青色
2023-12-26 17:23:27
4263文字
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渉英

「薔薇は薔薇、世界がそこにあるとして映画館では眼を閉じていい(『越冬隊』vol.3、帷子つらね)」という短歌から着想しました。映画デートしてる二人です。

「やあ、ごめんね、遅くなってしまって」
 ESの正面入口の脇に自分を待っているであろう人影を目にしながらそこまで小走りで駆けつけた英智の第一声は、やや息が上がっていた。
「お疲れ様です、英智〜お忙しかったようですね?このあとは予定通りで大丈夫そうです?リスケしていただいても構いませんよ」
 待っていたことは気にしないように、同じく人を待っていた青葉つむぎと会話していたのだ、と渉は付け加えた。
「そういうことなんです、英智くん。あっ、俺も待っていた人が来たのでもう行かなきゃ」
 ではお二人でごゆっくり〜とつむぎが手を振って去っていくのに、小さく手を振り返して、さて、と英智は言った。

 そう、今日はこのあと二人で過ごす予定になっている。端的に言えば、デートだった。
 年末というのは何かと忙しい。アイドルとしても予定が多い時期になるし、処理しなければならない書類の量も増える。そういった業務も多く抱えている英智にとってはかなり忙しい時期であり、また同時に、体調を崩しやすい時期でもあった。要するに、公私のうち、公のために体調を万全に整え、公のために動く、そういう時期なのである。だから、私的な用事をこなすことがなかなかできない。
 先日はクリスマスで、本来なら恋人や家族とゆっくり過ごすはずの日だったのかもしれないが、これまた英智は公に追われていた。もっとも、恋人である渉もどうやらそうだったみたいなので、幸いなことにあまり罪悪感を持たずに済んでいるが。いや、罪悪感というのは、せっかくのホリデーを恋人として過ごしてあげることができない、ということについてのものである。

 とはいえ、恋人と二人きりでデートをしたいという欲求が、消えることはない。やはり、彼と二人きりで穏やかな時間を過ごしたい、そう思って、英智は今日のこれからの時間を無理やりもぎとったのだ。渉にそのことを連絡したときに、彼の声音が嬉しそうだったので、たぶん、渉もきっとデートがしたかったのではないかな、と思う。希望的観測かもしれないけれど。
「このあとどうしたいかは君にお任せするよ、と言っていたけれど、渉はどうしたいかな? 僕は君と一緒ならなんでも構わないよ。先日、ショッピングモールに敬人たちと行ったんだけど、それが楽しかったからショッピングもいいと思うし、最近はスポーツサバイバーで身体を動かしているからね、そういうこともいいかもしれない。たとえば、カラオケとかもいいかもしれないね、それから――
 英智が候補を上げていくのを、にこやかな様子で黙って聞きながら眺めていた渉は(彼が黙っているのはめずらしいが、こういうこともある)発言権を求めるように右手を上げた。
「はい、なんだい、渉」
 その様子に乗っかって、発言を認める教師のような口調で彼に発言を促すと、渉はうなずいて口を開いた。
「あなたと一緒に見たい映画があります!シアタールームでそれを見るというのはいかがでしょう?」
「映画鑑賞か、それはいいね。じゃあ、今日はシネマデートといこう」
 実はもう、その映画のディスクは借りてきているのだと渉はコートからパッケージを取り出しながらこちらに見せた。相変わらず、どこに何をどうやって仕舞っているのかよく分からない。手品のようだ。いや、たぶん、手品なんだろう。
 ES内のシアタールームでいいのでは、と渉は言ったのだが、英智は彼ともっと二人きりになりたかったので、自宅へ招くことにした。英智の自宅には、かなりいいシアタールームがあるし、ちょうどいいだろう。


「ポップコーンはなかったけれど、お茶うけにビスケットはどうかな?」
 自宅についてから、英智は映画のお供にお茶を淹れていた。映画と言えばポップコーンのような気がするが、あいにく自宅にそれはなかった。買っておけば良かった。前に、渉と一緒にコンロで弾けさせるやり方のポップコーンを作ることに興じたことがある。
「ポップコーンというほどの陽気な映画ではありませんから、ちょうどいいかもしれませんね」
 そう?それなら良かった、と言いながら英智はティーセットを二人のあいだに配置して、部屋の明かりを落とした。すでにディスクをセットしてあったプレイヤーのスイッチを入れる。
「どんな映画なんだい?君が選んだものだからきっと面白いものだろうね」
「フフフ、それは見てのお楽しみです!」
 渉の言葉に合わせたように、映画が始まった。


 映画が始まってから、どのくらいの時間が経っただろうか。一時間とはまだいかないはずだ。三十分?
 英智は漏れ出しそうなあくびを噛み殺しながら、この映画があとどのくらい続くのかについて思いを馳せていた。なぜそんなことをしているのかというと、答えは一つである。この映画が、びっくりするほど退屈だからだ。
 序盤から、よく分からないシーンに時間を割いて、冗長に同じことを繰り返すかのような展開は、本当に平板な展開だった。その上、場面全体がよく見えないシーンがあまりに多すぎる。登場人物たちの会話がなければ何が起きているのかさっぱり分からない。分かったところで、結局は退屈なのだが。
 ちら、と渉の方を見る。真剣に映画を見ているようだ。渉にはこの映画の面白さが分かるのかもしれない。彼は自分とこの映画を見たい、と思ってくれたというのに、自分はその面白さが分からなくて申し訳ない、という気持ちが少しある。少しあるものの、それを上回る、この映画が面白いなんて正気か? という気持ちがあって、むしろ楽しめているらしい渉に対する感嘆さえあった。
 見終わったら、解説を求めよう。
 とはいえ、まだこの映画は続くようだ。少しだけ、まぶたが重くなってきた。この映画が単調なのもあるし、そもそも最近、少し寝不足気味なのだった。本当は、今日のこの時間も休息に当てるべきだったのかもしれないけれど、渉と過ごしたかったので、少し無理を通している。
 この暗いシーンが終わるまでくらい、目を瞑っていても良いのではないか。どうせ映像は暗すぎてよく見えず、台詞を聞いているだけのようなのだから。
 そう思って、英智は目を閉じた。


 次に目を開けた時、英智はシアタールームの明かりの下にいた。腕で抱えた膝と胸のあいだに、なぜかたくさんの薔薇が抱えさせられていて、さながら花束のようになっている。
…………?あれ?今何時?映画は?」
「おはようございます、英智。よくお眠りになられていましたね」
 隣に座っていた渉が英智が起きたことに気がついてこちらを向いた。きれいなウインクを一つ飛ばす。
「眠り、……、えっ、僕、寝てた?」
「はい〜それはそれはよく眠られてましたよ」
「えっ、……ごめん」
 英智は手元の薔薇たちを抱えながら小さくなった。あの時、目を瞑ったのをきっかけとしてそのまま眠りこけてしまったのだろう。申し訳ない。渉はこの映画を自分と見たかったはずだ。中身の質はどうあれ。
「君がせっかく一緒に見たいと言ってくれた映画だったのに」
「いえいえ、そんなに肩を落とさないでください、英智。これはすべて私の計画どおりですっ!」
……?」
 渉が得意げにしているのがよく分からなくて、英智は首を傾げた。
「この映画をあなたと見たかったというのは本当です!ですが、見たかった理由は、面白いからではありません! びっくりするほど退屈な映画だからです!」
「どういうこと?」

 びっくりするほど退屈、と言いながら渉は得意げに胸を張っていて、やはり退屈だと感じた英智の感性は間違っていなかったらしい。しかし、それならばなぜ、そんな映画を一緒に見たいと思ったのだろう。
「あなたが最近休息を取れていないことは、予定を見るだけでも分かりましたし、今日直接お顔を見ても分かりました。しかし!あなたは休むように言っても休まないでしょう。私との時間も取りたいとおっしゃるでしょう!それでこの日々樹渉、考えました。私と過ごしながらあなたが自然に休息を取れる方法はないか、とね。それで思いついたのが、これです!」
 つまり、である。英智に休息を取ってほしいが、渉との時間も手放さないであろう英智を休ませるために、あえて退屈な映画を一緒に見て、そのあいだ、眠って休息を取れるようにしたのだ、と。
「あなたが眠っているのを確認するたびに、その眠りを祝福して薔薇をお渡ししていたらこのような状態になってしまいました☆」
 なるほど、それで英智はこの薔薇の束を抱えているわけである。それだけ、渉が英智の様子を気にかけてくれていたということなのだろう。
「そういうこと……、別にそんなことをしなくても、僕はもう少し無理はきくし、君との時間だって全然過ごせるのに……。でも、これは君に優しさだよね。ありがとう」
 先ほどまでの申し訳なさとは変わって、今は感謝の気持ちがある。確かに、少し仮眠を取ったかたちになったので、それより前と比べると頭がすっきりしている。必要な休息だったのかもしれなかった。

 時間を確認すると、まだ二人には余裕が残されていた。
「君のおかげですっきりしたし、時間にはまだ余裕がある。今度こそ本当に君の面白いとおすすめの映画を見ることもできるよ。きっと君のことだからそれも用意しているんだろう?」
「さすがの英智、お見通しですね!しかし、それはまた今度といたしましょう。私はあなたとおしゃべりがしたいです!眠っているあなたを見ているのは、それは愛おしいものでしたが、やはり、起きているあなたとおしゃべりをするのが一番楽しいと思いを馳せていたのでね」
 お茶を追加で淹れて、そしておしゃべりに興じたい、それが渉の希望だった。もしかすると、今日のデートの希望は、そもそもおしゃべりだったのかもしれない。そんなささやかなことが希望になるくらい、二人は二人だけの時間を最近取れていなかったのだ。
「じゃあ、おしゃべりとしようか。テラスに場所を移そう。お茶は追加で淹れるし、お茶菓子も追加で持ってこようかな。そうだ、せっかくだから、あの退屈な映画がいったいなんだったのか、聞かせてもらってもいいかい?」
 もちろんです、退屈だったでしょう?と渉がいたずらっぽく笑いながら立ち上がった英智に続いた。二人並んで、今度はテラスに向かう。なんでもないような日常こそが、デートなのかもしれなかった。