べるどくん
2025-09-23 02:14:58
6654文字
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人魚のお肉は特売日

セルフワンドロ推敲なし 兵部+ヒノミヤ写経

 繋げられたプライベート回線から、ノイズ混じりに皆本の声がする。
――バベルから共有できる報告は以上だ。……それで、なんだが。ヒノミヤ、ひとつ尋ねたいことがある』
「どうしたんだよ、改まって」
 モナーク王国はソフィー王女が率いるブルースター財団に所属する“分析官”、アンディ・ヒノミヤは冗談交じりに笑ってみせた。
 ヒノミヤはバベルの要請があり、黒い幽霊の遺志を継いだ残党の潜伏すると言われる地域で単独捜索任務についていた。要は裏取りであり、財団の立場からすると日本政府の小間使いとも取れる内容ではあったが、ソフィー王女はヒノミヤに声をかけてから快諾してみせた。中立を謳う組織だからこそ首が回らず、かといって油をささなければならないほど忙しいものである。ヒノミヤは苦笑を抑えて、それでも彼ら――パンドラの面々を思い出して頷いてみせた。裏取りができれば、ザ・チルドレンの出動要請が容易になるというのだから無碍にもできない。彼女たちは、ヒノミヤが地球の裏側にいても気に掛ける男の、唯一のお気に入りなのだから。
 満天の星空の下、無事に残党らについて証拠を集め終わったヒノミヤが報告を終えると、皆本は声色を変えた。ここからはプライベートの時間であるようで、彼は電話口でも分かる程度に声のざらつきを抑える。皆本は柔和ながらも、憂慮が滲むような探りを入れてきた。
『兵部についての噂は聞いているか?』
「兵部の? ……いいや? 最近パンドラは目立ったことをしてたっけ……?」
 少々、間を置いて考えてみたが、皆本が言わんとしていることが判然としない。よしんば皆本が財団に探りを入れてきているのかと身構えたが、バベルがわざわざ財団に揺さぶりをかけるほど、パンドラと距離を置く理由もなかった。ただ純粋にヒノミヤに確認を取っているのだと思い、彼も素直に聞き直す。
……そうか、いや。財団にはまだ話が入ってないんだな。じゃあ、これは僕が、個人的に、君に話したいことなんだが……
「うん?」
 遠慮がちに、小さな溜息を挟んでから。皆本の掠れた声が電話口から届く。
……はぁ?」
 ヒノミヤは頭で理解するより先に、大きく首を傾げたのだった。





 ――兵部京介が体を狙われている。とは、一見して妙な話である。皆本から聞かされた内容はこうだった。
『兵部は生体制御でテロメアを操作し、外見だけでも若さを保っているだろう? パンドラで活動しているうちにそれが段々と裏の方で話が広がって、ちょっと看過できない話になってるんだ』
 曰く、兵部の血肉を喰らえば“不老不死”の超能が得られるのだという。
 皆本の話に首を傾げていたヒノミヤだったが、ようやく理解が追い付いた頃には噴き出して、人目も憚らずに爆笑していた。周囲が廃墟であることが幸いし、ただ笑い声が響くばかりであったが、皆本はまた重いため息をついた。
『笑いごとじゃないんだ。もういくつかのエスパーマフィアが動き出していて、カタストロフィ号も身動きが取りづらくなってるんだよ』
「そりゃ……穏やかじゃないな」
『僕らは奴の“仕組み”は分かってるし、狙ってる向こうもそうだろう。でも、兵部の……不老不死性を求めているのは普通人だ。エスパーマフィアの顧客が、商品として求めている』
……商品」
 ヒノミヤの表情に、いよいよ影が落ちる。
 通常、超能力者の肉体を得たとて超能力を得られる訳がない。それは普通人の無意識によって常識とされており、現在ではようやく初等教育として定義づけられてきた事柄だとヒノミヤは聞いている。ソフィー王女は、普通人と超能力者の垣根をできるだけ低くし対等とするために尽力していたから、ヒノミヤもまた彼女と同じ思想を持とうと努力していた。だからこそ、皆本から聞く現状に眉を顰める。常識外れのことを考え、夢想し、理外を求める人間は、得てして持たない者から出ずる。スマートフォンを持つ手に、思わず力が入った。
『その噂については、僕らも払拭するよう情報統制に動いている。発端は兵部だが、他の超能力者にも危険が及ぶ可能性があるからね』
「確かに……うちのボスにも同じことを話しときますよ」
『ありがとう。それで、君個人に話をしたのにはもうひとつ理由があるんだ』
「っていうと?」
『兵部が現在、行方不明らしい』
……はあああ!?」
 なにやってんだよ、あいつ! と、瞬間的に激高したのが数時間前。バベルへの裏取り報告という任務を終えたヒノミヤは、ひとまずモナーク王国方面へと車を走らせていた。夜半過ぎの高速道路では対向車もまばらで、オレンジ色の街灯が時折、ヒノミヤの焦燥とした横顔を暗闇より照らしていく。
 道中で連絡が取れたパンドラのナンバーツー、真木にも連絡を取ってみたが、皆本と同じことを話していた。
『家出だ』
「たってなあ、真木さん!?」
 電話越しでも、真木が眉間を揉んでいるのがヒノミヤの目に浮かんだ。
『俺たちも匿うために尽くしたさ。しかしそれが良くなかったんだろうな』
「かえって心配かけさせたくなくて、ってことっすか? あいつ勝手すぎる、勝手すぎます、」
『そうだな、いつも通りだ。……パンドラも家族経営とはいえ一枚岩ではない、少佐をすこし、冗談で……“そのネタ”でからかった連中もいてな。それも家出理由になるだろう』
 閉口して、ヒノミヤはしばらく無言で車を走らせる。
 兵部への怒りやら、からかった連中やらへの怒りやらで、どう言葉にすればいいか今のヒノミヤには判断がつかなかった。闇雲に、ハンドルへと拳を叩きつける。
……そうか、お前の所にもまだ行ってなかったんだな』
「俺、さっきまで任務中で。車があるから、アテのあるところ探してみるよ」
『いいや、まずは休め。少佐なら上手くやるし、俺たちも捜索に当たっている。お前は寝て起きてからでいい』
 反論しようとヒノミヤが大口を開けたところで、真木もそれをわかったように追撃する。
『わかったな、ヒノミヤ。家に帰っておけ。今は』
……、わかったよ」
 ヒノミヤに親密な家族はいなかったが、真木は彼にとって気難しい兄のようだった。それでいて放っておけない対象のひとりでもあり、そんな男に言い含められては不承不承、ヒノミヤも頷くしかない。
 そうしてやや冷静さを取り戻した頭で考えてみると、兵部がいなくなって大わらわになっているのはパンドラであろうことは察しがついた。家長でありボスである少年の体が不老不死の素材だと狙われて、海上を奔る家へなにがしが襲撃してくるか分かったものではない。子供たちは不安であろうし、幹部たちも気が立っているはずだ。そんななかで、つとめて冷静に電話口に立った真木は、やはり兵部の右腕たる存在なのだとヒノミヤは深呼吸する。
「悪い、真木さん。俺は俺でできること探すよ、少し休んでからさ。だから、なんかわかったらすぐ教えてほしい」
『そうしてやろう。切るぞ』
「おやすみ」
 スピーカーにしていたスマートフォンの画面が暗くなる。ヒノミヤは真木にかけた穏やかな声色とは裏腹にアクセルを踏みしめて、車通りのない車線を突き抜けていった。
 超能力者は恐れられ、やっかまれる存在だ。世界中が超能力者を持て余して、パンドラのように寄り集まって徒党を組んでは普通人と対立するのが常の社会。かと思えば、今回のように畏怖の対象となり、オカルトじみた信仰をぶつけられては無遠慮に手を伸ばされる始末。
(あいつの求める未来はいつ来るんだ)
 ちり、と眼帯の下にある左目が痛む。今でこそパンドラの求める未来を支えたいと願うヒノミヤであったが、彼もまたパンドラの想いを砕いたことのある人間だった。兵部の暴走を止めたとて、こうして財団に所属して苦心したとて、まだ届かないものがあった。……いいや、とヒノミヤは黒革のハンドルを握り直す。
(まだ出発点に立ったばかりなんだ、きっと、俺たちは)
 悪意の根源たるビーモスを退け、世界は再び「普通人と超能力者」に目を向け始めた。ここからまた始まればいいのだ、とヒノミヤは怒りを奮い立たせて闘志に変える。
 だからまずは、兵部を見つけてやらねばならない。彼を保護して、噂が収まるまで匿ってやろう。兵部京介という男がどんな想いで、あの姿でいるかも知らない癖に――と、ヒノミヤは姿の見えぬ敵意に歯噛みした。





 そんな闘志を燃やして車を飛ばし、モナーク王国の自室に戻ってきたヒノミヤは、思わず目を見開いた。シーツを取り換えたばかりのベッドに――見覚えのある学生服の少年が転がっていたからだ。
「は……、なん……なん、なんだよぉもぉ……
 目に入った瞬間、一気に力が抜ける。ベッドルームのドアを開いた音にさえ微動だにしなかったので、彼は深い眠りにあるのだろう。ヒノミヤはへなへなと床にしゃがみこみながら、眠りを妨げないよう小さくふやけた声を出した。
 彼はきっと、バベルが、パンドラが必死になって自分を探していることなど露知らないのだろう。彼についての噂を揉み消そうと動いていることも、知ってはいるだろうが放置するつもりらしい。だってそうでなければ、とヒノミヤはベッドサイドにゆるゆると近寄る。だってそうでなければ、こんな部屋に、ひっそりと逃げてこないだろうから。
 締め切られたカーテンの隙間から、月明りが細く差している。それはささやかに銀髪を照らして、呼吸と共に揺れるそれが生きているのだと伝えてきた。怪我をしているようにも見えないし、血の匂いもしない。ただ単純に転がり込んできただけなのだろうと、ヒノミヤは胸を撫で下ろす。ベッドサイドに座ると、スプリングが僅かに軋んだ。全く、これでは本当にただの家出少年ではないか。ヒノミヤは眠る兵部の銀糸を指の節で撫ぜて、ようやく人心地ついたのだった。
 安心しきって、思わず口の端がにやけてしまう。逃げ場所にヒノミヤの住まいを選んだというのが、一拍置いて、どうしようもなく嬉しいことに気付いてしまった。
……なに笑ってんだ、気色悪い……
 手持無沙汰に髪を撫でていると、地を這うような声が響く。眠れる竜が起きたらしい。
「みんな探してたぜ。書置きくらい残しといてやれよな」
……僕は好きなところに行くんだ……
 ヒノミヤの手がむべもなく払われて、少年が身を起こす。学生服の皺を気にしながらも、目覚めた兵部は大きな欠伸と背伸びをした。それが大型の猫科動物のようで、寝起きにも関わらずヒノミヤもどことなく緊張する。いつも自分が寝起きしているベッドの上に、今にも襲い掛かってきそうな玲瓏の美少年がいるのだから、知り合いと言えどもヒノミヤは笑みを強張らせた。
「で、君ももう聞いてると見たが。ヒノミヤ」
「聞いてるよ。災難だな、不老不死の漆黒の堕天使も」
「設定が渋滞しすぎだろ……。ま、そういう訳だから、しばらく匿えよ」
「そりゃいいけど……
 苦笑交じりで言い淀むヒノミヤの様子を、兵部はどうも勘違いしたらしい。不機嫌そうに眉を寄せると、ベッドに腰を沈めていたヒノミヤににじり寄ってくる。まるで獲物を見定めた豹のようで、ヒノミヤも息を呑んだ。
……まさか、お前、それ信じてる訳じゃないよなぁ?」
 ベッドサイドが、ふたりぶんの重さに沈んでいく。ヒノミヤの肩が自然と兵部側へと寄せられて、二人の視線が近付いた。
……それって?」
 ヒノミヤとて本気にしている訳ではない。ただ、ちょっとした好奇心が芽生えたまでだ。どうも兵部は今までになく疲労しているように見える。ヒノミヤの目からしてもそれは明らかで、擦り減った精神をここで回復しに来たのだろう。家主が不在であることをいいことに惰眠を貪り、帰ってきた男に警戒心を剥き出していた。いやこの家を借りてるのは俺なんですけど、と内心ヒノミヤは片眉を上げて、兵部をからかう。
「だから、不老不死だよ。八尾比丘尼やら火の鳥よろしく、僕の肉やら血やらを食えば不老不死になれるっつー、馬鹿げた……
 明らかな嘲笑を浮かべてまくしたてる兵部だったが、ふと真顔になる。ヒノミヤは彼のしたいようにさせるつもりだったが、「兵部?」と声をかけた。数回の瞬き。
「君はなりたいのか? 不老不死」
 問われたものは、意外なものだった。
 兵部は腰かけていたヒノミヤの太腿に肘をつき、頬杖をついてこちらを見上げてくる。ヒノミヤもその頃には暗闇に目が慣れてきて、兵部の興味ありげな瞳に気付くことができた。どう答えるのがいいだろうと、この天災に対しての答えを探してみたが、答えなぞ兵部のなかにはないだろうと思い直す。きっと兵部は、ヒノミヤの部屋に逃げ込んできた兵部は、ヒノミヤの言葉だけを求めているだろうから。
……なれるなら、なりてぇかな?」
「ほう?」
 剣呑と細められる瞳。首筋が食い千切られそうだ、とヒノミヤは口角を上げた。
「だってさ、俺が年取らなかったら、兵部ともうしばらくは一緒に居られるかもだろ。パンドラがどうなるかも見届けられるし、それは結構、よくないか?」
 パンドラの作る未来が見たいからと離れ、ブルースター財団を選び、こうして今の未来まで辿り着いた。これから先どうなるかなど、白紙の未来に想いを馳せるような無為なことはすまい。命さえあれば未来はいくらでも描けるのだからと、そういう意味で不老不死を望んでいた。ヒノミヤはそんな軽い気持ちでいて、兵部も彼の心持を察したようで、ようやく肩の力を抜いて破顔する。
 ヒノミヤの足に手のひらをついて、ぐ、と兵部は身を起こした。
「食べてみるか、じゃあ?」
……え?」
 ぱち、と金具の外れる小さな音。学生服の詰襟が開かれ、夜闇に白いワイシャツが浮かび上がる。あ、とヒノミヤが思う前にシャツまでも寛げられて、第三ボタンまで広がった衣服のしたからは、銃創の浮かぶ肌が現れた。
「僕と一緒にいたいんだろ。噛んでもいいぜ、ほら」
 遊ばれている、と直感する。同時に、試されているとも。
 兵部の血肉を得たとて不老不死になれるはずがない。それはヒノミヤとて痛いほど理解している。超能力者の血肉で別の力が得られるのなら、ヒノミヤはもっと便利でわかりやすい超能力を得ようとしたし、逆にヒノミヤも狙われていたはずだ。だから、そう、理屈では分かっていても。本能的に首筋に吸い込まれてしまったのは、きっと意趣返しだったのだろう。このにやけ顔を痛みに歪ませたいとか、自虐に他人を使うなとか、或いは、お前はそんな人間離れした存在ではないのだと分からせたりとか、
(そうしたい。今ここにいる俺が)
 全部ないまぜにしたのが今の自分なのかもしれない、と、首筋に噛みついた。
 ぎし、と顎の骨が軋む。歯と歯のあいだには兵部の肌が、首筋が、筋があり腱があり――いっそこちらが嚙み千切ってやろうかと、犬歯を立てた。にがい鉄の味がしたかと思うと、唇の皺が濡れていく。兵部の血だと気付いたのは、それを舌で舐め取ってからだった。当然のように嚙み切れず、当然のように血が滲んだ肌を、ヒノミヤは舌で撫ぜていく。
 痛みがないはずがなかろうに、息を詰めていたらしい兵部がようやく喉奥で笑った。
……どうだ? 不老不死になれたか?」
 汗が滲み、目尻のそばを流れていく。それでも兵部は飄々と笑みを作ってみせて、首筋で唇を舐めるヒノミヤに尋ねてくるのだった。
「どうだか。あと五十年は経たないと効果のほどは分かんねぇかな」
……君はどんだけ僕を長生きさせるつもりなんだよ」
 おかしそうに肩を震わせて、兵部はヒノミヤの額を指で弾く。なんということはない軽いものだったが、形取られた空気の膜を弾いてしまうのには十分なものだった。それに、ヒノミヤの体も。
 兵部もベッドサイドに改めて腰かけると、再び詰襟を閉めてしまう。ヒノミヤの噛んだ痕など、お得意の生体制御で血もつかないのだろう。それはなんとなく距離のある動作ではあったが、ヒノミヤは全く別のことに気を取られていた。長生き、と、兵部は言った。
(あ、一緒に生きてくれんだ)
 少なくとも、五十年は。
 俺も実際、長生きしよう――と、ヒノミヤは血の味の残る頬の内側を、舌の先で舐めていった。