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2024-06-02 02:19:52
5727文字
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燭鶴

注意!前の主←鶴(未満)(死別)←光忠の状況からやがて最終的には燭鶴になる2人の話。出てくる前の主は男です。
ただ喪服で傘さしながらタバコ吸ってるところが見たかった。

 身体の芯まで震わせるほどの蝉の鳴き声が響いている。真夏の霊園には鶴丸以外に人影はなく、蝉の声が鳴り響いている以外には生の気配がない。それは奇妙にも静寂に近かった。
 照りつける日差しに汗が滲む。墓所の中に日陰となる場所はなく、強い太陽が足元を熱していた。照りつけられているのはこの墓の隅に立っている鶴丸も同じだった。額に、背中に、太腿の裏に滲んだ汗が、しずくとなって伝っていく。
 普段締めたことのない真っ黒のネクタイが首を絞めているようで、どことなく呼吸がしづらい感覚があった。気のせいだろう。

 鶴丸が前に立っている墓石は塵がつもっており、まだ新しいはずにも関わらずずいぶんと古ぼけた様子だ。想定されていたことだが。
 鶴丸は手にしていた花を傍らに置き、もう一方の手に持っていた桶を墓石のそばに下ろした。柄杓で水をすくい、目の前の墓石にかける。跳ねた飛沫がスラックスの裾を濡らした。熱された石が一瞬だけ水に冷やされていく。二、三度水をかけてから、持ってきていた手ぬぐいで墓石の表面を拭き上げた。
 一度も花が供えられたことがないであろうそこに、花を供える。供えて、一歩後ろに下がった。最初の様子に比べればましな状態になっただろう。

 そうして整えられた墓を鶴丸はしばし黙って見つめた。手を合わせるわけではなく、ただ見つめた。黙って。
 蝉の声が沈黙に染み込んでいく。

 どのくらいそうしていただろうか、おもむろに鶴丸はジャケットのポケットから煙草を取り出して火をつけた。しけった先端が赤くちらつく。一呼吸置いてから、深く煙を吐き出す。頭上に立ち上っていく煙。
 よく覚えている。あの日もこんな噎せ返るほどの夏だった。同じような夏だ。季節は繰り返している。蝉の声が相変わらず脳髄を揺らす。煙と湿度が鶴丸を包んでいた。
「うっとうしい夏だ。まったく、きみは死んでも厄介だな」

 一本を吸い終えて、もう一本を箱から取り出した。再び火をつける。ジッポライターの金属音がかすかに鳴る。
 吐き出した煙が風に流れて線を描いた。煙が視界をぼやけさせて、生と死が、一瞬だけ曖昧になっている。
 二本目も吸い終え、三本目にさしかかろうというタイミングで急に雲行きが怪しくなった。照りつけていた太陽が陰り、あたりが少し、暗くなる。夏の午後は天気が変わりやすい。湿度がぐっと上がって、息がしづらくなった。
 あの日もこんなふうに、窒息しそうな湿度だった。

 ぽたり、と頬を濡らしたのは、涙ではなかったはずだ。煙草を咥えたまま空を見上げる。その額に、一つ、また一つと水滴が落ちて鶴丸を濡らした。夕立。
 あっという間に勢いを増した雨脚が、喪服を濡らす。足元で靴にしずくが跳ねている。鶴丸は目の前の墓を見つめながら、ただその雨に打たれていた。

 しばらく、ただ濡らされていたはずだ。不意に自分に降りかかる雨が止んで、鶴丸は斜め後ろを振り返った。そこにはよく知った本丸の同僚がおり、こちらにビニール傘を差し掛けていた。彼自身も同じ傘をさしている。その傘はまだ真新しい。
「こっそり後をつけるっていうのは、きみの美学に反しないか?光坊、」
……やっぱりばれてたんだ、ごめん。ただ、気になって」
 ごめん、ともう一度付け加えて、光忠は少しだけうつむいた。この男がこんなふうにする必要はないと思った。察しがよく、面倒見がいいから気がついてしまっただけなのだ。鶴丸の様子を心配したのだろう。鶴丸にはむしろ、心配をさせて申し訳ないという気持ちすらあった。
「きみは近侍だもんな。申請書を見たか」
……うん。主はそっとしておくようにって言ってたけど――、僕は、その、放っておけなくて。だって鶴さんはうちに来た時からいつも、ここではない遠くを見ているから」
「そうか……。よく気がつくんだな、光坊は」
 自分の投げている視線の向きに、気づかれているとは思わなかった。長らく近侍を務め、本丸の中心となっている男士の気配りのまめさを甘く見ていた。そういう気持ちを乗せて称賛すれば、彼はなんとも言えない困ったような顔で、中途半端に笑った。
……鶴さんだからだよ」
 雨音に消えるように呟かれた光忠の理由の意味が、鶴丸には分からなかった。分からなかったので、気に留めないことにした。

 そう、先ほど言ったように特別外出の申請をして、鶴丸はこの霊園を訪れていた。審神者は申請書を見ても何も言わなかった。察しているのだろうが。
「その……、これは、その――、鶴さんの前の、主?」
 両者のあいだにある沈黙に耐えかねたのか、光忠が口を開いて尋ねた。そして、言いたくなかったらいいんだけど、と慌てて付け加える。鶴丸は黙って頷いた。煙を吐き出す。雨の中に消えていく。
「今日で一年だ」
 鶴丸の言葉に、目の前の男は一瞬はっとなって、納得した様子だった。
「それで、今日……
「ああ」
 鶴丸は再び煙を吸いながら、顎で墓石を指し示した。差し出された傘を鶴丸は受け取らないままにしている。
「見ての通り、身寄りも何もあったもんじゃなくてな。審神者になる前に親族とは縁を切られて入る墓も何もなかったもんだから、時の政府の手配でここに供養されてる」
「孤独な人だったんだね」
「ま、そうなったのも自業自得という感じだったがな。煙草だけを信頼していた」
 これはあいつが最後に吸いかけていた煙草なんだ、と鶴丸はポケットの上からハイライトの箱を叩いた。まだ数本残っている煙草が、中で動いて音を立てる。
「一年も吸えずにさぞ恋しがってるだろうと思ってな、代わりに吸ってやってるってわけだ」
……
 光忠が何事かを言いかけたらしく一度口を開いたが、その何かは言葉にならず、彼は再び口を閉じた。しばらくの沈黙。

 鶴丸がまた煙を吐き出す。手にしていたものは短くなってしまったので、それを水が残っている桶の中に投げた。水面にはこれで三本。四本目を箱から取り出していると、鶴さん、と声をかけられた。
「僕も煙草をもらっていい?」
……構わないが、きみ、吸ったことはあるのか?」
 自分用に取り出したものを口に咥えて、彼のために一本を取り出すとそれがちょうど最後の一本だった。ちょうどよかった、と思う。今日はこれをここに来てすべて吸ってしまうつもりだったのだ。
「僕も煙草はよく吸うよって言ったら、鶴さんは――
……?」
「いや、ううん、なんでもない。ごめん」
 やはり光忠は何かを言いかけたようだったが、それでもそれは言わないことにしたらしい。鶴丸はそれを深くは追及せず、代わりに煙草を差し出した。両手が傘で塞がっている目の前の男は少しだけ身をかがめて、それを口に咥えた。外箱をしまう代わりにライターを取り出して、まずは光忠のものに火をつける。続いて自分のものにもつけた。ライターをポケットに収めたその手で光忠からビニール傘をようやく受け取る。
 鶴丸は煙を吐きながらちらりと光忠の様子を伺ったが、彼の様子では煙草を吸い慣れているかどうかは分からなかった。どうしてそんなことが気になったのだろう。彼は静かに先端を赤くちらつかせて喫している。吐き出される白い煙。

 しばらくそうして二人で煙に包まれていた。雨が降っているので分からないが、すっかり夕方になっているだろう。隣にいるこの男はいつも本丸内で多忙で、その彼をここに引き止めているのは少しだけ申し訳ないと思った。
「付き合わせてすまんな、光坊」
「ううん、全然。僕も一緒に偲ばせてよ。鶴さんの前の主さんのこと」
 鶴丸が謝ったことが想定外だったのか光忠は驚いたように大きく首を振って、煙草って苦いね、と付け加えるかのように言いながら苦笑した。
「どんな人だったの、前の主さん」
「そうだなあ、面倒なやつだったな。誰ともコミュニケーションを取ろうとしない、引きこもりで、陰気で、それでいて横暴で、本丸ではそう慕われてはいなかった。任務にもやる気はなかったしな。表向きはともかく、本心では嫌っているやつもいただろう」
「でも、鶴さんとは最後の煙草を渡すくらいの感じではあったんだよね?」
「俺は近侍だったんだ。顕現してからずっとな。だからそれなりにほかのやつらよりは会話があったってだけさ」
 鶴丸はそこで言葉を切って墓の方に向き直った。少し、近づく。手を伸ばせば触れられるあたりでしゃがんで、その墓石を見上げた。ちょうど、かつての主の頭があった高さのあたりを。
「審神者の矜持や責任感みたいなものはまったくない、陰鬱なくせに煩悩にまみれたやつでな。俺を近侍にしていたのもそういう理由なんだ。俺の見た目が好みの女に近かったらしい。その割に丁重に扱ってもらった記憶もないが……。本当にどうかしてるぜ」
 まったく、馬鹿だよな、と続けた言葉が自分でも思いもよらないくらい懐かしむような――慈しむような――そういう声音をしていて、鶴丸はひとりで驚いた。背後にいる彼もそうだったのかもしれない。しばらくの沈黙があった。
……大事だったんだね。鶴さんは、その人が」
「大事?まさか、」
 鶴丸は勢いよく立ち上がって、傘が背後に傾いた。傘から雨のしずくが滴り落ちていく。

 そうして立ち上がった鶴丸は、手にしていた煙草を墓石に押しつけた。火が潰れる音。鶴丸の頬を伝ったのは涙ではない。ただの夕立のひとしずく。
「大嫌いだったよ、俺は。今日こうして来たのは、約束は果たしたほうがいいと思ったからだ」
……約束、」
「ああ、あいつが言ったんだ、誰かに喪に服されてみたいってな。自分のために喪に服してくれるような相手はいないから、せめて、と思ったんだろう。ただ同時に、それが終わったら忘れてくれとも言った」
 鶴丸は墓に背を向けて、再び光忠の隣へと戻った。この男は、なんとも言えないような表情を浮かべている。同情のような、心痛のような、何かを察しているような顔。
「だから俺は一年喪に服して、そして今日であいつを忘れる。早く一人になりたいといつでも言っていたような男だ、いつまでも俺が覚えてちゃあの世で居心地が悪いだろうから」
 やっぱりいけ好かない人間だ、と鶴丸は肩をすくめた。光忠は中途半端な高さに煙草を浮かせたまま、黙っている。彼の指に挟まれている煙草の灰が伸びて、崩れていった。
……羨ましいな、鶴さんにそう思ってもらえて」
「おいおい、嫌われたいと思うだなんて、ちょっと寂しいだろう、光坊。普通は好かれたい、じゃないか」
 鶴丸は手にしていた消した煙草を足元の桶に放り、その桶を持ち上げて光忠の方へその腕を伸ばした。もう吸わないなら煙草を入れるように、という鶴丸の意図を汲んで煙草をそこに捨てた彼は、こちらの言葉に曖昧に笑っている。
「さて、遅くなった。そろそろ戻らないと外出許可の時刻を過ぎるな。きみも暇というわけじゃないだろう」
「うん、そうだね」
 鶴丸が歩き出したので、光忠もそれに続いた。一瞬だけ、彼は墓の方を振り返っている。何か思うところがあるのだろう。

――俺が昔、墓に一緒に入れられた話を知ってるかい?光坊、」
……うん」
 鶴丸が唐突に話しはじめた意図が分からなかったのだろう、わずかに間があったが、光忠は頷いた。
「ならもちろん、そのあとに墓から掘り返されたという話も知ってるよな」
「うん。前に、鶴さんが言ってたよね」
「あー、話したことがあったか、」
 光忠がこの話を知っていたようだったので、鶴丸は頷いて続けた。
「これがその二度目だ」
…………二度目?えっと、……墓から掘り返されたのが、ってこと?」
 隣の男が、頭を瞬時に回転させて訊き返すのを、鶴丸はなんとなく心地よく思った。なぜだろう。
「そうだ、きみが今日、俺を墓から掘り返した。だから二度目だ」
「えっと、それは――
 光忠は口ごもって、なんと言えばいいのか考えている様子だった。しばらくの沈黙。外れにある墓地は、万屋街と一本道で繋がっている。話しながら歩いているうちに、万屋街が見えてきていた。
「今日、僕が来たのは、間違ってなかったってことで――、いいのかな」
 彼の言葉に鶴丸は沈黙と微笑みを返して、肩をすくめた。手にしていた傘を下ろす。
「おっ、夕立が止んだようだぜ。光坊が傘を持ってきてくれて助かったな。じゃなかったら濡れ鼠だった」
「それはよかった」
 光忠が自分の傘をたたみ、鶴丸から傘を受け取って、それもたたんだ。来た時と同じように、彼が二本の傘を左手に持つ。空いた右手を鶴丸は喪服のポケットに差し込んだ。空になった煙草の箱が入っている。それを指先でなぞり、握りつぶした。

 こびりついていた煙草のにおいは、雨にかき消されたのか、いつの間にか消えていた。かすかに感じる火のにおいは煙草によるものではなく、ろうそくの火であることを、鶴丸はまだ知らない。



【知っていることと分かっていることの距離 わたしからする火の匂い(「不可視光線」とりばけい)】




細々とした蛇足
前主←(憐憫にも似た愛)←鶴丸←(恋慕の愛)←光忠 
鶴丸からの前の主への感情は鶴丸自身も把握していなくて、それが愛おしみであることを理解しているのは光忠だけ。光忠がわかるのは、自分から鶴丸への感情のそれと同じだと感じるから。鶴丸のことをずっと見ているので分かる。
たとえ大嫌いというかたちでの感情の現れだったとしても、鶴丸から強い感情を向けられている前主のことをうらやましいと光忠は思った。
鶴丸は自覚していないが、光忠が来てくれたことで少し光忠に惹かれはじめている。これは鶴丸自身にも自覚がないし、光忠もそれにはまったく気づいていない。
現在の審神者は基本的にあらゆることを静観するタイプ。来るもの拒まず去るもの追わずの精神で鶴丸を受け入れた(鶴丸を顕現させていなかったので)し、鶴丸が前主のことを気にかけていることを気にしていなかった。