青色
2024-01-22 22:26:15
4322文字
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渉英

疑似心中する渉英っていいじゃん……ということを説明したくて書いたものなので、ヤマもオチもない。雰囲気で読んでほしい。女王蜂の「心中デイト」を聞いてほしい。
それっぽい心中っぽい描写があるので注意です。

 昼下がりと言うには少し遅く、夕方というには少し早い時刻、英智とのお茶会である。
「そうだ、渉に訊いておこうと思っていたことがあってね」
 しばし無言の時間を楽しんでいたのだが、不意にカップを置いて英智が切り出した。
「もうすぐ君の誕生日だけれど、何かほしいものやしてほしいことはあるかい?」
「おや、それは尋ねてしまってよろしいのです?」
 この人は何かと渉を驚かせたがる節があるので、今年の誕生日もサプライズのプレゼントになるのかと思っていたのだが。
「うん、サプライズもいいけど、今年はリクエストを聞いてみようと思ったんだ。それに、サプライズをしたいなら誕生日なんて分かりやすいタイミングじゃないほうがいいしね」
「なるほど〜では何かリクエストをさせていただきましょう!そうですね……
 渉はしばし大げさな素振りで考えて見せた。頭に一つ、思い浮かぶことがあった。それを口にして良いものか、少しだけ思案する。しばらくの逡巡。少しだけ慎重に言葉を選んで、渉は口を開いた。
「どこかで一日、予定を頂きたいです!」
「おや、デートのお誘いかな?それは別に誕生日と言わずいつでもいいのだけれど……
「デートはデートかもしれないのですが、その日はひとつ、お芝居に付き合っていただきたいのです」
「お芝居……、なるほど、ごっこ遊びという感じかな?いいね、渉の提案なら、面白そうだ」
 どんなお芝居なのかな、君にならどんなことでも付き合うよ、と英智が続ける。彼の瞳は子供のような雰囲気を湛えていて、渉が何を言い始めるのか、わくわくしている様子だった。
「Amazing!そんなに期待に満ちた目をされると嬉しくなりますねぇ!」
 渉の大きな身振りに合わせて辺りに紙吹雪が散った。その演出を終えて、渉は改めて英智の方へ向き直った。
「では、英智。私と一緒に、」
 一度言葉を切って、両肘をテーブルにつく。重ねた両手の上に顎を乗せるようにして自分が小首を傾げたのは、あとに続く言葉の不穏さをごまかすための、我ながら稚拙なぶりっ子だったかもしれない。
「しませんか、――心中」



 昼前に駅に集合して出発したはずではあったが、各駅停車の鈍行に揺られてとある寂れた海沿いの町についたのは、夕方前の時刻だった。そらは、どんよりよ曇っている。このごっこ遊びには、もってこいの天気だった。どこか不穏で、憂鬱で、鈍い。



「静かだね」
 夏であればまた違うのかもしれないが、こんな冬の日に、この寂れた町の海岸には人影が全く見当たらなかった。海は、曇天の空を写して、灰色に染まっている。
「寒くないですか?」
 海岸沿いは市内に比べて風がやや強く、英智が着込んでいるとはいえ身体に障らないか少し心配になる。渉の気遣いに大丈夫だと英智はうなずいて、浜辺へと足を踏み出した。
「しっかり着込んでいるから平気だよ、……おっと」
 砂に足を取られてバランスを崩した英智を急いで支えた。そのまま、その手を取って繋ぐ。さく、さく、と靴が砂浜を踏みしめて沈む。
 どちらともなく、波打ち際まで近づいた。今日の波は穏やかに、寄せては返している。地平線が、ずっと遠い。
 しばらくそうやって地平線を眺めていると、手を離した英智がおもむろに靴を脱ぎ始めた。
……?英智?」
 靴を脱いだ英智はそれをきれいに揃えると、靴下も脱ぎ、素足になっている。脱いだ靴下は一つにまとめて、右の靴に入れられた。そして、スラックスの裾をくるくるとめくり上げた。
「どうしたんだい、渉。心中するんだろう?」
 その言い方はあまりにもこともなげで、一方で発された言葉はその言い方にはあまりに似つかわしくないくらい不穏なものだった。英智はあまりに静かで落ち着いていて、一瞬、本気で死のうとしているのかとさえ思わせる。そのことに、渉は一瞬うろたえた。この芝居を提案したのは、自分だというのに。
「大丈夫、そういうごっこだよ」
 英智が微笑んで続けたので、渉は自分が一瞬固まっていたことが分かった。そうだ、これはごっこ遊びで、それは、自分が提案したことなのだと渉はうなずいた。そして、英智にならい、自分も靴を脱いでそろえる。裸足になって、デニムの裾をめくり上げた。
「じゃあ、行こう」
 英智がこちらに右手を差し出したので、渉はその手を取って再び手を繋いだ。沖へと一歩踏み出す。無彩色の海は、肌にしみるみたいに冷たい。一歩ずつ、ゆっくりと歩を進めた。
……ねぇ、どうしてこんなお芝居をしようと思ったのか、訊いてもいいかな」
 一歩ずつ前に進むたびに、冷たさを感じる部分は広くなっていく。それとは対照的に、繋いでいる手があたたかかった。
「そうですね、」
 渉はなんと説明したら良いか、少し悩んだ。その理由はちょっとした思いつきでもあったし、ずっと考えていることでもある、気がする。
「あなたの死を、独り占めにしてみたかったんです」
 もちろん、擬似的に、ではあるが。
「独り占めに」
「はい、そうです」
 不思議そうに繰り返した英智に、うなずいた。
 英智の死について、考えることがある。あまり考えたくないことだが、切り離せないことでもあるだろう。彼の死を思うとき、同時に考えるのは、彼の周りの人々のことだ。
 かつての英智はともかく、現在の英智は今や多くの仲間に囲まれて、愛されて、いる。だからもし、彼に死が訪れることがあれば、きっとたくさんの人々がその死を悼むことになるだろう。
 様々な側面の英智が様々な側面から悼まれる。その死は、多くの人々のものだ。
「そうしたことを考えたとき、それを独り占めにできたらいいのにと思う私がいることに気がついたのです!」
 これを独占欲というのだろうか。だとすれば、なんて興味深い感情だろう。多くの人から悼まれるということは、それだけ多くの人に愛されているということである、それはきっと喜ばしいことのはずだ。それなのに、そうであってほしくはなくて、その死が自分だけのものであれば良いのにという相反する感情が同時にある。なんて興味深いことだろう。
 渉の告白を英智は黙って聞いている。二人ともずいぶん歩いてきていて、膝下まで上げたズボンの裾がそろそろ濡れてしまいそうだ。波がないから、立っていられるだけで、波が高ければ足を取られてしまうだろう。まだなお進もうとしている英智は本当に死のうとしているようで、少し、怖くなった。いや、言い出したのは自分であるのだけれども。
 渉は立ち止まって、英智の手を引いた。
「もういいのかい?」
 まだいけそうだけど、とでも言いたげな英智はそれでも立ち止まって、少し考えた。
「うん、けっこう歩いてきたね。ここまで来たら、確かに死んだと言ってもいいのかな」
 そう言った英智は、地平線の遠くを見つめていた。
 そして繋いでいた手を優しく振りほどくと、急に隣に立つ渉のシャツの裾をめくり上げた。
「ほぉ!?」
 めくり上げられた勢いで少しよろめきそうになった渉は、一歩踏み出してこらえた。
 英智は晒された渉の腹に向かって身をかがめ、そのへその上のあたりに口づけた。
……?」
 数秒、唇を押し付けて離した英智は、これは回帰だよ、と呟いた。
「回帰、ですか」
「うん」
 寒かったよね、と言いながら英智はシャツを下ろして身を起こすと、こちらを見て微笑んだ。
「今ここで、僕の一部は君と心中した。だからこの死は、渉、君だけのものになった。そしてさらにね、その死んだ僕の一部は今、君へとこうして回帰して、そして君から生まれる」
「私から、あなたが」
「うん」
 つまりね、と英智は続けた。
「僕の誕生と死の一部が、渉だけのものになったんだよ」
 これは詭弁なのかもしれない。だって、一部だけが死ぬなんてことはありえないし、その一部がどうして渉の腹に口づけるだけで回帰したことになるのか、そして渉から彼が生まれることになるのか、何も説明できてはいない。ただ一つだけ、確かなのは、渉はその言葉を聞いて満たされたような気持ちになったということだった。自分の、独占欲のような何かが、満たされたような気がした。
……戻りましょう、英智。あまり長居をしては身体に障るでしょうし」
「うふふ、君の気が済んだなら、そうしようか。うん、不思議な気分だね、生まれ変わることがあるとしたら、こんな感じで何気ないものなのかもしれない」
 二人は海岸へと引き返して元いた場所へと戻った。コートのポケットからタオルを出して、英智の足を拭いてやる。その肌は冷たく冷えていた。
「準備がいいね、渉」
「もちろん!あなたの身体に障ってはいけませんからね」
「なんだ、本当にごっこ遊びの予定だったんだね」
 英智はそう言いながら少し笑って、タオルを自分に貸すように促した。今度は彼が、渉の足を拭いてくれている。
「僕は君になら何をされてもいいと思っているし、君とならなんだってできると思っているから、もし渉が今日、本気だったらそれはそれでもいいと思っていたよ」
……あなたって本当にそういう危ういところがありますね、英智?」
 そうなのかもね、と英智は肩をすくめながら、でも、本当なんだ、と続けている。
「君とならなんだって――
「では、もうしばらくは、これからもこの現実にて共に生きましょう!」
 靴を履き終えて、お手をどうぞと差し出した右手を、彼は迷いなく取った。
「うん、そうだね。ここで僕の一部が死んで君から生まれたわけだし」
「先ほども思いましたが、それ、分かるようで分からない感じですね?」
「言葉遊びみたいなものだよ。あるいは、思考実験かな」
 なるほど?と若干首を傾げつつも、渉はうなずいた。まぁ、とはいえ、彼が自分へと回帰して、そこから生まれるとするならば、素敵なことのような気もする。
「帰りにホールケーキを買いませんか?英智、」
「いいね、ちょうど君とお茶をしてから一日を終えたいと思っていたんだ。でも、どうしてホールケーキなんだい?」
 君の誕生日ケーキ?と英智が首を傾げたので、渉は首を振った。
「私ではなくあなたのケーキです!あなたの一部が私から生まれるということだったので、その誕生を祝したいと思いまして!」
「なるほど、じゃあ、復活祭だ」
 生まれ変わった僕と、そして渉のね、と英智は続けて、微笑んだ。これにて心中デートは終わり。心中して、回帰して、二人は一度ひとつになり、生まれ変わった。この日を覚えておこうと、渉は思った。