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2025-07-26 23:06:04
3012文字
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燭鶴「熱帯夜」

燭鶴版深夜の創作60分一本勝負 お題「熱帯夜」
熱帯夜の暑さに当てられて熱を帯びて光忠くんを欲している鶴さんと、そういう鶴さんを好ましく思っている光忠くんの話です。このあと情事につながっていく、そんな感じです。

 静かな部屋に、万年筆が紙の上をすべる音だけがしている。

 燭台切光忠という男は、生真面目な男だ。彼は毎晩、一日のやるべきことが終わると、こうして日記をつけていた。毎日欠かさず何かを書いていて、とてもマメなことである。
 彼が一日を記しているあいだ、鶴丸はいつも隣に座ってその様子を眺めていることが多かった。ペン先が流れるように日記帳の上をすべりながら、律儀にトメ、ハネ、ハライを描いていくのを見ているのが好きだ。光忠の丁寧な筆致を追いかけているのは心地よい。

 だから、今夜も鶴丸は日記帳に向かう光忠の隣に腰を下ろして、机の上に上体を預けるように伏せて、一日を描き出す彼の様子を眺めている。
 光忠が日記をつけている時間、それを眺めている時間、それは心地よいもののはずだけれど、今夜はどうも違っていた。

 すぐ隣に座っているのに、彼の視線が自分の方へまったく向かないこと、それが、なんだかとても退屈に感じてしまった。どうしてだろう。分からないけれど、今夜はどうしようもなく、とても光忠のことを欲している。

 はじめのうちは光忠の走らせるペン先を見ていたはずの鶴丸の視線は、ペン先から浴衣の袖口と手袋のあいだに見えている白い手首へ、浴衣の生地越しにも分かる筋肉でしなやかな腕へ、肩へ、そしてはっきりと膨らんでいる彼の喉仏へと、だんだんと移動していった。

 呼吸に連動してわずかに動いている喉元を見ていると、鶴丸はなんだか自分の喉がひどく渇くような気がして、二人のあいだに置いてあった自分の分のグラスを口元に運んだ。冷えた茶を飲み込んで再びグラスを置く。氷がたくさん入ったグラスにはびっしりと結露がついていて、鶴丸が触れたことで結露がしずくとなってグラスの表面を伝った。聞くところによると今夜は熱帯夜ということで、本丸の中は空調管理がされているとはいえ、確かに暑かった。

 そうだ、暑いせいかもしれない、と鶴丸は思う。この、なんだか落ち着かないような、光忠を強く欲するような感覚は、暑さにやられたことによるものなのかも。
 鶴丸はそんなことをぼんやりと考えていたので、自分がじっと、焦がれるように光忠の横顔を眺めていることに無自覚だった。

――、るさん、鶴さん」

 二度目の呼びかけで鶴丸は、はっと我に返って机の上に伏せていた上体を起こした。

「どうかしたか、光坊」

 光忠の手元を見ると、彼の日記はまだ書き途中のようだ。光忠は日記を書いているときは集中していることが多いので、途中でこうやって話しかけてくることはめずらしい。だから、何かあったのかと尋ねてみたのだが。

「ふふ、それは僕の台詞だよ、鶴さん。今日はなんだかすごくおしゃべりな感じ」
……?いや、俺は何も言ってないが」
「そう?鶴さんの視線はとってもおしゃべりだよ。いつもはそんな感じじゃないけど……、めずらしいね。退屈?」

 いつもは手元を見てるのに、今日は僕の顔をずっと見てたでしょう、僕がそんなに格好よかった?と彼は少しふざけた調子で言った。柔らかに、揶揄するような口調。
 鶴丸はじっと眺めていた自覚がなかったので、光忠の指摘に内心で動揺した。そんな、恋人の横顔をじっと眺めているなんて、まるで恋する少女のようでなんだか気恥ずかしい。なので、適当を言って誤魔化した。

「さぁ?こうも暑いと、誰でも少しはおかしくなるぜ」
「確かに、今夜はすごく暑いよね」
 鶴丸の返答は明らかにはぐらかしたような適当さがあったけれど、光忠はそれを特には気に留めていない様子で頷いている。そして、彼は優しく微笑んで言った。

「もうちょっとだけ待ってて。鶴さんがお利口に待てたら、あとで……、ね?」
……、ほう?」
「だから、もう少しだけ書かせてね」

 光忠ははっきりとは言わなかったけれど、どうやら、お利口に待てたらご褒美がある、ということらしい。それはどうにも子供扱いだったが、鶴丸は嫌ではなかった。子供扱いされたことよりも、褒美があるらしいということのほうに気を取られていた。また喉が渇くような気がして、グラスから茶を飲む。暑い。漠然とした期待が膨らんでいく。

 鶴丸が頷くのを見て、光忠は再び一日を記す作業に戻った。鶴丸も再び上体を机に伏せる。光忠の横顔を見つめる。彼の喉元。喉仏。噛み付いてやりたい。彼のペンを持つ指。指先。それが自分に触れてほしい。そんな欲望と期待が頭の中に浮かんでは消える。暑い。

 熱帯夜というのは日が落ちても気温が二十五度を下回らない夜のことを指すらしい。たぶん外は二十五度を下回らないどころか、三十度くらいは優にあるだろう。だから熱い。自分の中にあるこの熱は、きっとこの熱帯夜のせいだ。鶴丸はそんなことをどこかの誰かに対して言い訳していた。光忠の作業が終わるのを、お利口に待ちながら。

 そうやって待って、どのくらい経ったのか分からない。とても長い時間だったのか、あるいはほんの少しのあいだだったのか。分からないけれど、光忠の走らせるペン先は、丁寧に最後の句点を打って、彼は万年筆を置いて日記帳を閉じた。

「お待たせ、鶴さん」
「ん。……どうだ、利口だっただろう?」
「うん、とってもお利口。だから、ご褒美をあげる」

 光忠は先ほどまで万年筆を持っていた手を鶴丸の頬に伸ばして、指先で顔全体を持ち上げるように触れた。鶴丸が上体を起こす。
 彼に触れられた場所から、熱が全身に伝っていく。暑い。熱い。熱帯夜のせいだ。
 光忠は鶴丸の頬に手のひらを添えるようにして触れて、親指で唇を撫でた。撫でた次の瞬間にはもう、彼によって口づけられていた。数秒の抒情。

 余韻を残すように光忠の唇が離れて、鶴丸は無意識に自分の唇を舐めた。熱いのが、彼の唇だったのか自分のものなのか、分からない。名残るように自分の唇に触れている鶴丸を見て、光忠は笑って言った。

「鶴さんの唇、熱いね。やっぱりさっき言ってたみたいに暑さのせい?」
「そうだな。いや……
 鶴丸は自分の唇に触れていた指先を光忠の胸元に伸ばすと、浴衣の合わせの部分を掴んだ。彼の浴衣がわずかに乱れる。
「期待させる光坊のせいさ」

 掴んだ合わせを、ぐい、と自分の方に引き寄せて、鶴丸は光忠のはっきりとした喉仏に噛みついた。彼は、痛いよ、と言ったけれど、声音はなんだか嬉しそうだ。発声で震える喉元に噛みついて舐めるこちらの頭を、彼はあやすように片手で撫でている。
 しばらく光忠の喉を堪能して気が済んだ鶴丸は、彼を解放すると挑戦的に言った。

「熱帯夜と言うには、まだ熱が足りない。きみのをもっとくれ」
 鶴丸の言葉に、光忠はとても楽しそうに笑う。
「あはは、鶴さんったら情熱的で欲張り。悪い人だね」
「そんな俺は嫌いかい?」
「ううん、お利口な鶴さんも悪い鶴さんも大好き」
「そうだろう。大概きみも欲張りだぜ」

 互いに笑って、どちらからともなく再び唇をあわせた。

 熱帯夜。そう、これは熱帯夜のせいなのだ。この夜の熱に浮かされているだけ。だから、大胆で欲張りであったって許されるはずだ。「あつい」という言い訳が許されるなら、もう少しだけ、欲張りたい。この暑い中、お利口にしていたんだから。

 熱帯夜のせいにして、二人で熱に溺れよう。