いがする。夏が終わるのだ。