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mineml
2025-09-23 12:44:42
4993文字
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【SS】Paranormal Crime 2 ネタバレ
安息の地には留まらない
休日仕様のアラームを待たずに、目が覚める。
悲しいかな出勤時間を身体が覚えているからかというと、必ずしもそういったわけではない。生家で朝を迎えると、むしろ出勤のルーティンよりも早いのが常だからだ。もっと昔、この部屋で寝起きしていたときのことを覚えている、という方が正しいかもしれない。
エヴァの目を覚まさせるのはその懐かしい記憶であるし、既に生活をはじめている家族の気配でもある。自分が生家を出てから、変わらないような暮らしのめぐりも少しずつ変わってきた。以前のやり方しか知らない働き手などノイズにすぎないため、客人扱いに甘えているが、牧場の仕事は早朝からはじまっている。
エヴァはしばらくの間、寝床で朝の気配を聞いていた。それから上着を取り、外へ出た。
厩舎に向かって歩いていくと、夜の名残りの薄青さがまだ微かに残る光の中へ、馬の群れが出ていくのが目に入る。放牧場へ出す時間なのだった。放牧場の柵に外側からもたれ、群れの様子をぼんやり眺めていると、ひとり、エヴァの姿を認めて近寄ってきた。兄のイーサンである。
「おはよう、兄さん」
「ああ、
……
」
「別に用があったわけじゃないのよ。馬を眺めに来ただけ」
朝の挨拶に短く答え、訝しげな風にじっと見る眼差しに釈明する。それでも彼はまだ少しの間エヴァを見ていて、そして歩み去った。
何の気なしに兄の背を目で追うと、ちょうど厩舎から出てきた兄嫁を呼び止め、何か話している。その後入れ替わりに厩舎へ入っていった彼は、しばらくして、2頭の馬の手綱を引いてエヴァのところへ戻ってきた。
「行こう」
「え、でもイーサン、まだ忙しいでしょう。馬房の掃除もこれからだし」
「頼んできた」
彼の言葉に振り返る。こちらを見ていたらしい兄嫁が手を振る。厩舎から出てきてエヴァに気づいたマーガレットもまた、彼女の母の隣から弾むように手を振っていた。兄へ目を戻す。
「乗り方もう全然覚えてないの」
「座ってればいい。こいつはおとなしいから」
これ以上否と言う理由はエヴァにはない。
柵から出された1頭の鐙に足をかけ、鞍の上へ身体を引き上げる。鞍へ収まったのを見届けて、イーサンももう1頭へ慣れた様子で跨り、馬首を返して歩きはじめた。エヴァの乗った馬が素直に後を追う。
このあたりはゆるい起伏の繰り返しを、草原と木立が交互に覆う景色が広がっている。馬を連ねて起伏をいくらか越えていく間に、上った日の暖かさで夜の湿度が払われていくのがわかる。空に大地に溢れていく眩しさに目を細める。穏やかなテンポで歩く馬の足元で草が鳴り、朝露が散らされている。おとなしく、賢い馬なのだろう。手綱や鐙で操る必要もなく、であれば、ここで考えなければならないものなど何もなかった。
そのうち、馬は木立に覆われた丘をひとつ登りはじめ、ここまで来るとエヴァもここがどこなのか知っている。もっとも高くなるあたりでは岩がいくつも足元に頭を覗かせていて、イーサンはそこで馬を降りた。そうしてエヴァの乗る馬の手綱を押さえるので、エヴァも地面に足をつける。
「ここ、眺めがいいのよね。下からこちらは見えないし」
つらつらと言う妹に兄は微笑みこそしないが、ちらと向けられた視線、エヴァのものよりも黒ぐろとした目は穏やかだった。
しばらくぶりに見る景色をエヴァが眺めている間に、イーサンは馬の手綱を木の枝にかけ、点々と並ぶ岩のひとつに腰を下ろした。無言のまま示され、エヴァも彼の隣に座る。
彼が膝の上で開いたのは新聞紙の包みだ。はじめから持ってきていたのだろうそれを開くと、中にサンドイッチがふたつ入っている。包みごと差し出され、エヴァは笑みをこぼす。
「最初の朝ごはん。半分もらっていいの?」
「朝の仕事はなくなったから」
イーサンは真顔で言う。冗談でそう言っているのがわかる。肉体労働が多いので、朝食を朝の仕事の前後に分けて食べていたことをエヴァもよく覚えている。子どもは朝の一通りをこなしてからさらに学校に行くのだから、体力もつくというものだ。
齧ってみる。玉ねぎのマリネと分厚いベーコン、マスタードのサンドイッチだった。母が作ってくれたのだな、と思う。隣を見ると半分が一口で消えている。
「
……
ねえ。兄さんは私の話、誰かに話したりしないでしょう?」
残りの半分がもう一口で消える。手についたパン屑を払い落としながら、彼はエヴァへ目を向けた。
「私、この間ね、自分が吹き飛んじゃった」
その咀嚼が止まって眉が寄る。エヴァは話を続ける。
「人類はこういうものを神と呼んできたんだな、ってものと、運が悪いと出くわすことがあるんだけど。今までは大丈夫だったのよ。たぶん、ちゃんと見てなかったから。でもあのときは、見てしまったんだと思う」
意思のある海。
アメトリンが評した言葉の意味を、あの瞬間理解した。それを最後に、処理しきれなかった自我が焼き切れたのだと想像するも、再び「Ave Fox」として目覚めたときには既に思い出せるものではなくなっていた。
「
……
あのときのマーガレットも、きっとそう。かわいそうなことをした」
自らの膝を抱き寄せる。イーサンは目を逸らさない。
グロースとニャルラトホテプの顕現に、強制的に居合わせることになった面々。黄金の蜂蜜酒で取り戻したとはいえ、数人が我を失い、エヴァの姪、イーサンの娘であるマーガレットはそのひとりだった。
「マーガレットは巻き込まないでほしかった」
「うん」
「でも、マーガレットは今もお前が好きだし、あれがお前のせいじゃないのはわかってる。お前が自分を撃ったのも、俺は心配した」
事件をめぐって、家族の間で繰り返されてきた言葉であり、エヴァもイーサンもはじめて話すことではない。けれど繰り返し口に出す。そうしてやっと、過去として馴染んでいくのかもしれない。
「心配かけてごめん」
「前の心配はいい。最近、マーガレットと同じ目に遭ったって方が、困る」
言いながら、困惑したように眺め渡されているのがわかる。それはそうだろう、内面を粉々に握りつぶされたばかりの人間にはとても見えないはずである。
「
……
元気になっちゃったのよ。恐ろしいことに」
呟き、念を押す。
「あのね、これから話すのは機密だから。本当に誰にも言わないで」
イーサンの眉がわずかにゆるむ。じゃあどうして話すのか、と途方に暮れているのがよくわかるが、理由ならある。仕事仲間には話しづらく、彼は誰よりも口が固いからだ。
それでも結局は、何も言わずに頷いてくれるのだから優しい兄である。
「私の代わりに、壊れてくれたひとがいる」
「
……
代わりに?」
「どういう原理かは知らないけど、代わりができるようにしたんだって」
話が喉から溢れていく。乾いて滑らかな、自分の出す中では少し低い声だと他人事のように思い、何を諦めたからだろうかと遠い国のように思う。
「昔お世話になったひとだった。FBIに入ってそんなに経たないくらいの頃の上司。フローラも一緒にお世話になってる。まだ小娘の“私”がFBIでやっていくとき、どう侮られて邪魔されるか兄さんならわかると思うけど、そういうときに助けてくれた。でも今の彼はPCUと関わりがあるわけじゃなかったから、今の私を身を呈して助けなきゃいけない理由なんてなかった。もう退官間近なところまで地道にやってきたひとだったのよ。なのに私の代わりって。私は、」
ひとつ息をつき。
「私は。代わりがいるの。PCUにいるのが私である必要はない。それの代わりに? どうして? どうしてそこまでして
……
私を捜査官にしておく意味って何?」
ひと連なりを吐ききって、言葉を切る。晴れた朝の明るさが沈黙を満たす。返事はなくても構わなかったが、思いの外、沈黙は短かった。
「俺でもそうした」
いつの間にか伏せていた顔を上げる。イーサンの表情は困っていたが、静かで穏やかなことは変わらなかった。
「手段があるなら。マーガレットにもエヴァにも、そのひとのようにした」
「
……
馬鹿なこと言わないで」
「馬鹿で片付けないでくれ。そのひとのことも」
エヴァは顔を歪め、次いで、取り繕うまでもなく気の立った唸り声を上げる。
ハーベイ・ローフォード。精神のすべてを一度はエヴァに渡し尽くした彼は、アレクト・ゴールドとの司法取引により、何もかもを失うことは免れた。だが日常生活が送れるようになるまでは長くかかるだろう。そのひとは短い手紙を残していた。じきに退官だからこそ、先のある後輩に時間を譲る、と。
エヴァも若くはない。40を過ぎたというのにまるで、まだ20代だった頃、必死に足掻く自分に向けて彼の時間が手渡されたような手紙だった。
イーサンは彼の仔細を知らない。仔細も経緯も知らず、そうした、と言い出すまでの沈黙があれほど短かったのは、ハーベイの持っていたのと同じ、あるいはよく似た感情を彼が既に知っているからだろう。
愛されているのはわかっている。だがそれはこちらからしたって同じなのだ。
唸り声として漏れたせめぎ合いの末、形になった部分を絞り出す。
「
……
こっちの、気持ちも、ちょっとは考えなさいよ」
「でも」
「いいの知ってるそれこそ、こっちの気持ちの問題だから。ありがとうって気持ちもあるの」
不器用に言い繕おうとする彼の、恐ろしく素直だろう逆接の答えを聞く前に遮っておく。イーサンは相変わらず困っているようだったが、エヴァに遮られて少し口の端を綻ばせ、微笑んだ。
「エヴァを守ってくれたことに、俺もお礼を言わないと」
「
……
うん」
「そのひとには申し訳ないが、俺はお前が無事で嬉しい」
言葉を選んでゆっくりとした彼の口調は、幼少の頃からテンポの早いじゃれあいや口喧嘩などには不慣れだったが、思い返せば当時から変わらず、獰猛に唸る獣の毛並みを撫でるには向いた声だった。
「言いたくないんだよな」
「言えないところもあるし、言いたくない。少なくとも今は」
「わかった。でもお前の無事を喜ぶのは、みんなそうだと思う」
応じる声がどことなく喉につかえて、ひとつ間を置いたエヴァは黙って頷く。
生家へは昨日帰ってきて、今日の夕方にはまた出ることになる。休暇の時期でもないのに、予定をねじ込むようにして帰ってきた。そうと自覚もできない間に自分が打ち砕かれていたと知って、家族に会いたくなったからだった。そこへは、見知らぬ都会でそこそこ危ない仕事をする身内への通り一遍の心配はあったとしても、一度は自我を破壊されたことへの心配は引き起こしたくなかった。
食べかけたまま、食べ終え損ねていたサンドイッチを再び齧り、つかえた返事と一緒に喉へ押し込む。イーサンはそれきりエヴァから視線を外し、黙って風景を眺めていたが、サンドイッチを食べ終える頃、思い出したように口を開いた。
「戻って、朝の仕事が片付いていないかもしれない。そのときは手伝ってほしい」
「もちろん。むしろ手間をかけるかもしれないけど。離れてみると、こっちの暮らしも悪くないわよね」
立ち上がって服からパン屑を払うエヴァを見上げ、イーサンは笑った。
「お前は都会暮らしの方が向いてるよ。エヴァ」
「そう見える?」
「見える」
腰を上げ、彼は待たせていた馬を引いてくる。そしてエヴァを促すでもなくふと、考える顔をするので、エヴァも彼の考えが表に出てくるのを待った。
「代わりがいるって」
「ああ。まあね。でも組織ってそうあるべきなのよ、誰かひとり欠けたら回らないんじゃ困るから」
「そうだな」
首をかしげ、ひとつ瞬いて、滑らかに黒い目がエヴァを見る。
「でも、今のお前の立場にいるのはお前だけだ。がんばって」
恐ろしく率直で余計な混じり気のない男が、彼だった。彼の言うことはいつだって信じてきたし、であれば励ましひとつについても無為に穿つ必要などなかった。
「ええ」
応じて笑うエヴァに、兄は少し眩しがるように目を細めたようだった。
木立に覆われた丘から馬が2頭、急ぐでもない足取りで、草原を抜けて牧場へ帰っていく。
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