コット
2025-09-24 00:25:03
3148文字
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熱帯魚

ダングリ(エヘ)光♀
秘話におとうさまが出てきたので
出てきたので


 深い海の底にいる。

 見上げればはるか水面に、遠く太陽が浮いている。

 ──いや、違う。あれは、ミラーボールだ。

 ここは、慣れ親しんだソリューションナインのダンスフロア。海の底では決してない。

 あんなにも眩しいと思っていたそれが、本物の太陽を知ってしまった今では、うすぼんやりと水面に浮かぶ太陽の影にしか見えない。

 ──な〜んだ、全然違うじゃん。

 母が、あれを太陽だと言ったオレを笑ったことを思い出して、またひとつ、母の気持ちを知れた気がした。

 リズムに波打つ重低音。踊る人々をかきわけ、泳ぎながら進んでいく。

「ダンシング・グリーン!」
「久しぶりじゃないか」

 陽気な仲間たちが次々に声をかけてくる。
 笑顔を作って応えれば、手を引かれて、ダンスの輪に入れられる。
 ステップを請われ、軽く踊ってみせる。

 ──あぁ、違う。こんなことしている場合じゃないのに。

 重くまとわりつく水圧。小魚の群れ。思うように進めない焦り。

 やっぱりここは、深海の底。


 ⌘


 重低音の響くダンスフロアの奥に設置されたバーカウンター。
 ス、と目の前に置かれたカクテルに、ヘイザ・アロ族の女は顔を上げ、バーテンダーに首を傾げて見せた。

「あちらのお客様からです」

 轟音の店内なのによく通る声で、バーテンダーが奥の席を指差した。
 シャトナ族の男だ。整った造作。年齢はわからない。若くも見えるし、壮年にも思える。

 女はしばし逡巡した後、そのカクテルを手にとって、男に向かって小さく掲げた。

……声をかける許可を、いただけたのかな?」

 カクテルを片手に軽やかに席を立ち、隣に腰掛けた男がニコリと笑う。

「えぇ。慣れない場所にひとりきりで、少し心細かったの」

 ヘイザ・アロ族の女は、ふわりと微笑んだ。

「普段はね、こんなに丁寧なナンパはしないのだけど」
「だって、モテそうですもの」

 くすくすと笑う鈴音が、ダンスフロアの重低音よりもはっきりと耳に届く。

……あぁ、困ったな。年甲斐もなく緊張しているようだ。何を話せばいいのか」

 シャトナ族の男はそう言いながら、何も持っていない方の手を差し出す。
 きょとと首を傾げるそのひとの目の前に、ポンッと小さな音とともに一輪の花が現れた。

「わ。手品?」
「どうぞ、差し上げます。花のようなお嬢さん」

 ソリューションナインの温室で育てられている生花は、ウケがいい。
 そっと受け取りその香りをかいだ彼女が、小さく囁いた。

「エヘーヤ……
「! それは、俺たちの言葉で『花』を意味するんだ。よく知っているな」

 驚きに目を開くと、ちらりと視線をあげた彼女が、悪戯っぽく唇を開く。

「──の、おとうさま?」

 ぱくりと空いた口が塞がらない。
 悪戯が成功した子どものようににっこりと笑いながら、彼女が手を伸ばす。

……耳の形」

 手にしていた花を男の耳の横に刺して、そのままその手を頬へと滑らせる。

「輪郭、鼻筋。髪の質感。……それから、瞳の形」

 最後に瞳の横を丁寧に撫で、柔らかく囁く。

「遺伝が伝える情報は多い。……そっくりですね、おとうさま」
……あー。もしかして俺は、息子の彼女をナンパしたのかな?」

 ダンシング・グリーンは、人前でサングラスをはずすことはほとんどない。
 瞳の形にまで言及するということは、そうとうプライベートな関係だということだろう。
 案の定、ヘイザ・アロ族の女はこくりと頷いた。

「はい。おとうさまに会うために、エヘーヤさんとここで待ち合わせのはずだったんですが」
「彼が遅刻して、偶然、俺がお嬢さんをナンパしたってことか」

……偶然?」

 柔らかな笑みの女が、かすかな吐息で囁く。
 今、フロアを揺らす爆音は、細波のように遠くなる。

――どうしてわたしに声をかけたのか、思い出せますか?」


 ⌘


 ヘリテージファウンドの天幕に届いた息子からの手紙には、『紹介したい人がいる』と綴られていた。場所は、思い出のダンスフロアだ。

 少し早く着きすぎてしまったので、ひとの波に身を投げた。

 フロアの重低音に身を任せ、大勢の中で自由に身を揺らしていると、どんどん自我が溶けていく。
 仕事だの人間関係だの、シャトナ族の男の責務だの、そんなつまらないことはすべて忘れて、ただ、周囲にあわせて右へ左へと揺れていればいい。
 ここが海の底ならば、人々はみな群れる小魚だ。今、この瞬間だけは、何も考える必要がない。

 その時、視界のすみに、ひらりと何かが舞った。
 思わず目で追えば、それはひとの手だ。
 ひらひらりと、リズムに乗りながら、優雅にひとの波間に揺れる。

 踊っているのは、ひとりの女性だった。

 ひとのひしめくダンスフロアなのに、するりするりとひとの隙間を楽しげにすり抜ける。
 ソリューションナインでは見たことのない、不思議な踊りだ。それだけでも人目を惹くはずなのに、誰も彼女を認識しない。
 身体を揺らすことも忘れて魅入っていると、ほんの一瞬、目があった。

 女が、とろりと微笑む。

 ――刹那。思い出したのは、はるか昔のこと。まだ障壁ができる前だ。

 旅の途中、トライヨラの海で泳いでいると、小魚の群れの向こうに、ひらりと何かが舞った。
 波をかきわけ近寄ってみれば、それは、美しいヒレを持つ熱帯魚だ。
 おそらく観賞用のものが海に逃げ出したのだろう。弱ければ淘汰される自然の中でしたたかに生き延びて、その高貴な気配をまとったまま、たった一匹、優雅に泳いでいる。小魚たちはその魚に気づかない。

 ――美しいヒレに、触れてみたい。

 無意識に腕を伸ばすが、もちろんスイと躱されて、あっという間に何処かへ泳ぎ去ってしまった。

 その女性も、すぐに波打つ人のなかへ消えてしまった。小さなため息をつく。

 真夏の海の夢を見たような心地で、ひとの群れから抜け出した。
 ついでに少し休憩しようとバーへと向かったら、そこに偶然、その女性がいたのだ。

 ――いいや、違う。


 ⌘


「これは、もしや俺の方がナンパされたのかな?」

 先ほどまで目元に触れていた指先を絡めとり、綺麗な形の爪にキスを落とす。
 そのひとは、大きな丸い瞳をぱちりと好奇心に瞬かせた。

……ちょ、何やってんの!?」

「残念、おとうさま。時間切れです」
「ははぁ、そのようだ」

 ぐいと後ろに引き剥がされて、長い腕に抱きしめられたまま、そのひとはくすくすと花の溢れるように笑う。

「ひとの彼女、ナンパしないでくれる!?」
「心外だぜ、エヘーヤ。俺がナンパされていたのさ」
「そうなの?」
「あなたにそっくりで、かっこよかったから」
「ウェーイ! 嬉しいね。俺に乗り換えるかい?」
「駄目!」

 幼い頃の面影のまま頬を膨らませる息子は、立派な青年になった。とっくに旅をしていても良い歳だ。

「そのお嬢さんを、紹介してくれるんだろ? エヘーヤ」
「やっぱやめる。嫌な予感しかしないし」
「父さんを信じろ!」
「どこをどうやって!?」

 笑いながら、肩を叩く。
 あぁ、美しい熱帯魚を捕まえて、わざわざ見せに来てくれたのか。なんて可愛い息子だろう。

 シャトナ族は長生きだ。年の差があっても、さほど気にせず恋人になる。

 ――だから、弱肉強食の自然の中で、親子がライバルにもなり得るのだ。

 この深い海の底で、あの美しいヒレに、触れられるのなら。


 それはきっと、あの夏の夢の続き。