ほんのりとしたまばゆさで光忠は目を覚ました。壁にかけられた時計を見る。針はおそらくは午前二時前くらいを示していて、夜明けにはまだほど遠い。
はて、なんの明るさだろうかと思って身体を起こした光忠は、この明かりが月の白い明かりであることに気がついた。閉めたはずの部屋の障子戸が少しばかり開いていて、そこから月光が差し込んでいたのだ。
今宵は満月。ひときわ明るく輝く月は空の高いところにあって、そこから光がまっすぐ部屋へと入ってきている。細く開いた戸の隙間から室内へと招かれるように。
差し込む一筋の明かりは淡く綺麗なものだけれど、真夜中の部屋の中で見ればとても明るく、ともすれば安眠を妨げてしまいかねない。実際、光忠はその明るさで目を覚ましてしまったし。
よく寝ている同室の恋人が眩しさで目を覚ます前に戸を閉めておこう、部屋を再び夜で満たしておこう、と思って光忠は布団から這い出した。
戸に手をかけて閉める前に、なんとなく光忠は眠っている鶴丸の方を振り返った。彼が動いたような気がしたからかもしれない。実際の彼は眠り続けている。
スポットライトに照らされるかのように差し込む仄明るい白い光に照らされて、鶴丸の白い柔らかな髪はきらきらと銀のように輝いていた。透けるような白く薄い肌は、月光に照らされてつるりとした石膏のように見える。その様子にはまるで永遠に美しさを保つ繊細な白百合の造花のような、そんな気配があった。見るものの神経をひんやりとさせるような美しさ。
光忠はそんな鶴丸の様子にわずかばかり息を飲んで、戸を閉める前に月光に照らされた彼をよく見ようと思った。もうしばらく明かりが差し込んでいても、深く眠っているらしい彼は目を覚まさないだろう。もうわずかばかりの時間だけ、少しだけ、この恋人が白銀に輝くさまを見ていたい。
音を立てないようにそっと鶴丸のそばに戻った光忠は、胎児のような姿勢で眠っている彼の正面に相対する側に膝をついて、その寝顔をうかがった。眠る鶴丸の呼吸はとても凪いでいるのか、彼の肺が膨らむ動きを目で確認することはできなかった。月光に照らされて、鶴丸は微動だにしない。ぴくりとも動かない。
光忠の目の前で、彼は、まるで初めからそうであったかのように造り物めいていた。繊細な陶磁器か、あるいは、ひんやりとした石膏像か。横たわる鶴丸を見つめながら、光忠はそういう印象を抱いた。
――もし、見た目のとおり、造り物だとしたら、どうする。
光忠は考えた。この人の心臓は、今、ちゃんと動いているだろうか。光忠はそんなことが急に心配になった。
あとから考えてみれば、この心配は甚だどうかしていると思うことだろう。だって、数刻前の就寝のときに、おやすみの挨拶を交わしたのは確かにこの鶴丸なのだ。いつもどおり挨拶と睦言を交わして、儀式のように軽くハグをして、そうして眠りについたはずだ。だから、目の前のこの彼がいくら造り物のように見えたとしても、その心臓はちゃんと動いている、はずだ。生きているはずだ。刀剣男士として。眠りにつく前には、確かにそうだったのだから。
しかし、そうだとしても、今この瞬間は、月光に照らされているこの瞬間は、もしかしてこの鶴丸国永という存在は造り物なんじゃないかと思わせるような静謐な迫力が、ここにはあった。微動だにしない白き太刀の、等身像。
心臓が動いているか、ちゃんと確かめないと。
光忠は急にそんなことを思いついて、そっと鶴丸の胸元に手のひらを伸ばした。起こしたらごめんね、なんて小声で呟きながら、その一方で、彼がこれで目を覚ましてくれたらこの仄かな自分の不安は解消されるのに、なんて勝手なことを思いつつ。布団の上に横向きに投げ出された両手のあいだに手のひらを差し込んで、そっとその胸板に触れた。
そこには確かな体温があるはずなのに、なぜだろう、このときの光忠にはとてもひんやりした温度に感じられた。それがまたいっそう、造り物を相手にしているような感覚を加速させた。
「鶴さん、生きてる、よね、?」
起こしたいのか、起こしたくないのか、曖昧なくらいの声量で問いかけてみたら、自分の声が思いのほか不安げな声をしていて光忠は苦笑した。いったい、何をこんなに不安になっているんだ。でも、あんまりにも、この人が、嘘みたいに綺麗だから。嘘みたいに綺麗なのが、なぜか寂しくて。
「ねぇ、鶴さん、綺麗だね、月」
もう一度そう呼びかけて返事がないことを確認してから、光忠は一瞬迷ったものの彼の胸元に耳を近づけた。横向きに寝ている状態に対して耳を近づけたので、片腕をそっと持ち上げてその腕の中に頭をねじこんだことになる。
まるで無理やり鶴丸の腕に幼子みたいに抱かれにいったような格好になってしまった。ただ、そうして耳を近づけたことで、ここでようやく、彼の心臓が動いていることが確認できた。心臓は、光忠のものと同じように、ゆっくり、規則的に、鼓動を刻んでいる。
よかった、この人は生きている。
「……ん、?」
頭上でぼんやりとした声がして、光忠は身をすくめた。目を覚まして当然だ。これだけ胸元でごそごそやられたら誰だって目を覚ますだろう。
「……光坊、?どうした?」
「ごめん、起こしちゃったね」
「んー、いや、構わんが。……どうしたんだい?」
寝起き特有の少し輪郭の丸い声音で、鶴丸は穏やかにこちらを気遣った。
「いや、えっと……、心臓を確認してた、というか」
「はは、どうした、俺が冷たくなってる夢でも見たのか?」
「いや、そうじゃないけど、月が明るくて、鶴さんはとても綺麗で、造り物みたいで、生きているのが嘘みたいだと思って、それで――」
「……?よくわからんな。きみ、悪い夢でも見て寝ぼけてるんじゃないのかい。……だがそうだな、今夜は、確かに月が明るいようだ」
まだ少し眠たげに掠れた、半分微睡みの中にいるような鶴丸の声が柔らかく響く。
「そういう月の明るい夜は、人恋しくなるものかもしれん」
鶴丸は半身を起こして、少し布団の上で場所をずれた。
「おいで、光坊。そんな夜はくっついて寝ようじゃないか。鶴さんが寝かしつけてやろう」
ぽんぽん、と布団を軽く叩いて、彼は光忠に布団に横になるように言う。
「きみが眠りにつくまで、うんと甘えてくれていい。だいたい、目が覚めて甘えたくなったんならいつでも俺を起こしてくれていいんだ。さっきみたいにこっそり胸元に忍び込むんじゃなくて」
「いや、その、さっきのはそういうわけじゃないんだけど――」
人恋しくなったり、甘えたくなったりしたから鼓動を確かめたわけではないのだ、と光忠は弁解しようとしたのだが(なんとなく寂しがりの子供扱いをされているようで決まりが悪かったからだ)、しかし、鶴丸が造り物のように感じられたときに抱いた不安や寂しさと、人恋しさというもののあいだに何か大きな違いがあるだろうか、と言われるとなんだか同じもののようにも思われて、光忠は最終的には弁解をやめた。
「うん、そうだね、僕、あなたに甘えたかっただけなのかも」
だから、最終的にそう言ってみたら鶴丸は満足そうに微笑んだ。
「そうだろう。きみが存外甘えん坊であることを、この俺だけは知っているぜ」
人に甘える姿を見せるのは、どちらかといえば格好悪いに分類されるものかもしれないけれど、この人の前では、そういう姿であってもいいかな、といつも思う。
光忠が素直に鶴丸の隣に寝転んで一緒に寝る体勢に入ると、彼は幼子に対する手つきでこちらの頭を撫で、額に口づけを落とした。
「子守唄はいるかい、光坊。こういう夜にとっておきのものがある」
「鶴さんの心臓の音だけで十分だよ」
光忠がそう答えたら、鶴丸は遠慮しなくてもいいんだが、と微笑んで、再びこちらの頭を撫でた。
「ま、それじゃあ、胸にぎゅっとしてやるから、俺の鼓動を聞いているといい。じきにきみの心臓と俺の心臓はきっと同じリズムになる。そうやってこの夜の中でひとつになるのさ」
なんだか哲学めいたことを鶴丸は言いながら、抱きしめるように光忠に回した手のひらで、とんとん、とこちらの背中を叩いた。鼓動のリズムで。それは幼子扱いをされているも同然だったけれど、それは同時にあたたかい愛だった。あたたかい。
「ひんやりしている鶴さんはとても綺麗だけど、それはただ綺麗なだけだから、僕はあったかい鶴さんのほうが好きだな」
「はは、なんの話をしてるんだか」
鶴丸が笑ったので、少しだけ彼の鼓動のリズムが乱れた。それがとても「生」を感じさせて、光忠はそのぬくもりに安堵を覚えた。よかった、ちゃんと、この人は生きている。造り物なんかじゃない。
「ねぇ、やっぱり、子守唄歌ってもらってもいいかな」
「もちろん。お安い御用さ」
そう言って鶴丸は光忠の背中を優しく叩きながら子守唄を口ずさんだ。囁くようなその子守唄は、少しだけ掠れた音をしている。
その歌声を聴きながら、光忠は目を閉じた。とん、とん。彼の心臓の音と自分の鼓動がひとつに重なる。それはまるで同じリズムを刻もうとするみたいに。あたたかい。
造り物のような鶴丸は、息を飲んでしまうほど美しくて、確かに見とれてしまうし、そういう美術品だとしたらそれはたいそう価値が高いだろう。けれど、それでも、この体温を持った生きている彼には敵わない。きっと、鶴丸国永という人の価値の核は、その見目でも、来歴でもなく、この体温なのだ。
それに触れることができる関係性にあることを、光忠は嬉しく思った。
「おやすみ、鶴さん」
「あぁ、おやすみ。よく眠りな」
鶴丸の言葉は優しい愛に満ちている。
鼓動の通奏低音と、鶴丸の口ずさむ子守唄と、彼の体温にくるまれて、光忠の意識はゆっくりと眠りの中に沈んでいった。今にして思えば、独り目を覚ましたときにはもう、こうやってこの人の胸に抱かれて眠りなおしたいと無意識に思っていたのかもしれない、と思いながら。
差し込む月明かりに照らされて、二人は聖母子像のようにひとつになっていた。
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