青色
2023-03-04 23:07:45
5723文字
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燭鶴

そういうことを期待して肩透かしを食らって拗ねている鶴丸はかわいいね。拗ねていてもすぐに仲良しになる。

 我が家は風呂が大きい。

 光忠と付き合うようになってからしばらくは、ときどき鶴丸が彼の部屋に出入りして暮らすような、半同棲のかたちをとっていたが、少し前に新たに二人で住む部屋を決め、同棲が始まった。
 部屋探しについては少し無責任かもしれないが光忠に一任した。鶴丸は最低限の希望を伝えただけだ。それは地区であったり、駅からの距離であったり、オートロック必須だったり、そういうあたりの希望。
 光忠は鶴丸の希望を鑑みながら部屋を探すのが苦ではなかったらしく、楽しそうに物件を見ていたようだ。最終的に二つに絞られた物件のうち、より築年数が新しいほうを鶴丸が選んだ。キッチン設備がそちらのほうが良さそうだったからだ。
 彼と交際するようになってから鶴丸は初めて知ったのだが、この男は料理が趣味で――夜中に彼の家に転がりこむ関係だったときには知るはずもなかったのだ――、それなら良いキッチンのほうが光忠にとって良いだろうという鶴丸の判断だった。彼は築浅物件のほうが家賃が高かったので、設備の良いキッチンに惹かれながらもそちらを希望するのを遠慮していたらしく(鶴丸のほうが稼ぎがあるので家賃を負担すると二人のあいだで決めている)、鶴丸がそうした理由で内心自分も希望していたほうを選んだことをこっそり喜んでいるようだった。まぁ、喜んでいるのは鶴丸に伝わっているのだが。
 それはともかく。二人が選んだ部屋は快適で、引っ越しも滞りなく進み、二人での生活が始まった。
 新しい二人の部屋は快適だ。鶴丸は新たに始まった生活を気に入っていた。一方で、思ってもみなかったことなのだが、この部屋の特徴は、築浅物件であることでも設備の良いキッチンでもなく、妙に広い浴室であるようだった。実際、越してきて初めて風呂に入ろうとした鶴丸は――それまでよく確認していなかったためだが――、浴室の広さに驚いて、ホテルか!?と思ったほどだ。
 ずいぶんと風呂の大きい部屋を選んだものだ、もしかしてそれに惹かれて光忠はこの部屋を選んだのか?と鶴丸は考え、彼の体格と、入浴の時間を大事にしていることを考慮し、まぁ変なことではないか、と思っていた。

□□□

「鶴さん、あのさ」
 二人での生活にも慣れてきたある日、光忠が出かける前に遠慮がちに頼みがあると言ってきた。
「おぉ、なんだ」
 玄関で靴を履く彼を眺めながら鶴丸は尋ねた。今日は鶴丸は休日なので一日家にいる予定だ。なんだろう、と思う。買い出しの頼みか?いや、それだったらもっと気軽に頼んでくるだろう。
「僕、今日、帰ってきたら鶴さんと一緒にお風呂入ってみたいんだけど……、いいかな」
 それを今日の楽しみにして帰ってきたい、と彼がはにかんで言った。鶴丸は様々なことを一瞬のうちに内心で合点してうなずいた。
「そりゃもちろん、きみがそうしたいなら俺は全然構わないぜ」
 それは嬉しい、行ってくるね、と言って光忠は出発した。その背を見送って鶴丸は、なるほど、そういうことだったのか、と一人で納得していた。
 きっと風呂が大きいのは、そこで致すことも想定されていたのだ。
「光坊もなかなかむっつりだな」

 という今朝の経緯があり、その夜、鶴丸は準備を済ませた状態で浴室へ向かっていた。鶴丸とて、場所を変えて行為をするのはやぶさかではない。そういう心持ちだ。
 先に洗面所にいる光忠が今日買ってきた入浴剤のうち、どれにするかを迷っているらしい。
「鶴さん、キラキラなのと色が変わるのとどっちがいい?」
……?そうだな、キラキラなほうで頼む」
 お湯につかるときに入れようね、と光忠は言って浴槽の縁にそのバスボムを置いている。
 そしてそのまま髪を洗いはじめたので、鶴丸もそれにならった。入浴してすぐ「そういうこと」になるかと思ったが、いや、さすがにそれはいささか性急か。では、髪を洗ってからだろう、と思う。
 髪を互いに洗い終えたあと、鶴丸は光忠の出方をうかがったが、まだそのときではないようだった。まぁ、普通に考えて身体も洗ってからになるか、と考える。
「鶴さん、背中流してあげるよ」
 光忠がボディタオルを手にしてそう言うので、洗いっこをすることになった。ははぁ、なるほど、こうやっていちゃついているところから、そういうことになるわけか、と鶴丸は思い、その気になっていた。
 が、なんだかんだと何事もなく互いに互いを洗い終え、お湯につかることになった。おや?と鶴丸は内心首を傾げたのだが、気を取り直す。彼は入浴剤を入れるのを楽しみにしていたようだったから、まずはそうしたいのだろう。バスボムを堪能してから、ということだ。
 先にバスタブに入った光忠は、鶴丸が自分の脚のあいだに入るように呼んだ。普通、男二人が一緒に入ったら窮屈になりそうだが、この家の風呂は大きいので、あまり問題なかった。背後から鶴丸を抱きしめるようにしながら、彼はバスボムをお湯に入れ、子供のようにはしゃいでいる。
 鶴丸は後ろから抱きしめられている体勢と、自分の尻付近に彼の性器がある感覚になんとなく落ち着かなさを感じながらも、光忠がはしゃいでいる様子を微笑ましく思っていた。いや、落ち着かないような感覚になるのは仕方がないだろう、そのつもりで準備をしてきているし、準備をしているということは期待しているというわけであるし。
 入浴剤が金のラメを広げながら溶けていく。お湯が白濁したオレンジ色に変化していった。浴室に柑橘系の香りが広がる。
「これ、いい香りだね。僕は気に入ったけど、鶴さんはどう?」
 光忠が鶴丸の肩に顎を乗せて喋っているので、声音が近い。
「俺も好きだぜ」
 それはよかった、と光忠は耳元で笑った。この体勢は座位を連想させて良くない、と鶴丸は思う。やはり落ち着かない、いや、落ち着かないというか身体が期待している。いっそ自分から誘うか?とも思ったが、そもそも誘ってきたのは光忠のほうであるし、何かタイミングがあるんだろう、と思って鶴丸は待つことにした。待つことができないというのも、なんというか格好悪いではないか。
 鶴丸を抱きしめたまま、光忠は他愛のない話をしている。鶴丸は少し身じろいでみたが、彼の性器がまったく反応していないことが気になった。いや、たぶん、今のところはリラックスしているのだろう。自分のものだって、そんなに、そんなことにはなっていないはずだ。
 身体に腕を回された状態で、その手のひらが両脇腹を撫であげたので鶴丸の身体は少しだけ跳ねた。そのときか?と思ったが、その後はそのまま何もなく、肩透かしを食らった状態になる。鶴丸はおかしいな、と内心でまた首を傾げたが、やはり何もなかった。
 このように時折、光忠の仕草に翻弄されながら、どのくらいお湯につかっていただろうか、このまま致したらのぼせるかもな、と鶴丸が思いはじめたあたりで、彼が上がろうか、と言った。
……??上がるのか?」
「え?鶴さんもう少しつかってたい?あんまりいるとのぼせちゃうかもなって思ったんだけど」
「いや、のぼせそうだとは思っていたが」
「そうだよね、上がろう。僕が掃除してから出るから、鶴さんは先に出てていいよ」
 え?掃除をするって、完全に上がるってことか?このまま何もなく?
 あれ?と脳内で鶴丸はめちゃくちゃに首を傾げながらも、浴室を出されてしまった。光忠が風呂の栓を抜いてお湯を抜きはじめている。脳内が疑問符に埋め尽くされながら鶴丸は身体を拭き、首を捻った。
 光坊は風呂でしたいのではなかったか?
 だから、自分も準備をしていたし、その気になっていたのだが、と鶴丸は考え、そこでふと、今朝の光忠の言葉を思い出した。
『鶴さんと一緒にお風呂入ってみたいんだけど』
 はた、と鶴丸はあることに思い至った。ちょっと待て。そもそも、一緒に風呂に入りたいとは言われたが、風呂でしたいとは言われてないのではないか?
 つまり、光忠は初めからまったくセックスをしようという気はなかったのである。どう考えてもそうだ。それゆえに、ああいった感じだったのだ。
 つまり、一方的に鶴丸がその気になっていただけなのだ!勝手にそういうことだと思い、準備をしていた。
 そのことに気づいた瞬間、鶴丸は自分だけが勘違いをしていたというか期待していたというか、そして自分だけが相手に欲情しているかのような感覚に陥り、ひどい羞恥を覚えた。顔が熱い。耳も熱い。入浴であたたまった状態でなければ、一目で見て赤面しているのがばれてしまっていただろう。もはや全身が熱い。
 鶴丸はいたたまれなくなって、そのまま裸で寝室に直行した。ベッドに飛びこんでブランケットにくるまる。髪を乾かさないままはよくないといつも光忠に言われているが、気にしなかった。あまりに羞恥がひどかったし、その羞恥から拗ねてもいたからだ。拗ねるなんていい大人が子供っぽい振る舞いかもしれないが、羞恥心に耐えきれなかった。
 しばらくそうしていると、あれ、鶴さん?とリビングの方から光忠の声が聞こえる。鶴丸の姿が見えなかったので、少し探しているようだ。
「あ、鶴さん、ここにいたの」
 光忠がこちらに気がついて寝室に入ってくる。鶴丸はブランケットにくるまったまま、ちら、と光忠の方を見た。彼はいつもの風呂上がりのように下着をすでに履いていて、それもまた、彼がまったくセックスをするつもりでなかったことを示しているように思われた。本当にいたたまれない。
「どうしたの、風邪引くよ」
 近づいてきた光忠が、鶴丸が濡れた髪そのままであるだけでなく裸であることに気がついてそう言う。
「別に平気だ」
「そんなことないよ、めんどくさいの?髪は僕が乾かしてあげるし……、のぼせちゃったのかな」
 どうしたの、と言いながら光忠はベッドに腰かけた。片脚を乗り上げて鶴丸の方へ身体を捻っている。鶴丸はブランケットにくるまったまま起き上がって、彼とは逆側のベッドに腰かけて背を向けた。
…………きみが期待させるからいけないんだろう」
 鶴丸は背を向けたままぼそぼそと呟いた。いや、勝手に期待していたのは自分なのだが、そう言ってやりたい程度には羞恥で拗ねていた。
「期待?なんの?」
「いや、きみが……一緒に風呂に入りたいだとか言うから――、」
 するだろう、準備なんかを、とまたぼそぼそと鶴丸は続ける。拗ねているのである。
 しばらくぴんときていなかった光忠は、時差で鶴丸の言っていることを理解したらしい。えっ!と大きな声を上げた。慌てている。
「待って、そういうこと……!そういうことすると思わせたってこと、だよね?ごめん!本当に僕ぜんぜん考えてなくて、あぁーこれは僕が悪い、ちょっと待って、鶴さん、挽回させて」
「だめだ、もう遅い」
 俺は拗ねた、五条拗ね丸だ、とぼやいている鶴丸に、そんなこと言わないで、と言いながら彼がベッドに乗り上がってくる。背後から抱きしめられた。拗ねないで、ごめんね、と肩口にぐりぐりと頭を押しつけられている。
「今はもう鶴さんは僕としたくない?ごめん、僕はしたくなったんだけど、……
 遠慮がちに耳元で囁かれた。ぎゅっと抱きしめられる。なんとなく、うまく言えないが、反省した大型犬のような印象。
「いや、別にきみとしたくないわけではないが……
 鶴丸としてもセックスをするというのは当然やぶさかではないのだが、拗ねている手前、素直にうんとは言いがたい。
「だいたい、髪を乾かさないと風邪を引くんじゃなかったのか」
「そのうち乾くから大丈夫だよ」
「さっきと言ってることが違うぞ、光坊」
 えぇ、そうかな、と光忠はとぼけている。背後から鶴丸の方を覗きこんでくる。
「ね、しよう、だめかな」
「きみなぁ」
「だめかな、僕、今すごく鶴さんのこと抱きたい、かわいいから」
 言外に拗ねているのがかわいい、と光忠が言っている。年上の男をかわいいだとか言うなんて妙な感性だと初めのうちは思っていたが、かわいいと言われ慣れてきてしまった。むしろ、かわいいと言われるとほだされさえしそうというか、嬉しく感じてしまうというか。
 ぐっと光忠が腰を鶴丸に寄せて、そのせいで股座が少し大きくなっているのがわかってしまった。拗ねている鶴丸をかわいいと言って、欲情しているらしい。
「きみなぁ〜〜」
 渋っている声を出したが、鶴丸としてもまんざらでもない。自分が一方的に欲情しているわけではなく、彼も欲情してくれるということがわかるのは嬉しいし、何より彼とセックスはしたい。好きなので。期待していたので。
 機嫌直して、でも拗ねているのもかわいいいよ、と光忠の心の声が漏れている。鶴丸は深呼吸して、少し微笑んだ。
「きみが満足させてくれたら機嫌は直るかもな」
 振り返って鶴丸が言うと、彼はぱっと破顔した。
「もちろん!鶴さんがもういいって言うくらい満足させるよ」
 任せて、と光忠が自信満々に胸を張るので、鶴丸はいよいよ笑った。
「そいつは楽しみだな」
 言っておくが、俺はけっこう欲深いぜ。鶴丸の言葉に、よく知ってるよ、と返答した光忠は、そのまま頬に口づけた。そのあとに、唇に。唇の表面を舌がなぞって、中に割って入ってきた。舌先が軽く絡み、彼のものがそのまま鶴丸の上顎をくすぐって、離れていった。
「鶴さん、こっち」
 光忠が鶴丸をベッドの中央へ誘った。身体に絡まっているブランケットを取り去る。
 鶴丸を組み敷いた彼が再び口づけて、唇をついばみ、舌を食んだ。それと同時に手のひらが鶴丸の内腿を撫であげた。小さく鶴丸が身じろぐ。
「かわいい、鶴さん、期待してる」
「きみのせいだぜ」
「うん、僕のせい」
 だから、期待してて、好きだよ、と光忠が言って髪をかきあげた。濡れた髪から水滴が肌に落ちる。鶴丸は自らの唇を舐めて身を委ねた。冷えていたシーツに二人の体温が移り、ベッドが軋む。
「俺も好きだ、光坊」