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2022-04-16 17:48:49
4103文字
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無題

英智くんは渉くんが免許を取ったと知ったあかつきには車をプレゼントすると思いますね。

 渉から連絡があった。「お迎えにあがりますね」とのことだった。
 珍しい、と英智は思う。彼が直接メッセージで迎えに来ることを伝えてくることはほとんどない。大抵の場合、遅くなった英智のもとに見計らったようなタイミングで(時々、英智を心配してか少し早めに)颯爽と現れるのが渉だった。だから、こういうことは珍しい。
 何かあったのだろうかとも考えたが、そうだとしたら何か自分のもとにも情報が来ているはずで――あるいは彼がそのことも合わせて伝えてくるはずで――、だから英智はほかに何か考えようもなくその連絡に従って、仕事を終えたのちにESビルを出た。明日には個人的な用事があり、今日は自宅へ帰る日だった。渉もそれを知ってのことだろう。

 ビル正面にて、とのことだったが……、としばらく独り佇んでから英智は再び渉からのメッセージを見返した。やはり、ESビルの正面にて、とのことである。とはいえ今この付近には英智以外の人の気配がない。普段やるべきことに些末なことが重なってて書類仕事が今日は多く、遅くなってしまったからだろう。
 すっかり暗くなってしまった、渉は大丈夫だろうか。
 心配になって、こちらから連絡を入れるか英智は少し考えた。スマートフォンを取り出してしばし逡巡して画面を眺めているうちに――というのは、渉が何か英智を驚かそうとしているだけかもしれないと思って、それならもう少し彼を待ってみようかと思ったのだった――、視界の端に車が停まったのが見えた。来客にしては時間が遅すぎる。ES関係者だろうか。明言はできないが、車体の雰囲気からして社用車のような気もする。瞬間、そこまで考えて英智は顔を上げた。そしてそこで思いがけない人物と目が合い、少しばかりのあいだ静止した。
「大変お待たせいたしました!あなたの日々樹渉です……☆」
「渉!」
 すぐそばに停止した社用車の窓が開いたところ、覗いたのがちょうど考えていた相手だったので英智はすっかり驚いてしまった。遅くなってすみません、と言う彼の言葉を聞きながら車へと駆け寄る。英智もすでに何度も乗ったことのある社用車だったが、渉が運転しているという事実だけで何かいつもと違うもののように感じられた。
「君、いつの間に免許を取り終わっていたんだい?」
 どうぞ、と渉が言うので英智は示されるままに助手席の扉へと近づきつつ訊いた。彼が免許を取ろうと思っているということは知っていた。以前、英智と話しているときにそういうことを言っていたのだ。しかし、なんともう取り終わっているとは!
「フフフ、実は驚かせようと思って黙っていました!驚いていただけましたか?……しかし、こちらを借りる手続きが初めてだったものですから、この日々樹渉、少々不覚を取りまして手間取ってしまいました」
 それで待たせてしまった、と申し訳なさそうに渉はしているが、英智はまったく気にしていなかった。むしろ彼がまた何かこちらを驚かせるようなことをしてくれていることにわくわくしていた。そのことに気づいてか気づかずか、渉から申し訳なさそうな色が少し消える。
……英智?どうかされました?」
 不意にそう問いかけられて英智はハッと我に返った。やはりこの高揚感があまりにもだだ漏れだっただろうか?改めて見つめ返すと、さらに渉は首を傾げた。
「一応、お迎えにあがったのですが、乗られませんか?」
「えっ」
 乗らなんてそんなことはない!と英智は大きく首を振った。そうして身体は勝手に後方の座席に乗りかけて思いとどまった。これは、もしかして渉の隣に座るのが正解なのでは?
 普段、車というのは自分に対してドアを開けて待機しているものだから、今夜この渉が運転してきた車に対してどうアクションしたらいいのか無意識にわからなくなっていたのだった。
「とんでもない!乗らせてもらうよ。ちょっとびっくりしていたんだ」
 そう言って英智はこれまで人生で一度も乗ったことがない助手席の扉に手をかけた。引いた勢いで扉が勢いよく開き、若干腕を持っていかれたが気がつかなかったことにする。
 よいしょ、と座席へ乗り込んだもののそこは英智が思っていたよりも狭く、脚を折りたたむようになってしまった。
「助手席って、案外狭いんだね」
 新たな発見という心地で呟くと、渉がうっかりしていたという顔をした。
「すみません、急いでいて座席を下げていませんでした」
「座席を下げる?」
 渉が言うには座席の位置は調整できるらしい。となると、今は恐らく前の方へ寄せてあるのだろう。
「座席下のレバーを引くと座席が動かせるようになるので、調整していただいても?」
「座席下のレバー」
 彼の言葉を復唱して英智は足元を探った。レバーらしきもの……、これだろうか、というものが見つかったので引いてみる。
 すると、勢いよく英智の座席の背もたれが倒れ込み、それに驚いて身体を起こすと今度はその背もたれが後ろへと倒れ込んでいった。ガコン、という威勢のいい音がする。
「Amazing」
 大丈夫か、と渉は続けたが、第一声に混じっていた愉快そうな気配を隠しきれていなかった。否、英智としても隠さなくていいのだけれど。
「あなた、もしかしてこちらに乗るのが初めてですか?英智」
「うん、実はそうなんだ」
「それはそれは、さすが英智ですねえ……。ちなみに、私が免許を取ってから乗せる人はあなたが初めてですよ」
 本当かい、と英智は自分の顔がほころぶのを感じた。初めてというのは、それなりに特別なものだと考えていいだろうか。少し渉が嬉しそうな気配がしたが、よくわからなかった。
 一人で対処しきれないと見たか、渉が自分のシートベルトを外すと英智の座席のほうへと腕を伸ばしてきた。まずは倒れてしまった背もたれを戻し、座席の位置を調整する。レバーの位置の関係で、ちょっとばかり彼に抱きしめられるような体勢になった。
「うふふ、なんだかこの感じはドキドキしちゃうね」
「急に生娘のようなことを言って、どうしたんです?」
 渉のおかげで座面の位置は後ろに下がり、すっかり窮屈ではなくなった。生娘かどうかはわからないが、渉とこうして車に乗るのは初めてだし、だからこそ彼がこうした仕草をするのを見るのは初めてで、それに心が華やいでいるのは事実だった。
 さて、帰りましょうと渉が言った。シートベルトを忘れないようにと言うので、彼が締めるのに合わせて英智もシートベルトを締める。
 
 出発してからも英智の心は華やぐばかりだった。なにせ車を運転している渉というのはこれまで見たことがなかったのでとても新鮮だったのだ。スマートにミラーを確認する目線、譲ってくれた相手ドライバーに片手を上げて挨拶をしたり(何か手から出てくるかとも思ったがさすがに運転中だったので何もなかった)、急加速急停止のないスムーズな車運びをしたり……、いや、どれも彼の運転に限った特別な仕草ではなく、多くの人の運転で見れられることはわかっていたが、やはり見惚れてしまうものだ。
 英智は普段、車に乗っているときは書類を見ていたり、何もなければ外を眺めていることが多いのだが、今夜は渉のことをじっと見つめていた。
 信号で停車したとき、不意に渉が英智の右手を握った。英智は渉のことを眺めていたのだが、少し驚いて手元に目を落として首を傾げた。
「渉?」
 英智が再び渉を見やると、彼は意外にも少し困った顔をしていた。
「あの、そんなに熱烈に見つめられるとさすがの私でも穴が空いてしまいそうなのですが」
「あぁ、ごめんね、君が格好よくて、つい」
 ごめんねと言ったものの英智がやめることはないと渉もわかっているのか、少し微笑んでまた運転に戻った。
「運転しているのがそんなに物珍しいですか?」
 渉の問いに英智は大きく頷いた。いや、物珍しいというわけではないのだが。
「珍しいというか、高揚しているよ。いつも何か君が新しいことを思いついて見せてくれるときと同じように……、いつだって渉は僕をわくわくさせてくれるからね」
 それに、と付け加えた。自分ができないことを恋人がしているというのは、総じてときめいてしまうものだと。英智はいつだって渉に熱い視線を注いでいる。
「そうですか……それは日々樹渉冥利に尽きますね!フフフ、では私のこの昂ぶりはあなたの熱が移ってしまったのでしょうか!あなたには私の初めてをもらっていただき、そしてあなたの初めてを頂いてしまったので、実のところただでさえ高揚しているのです。『初めて』というのはいつだって特別なものでしょう!」
「『初めて』?」
 一瞬考えて、英智が渉の車の最初の搭乗者だと言っていたことを思い出した。もらった、というのは、英智の初めての助手席での乗車だろうか。
「うふふ、君がそんなことを考えていたなんて思いもよらなかったよ。僕ばかり高揚しているのかと思っていたからね」
「英智、あなたが考えているよりもあなたは私にとって特別な人ですよ」
 本当かな、と英智は笑った。疑っているわけではない。単純に、自分のほうがさらにもっとずっと好きだと思っているだけだ。 

「ねえ、渉、遠回りして帰ることはできるかな」
「それは……、ドライブのお誘いですか?しかし、明日は早いのでは?」
 渉の問いに、そうだね、と英智は頷いた。とはいえ、それでも。
「でもこの今夜の高揚感、いや、熱を、少しでも長く共有していたいんだ」
 英智の言葉にちらりとこちらを見やってから、彼はにこりと笑った。
「Amazing!いい提案です!高まりすぎて安全運転をおろそかにしないようにしなければいけませんね」
「僕は多少スリルがあっても楽しめるタイプだけれどね」
 さすがにだめですよ、渉は苦笑する。彼が少しだけ車の窓を開けたので、車内を夜風が吹き抜けていく。
 ウインカーが英智の自宅とは逆方向に出された。今夜の散歩は、普段の空の旅とは違って地上の旅。これもまた、いい夜になりそうだ。