秋雨前線が通り過ぎたあとの暗く濁った海を横目に見ながら、突堤を歩いた。消波ブロックに波が打ち付けるたび、細かな水しぶきが上がる。普段は釣り糸を垂らす人の姿がちらほらある場所なのに、今日は松本以外だれもいなかった。
突堤の先で足をとめる。真正面から海風が吹きつけてきて、剥き出しの腕に鳥肌が立った。ついこの間まで、ここに立つと焼けたコンクリートに炙られて汗だくになっていたのに。
両手を上げて伸びをして、ぐっと息を吸い込む。すっかり嗅ぎ慣れた磯の匂いがした。ざざん、ざざん、という波の音に混じって、すっかり聞き慣れた軽快な足音が聞こえる。
「あんまり端っこまで行くと、落ちるよ」
一歩だけ足を引いて、振り向く。思っていたよりずっと近くに一之倉が立っていて、松本は一歩だけ後ずさった。
「しょぼくれた顔してんなぁ」
そう言う一之倉の顔は、本当にいつもどおりだった。片方の眉を上げて、唇の端を引き上げる、勝気な表情。学校からここまで一之倉の足でも十五分くらいはかかるはずなのに、声も全然乱れていない。はずんでもかすれてもいない、いつもどおりの一之倉の声だ。
よいしょ、と呟いて、一之倉が座り込む。柵もなにもない突堤から足を投げ出してぶらぶらと揺らしだすものだから、見ているこちらがヒヤヒヤした。それでも一之倉が妙に楽しそうに見えて、松本も隣に腰を下ろした。一之倉の真似をして投げ出した右足の足首は、大げさなテーピングのせいで重たい。波の音を聞いているうちに、ジャージを着込んだ尻もじわじわと冷えてきた。
「テトラポットのあるところに落ちると、浮いてこられないらしい」
唐突にそう言われて、松本は一之倉の顔を覗き込んだ。一之倉の顔はにやけているわけでも変に力が入っているわけでもなく、唇がつんととがっていた。
「……なんで急にそんな話するんだ?」
「んー」
言葉を選ぶ一之倉の視線は、鈍く光る海面に注がれたままだ。
「広島から戻ってきてから、松本、ずっと苦しそうだから」
ざばん、と大きい波が砕ける。肌寒さのせいだけではなく、松本の全身に鳥肌が立った。
「走っても走っても前に進んでる気がしないときって苦しいよな。がむしゃらに走ってるうちに身体のほうが悲鳴上げて、今度は走ることもできなくなって」
一之倉の視線が一瞬だけ松本の足に向けられて、またすぐ海へと戻る。
「溺れてもがいてるうちにどっちが上なのかもわかならなくなるみたいだなぁと思ったのかも」
一之倉がひらりと立ち上がって、こちらへ手を伸ばす。その手につかまると、ぐいと引っ張り上げられた。
「帰ろ。午後練始まる」
「俺はしばらくマネージャーの補助だ」
「練習よりキツそう」
「言えてる」
右足をかばいながらゆっくり歩き出す。雲が割れて、一之倉の坊主頭にとまった水しぶきが銀色に光った。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.