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青色
2025-04-21 20:34:18
9494文字
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燭鶴「お花見」
お花見をしたり、永遠を誓ったりしている二人。光忠くんは鶴さんが見た目の印象のとおりの儚さではないと思ってはいるけど、それはそれとして、綺麗すぎるあまり桜にさらわれる=どこか遠くへいってしまう可能性はあると思ってもいるんじゃないかなと個人的に考えてます。
ヨルシカの春泥棒という曲に描かれてる春がいいな〜と思って影響受けてます。
厨で淹れたコーヒーをボトルに入れて、茶菓子を持って、光忠は本丸の離れの納屋の方へ向かっていた。
納屋のそばにある桜の木
――
先日、開花の瞬間を観察した木だ
――
が満開になったから二人で花見をしよう、と鶴丸に誘われたからである。今日は二人の非番が重なっていたからいいタイミングだった。
時刻は正午を回っている。桜の季節とはいえ、日差しはまだ夏よりも冬のほうに色が近いように感じられた。白に近い淡さの光だ。
「鶴さん、ごめん、時間かかっちゃった、お待たせ、
……
、あれ?」
桜に近づく途中からすでに言葉を発しつつ木のふもとで足を止めた光忠は、花見の誘い主である鶴丸の姿がそこになかったので首を傾げた。木の下で先に待っている、ということだったのだが。
鶴丸の気配はないし、あたりはしんと静まり返っている。静かなのはそれはそうだ、ここは本丸からはそれなりに離れた納屋であり、この桜の木はそこそこ大きいけれど「ぼっち」の桜なのだ。桜がまとまって植わっている場所が本丸の中には別にあるので、花見をするなら皆はそちらに向かうだろう。
つまり、なんというかここは、鶴丸との秘密の場所のようなものなのだ。だから、ひとけがないのは当然で、でも、彼は確かにここで待っているはずなのだけれども。
何か用事ができて、まだここに来ていないのだろうか。それとも、どこかに隠れているのか。
隠れているとしたら、探さないのは野暮だろうな。
そう思って、光忠はとりあえずぐるりとあたりを見回した。やわらかな風がそんな光忠の肌を撫でるように吹いていく。何かがふわりと頬についたので指でそっとそれを取り上げてみると、一枚の桜の花びらだった。
花びらは薄く、向こう側が透けて見えるような気さえした。それを確かめるために、光忠は花びらを空に透かしてみる。
薄紅色の向こうに枝の隙間から空の青が広がって、そのコントラストが綺麗だった。
そうやって枝の向こうを見上げているうちに、ふと、光忠の隻眼が樹上に人影を捉えた。日差しの逆光で輪郭がぼやけているけれど、枝に腰掛けているのは探していた相手であり、白き太刀である、鶴丸国永だった。色が溶け込んでいてぱっと見ただけでは全然気がつかなかった。
薄紅色の小さな花に囲まれて、白い内番着はぼんやりと花の色を反射している。それによって彼もまた薄紅に染まって、桜の一部になっているようにも見えた。表情ははっきりとは見えないから確かではないけれど、光忠には鶴丸がどこか遠くを見ているような、あるいは何かを憂いているような様子のようにさえ感じられた。どうやら彼は樹下の方には意識を向けていないのか、こちらには気がついていないように思われる。何やら物思いにふけっている、そんな印象。
鶴丸国永という刀が、芯を持った確かな存在であることを、光忠は知っている。
強靭な精神を持ち、戦場で豪胆に舞う、しなやかな鶴。
それを知っているのだけれど、と思う。
こうして何かを憂いているような、そうでなければここではないどこかを見ているような様子であるとき、彼は見目の印象のとおりとても淡く、儚いように感じられるのだ。
この、淡く儚い、という感覚を覚えることは、透きとおっていて美しいと思って見とれてしまうことに、たぶん似ている。
背後に抜けるような青を湛えて、淡く薄紅に色づく鶴丸という刀は、とても美しかった。
美しくて、見つめているその合間に瞬きをしなければならないことが億劫になるほどに。息をすることを忘れてしまうほどに。その姿を一瞬たりとも見逃したくないという、焦燥に近い感覚があった。
光忠は、絵画のように樹上に腰掛けている彼を、そうやってしばらく声をかけないまま眺めていた。やわらかに吹きつづける風が、光忠の前髪を、鶴丸の襟足を、ほのかに揺らしている。
どのくらいそうしていただろう。黙って眺めつづけることにようやく満足して光忠が声をかけようとしたその瞬間、やわらかだった風が強く吹きつけて、あたりに桜吹雪が舞った。舞い上がった桜吹雪に目が眩んで光忠は一瞬、目を瞑る。吹き抜けていく風が花びらとともに、頬をしっかりと撫でていく気配。
目を開けた光忠が再び樹上の鶴丸を見上げると、そこにはもう彼の姿はなかった。つい先ほどまで確かにそこにいたはずなのに、この瞬間にはもういない。まるで桜吹雪にさらわれて、忽然と姿を消したかのようだった。
「
……
、鶴さん
……
?」
桜吹雪の名残の中ぽつりと呼んだ名前は、自分で思っていたよりも途方に暮れたような響きをしていた。どこに行ってしまったのだろう、ともう一度樹上を見上げようとした瞬間、急に視界が暗くなった。何かに背後から目を覆われている。
「わっ、何?!」
「だーれだ」
「えっ、わっ、鶴さん?」
「はは!そのとおり!俺だ!」
どうやら背後から手のひらで目隠しをされていたようだ。くるりと後ろを振り返ると、鶴丸は悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「鶴さん、いつの間に?ほんのさっきまでこの木の上にいたよね?」
そりゃもちろん瞬間移動さ、と当然のように彼が言うので光忠は困ったように笑った。まったく、びっくりさせてくれる。
「いい顔だ、光坊。その顔が見たかったんだ。まさか俺が背後から来るとは思わなかっただろう。桜吹雪にまぎれて真打ち登場!ってな」
「本当にびっくりしたよ、急にいなくなっちゃったから、桜にさらわれたかと思って」
「さらわれる?まさか!俺はそんなタマじゃないさ」
おどけた調子で肩をすくめる鶴丸は、内面のとおりの軽やかに酔狂な様子で、確かにこの様子を見ると桜にさらわれるような儚さは持ち合わせていないように感じられる。でも。
「そうかもしれないけど、でもさっき桜の上にいた鶴さんはなんだか遠くを見ていて、儚げだったから」
何かを憂いていたのか、と控えめに
――
訊かれたくない場合もあるだろうから
――
光忠が問うと、彼は笑って首を振る。
「いいや?何も憂いちゃいないよ。どちらかといえば光坊が来たときにどう驚かせようか考えていた。桜を見るのは乙なものだが、ただ見るだけじゃつまらないだろう」
「そうなんだ
……
、僕が来たことに鶴さんは全然気づいてないと思ってたけど、むしろ機をうかがってたんだね」
「そういうわけだ!驚きってのは、間を見極めることが一番肝心だからな」
うんうん、と大げさに鶴丸は頷いて、何やら得意げにしている。彼は驚きに対して一家言を持っており、こうして時折、それを示してくれるのだった。いや、光忠がそれを参考にできたことはあまりないけれど。
「まぁ、しかし、機をうかがってたというのもあるが、なんというか、俺を見上げているきみの表情をしばらく眺めていたかったのさ」
「えっ、僕、どんな顔をしてたかな」
「そうだな
……
。鶴さんのことが大好き!って顔をしてたぜ」
にっと歯を見せるように笑いながら鶴丸が言った言葉を聞いて、光忠は自分の体温が上がるのを感じた。そんなに好意をあらわにしてしまっていただろうか。照れをごまかすように、後頭部を片手で無意味に乱した。
「鶴さんのことはそりゃ好きだけど、そんなに顔に出てたかな、
……
恥ずかしいね」
「はは、いいねぇ。そうやって照れている光坊はいつもかわいい。
……
ま、正確にはきみは俺のことを眩しそうな顔で見てたんだ。一生懸命にも見えた。きみはいつもそうだ。それがなんとなく愛しくてな。だからしばらくその表情を見ていたくて気づいていないふりをしていた」
まぁ純粋に驚かせたくもあった、と鶴丸は続けて、そんなに俺のことが大事かい、と彼は問う。
「うん、鶴さんのことはいつだって大事だし、鶴さんの表現を借りるならいつだって眩しいよ。さっきだって、すごく綺麗だったんだ。本当に。なんだか焦ってしまうくらいに」
「焦ってしまうくらい、か
……
」
鶴丸は何かを考えるようにこちらの言葉を繰り返したが、言葉は続けないままだった。
「立ち話を続けるのもなんだから、花見を始めるかい?コーヒーを淹れてきてくれたんだろう?」
「コーヒーと、それから和菓子を持ってきたよ、練りきりなんだ」
「そいつはいい!花より団子と言うが、花もあって茶菓子もあるのが一番だよな。そこに光坊のコーヒーがあるとくれば最高だ」
二人で木のふもとに隣り合わせに腰を下ろした。光忠が持ってきた籠からカップを取り出して、コーヒーをボトルから注ぐ。
「水出しコーヒーにしてみたんだ、あったかいのが冷めちゃうよりもおいしく飲めるかなって」
「おぉ、いいな。冬も終わって、そろそろ冷たいものも欲しくなってくる季節だ」
鶴丸は機嫌良さそうに頷いて、光忠が差し出したカップを受け取る。彼が、こうして自分の淹れるコーヒーを気に入ってくれていることを、光忠はいつも嬉しく思う。
「うん、うまい。練りきりももらっていいかい?」
「もちろん!お花見っぽいのにしたよ」
和菓子の入った容器を手渡して、彼が一口それを頬張るのを光忠は眺めた。
「こっちもうまい。ひょっとして、光坊の手作りか?」
「うん、実はそうなんだ。小豆くんがちょうど今日作るって言うから一緒に作らせてもらってね。それでちょっとここに来るのが遅くなっちゃったんだけど」
「きみが練りきりを作るのは初めてじゃないか?記念すべき一作目を頂けるってわけだ。一作目というだけでなく、見た目も味も良いときた。きみは天才だぜ、光坊」
コーヒーに口をつけ、練りきりを頬張った鶴丸は、饒舌にそう言って満足げにしている。
この人が人の身を得てよかったと感じることの一つに、「おいしいものを食べる喜びを味わえること」というのを挙げていることを光忠は知っているから、自分が作ったものをおいしそうに食べてもらえることはとても嬉しい。
それから二人して穏やかにコーヒーと茶菓子を味わった。特に何を話すでもないけれど、沈黙は気詰まりではなくて、ただ隣に鶴丸がいるだけで心地良い。彼もそう思ってくれているといいのだけれど。いや、たぶん、そう思ってくれている、と、思う。希望的観測だとしても。
「おっ、」
不意に鶴丸が手を伸ばして、何かを空中で掴んだ。なんだろう、と思って光忠が首を傾げていると、彼が目の前で拳を開いて見せてくれる。
「見てくれ、春を捕まえたぞ」
彼の手のひらの上には、桜の花びらが二枚。得意げな鶴丸の笑顔は花がひらくようにほころんでいて、それを光忠はまた眩しく思った。やっぱり、この人は花なんだ、春なんだ、と思って。
ちょうど花びらが二枚だから、こっちは光坊でこっちは俺、となんだか無邪気なことを言っている彼を眺めて、光忠は目を細めた。目を細めたけれど、瞬きはしたくなくて、この瞬間をずっと見ていられたらいいのにな、と思う。他愛のない春の時間が、煌めいているように感じられて。同時にまた、焦燥に近い感覚が、胸の内に生まれる。
「光坊も春を捕まえてみたらどうだい」
「鶴さんみたいにうまくやれるかなぁ」
ちょうどいいタイミングで花びらが降ってきたので光忠は手を伸ばしたが、それは指の隙間を通り抜けていってしまった。
「あっ
……
。けっこう難しいかも」
しばらく光忠は舞い落ちる花びらに手を伸ばすことを続けたが、なかなかそれは手の内に収まらなかった。
「はは、苦戦してるなぁ、光坊」
「難しいよ、これ。手を伸ばしてるのにすり抜けちゃって」
花びらを何度も手のひらから逃しているうちに、少しだけ焦ってしまうような感覚に陥った。鶴丸を見て眩しく思っているときに抱く感覚に、それはなんとなく似ている。
「さっき俺を見上げていたときと同じ顔をしているぜ。一生懸命な顔だ。一生懸命だが、同時に
――
、そうだな、何か焦っている」
彼が穏やかにこちらの焦燥を見透かすので、光忠はなんとなく居心地が悪いような感覚を覚えた。なんだか格好悪い、と思ったのだ。
「光坊、いいことを教えてやろう。春を捕まえたいなら、必ず手が届くと信じてしっかり手を伸ばすことだ。手を伸ばして捕まえて、どこかへさらわれる前にきみのそばに置くといい。きみのその、捕まえたい、という感情は、憧憬なんかじゃなく愛だろう?なら、手を伸ばせばその手は必ず届くはずだ」
桜の花びらを捕まえるコツについて言っているようで、実のところ鶴丸はなんだか抽象的なことについて話していた。でも、光忠は彼が何を言いたいのか、分かるような気がした。
だから、手を伸ばした。伸ばした指先が春に触れる。その春は、体温をともなって、すべらかな質感で、そして触れられたことに微笑んでいる。
そう、光忠は、鶴丸の頬に手を伸ばしたのだった。
「
……
、春、捕まえた」
「あぁ、上出来だ、光坊」
捕まえた春は、確かに光忠の手の内にあった。今度はすり抜けることなく、指先に小さな体温が宿っている。
「前に俺を春だと言ってくれたきみなら、こうやって俺を捕まえてくれるだろうと思っていた」
肌に触れている光忠の手のひらに頬を預けて、鶴丸は微笑んだ。
「きみが俺を眩しそうに見つめてくれているとき、愛しく感じるが、同時に、ただ見つめるんじゃなくて手を伸ばしてくれ、といつも少し寂しくも思っていた。なぁ、光坊。もしきみが、俺が桜にさらわれそうだと
……
、いや、俺がいつかどこか手の届かないところに行ってしまうかもしれないと、そういうふうに焦ってしまう気持ちがあるなら、いつでもきみがしっかり俺の手を引いて、そうならないようにそばに置いておいてくれ」
それが愛だろう、と鶴丸は重ねるように言った。
「そっか、」
光忠はここで初めて自分の中に生まれる焦燥感の正体が分かったのだった。
「鶴さんが綺麗で眩しいなって感じるとき、あんまりに綺麗だから、そのまま僕の手が届かなくなっちゃうんじゃないかって、僕、不安だったんだね」
「はは、自覚してなかったのかい?だからこそ一生懸命な顔をしているんだとばかり思っていたが」
「うん、自覚なかったや。ただとにかく、綺麗な鶴さんをせめて目に焼きつけようと思うばっかりで
……
。鶴さんはなんでもお見通しだね、すごいよ」
「ま、年の功ってやつだな。いや、愛のなせる技か?」
鶴丸はくすぐったそうに笑った。悪戯っ子のように、でもどこか曖昧に照れたように。
「まぁ、何はともあれ、俺は光坊がこうして手を伸ばして捕まえてくれて嬉しいぜ。これから眩しいと感じるときは、いつでもこうやってこの春を捕まえてくれ」
そう言いながら笑う鶴丸は、やっぱり花が咲くような笑みを湛えていて、それは綺麗で眩しかった。でも、もうこの眩しさに焦燥は伴わない。ただその眩しさを、愛しく思う気持ちがあるだけだ。
眩しさを少しも見逃したくなくて、鶴丸の頬に手を添えたまま、光忠は顔を彼の方に寄せた。じっと瞳の中を覗き込む。普段から煌めくような金の瞳の中に、今日は春の色
――
青と薄紅
――
が映り込んでいる。
それは眩しくて、とても綺麗だ、と思う。その色を見逃したくないと思って、やっぱり瞬きをするのは億劫だと思った。この感覚は焦燥からくるものではなく、愛しさからくるもの。
じっ、と瞳を見つめられている理由が分からないのだろう、鶴丸はぱちぱちと不思議そうに瞬きを繰り返した。とはいえ、決して見つめられることを拒絶するわけでもなく、素直にまっすぐ、光忠を見つめ返してくる。かわいい。
この愛しさを、どうやってこの人に伝えたらいいのだろう。言葉では足りないかもしれない。そんなことを考えながらしばらく見つめていたら、ふっと彼はちょっと呆れたように笑って、両腕をこちらの首に回した。
「あのな、口づけをしたいんだったら
……
、これはちょっと待たせすぎだぜ」
そう言った鶴丸は誘うように少し目を伏せた。この言葉を聞いて、光忠は愛を伝えたいなら何も言葉に限る必要はないじゃないか、と気がついて頷いた。やわらかいところを触れあわせれば、言葉よりも雄弁に伝えられる。
光忠はさらに顔を近づけた。まつ毛が触れあう距離になって、鶴丸のまぶたが完全に下ろされる。おいで、と言うように。
繊細な硝子細工を指先で撫でるような丁寧さで、光忠は唇を合わせた。
唇と唇が触れる瞬間の感覚をどう表現したらいいだろう?それはとても繊細な営みなのに、同時にとても大胆な営みでもあった。やわらかな感触と体温が伝わってきて、その温度に胸もあたたかくなる。
ただ唇と唇を触れあわせているだけのに、どうしてこんなに胸が詰まるような感覚になるのか、それはきっと、この人が愛しいからだ。この人が愛おしいから、こんなにも胸がいっぱいだ。でもそれは嫌な感覚ではない。愛する人に触れている感覚で自分が満ちているのは、とても嬉しいことだった。
唇のやわらかさを堪能しながら、しばらくして光忠はゆっくりと唇を離した。名残惜しいが、あまり長く唇を合わせていると、もっと深くまで触れあいたくなってしまう。
ふ、と鶴丸は穏やかに微笑んで、その表情もまた春のようなやわらかさだったので、光忠は愛しい気持ちを持って彼を見つめた。とても綺麗な、愛する人。
「光坊、桜は春だと思うかい?」
出し抜けに鶴丸はそんなことを言って、首を傾げた。
「えっ、うん」
「きみと同意見で何よりだ。なら、どうして桜は春なんだろうな?」
「えぇっと
……
、どういうこと?」
「俺はな、桜のことを春だと思いながら見つめる誰かがいるから、桜は春でありつづけるんだろうと思っている」
「
……
、うん」
「ま、つまり、だな。光坊が俺を春だと思って見つめてくれるんなら、俺はきっと春なんだろうなと思ったってことさ。だが、桜はいずれ散り、春はいずれ過ぎ去っていってしまう。だから、」
「だから、しっかり捕まえておくように、ってことだね」
「そういうわけだ。ちゃんと手を引いて、そばに置いておいてくれよ」
じゃなきゃさっきの花びらみたいに、きみの手からするっと逃げていってしまうかもしれないぞ、と鶴丸は悪戯っぽく言った。
「大丈夫、手を伸ばせば届くって、僕、ちゃんと分かったから」
目の前に桜の花びらが落ちてきて、光忠の手のひらは今度こそそれをしっかりと拳の中に捕まえた。花びらを閉じ込めた手のひらを開いて、花びらを解放する代わりに光忠は鶴丸の手のひらを握った。
「こうしてちゃんとあなたの手をぎゅっと握っておくよ」
光忠の言葉に満足そうな笑顔を見せた鶴丸は、手を繋いだままその場にずるずると寝転んだ。
「ほら、光坊も横になってみろ。綺麗だぜ」
促されるままに隣に身を横たえてみたら、視界は桜と空だけになった。桜の花びらが浮かぶようにちらちらと舞う様子がよく見える。
「こんなに満開の桜と人気者の鶴さんを独り占めできるなんて贅沢だな」
「おいおい、人気者のきみがそれを言うか?」
そこからしばらくどちらのほうが人気者なのか押し問答するように軽口を叩いて、どちらともなく笑った。
「光坊とこの桜が満開のあいだに花見ができてよかった。今はこんなに良い天気だが、今夜は荒れるらしいからな。きっと夜が開けたら花は散りはじめているだろう」
「そうなんだ。満開になったばっかりなのに、やっぱり桜も春も儚いね」
「だな。まぁ、幸い、光坊の隣にいるこの春は、きみが捕まえている限りずっとそばにある。だから、散りゆく春を惜しむ必要はない」
「それってすごいことだね。昔から今まで、たくさんの人が春を惜しんできたんだから。
……
でも、僕、春のことそんなに惜しんでないかも。なんとなくだけど夏になったら鶴さんのことを夏だなぁと思うかもなって感じるから」
「おいおい、まさかそれは、秋になったら俺は秋で、冬になったら冬だと思う
……
、ってわけじゃないだろうな?」
「そのまさかだよ」
光忠が真面目な顔で答えて見せたら、鶴丸は呆れたような面白がっているような、曖昧な表情で肩をすくめた。
「きみは四季を丸ごと手に入れようとしているのか?欲張りさんめ」
「だって、春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、それぞれの美しさがあって、どれも鶴さんの美しさだなって思うんだ。だから、その折々の美しさとして、僕のそばにいてよ」
なんだか一生懸命なお願いみたいな声音になってしまった。もう手が届かないかもしれないと焦ってはいないはずなのだけれども。でもやっぱり、強く請いたいことだから。隣にいる彼はこちらを慈しむような瞳で見つめている。
「光坊が俺の手を握っていてくれるなら、俺は四季が巡り続ける限り折々の姿できみとともにあるさ」
安心しな、と鶴丸は微笑んで光忠の頭を軽く撫でた。この人に頭を撫でられているとき、子供扱いされているなと思うけれど、それは嫌な気分ではなく、むしろ嬉しい感覚だ。
「四季が巡る限りっていうのは、
……
永遠にってこと?」
「野暮を言わせるんじゃない」
ぽん、とたしなめるように鶴丸は頭を撫でていた手でそのまま軽く頭を叩いて笑っている。彼は明確には言い直さなかったけれど、永遠を肯定したのは間違いなくて、だから光忠にはそれで十分だった。
「ありがとう。僕も永遠を誓うよ」
「そりゃ光栄だ。この桜が誓いの証人になってくれるだろうよ」
光忠の頭を撫でるのをやめた鶴丸は、代わりに自分に顔を寄せるように手招きした。
「
……
?」
「永遠を誓うなら、誓いのキスもセットだろう」
からかうようで、誘うような彼の言葉に光忠は勢いよく寝転んだ状態から起き上がった。そして、そのまま鶴丸に覆いかぶさるようにして唇を彼のものに触れさせた。なるべく桜から鶴丸の姿を隠すようにしたのは、この瞬間を自分だけのものにしたかったから。祝福のように、はらはらと花びらが降っている。
「永遠を、あなたに誓います。鶴さん」
唇を離して至近距離で告げた言葉に鶴丸が頷く。
「俺も誓おう、光坊」
誓いを告げた彼は直後に少しはにかむような表情を浮かべて、曖昧に微笑んだ。その様子はとても綺麗で、光忠はなんだかくすぐったい気持ちになった。このくすぐったい気持ちには覚えがある。それは、春を迎えた喜びに似ていた。きっと、春がもたらすくすぐったさなのだ。
春の訪れとともに花開くような愛しさが今、胸を満たしているから、しばらくはこの感覚に浸っていよう。
そうして、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、誓いを交わしたい、と思う。思っただけではなくて、うっかり口にしていたようだ。
「きみは俺のことが本当に好きだな」
「うん、好きだよ。大好き」
知ってる、と言いながら鶴丸は優しい指先で光忠の頬を撫でた。その手を取って、指先に口づける。こんな愛しい瞬間が、ずっと続きますようにと願って。
「春と夏と秋と冬を何度も巡る中で、何度だってあなたに誓うよ、鶴さん」
「あぁ、きみと俺が、四季が巡る限り、永遠でありますように」
そう告げて笑った鶴丸の笑顔は、やっぱり花がほころぶようで、光忠の胸を満たした愛しさはまたひとつ増えたのだった。
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