青色
2024-06-17 01:08:05
5708文字
Public
 

燭鶴

恋人になったばかりの二人で頼るとか頼られるとかの話。「この人に頼られたい」だけじゃなくて「この人に頼りたい」みたいなのって信頼だな〜〜と思う。

 ある朝目覚めると両腕が重く、火照った感覚があるのに手先足先が冷えていて、これは熱があると鶴丸国永には分かった。よくあることである。
 刀剣男士にも人の子のように個体差があるらしく、鶴丸の肉体は顕現当初から発熱しやすいのだ。幸いなことに動けなくなるほど高熱になることはないので、周りに悟らせることなくいつも過ごしているのだけれど。だから、鶴丸が発熱しやすいことを知っているのは審神者だけだった。

 まったく、我ながら面倒な体質だ、と鶴丸は肩をすくめた。発熱のせいで、関節が若干軋んでいる感覚がある。
 とはいえ、今日が非番だったのは幸いだった。出陣の予定があればさすがに審神者に報告する必要があるところだったからだ。この本丸の審神者は非常に書類主義で、報告は必ず報告書を作成しないといけないのでちょっと面倒なのだ。
 発熱しているときは食欲がないので適当な理由をつけて朝食は飛ばした。食事を飛ばした程度では不調に気づかれることはない。通常の鶴丸にもよくあることだから。

 頃合いを見計らって、道場に手合わせを眺めに行った。熱心な同僚たちが鍛錬に励んでいる。眺める合間に檄や野次を飛ばす。さっさと体調を治すにはもっと大人しく過ごしているほうがいいことは分かっているが、体調が悪いことを気取られたくはないので、いつもどおりこうして過ごしている。隠せないほどの発熱ではないし、そもそも、心配されることはあまり得意じゃないし、それに、弱っているときに――いや、体感ではそんなに弱っているつもりもないのだが――誰かに頼るのも得意ではないから。
――さん、鶴さん、?」
 一瞬ぼんやりしていたので、声をかけられたことに気づかなかった。背後から背中を叩かれて振り返るとそこには燭台切光忠の姿があった。
「おお、光坊、どうした?きみも非番に稽古とは熱心だな」
「あ、いや、僕は稽古に来たわけじゃなくてね、」

 光忠は、鶴丸の恋人だ。一応。一応、というのは、まだそういう関係になってから非常に日が浅いことによる留保である。
 彼が鶴丸のことが好きだ、恋仲になってほしい、と告白してきたのは一週間前のことだ。鶴丸はこの年下の男にそういう好意を寄せられていたことに驚いたが、その一方でまったく拒絶する気持ちはなかった。彼のこの本丸の古株としての働きに対して尊敬の念はもともと持っていたし、懐いてくる様子をかわいいと思っていたからだ。ただそれが、彼の好意と同じであると言っていいのかは分からなくて。


□□□


――と、まあ、きみの気持ちを受け取りたい気持ちはやまやまで、異論はないんだが、光坊の思うように俺が在れるかはなんとも言えないな」
「と、言うと?」
「いわゆる恋仲という関係になったらどう振る舞うべきなのか分からなくてな。それと、俺は確かにきみのことを好ましく思っているが、きみと同じ気持ちなのかどうかがよく分からん」
「でも、僕の気持ちは嫌では、……ない?」
「そりゃもちろん。光坊がそんなふうに好いていてくれるのは嬉しいぜ」
「そっか。それなら、あんまり深刻に考えずに、一度恋仲になってみてほしいな。鶴さんはこれまでどおりでいいから」


□□□


 こうして同じ「好き」かどうか分からなくてもいいとのことだったので、恋仲になっている。鶴丸としてはまあ、相手のほうも親しい年長者を慕う気持ちを恋愛感情だと取り違えている可能性もあるし、気楽にいくか、という気持ちだ。関係に恋仲という名前がついてからは若干、身体的接触が増えたような気がするが(そういうものなのだろう)、そんなに変化はない。

 そういう感じなので、これまでは声をかけるだけだった彼は呼びかけに加えて背中に触れたのだろうと思った。
「ちょっと鶴さんに用事があって……。できたら僕の部屋に来てほしいんだけど」
「そうか、俺は全然構わないが、どうかしたのかい?」
「うん、ちょっと、いろいろね」
 光忠が頷いて着いてくるように促すので、鶴丸は素直にそれに従った。何か鶴丸に手伝ってもらいたいことがあるのかもしれない。これまでも、彼が勉強しているのを手伝ったり(鶴丸は古い崩し字を読むのが得意なのだ)、本丸の備品の修繕作業を手伝ったり、そういうことがよくあった。内密に相談事を持ちかけられたりもする。鶴丸としては頼られていることをいつも嬉しく思っている。

 彼の部屋に入ると、座って待ってて、と言われ、光忠は少し早足で再び部屋を出ていった。几帳面な彼にしてはめずらしく、布団が敷きっぱなしになっている。はて、と鶴丸が首を傾げていると、すぐに光忠は戻ってきた。盆を持っている。盆の上には小さな鍋と取り皿とカトラリー類、タオル(凍っているようだ)らしきもの。
「鶴さん、体調が悪いでしょう?」
「いや?そんなことはないが」
 悪くないことはないのだが、つい、否定してしまった。心配されるのがあまり得意ではないから。弱さを見せている気がするからだろうか。
「ううん、そんなことはないよね。今朝ご飯食べてなかったし」
「もともと朝はあんまり食欲がなくてなぁ」
「まぁ、そういうこともあるとは思うけど――
 盆を机の上に置いた光忠は、膝立ちで鶴丸の傍ににじりよった。躊躇なく手袋を外した右手がこちらの額に伸びてくる。突然の仕草に鶴丸の身体はこわばったが、拒みはしなかった。額に手のひらが触れる。発熱している自分に比べてその手のひらは冷たく感じられ、心地いい。

 心地いいのはその温度なのか、それともこのように手を伸ばされたことなのか。

「ほら、こんなに熱があるのに。どうして隠してるの」
「さすがに触れれば分かるよな……、ま、よくあることさ。そんな心配には及ばん。大したことじゃない」
「大したことだよ……!鶴さん、定期的に熱出してるよね、そういう体質?ちゃんと検査をしてもらったことはある?」
 二週間ほど前にも、その前の月末にも熱を出していた、よくあるよね、と指摘されて鶴丸は驚いた。いつだって隠せているはずだったのだが。
「なんで分かるんだ」
「分かるよ、鶴さんのこと、僕はずっと見てるから。踏み込まれたくないかなってずっと思ってこっそり心配するだけにしてたけど、このあいだ聞いたとおり僕からの気持ちが嫌じゃないなら、このくらいいいかなって、……
 初め確かな口調で言いはじめた光忠は、だんだんと途中で自信みたいなものをなくしたのか、語調が弱まった。
「ごめん、心配されるの、嫌だったかな。身体あっためたほうがいいかなと思ってスープ持ってきたのと、頭を冷やすように氷持ってきたんだけど……
 なるほど、自室に来てほしい、というのはこうして鶴丸の世話を焼いて休ませたいがためだったらしい。
「いや、嫌というわけでは、ないが」

 鶴丸の言葉に光忠は安堵しているようだった。彼の示している態度は確かな心配で、その類の気遣いを鶴丸は得意としていないはずだったのだが、まったく嫌ではないことに正直自分で驚いている。ほんの少し、境界を踏み込まれることが、嫌ではなくて、むしろどちらかと言えば、心地いい。
「よかった。僕、鶴さんのことが好きだから、ずっとこうしてあげたい――、ううん、こうしたいって思ってて」
……これがきみの『好き』、なのか?」
「うん、そうかも。これだけじゃないけどね。あなたの特別な頼りになりたいって気持ちだよ」
 スープ食べる?と彼が訊いたので、とりあえず頷いた。光忠の言葉を頭の中で繰り返す。頼りになりたい、という気持ち。たぶん、特別、というのは、それは誰に対してでもの気持ちではなく、鶴丸に対してのものということだろう。
 その感情を知っている。鶴丸は、この彼に対して頼りでありたいといつも思っている。それって――
「はい、ちょっと熱いから、気をつけて」
 取り分けた皿が鶴丸の前に置かれる。ポトフのようだ。箸を渡されたので、手を合わせて口をつけた。
「うまいな」
「よかった。しっかり食べて身体をあっためて」
 食欲がないと思っていたが、食べ始めると身体がそれを欲していたことが分かった。箸が進む。空になった皿を光忠がまた受け取って、おかわりをついでくれた。世話を焼かれるのは、心配されることと同様にあまり得意ではないのだが、こういうやりとりを好ましく思った。それは、相手が彼だからなのだろうか。

「鶴さんにこの話しようと思ってたんだ、あ、食べながら聞いてくれて大丈夫。僕の好きはね、たとえばさっき言ったみたいに頼りになりたいっていうのもあるし、それと一緒に頼りにしたい――これって甘えたいっていうのかな、そういうのもあって、どちらの側面もあるんだ」
 食べながら鶴丸は頷いた。身体があたたまっていく。光忠の話の脈絡は見えなかったが、彼の「好き」がどのようなものなのか知りたいとはもともと思っていたので、話の続きを待った。
「なんとなくだけど鶴さんも同じようなところがあるのかなって思ってて」
「同じような、」
「うん、頼られたいだけじゃなくて、誰かを頼りたい、みたいな……。僕、分かるんだ、僕も人を頼るのが得意じゃないから」
「いや、光坊は頼り上手だろう。いつも俺を――
 いつも自分をうまく頼ってくれるじゃないか、と鶴丸は言いかけて、ふと気がついた。そういえば、自分以外を彼が頼りにしているところを見たことがない。いつも光忠は頼りにされているばかりだ。このことに気がついた瞬間に、鶴丸の中に喜びに近い感情が生まれた。どうしてだろう。
「得意じゃないけど、本当は誰かを頼りたいって気持ちもあって、だから鶴さんも一緒かなってなんとなく思ったんだ」
 こういうふうに心配されて、嫌じゃなかったでしょう?と彼に言われて、鶴丸は少し考えた。本当は頼りたい気持ちがあったのかもしれないと言われれば、確かにそうかもしれない。実際、こうして光忠に心配されて世話を焼かれるのは嫌じゃなかった。でもそれは、そうしてくれるなら誰でもいいわけではなくて――
「嫌ではないのは、そうしてくれるのがきみだからだ」
「ふふ、嬉しいな。僕もね、頼りたいのは鶴さんだからだよ。これって、僕たちって同じ気持ちってことじゃないかな」
 なんてね、ちょっと喋りすぎちゃった、と光忠は最後に自分で茶化しながら、空になった皿を鶴丸から受け取った。おいしかったので、あっというまに食べてしまった。

「はい、熱のある人が次にすることは寝ることだよ」
 光忠に急き立てられて、鶴丸は光忠の布団に押し込まれた。掛け布団をかけられて、彼の気配に包まれる。世話を焼かれるのが嫌ではない。こうされたかったのかもしれない。ほかでもなく、この人に。
「きみは世話焼きだなぁ、本当に」
「鶴さんだからだよ?あ、でもやっぱりお節介だったかな……
「いや?光坊の言うとおり俺はこうしてくれる誰かを探していて、それはきみだったんだな、と思っていた」
 自分の気持ちは光忠の気持ちと同じだ、だから好きだ、と続けると、彼は一瞬きょとんとしてから破顔した。
「嬉しいな。僕も鶴さんのことが好きだよ」
 そうなんじゃないかって思っていたのが間違ってなくてよかった、と光忠が呟いているので、ふと、鶴丸は疑問に思っていたことを尋ねた。
「分かっていたから、『深刻に考えずに恋仲になってほしい』なんてことを言ったのかい?」
「うーん、それもあるけど……、仮に違っていても好きになってもらう自信があったからだよ」
 さっき言ってくれた「好き」以外の、ほかの方向からも好きになってもらうよ、と彼が胸を張って言うので、鶴丸は笑った。
「はは、そいつはいい。自信家の男は好きだぜ、俺は」
「あっ、これで好きポイントをひとつ稼げたかな」
 光忠が得意げに笑っているので、鶴丸はさらに笑った。ほかの誰かと笑っているときよりも彼とこうしているときはいっそう心良く感じられる。たぶんひとつひとつの輪郭をまだ自覚できていないだけできっともう、いや、ずっともう、この男のことが好きなのだと思う。

 さて、と、光忠が凍らされているタオルを額に当ててくれたが、それはちょっとだけ冷たすぎた。先ほど触れた、光忠の手のひらを恋しいと思って、それでうっかり、手……、と口にしてしまった。
……?僕の手?」
「ああ、いや、これはちょっと冷たすぎてな」
 だから手のひらを額に当ててほしい、と改めて請うと、一瞬、光忠は不思議そうな表情になって、でもそれでいて嬉しそうにして、タオルの代わりに手のひらを鶴丸の額に乗せた。目を閉じてその体温を感じる。
 やはりこのほうが心地いい。その温度が心地いい。いや、それとも、触れられていることが?
「鶴さんが眠るまでこうしてるよ」
「そいつはありがたい、こうされていると心地いいんだ」
「僕の手、そんなに冷たいほうじゃないと思うけど、よかった」
「いや、冷たいからいいってわけじゃなくて――きみと肌が触れ合っていることがいいんだ、たぶん」
 光坊の手は優しい、と鶴丸は急激に自分を襲う眠気の中でぼんやりと言った。薄く目を開いて彼を見上げるとその表情は非常に曖昧でなんとも言えないような感情をたたえていた。でも、その表情はどうも悪くは思っていないように思われて、鶴丸はそれを確認して微笑んで、再び目を閉じた。

 額に触れている体温が心地よく、たとえばこの触れ合っている部分が、手のひらという小さな面積だけではなくてもっと広かったら、もっといいのではないか、と夢現の中で考えた。それを口にしたかどうかは、眠りに誘われている鶴丸にはもう、自覚がない。
……それを許されてるみたい、誘われてるみたいって、都合よく解釈しちゃうよ、鶴さん。そんなこと言ったら」
 鶴丸の額に手のひらを当てたままの光忠は、困ったようにもう一方の手で後頭部を乱しながら呟いた。鶴丸の呼吸は寝息に変わっていた。