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2024-04-13 18:20:52
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渉英

「救われているのは臆病な私 映画のなかでひとは抱き合う」(『あかるい花束』岡本真帆)という短歌がもとになって書きました。だいじをとって入院する英智くんとお見舞いにくる渉くんです。

 英智が入院したと聞いたのは、その日の舞台公演を終えてからのことだった。

 この日の渉の公演に、英智は自力で入手した一般席のチケットで観にくる予定になっていた。渉としては観にきてもらえるのであれば関係者席を用意すると言ったのだが、一人のファンとして自力でもチケットを取りたいのだと英智が言ったのでこういうことになった。もちろん、千秋楽公演は関係者席を用意することにはなっている。
 ところが、カーテンコールで観客の方を見渡したときにそこに英智の姿はなかったので、渉はおかしいなと思っていたのだ。彼がどのあたりの席のチケットを持っているのかは知らなかったが、観客に英智がいるのであればどこにいたって見つけられる自信があった。彼が誰よりも力強く拍手をしているのが聞こえるからだ。そんなことがありえるのか?と後輩たちには不思議そうにされるが、本当に渉には分かるのだ。だから、英智が今日、来ていないことはそれですぐに分かったし、おかしいと思った。
 おかしいと思ったとはいえ、それでひどく落胆したわけでもない。英智が多忙なことを、渉はよく知っている。そんな中で、スケジュールを調整して観にきてくれていることも。彼はESの代表であり、天祥院家の人間であり、そして何より、今をきらめくトップアイドルなのだから、急遽予定が変わるということもあるだろう。

 そんなことを思っていたのだが、楽屋に戻った瞬間に渉のもとに届いたメッセージが知らせたのは、英智が入院したという内容だった。英智本人からの知らせではない。寮で同室の零からだ。
 昨晩から体調を崩していた英智は今朝がたにひどく高熱を出し、かかりつけの大病院を受診することになって、そのまま入院となったらしい。零が言うには、英智自身はこの知らせを渉に伝えたがらなかったようだ。しかし、渉はその立場上、このことを知る権利があるだろうし、多かれ少なかれこのことを知るなら早いほうがいいだろうと零が判断し、教えてくれたらしい。
 一応、おおごとではないだろうとは思う、病院に行く前も話をしたがはっきりと話ができる状態だった、と零からのメッセージには最後に付け加えられていた。おそらく、心配する渉の不安を少しでも小さくしようとした配慮だろう。
 零が言うとおりおおごとではないのかもしれない、英智はよく自分の主治医の過保護っぷりを嘆いているし、様子見での入院なのかもしれない、それでも渉は、今日の公演に英智が来なかった理由がほかの理由ではなく彼の体調によるものだということで、表面上は落ち着いた様子を装っていたものの、内心動揺していた。
 単なる体調不良ではないのだ。仮に大事を取って、だとしても、入院なのだから。
 英智の顔を見にいかなくては、と思った。

 星奏館へとは帰らずに、逆方向の英智がいる病院へと向かった。病院につくころには面会時間ぎりぎりだったが、天祥院の名前を出せばたぶん融通を効かせてくれるだろう。あまりこの「天祥院」を悪用するのは良くないが、ごくまれにはまあ、許してほしい。
 一般の診療時間は終わっているので、病院にはあまり人がいなかった。受付に英智の見舞いに来たことを伝えると、渉のことを知っているようで(英智の見舞いに来ることがたびたびある上に渉は目立つので覚えられているのだろう)、面会時間の終わりよりも少し遅くなってもいい、と耳打ちされた。渉が特別なのではなく、天祥院の御曹司が特別なのだ。
 彼専用のいつもの病室に向かって、その扉をノックするとやや怪訝そうな声音で返事があった。こんな時間に見舞いが来るとは思っていないのだろう。零は英智に無断で入院のことを渉に知らせたようだったし。

「入りますよ〜英智」
 やや重たいスライドドアを引きながら渉が身体をすべりこませると、こちらを見る英智の目が大きくなった。
「えっ、渉!?」
 驚いて少し大きくなってしまったらしい声や、その表情を見る限り、ひどく悪い状況ではないらしいことが渉には分かった。熱も、高熱ではなくなっているのかもしれない。渉は彼のベッドのそばに行って、丸椅子に腰掛けた。
「君、今日は公演だったんじゃ」
「驚きましたか?零があなたが入院したということを知らせてくれましてね。黙っていようとするなんてひどいですよ、あまり強がられては。心配をさせてくださいね」
「ああ、朔間くんが……。余計な心配をかけたくないと言ったのにまったく」
 やれやれ、と英智は首を振って、そのあとにごめんね、と言った。それは、心配をかけたことに対してだろうか、それとも、黙っていようとしたことに対してだろうか。あるいは、公演を観にいけなかったことに対してか。そのどれでもあったかもしれない。そのどれに対しても気にしないでほしいと思って、渉は首を振った。
「昨晩から調子がよくなかったと聞きましたが、急でしたね」
「まったくね。昨日の昼に君たちと打ち合わせをしたときにはどうということもなかったんだけれどね。この身体が本当に恨めしいよ。こんなにままならない」
 英智は心底うんざりしたように嘆いて、その上で入院はあまりに主治医が心配性すぎる、と合わせて嘆いた。
「と、いうことは、やはり大事を取って入院ということでしょうか」
「うん、このまま熱が下がっていけば、すぐにでも退院できそうだよ。スケジュールをリスケするにも限度があるしね。これまでこのくらいの季節にひどく体調を崩すことが多かったから、皆、ちょっと過敏になっているんだ」
「失礼しますね〜」
 渉は立ち上がって、右手を英智の額に当てた。うん、確かに今あまり熱は高くなさそうだ。どうにも今朝は高熱だったらしいが、今は微熱といったところか。
「下がりそうな熱ですね☆この調子ならすぐに退院できますよ。そんな顔をしないでください、英智」
「別に不安がってはいないよ」
「ええ、そうですね、どちらかといえば拗ねている子供のようです」
 子供じゃないよ、と英智は苦笑して、そしてそのあと、何かを待っているような、期待しているような様子を見せた。渉はそれをすぐに察して、両手を広げた。それに呼応するように英智が控えめに両手を広げる。渉は彼のほうへ身をかがめて、その身体を抱きしめた。背中に、英智の両腕が回る。
「大丈夫ですよ、のおまじないです」
「ふふ、いつもありがとう」
 しばらくその薄い身体を抱きしめる。比較する対象はあまりいないが、英智の身体は薄い、と思う。でもけっして、弱いわけではない。芯のある身体。確かな体温を持っている身体。あたたかい。心臓が動いている。生きて、いる。
 渉が英智から離れると、彼は少しはにかんだような、それでいて嬉しそうな表情をしていた。こうしてハグをしたとき、いつもこういう表情をしている。
「さっき君が子供のようだと言ったけれど、そういうところがあるのは認めざるをえないかもしれないね。渉がこうやってこのおまじないをしてくれると安心するんだ。初めてこうしてくれた時のこともよく覚えているよ」
「はい、あの時は確かあなたがしばらく眠ったままになってしまって……
「うん、渉には心配をかけたよね。僕も自分がちゃんと退院できるのか不安で、でも君が大丈夫だと言って抱きしめてくれたから、救われたんだ。大丈夫かもしれないって、信じることができてね。うふふ、おまじないというか、魔法みたいだなって思ったよ」
 英智が相変わらずこちらをきらきらした目で見るので、渉は苦笑した。英智はいつも魔法だと言ってくれるけれど、これは魔法ではない。渉は魔法使いではない。そうだったらいいのにと思うが、彼のこの身体のことに対して、渉ができることはあまりにも少ない。
……救われたのは、救われているのは、私のほう、だと思います」
「渉が?」
 よく分からない、といった様子で英智は首を傾げている。励まされているのは自分のほうではないだろうか、と言いたいのだろう。でも、たぶん、違うのだ。英智を抱きしめることで励まされているのは、安心しているのは、救われているのは、渉のほうだ。
「英智のあたたかさを感じることで、安心しているんですよ」
 英智が生きていることを、その体温があることを、抱きしめることで感じている。

 渉が打ち倒され、入院する英智のもとへ通うようになってからしばらくして、英智が眠ったままになってしまったことがあった。それが、先ほど話した最初のおまじないをしたころのことだ。その時、彼がしばらく目を覚まさなくなった時に、渉は初めて人が生きていることの危うさを感じたのだ。この人の体温を、失いたくないと思った。だから英智が目を覚ました時に、真っ先にその体温を感じたくて、抱きしめたのだ。おまじない、と言いながら。おまじないをされたかったのは、渉のほうかもしれなかった。
 人は、なぜ抱き合うのだろう、と思っていた。映画で、ドラマで、小説で、様々な物語で人と人は抱き合う。様々な物語に触れている渉はそのことを知っていたが、それは、一つの物語の上での表現なのだと思っていた。英智の体温を失いたくない、と思うまで。
 相手の体温を失いたくない、その体温を感じたい、と思うからこそ、その体温を、その人の存在を大事にしたいと思うからこそ、人は抱き合うのだ。渉はそのことを、英智という存在によって知った。

 これらのことを渉は語らなかったが、何か英智には伝わることがあったのだろう。彼は渉を慈しむような様子で、微笑んだ。
「そうかい、渉。大丈夫だよ。僕はちゃんといる。必ず目を覚ますし、しぶとく立ち上がり続けよう」
 ほら、憎まれっ子世にはばかるとも言うだろう?と加えて茶化してみせて、英智は歯を見せた。つられて渉も笑う。
「頼もしいですねえ!それではこの日々樹渉、陛下が覇道を進むのを、そばでお仕えしましょう」
 まあ、まずは、今の体調を整えることだ、と付け加えると、英智が肩をすくめている。
「すぐにでも退院したいくらいだよ。ここは本当に退屈でね」
「中途半端だとまた病院送りになりますよ。そうなってしまってはいろいろな人が心配します」
「それはそうだね。今日も白鳥くんなんかはひどく取り乱していてね、申し訳なかったな。朔間くんはいいとしても、敬人にお小言を言われてもかなわないし。君たちfineのこともあるしね。それに、渉の千秋楽は絶対に見にいかなくちゃ」
 これだけ口が回ればすぐにでもよくなるだろう、と渉は安心して微笑んだ。
「もちろん、最高の舞台をお届けしましょう!万全の調子でお越しくださいね」
 この現実は舞台ではない、映画ではない、ドラマではない、小説ではない。そういう中で、大切な人の体温を感じ続けられること、その幸運を思いながら、渉は再び英智を抱きしめて、その生を確かめた。