厨の片隅の戸棚に、光忠の私物を置いている一角がある。光忠しか使わない個人的に買った調味料だったり道具だったりをしまっている場所なのだ。光忠専用というわけである。もちろん、独占するつもりはないので、言ってくれたらいくらでもなんでも貸し出すのだが、今のところマニアックな道具や調味料すぎて光忠以外に使う者はいない。
最近、その戸棚に小瓶がいくつか並ぶようになった。ぱっと見では、その小瓶はまるで何か魔法の液体が入っているように見えるだろう。色のついた透明な液体の中に、結晶のようなものが沈んでいる。
その小瓶を二つほど取り出して、光忠はそれを軽く振った。中の液体はややとろみのついた動きで揺れる。沈んでいる結晶が軽やかに動いた。
「うん、いい感じだね」
この小瓶は、数日前に仕込んで寝かせていたものだ。いい具合に、中のものが溶けあっている。
「こっちよりは、こっちかなぁ」
光忠は小瓶をそれぞれ光に透かして、色の様子を確認した。一つ目よりも、二つ目の小瓶のほうが金に近い琥珀色をしている。その色を眺めながら、光忠は密かに想いを寄せている刀を思い浮かべていた。
光忠が最近はまっているのは、このキャンディスを作ることだ。キャンディス、というのはシロップ漬けの氷砂糖のことで、主に紅茶に入れたり、ホットミルクに入れたりして楽しむもの。ホットワインなんかに入れるのもいいかもしれない。
先日の令和遠征で、輸入食料品のお店に立ち寄ったときにこの氷砂糖のことを光忠は知った。残念ながらその遠征時には持ち帰りの許可を得ていなかったので購入できなかったのだが、本丸に帰ってきてからもそのキャンディスというものが気になり、調べて自作することにしたのである。
はじめの一瓶、二瓶は試作品だ。作ってみてわかったのは、かなり大量の氷砂糖を必要とするということだ。光忠は追加で氷砂糖の袋を買い、シロップに溶けた分だけ氷砂糖を足して仕込むのを繰り返した。そのうちに、あることを思いついた。自分の思う色で、キャンディスを作りたい、と。
シロップに漬け込まれた氷砂糖は、宝石のようで綺麗だった。綺麗なもの、というといつも思い浮かべてしまうものがある。それは、鶴丸国永という刀だった。
鶴丸という刀のことを、光忠は密かに恋慕している。密かに、というように、本人に伝えたことはないし、ばれてもいないはずだ。気持ちを伝えたい、という思いもあるが、今のところそのきっかけを作れていない。ただ、密かに、綺麗だな、と思っている。鶴丸の瞳を、繊細な容姿を、快活な立ち振舞いを、そのすべてを。
そう、綺麗だな、と思っているから、彼の瞳の色をこのキャンディスで再現したくなった。初めて作ったものは無色透明に近いシロップになったけれど、シロップに使うものを変えれば、金のような淡い琥珀色にすることもできるだろう。そういうわけで、光忠は試行錯誤を繰り返していたのだった。
様々なシロップやウイスキーを使って試したところで、今日出来上がったものが、かなり鶴丸の瞳の印象に近いものになっている。使ったものはアイリッシュウィスキーにはちみつを少々入れたシロップ。瓶を開けると、華やかなアルコールの香りがしていて、その華やかさも彼をイメージしたものとして申し分ないように思えた。
小瓶を開けて、スプーンで一欠片、口に運ぶ。アルコールの風味と、柔らかい甘さが舌の上で溶けていく。おいしくできているはずだ。なんとなく、想い人をイメージしたものを口に含むのは、なんとなく背徳的なようにも思える。彼もまた、甘いだろうか。
「いや、まぁ、さすがに本人にあなたをイメージしました、なんて言えないけど……」
そんなこと言われたら引くよね、と思いつつキャンディスを眺めていると、背後から声がした。
「お、光坊、ここにいたか!」
うわぁ!と声が出てしまった。まさか独り言を聞かれただろうか。慌てて振り返ると、言葉から想定されるとおりの人が厨の入口に立っていた。
「鶴さん……!えっと、もしかして聞いてた?」
「……?誰かと喋ってたのかい?俺は今来たところだが」
「あっ、そうなんだ、うん、なんでもないよ。……鶴さんはどうしたの?」
「光坊を探してたんだ。ちょっと喋ろうと思ってな。部屋に行ったがいなかったもんだから、ここにいるだろうと思って来たわけさ」
探していた、と言われて光忠はなんとなく嬉しくなった。鶴丸からの感情は、自分からの気持ちとは違うと思うけれど、少なくとも好意的であることは間違いない。こうしておしゃべりをしにきてくれるくらいには親しく感じてくれているのだろう。
手隙かい?と訊かれたので、光忠は食い気味に頷いた。もちろん、手隙である。いや、仮に手隙じゃなくても、この人のために手隙になってみせるだろう。
「噂に聞いたが、最近、きみは何やら魔法の薬を作っているらしいな」
「魔法?」
光忠は心当たりがなくて首を傾げた。鶴丸が作業台に近づいてくる。そして、その作業台に並べてある小瓶を見つけると、これだ!と指差した。
「これだ、これ。何やら綺麗な色をした液体に不思議な宝石を漬けてるって、短刀の子らに聞いたぜ。魔法の実験をしてるんだと。本当だったんだな」
見てもいいか、と訊かれたので頷いた。鶴丸は小瓶を一つ持ち上げて――奇しくも彼の瞳の色を作れたと思ったものだった――中身を眺めている。
「こりゃ綺麗だな。……しかし、まぁ、さすがに魔法の薬ってことはないよな。こりゃいったいなんだい?」
「キャンディスだよ」
「きゃんでぃす?」
光忠の言葉を、初めて聞いたというふうに鶴丸は繰り返した。きゃんでぃす……、と何度か繰り返して、はっと気づいた顔をする。
「何か砂糖みたいなものか。キャンディー、の仲間だな?」
「正解!それはね、シロップ漬けの氷砂糖だよ」
鶴丸は自分の見解が正解だったことに、得意げな様子だ。歯を見せて笑っている。彼の振る舞いはやはりきらきらしていて、キャンディスを初めて見たときに感じた、きらきらしていて綺麗だな、という印象とよく似ていると思った。
「じゃあこれは、食べられるのか」
「うん。味見してみる?まだ誰かに振る舞ったことはないけど、僕が味見する限りではよくできてると思うよ」
「光坊がそう言うんなら確かだろう。食べてもいいのかい」
「うん、それぞれ風味が違うけど、どれがいい?」
ふむ……、と鶴丸は並べてある五つの瓶を眺めた。一応、どういう風味のものかラベルを貼っているので、なんとなくは分かるはずだ。一通りよく眺めて、彼が選んだのは、先ほど光忠が味見した瓶だった。つまり、彼の瞳をイメージさせるキャンディス。
「それはちょっとアルコール強めだけど、大丈夫?」
「あぁ、問題ない。色が綺麗だと思った」
だからこれがいいのだ、と鶴丸は言う。光忠は自分が綺麗だと思う色を、同じように綺麗だと思ってもらえたことを密かに嬉しく思った。
「……なんとなくきみの目の色に似ている」
「えっ、?」
少し気の抜けた様子で彼が呟くものだから、思わず聞き返してしまった。まさか、自分の瞳の色がこの場面で出てくると思わなくて。
「あ、いや、光坊の目はなんとなく琥珀のような色だろう。なんとなく色が似ていてつい連想してしまった」
はは、と笑う鶴丸は、なんとなく困っているようにも見えて(いや、困っているとも違うような気がした、あまり見たことがない表情だ)、真意をはかりかねたけれど、真意はともかく光忠は自分を連想してくれたことをとても嬉しく思ったのでなんでもよくなった。
自分が相手を連想する色で、相手は自分を連想する。それってただの偶然かもしれないけれど、なんとなく似ているところがあるみたいで嬉しい。
だいたい、この色はあなたの瞳の色を作りましたなんてばれたら、さすがの平安刀でも引くだろう。だからそれは伝わらないほうがたぶんいいし、彼が光忠の瞳の色を連想してくれたなら、そういうことにしておこう。
「じゃあ、これにしようね」
光忠は瓶の蓋を開けて、彼にスプーンを手渡そうとした。が、彼はスプーンを受け取らなかった。代わりに、光忠の持っているスプーンを指差して、そのあとに自分の口を指差す。
「……?食べさせてってこと?」
鶴丸はなんとなく楽しそうに頷いた。面白がっている表情に見える。
まったく、この人は、こうやって光忠を動揺させてくる。あーん、をしろと言っているのだ。恋仲でもないのに、この彼にそうやって手ずから食べさせることは許されるのか?いや、本人がそうしろと言っているから許されるのか……。
片想いの相手にあーんをするという状況に――しかも、食べさせるものはその片想い相手を思って作ったものである――光忠の内心はとてもどきどきしていたが、表面上は取り繕えているはずだ。それに、期待されているなら、それに応えるほかない。
光忠は小瓶からスプーンで氷砂糖をすくって(小さめのものを二つすくえた)、スプーンを鶴丸の口元に運んだ。空いているほうの手を皿のようにスプーンの下に添えながら。口で迎えるために少し俯いた鶴丸は顔の前に落ちてきた前髪を耳にかけた。彼の小さめな口が開かれる。その中に、そっと、スプーン差し込んでキャンディスを彼の中へと移す。スプーンを咥えるように唇が閉じる。そこまでをしっかり見て、光忠はスプーンを引いた。
ここまで無意識に呼吸を止めていたらしく、光忠は大きく息を吐いた。なんだかとても緊張した。すごく繊細なことをやっているようで。
ただ食べさせる、それだけなのに、光忠が彼を想って作ったきらきらした宝石をその彼本人に食べさせるとなると、なんだか意味が変わってくるような気がした。どこか儀式めいてすらあった。まるで、何か自分が鶴丸に魔法をかけたみたいな。
彼は口の中で氷砂糖を転がして、味わっているようだ。微笑んでいるようなので、お気に召したらしい。
「うまいな、これ。確かにアルコールが強めだ。一瞬くらっとくる感じが、それこそ魔法の薬みたいだぜ」
「気に入ったならもう少し食べる?甘すぎるからもう十分かな」
「いや、あと一欠片くれ」
光忠は頷いて、再びキャンディスをスプーンで彼に運んだ。先ほどよりは少し落ち着いて鶴丸の様子を見られる。スプーンに触れた唇が、柔らかそうだった。好きだな、と思う。不意に、その気持ちを伝えてみたくなった。今なら、伝えられる気がした。魔法なのかもしれない。
「さっき、鶴さんが魔法のお薬って言ったでしょ」
ころころと口の中でキャンディスを転がしている鶴丸に、光忠は言った。
「もしこれが、……本当に魔法のお薬だったらどうする?」
「本当に魔法だとするなら、どんな魔法なんだ?」
「たとえば、……惚れ薬。食べさせてもらった人が、食べさせてくれた人を好きになる、みたいな」
だめだ、これじゃ全然上手く気持ちを伝えられない。なんでこんな回りくどい言い回しをしてしまったんだ。こんなんじゃふざけているとしか思われないだろう。もっとちゃんと、あなたのことが好きで、綺麗なあなたを想って綺麗なものを作ったんだって言えばいいだけなのに。
冗談!冗談だよ、と付け加えようとした光忠は、鶴丸の様子を見て口を閉じた。彼が思いのほか真剣にこちらの言葉を受け止めているようだったので。何かを少し考えている。
「そういう魔法なら……、その魔法は、俺には効かないだろうな」
しゅん、と光忠の心がしぼむ音がした。それってつまり、彼が光忠を好きになることは万に一つもないということだろう。そんなにはっきり言わなくても、と思うし、とはいえはっきり言うところが鶴丸らしいとも思う。
「ごめん、変な冗談――」
光忠が言いかけたところで、鶴丸は光忠の手からスプーンを取り上げた。落ち着いた手つきだったものの、その唐突さはほとんどひったくったと言えるものだった。
「俺にはその魔法は効かないが、きみにはその魔法が効いてほしい」
鶴丸は瓶からキャンディスをすくって――それはもう、大量と言える量だった、大きなものを五、六粒くらいでスプーンに山盛りである――、光忠の口元に運んだ。
光忠は面食らったが、しかし、差し出されたからには口を開けないわけにはいかない(口を開けなければシロップが垂れてしまいそうだったし)。光忠は少し俯いて口を開けた。そこに大粒のキャンディスが流し込まれる。鼻を抜けるウイスキーの香り。大粒が大量だったので、ちょっと甘さが過ぎるかもしれない。
「どうだい。俺のことが好きになったか?」
口の中が氷砂糖でいっぱいになっていた光忠は、すぐに返事ができなかった。それらを舐めて溶かしながら、首を傾げる。
「俺はきみのことが好きだからこれ以上魔法にかかりようがないが、光坊は違うから、魔法が本当ならきっときみに効果があるだろう」
なんて、世迷い言だ、忘れてくれ、なんて鶴丸が言うので、慌てて口の中のものを飲み込んで光忠は言った。
「待って、!えっ、どういうこと?」
「この話はやめだ。魔法なんてないことは俺も分かってる」
「いや待って待って、もう一回言ってよ。惚れ薬が効いてほしいって、鶴さんって僕のこと好きなの?」
光忠の確認に、彼は不可解そうな顔をした。
「いや、そうだが。……まさかとは思うが、きみ、知ってた、よな?」
「えっ、知らないよ!今初めて聞いたんだけど。えっ、えっと……、僕も鶴さんが好きなんだけど……、もしかして僕たち両想いってこと?」
こちらの言葉に、鶴丸はたいそう驚いたようだった。驚きを示すように、二度、三度と大きな瞬きを繰り返す。
「驚いたな、てっきり俺の気持ちに気がついているのかと……、知っていてきみは知らないふりをしていて、それはつまり脈がないということだと思っていたんだが」
「いや、脈あります!めちゃくちゃある!え、全然知らなかった……、僕だけがこっそり鶴さんのことを好きなんだとばっかり……」
「そうか……、こりゃ驚きだ。魔法なんて別にいらなかったわけだ。そうか……、俺だけじゃなかったのか」
へへ、と鶴丸は再びまた困っているかのような表情で笑みを浮かべた。そして光忠は理解した。この表情、困っているのではない。先ほどもそうだが、照れているのだ。
「かわいい」
思わず口に出してしまった。その形容詞が自分に向けられたものだと気づいた彼は口を尖らせている。
「光坊のほうがかわいいぜ。ずっとそう思ってる」
「そうかなぁ。かわいいだけじゃないよ?……このキャンディスだって、鶴さんの瞳の色にしたくて作ったんだし、ちょっと病的かも」
「それはそうかもな。……だが、俺もきみの瞳を連想したりしてる時点で同じ穴の狢なのか?」
まぁ、どっちでもいいか、と彼は快活に笑う。そんなことより、腰を落ち着けて話そうぜ、と言う。
「せっかく互いの気持ちが分かったんだ。積もる話もあるだろう」
「うん、そうだね、僕もまだ鶴さんに好きって伝え足りないし」
光忠はあることを思いついた。
「そうだ、キャンディスってね、そのまま食べるというより紅茶に入れて楽しんだりするんだ。だから、これから二人でお茶会をしようよ」
「そりゃいい!しかし、その前に甘いのを一つくれ」
「……?キャンディスだけもう少し食べる?」
鶴丸はやれやれ、と言いたげに首を振った。そして光忠を指差し、その指は彼自身の唇を指差した。
「えっと、……それって、つまり、……」
「両想いだぜ。甘いのをくれよ、伊達男」
どこか挑戦的にも見える様子で鶴丸は微笑んで、首を傾げるようにしてこちらを上目遣いでうかがった。
光忠は神妙に頷いて、一つ呼吸をした。そして片手を彼の頰に添える。少しだけ屈んで、唇と唇が触れた。ほのかなアルコールの香り。そして何より、氷砂糖よりもずっと、その唇は甘かった。茶会の前に、もう少しだけ、この甘さを味わっていよう。もう少しだけ。
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