いを
2025-09-22 16:26:44
2859文字
Public 刀神
 

帰去来(Ⅻ)【幕引き】

青嵐
・紫垂月さん【Metol_P】
お借りしています。

 天照本部に帰還した数日後、植柾影子から手紙が天照下緒院あてに届いた。
 彼の——紫垂月頼宗がいった、朽ち落ちる、その意味をようやく知ることとなる。
 
 雲井青嵐様
 この度はご足労いただき、ありがとうございました。また十分なもてなしもできずに申し訳ございません。
思い出したことがありましたので、文面にて失礼致します。
私どもが住むY島には、貴島きしま神社という古い神社がありました。いつからあるのかわかりませんが、父曰く、島の守り神のようでした。今でも毎年一度、ささやかながら祭りを開催しております。それが今の時期。晩夏から初秋にかけてです。お酒が好きな神様のようで、この時期にY島の地酒を供えるとその一年ゆたかで、めぐまれた年になると言われているようです。先ほど、地酒をお供えいたしました。Y島の発展と、雲井さんたちの無事を夫と夕乃、三人で祈念しました。
そして家のことですが、あれから天照の方々がいらっしゃり、念入りに調べ、処理と処置をしてくださいました。さいわい、問題なく人が住むことができるようです。夕乃はあの家が大好きなようなので、安心しました。夕乃には祖父が妖魔だったとは言えておりません。時期を見計らって、伝えようと思います。帰り際、雲井さんがおっしゃった「おばけのおじさん」と綺麗な刀神様のことも伝えようと思います。雲井さんの名前は、約束通りこれからも彼女には明かしません。ご安心ください。
義父、國雪の遺体があった奥座敷に、大きな白い蛇の死骸がありました。それを見たとき、とても悲しい気持ちになったのを覚えております。懐かしいひとを亡くしたような。私の思い違いでしょうか。
宿からくだったところにある古くて小さい茶室の近くに、蛇神を祀る古い神社があります。私が嫁いできたとき、國雪と夫とともに、挨拶に参りました。ここの神様は招福のご利益があるんだよと申しておりました。雲井さんたちを招いたのはあの蛇神ではないかと、ふいに考えるようになりました。あの蛇の死骸は、もしかしたら……
死骸は、天照の方々と相談してあの神社にお返ししようということになりました。偶然にも、植柾家の墓地があの近くにありますので。
気づいたことを書き連ねてしまいました。お力になれるか分かりませんが、参考になれば幸いです。
最後になりましたが、この度は義父を救ってくださりありがとうございました。またY島にいらした際にはどうぞお立ち寄りください。美味しい地酒をまたご紹介いたします。
                                                  植柾影子

 手紙を机に置き、ふと息をつく。
……死にましたか。あの蛇は」
 ぽつりと呟く。誰にいうでもなく。
「ご存じだったのですか?」
 自室の畳に坐す紫垂月頼宗を見据える。彼は「そうだね」といった。
「彼女たちは、そういうものだから」
 あいまいな言葉だった。神ではない、神の幻影。ゆめ、まぼろし。本当に神であったなら、どうだったのだろう。
 きちんと祀られ、古いが祠もあった。けれど薬宮蛇神は「神もどき」と自称した。彼女がそういうのなら、そうなのだろう。もう、分かることはない。分かろうとすることもない。幼い頃の青嵐とのことも、きっと彼女にとってどうでも良い、過去のことだったのだろう。
 雲井家、いや過去の照喜納家が招き入れた神は、照喜納家がどうなろうが知ったことではなかったのかもしれない。神ではないのだから、制約も縛りもない。自由だった。気まぐれが許される存在だったのだ。
「まんまとやられました」
「彼女はもういない。さっさと忘れたほうが身のためかもしれないね」
……そうですね」
 それが一番、彼女への復讐になる。ヒトもカミも、忘れ去られて初めて、なかったことになれるのだから。
「私もまだまだ甘いのかもしれません。……そうだ、紫垂月殿」
「うん?」
「私の日記、お持ちでしたでしょう。あれは……
「ああ、あれ。君が長いこと眠っていたから、暇つぶしに読んでいたよ」
 新幹線の中で一度見たきりだったのだが。どこからか、彼は一冊のノートを取り出した。
「主は七ツ橋っていう人間によく懐いていたようだね」
 ぱらりとめくるページは、インクでところどころ汚れている。
「とっくに天照を引退して、今はいいお祖父さんをしているようです」
「へえ」
「ままならないこともあれば、順風満帆なこともある。不思議なものです。人生というものは」
 外はずいぶんと涼しい。これから本格的な秋が来て、冬がおとなう。Y島のこともきっと、長い時間をかけて忘れてゆくのだろう。
 まるで、物語のように。
 
「青」
 私のことを「せい」と呼ぶのは彼だけなのだから、疑う余地もありません。彼は私のまなこをじっと見つめながら、「もう大丈夫だね」と言いました。なにが大丈夫なのかと思えるほど大丈夫になっていた私は、「ええ」と答えました。
 植柾國雪の肉体を斬ったあとの数日、食べては吐き、飲んでは吐き、脱水症状を起こして凪鞘班の世話になっていました。いくぶんか痩せはしましたが、今はもう元に戻っています。だから、大丈夫、と頷けるのです。
 けれど心の中でたわむようにわだかまる、あの感触は生涯忘れられないでしょう。すくなくとも私の痛手となりました。
……いつか、忘れられるのでしょうか」
 あの日々のことを。ひとりごちた私に、彼は答えず「帰去来だね」と言いました。
 帰去来。官職を辞して帰郷すること。また、それを望む心境。
 ——帰りなんいざ、田園まされんとす、なんぞ帰らざる。
「彼女たちは、帰ったんだよ。きっとね」
 紫垂月頼宗の言葉に、私は目を伏せました。彼女たちが在れる場所に在れれば、それで良いと思います。私も、在れているのですから。今、こうして。
 ヒトもカミも成るべきものに成り、在るようにして在る。そう考えると、心も少しは軽くなりました。
「紫垂月殿」
 膝の上のノートを、手慰みのように触れている彼の名を呼びます。さらりと長い髪を揺らした彼の前に、日本酒の瓶を置きました。約束をしたでしょう、と申し上げると、彼はほほ笑みました。
 ——彼女たちに献杯、と言いたいところですが、少々腹が立っているので言ってあげません。
 縁側の硝子戸を少しばかり開けて、月を見上げました。外から涼しい風が流れ込んで、時期はずれになりつつある風鈴を揺らします。
 私はこれからも生きていくことでしょう。余生を送るように。いずれ帰去来のときが来ても、私がゆくべき場所は故郷ではない。在るべき場所に在れて、成るべきものに成れれば、生きてきた価値があったというものです。
 これからどれほどのことがあっても、行き着く場所は同じなのですから。
 けれどその道すがら、となりにあなたがいてくだされば、この上なく幸せなのだと信じているのです。