夏の繁忙期も落ち着いてきた頃。陵から「相談があるのですが」という連絡を受け、律は水之登神社を訪れていた。咲の事件の対価として、陵から何かしらの依頼があればしばらく対価は求めない、という報酬で話が手打ちとなったので、行かないという選択肢もなかったのだ。
神社の様子はいつもと変わりない。参拝を済ませてから社務所を覗くと、既に陵が待っていた。どうぞ、と奥に通され、腰を下ろす。
「なかみーから相談って珍しいよね。何かあったの?」
「先日、ルキが行方不明になった事件があったでしょう」
「あったねえ」
それはまだ、本格的に酷暑となる前。公安から引き受けた調査の先で、偶然陵に会ったときのことを思い出す。『人工怪異』によって創り出されたその村にルキは取り込まれかけており、そして恭も取り込まれる一歩手前の状態になっていた。
あのとき公安からの依頼としては村の調査だけであったこともあり、律はその後、あの村に関することには関わっていない。過程で恭があまりにも強く縁を持ってしまったのも、ひとつの要因だ。
あまり関わり続けると、次は取り込まれてしまいかねない。そしてあの村に取り込まれてしまったら、帰ってこられるかどうかは分からない。あれは、そういう場所だ。
「ルキとあの村の縁が、いつまで経っても全く切れないんです。毎日のように縁切りをしているのですが、気付けばすぐに元に戻ってしまう……というか。そんな状態ですので、ルキを神社の外に出せなくなってしまい……」
「あー。ルキくんの場合、新しい住人って紹介されるところまでいってたもんね……」
「はい。このままでは神社の仕事にも支障が出ますので、もう一度あの村の調査に行こうかと。そのご助力をお願いできますか、という相談をしようとした矢先に貴方があんなことになっていたので」
「それは本当にごめんって」
いいですけど、と言いながら息を吐く陵は、完全に疲れている。ルキのことだ、もう大丈夫だと言って陵の代わりに仕事をしようとしかねない。それを止めつつ、神社の仕事をしつつ、他の仕事も――となれば、かなりの負担だろう。
「俺よりなかみーが休むべきでは?」
「どの口が言いますか」
「とはいえ。確かにそれは恭くんもやばそうで気になるな……」
「そうですよ。ルキも柳川くんも、あの村と完全に縁を切るには、あの村自体を何とかするしかないでしょう」
恭にこのところ妙なものを感じたことはない。なので縁は切れているようにも思える。だが、何かの拍子に悪い方向に転んでしまう可能性は、残念ながら十二分にある。
陵の依頼であることを抜きにしても、解決まで持っていきたい案件だ。頭の中でさてスケジュールは、と思い出す。今回律が動けなかった間、恭と禮知が二人で仕事を片付けてくれていたお陰で、進行に遅れはない。落ち着いてきている現在であれば、どこかに空きを作るのは然程難しいことではないだろう。
「分かった。2、3日空けられるように調整するね。早くて明後日かな……すぐ調整して連絡する」
「お願いします」
「あと一応公安に村のその後についても問い合わせてみるよ。あ、だからなかみー、『陰陽連』で情報収集しといて」
「ええ……それ必要です……?」
「必要です。ルキくん、『陰陽連』の仕事であの村に行ったんでしょ。別で情報持ってるだろうから、嫌でもそれは知っておくべきだよ」
「分かりました……」
渋々といった様子で頷く陵に、律は苦笑する。どうにもこうにも、律の周囲には組織と折り合いの悪い人間が多い――人のことは言えないが。
じゃあ、と話を切り上げて社務所を出ると、ルキが境内の掃き掃除をしていた。少しだけ当たり障りのない会話を交わしてから、律は神社を出て。
――神域である神社の中にいるにも関わらず、ルキに良くないものが絡んでいるように感じたのは。
「……なかなか厄介な案件だなあ……」
思わず口から本音が漏れて、笑ってしまいながら。律は神社の外で待機してくれていた伊鶴の車に乗り込んだのだった。
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取り込まれる危険性があるとはいえ、仕事となれば恭に黙っておくわけにもいかない。何よりしっかりと解決しなければならないだろうということもあり、恭には同行してもらうことにしたのだった。
「……俺よく分かんないけどめっちゃ怒られた記憶しかない……」
「そうね、私も怒った記憶しかないわ」
今回、助手席に座っているのは『黄昏の女王』である。あの村に行くとなった瞬間に、彼女は顕現したまま恭の傍から離れなくなった。万が一にもあの村に取り込ませるわけにはいかない、ということだろう。『黄昏の女王』がついていてくれるのであれば、ある程度は安心できる。
さすがに今回、恭が自由に行動することを認めるわけにはいかない。何かあれば『黄昏の女王』が止めてくれるだろうが、村の人間とは会話しないこと、そして律か陵の傍から勝手に離れないことを言い聞かせている。恭は不服そうではあったものの、「次は家に帰れなくなる」という忠告が余程効いたらしい。恭にとって、帰れないというのは何よりも避けたい話だ。
神社の下で車を停めて待っていると、待ち合わせ時刻から少し遅れて陵が現れた。後部座席、律の隣に乗り込んで、おはようございますと挨拶する陵の様子はいつもと変わらない。
「おはよ、なかみー。ごねられなかった?」
「ルキは気付いてはいましたけれど。まあ龍神様に駄目と言われてしまえば」
「あはは。さすがに突破できないか」
どちらにしろ、村の住人と認定されてしまっているルキを再度あの村に連れていってしまえば、どうなってしまうか分からない。大人しく神社で留守番をしていてもらうのが正解だ。
村までの道中で、互いに手に入れた情報について交換する。公安からは、「村があるはずの場所を訪れたが、残念ながら村自体が見えなかった」という返答が返ってきている。念の為鉄塔の下で見つけた『人造怪異』の証拠を探し、念入りに調査したが何も出てこなかったという話だった。
恐らく、あの村に入るためには何らかの資格を満たしている必要があるのだろう。誰を派遣したところで、例え村には入れても犠牲者が増えるだけになるとの判断で、現在はあの村に行って生きて帰ってこられるだけの人間を選定している状況らしい。
「まあ公安の人間も調査に行ってたわけだし、公安自体が拒絶されてるわけではなくて、人の問題だと思うけど。なかみーの方は?」
「こちらをご確認いただけますか」
渡された資料に目を通す。それは『陰陽連』からあの村に調査のために派遣され、そして戻ってこなかった者たちのリストのようだった。ルキへの依頼内容としては、彼らの安否確認――そして生きているなら連れ帰ること、というものだったらしい。
「仕事前に、ルキはあの村は『怪異』の『領域』になっている可能性が高いので、村のものを食べないこと、村の人間と関わりを持たないこと、という注意は受けていたようです」
「なるほどね。『陰陽連』はもう動かない感じ?」
「あの『領域』が根深くなっていて太刀打ちできそうになければせめて情報だけでも、という形で仕事を進めても誰も戻っていないので、現状、太刀打ちできそうな人間が見つからない限り、あの村には触れないでおこうという方針のようです」
「ずるいねえ」
「本当に」
肩を竦めつつリストを捲る。一人、確実に見覚えのある人物を見つけて、律は目を細めた。
それは森で一行を追ってきていた人物だ。会話も交わしているので、『古賀』と書かれたその男のことは、よく覚えている。
「……なるほど。村人になっちゃったか」
「そういうことかもしれません。となると、彼らは自分の職務は忘れてしまった、ということになりますが」
「洗脳の類とはまた違う気もしたけどな……まあしっかり調査してみるしかないね」
「あ、次のサービスエリアにコンビニあるんで寄るっすー」
「よろしくー」
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軽食と飲料を調達し、3人は村の入り口へと辿り着いた。公安は村が見えなかったと話していたが、そこには前と変わることなく村が存在している。
さて、と律は恭に視線を向けた。村まで来たことで、恭にもまた色濃く縁が絡みつこうとしているのが見える。あと一押し、としか言えない状態になっている現状、本当にこれ以上村に関わらせたくないというのが本音ではあるが、車に置いていくわけにもいかない。
「恭くん、重ね重ね言うけど」
「ハイ」
「絶対に村の人たちと喋らない、挨拶もなし。無事に家に帰りたければ、言うこと聞けるね?」
「うす……がんばる……」
「不安しかありませんが、大丈夫ですかね……」
「最悪口塞ぐしかないね」
律の言葉に、『黄昏の女王』がこくりと頷いた。どうやら元よりそのつもりでいるらしい。
ひとまずはということで、村の広場へと向かう。ちらほらと見掛ける村人たちの中にはやはり、陵に見せてもらったリストで見かけた顔がちらほらと。彼らは一様に、恭に対して親しげな視線を向けていた。対して、律と陵を見る視線は冷淡だ。よそ者と認識されているということだろう。
「……前回来たときよりも家が増えている気がしますね」
「住人が増えたか、新たに迎える準備をされてるか。どちらにしろあんま嬉しくないな」
「人増えてないっすか? ……イテ」
「喋らない」
「うー……」
口を開けば何を言い出すか分からない。腕を抓ると、しょんぼりと恭が肩を落とす。文句を言わないのは、律の意図が分かってはいるからなのだろう。先程から何人か村人が恭に話しかけているが、そちらは『黄昏の女王』が口を塞いで返事をさせていない。
「……あのちなみに律さん質問だけいいすか」
「何?」
「村長さんちって行けるんですかね……?」
恭が困っていると知れば、恐らく村人たちは放っておかない。なので会話は聞かれるべきではないということもあり、声のトーンを落とした恭が小声でぼそぼそと尋ねる。律は首を横に振り、そして『黄昏の女王』が恭の首根っこを掴んだ。勝手に動かないようにするための保険だろう。
「絶対駄目」
「俺もアリスちゃんに賛成。不用意に近づくべきじゃない」
「はあい……」
「まあでも、村長は探してみましょうか……、あ」
「あ?」
周囲を見回していた陵が、一点で動きを止める。そちらに視線を向けると、見覚えのある後ろ姿。――服装から見ても間違いなく、村長の男だ。
そしてその横に、子供の姿があった。後ろ姿であることもありよく見えないが、白い紙に白い和服を纏っていることは分かる。二人の姿は程なく山の方へと消えていった。行先は村長の家だろう。
「……見てください茅嶋さん、子供でも山登りはできるんですよ」
「うるせえわ」
「子供の住人が増えたんすかね?」
「どうかな。この距離じゃ判別はできないね」
あの子供は人間なのか、この村の住人なのか、或いは『怪異』なのか。確認するにはこの村自体の気配が邪魔をする上、離れ過ぎていた。山に入ったところで二人には追い付かないだろうし、村長の家に辿り着くこともないだろう。後を追う意味はない。
さてどうしたものかと考えているうちに、近づいてきた村人が恭に話しかけていた。泊まっていくなら、前に貸した家を掃除しているから、ということらしい。応じないよう自主的に口を塞いだ恭が、困った顔をして村人と律の顔を見比べている。
元来人なつっこい恭には、今の状況はかなりつらいだろう。友好的に話しかけてくれる村人たちと、何も話すことができずにいるのだから。やはり連れてくるべきではなかったかもしれないとは思いつつ、律はにこりと村人に笑んでみせた。帰ってくるのは社交辞令の、張り付いたような笑顔だ。明確に態度が違うことがよく分かる。そそくさと退散した村人を見送って、律は大きく息を吐いた。
「……村長さんいたし、やっぱ村長さんち行った方がいいのでは……?」
「駄目って言ってるでしょう。今あそこに行ってしまうと、前と違って私では連れ戻せない可能性の方が高いわ。力が強くなっているように感じるもの」
「まあ、人が増えているかもしれないということは、その分強くなっているかもしれないということでしょうね」
「……どうする?」
「あの人を探してみませんか、古賀さん。彼は割と話が通じたでしょう」
「通じたっていうか、俺が脅迫したようなもんだけど、まあ」
少なくとも彼――古賀は、一行を村の住人にすべく招き入れるような行動はしていなかった。どちらかと言えば、無事に帰らせようとしていた印象が強い。あのままであれば、確かに古賀からが最も話を聞き出しやすいだろう。
そうと決まれば話は早い。3人は古賀を探して村の中を回ることになったのだった。
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古賀を見つけるまで、それほど時間はかからなかった――というよりも、陵がしつこいくらい名前を呼びながら村の中を回ったので、古賀が出てこざるを得なかった、と言った方が正しい。
「……何だようるさいな……」
「やっと出てこられましたね。お元気でしたか?」
「元気だよ。そっちも元気そうで何より」
明らかに古賀は警戒している。表情があからさまに嫌そうだ。何より名を呼ばれている時点で、こちらがある程度古賀の情報を持ってきたことは分かっているのだろう。当然の対応である。
「で。呼ばれたから出てきたけど、用がないなら行くぞ」
「駄目です。用があるから探していたんですよ」
「じゃあ何の用だ」
「どうやったら村長と戦えますか」
「……は?」
取り繕いもしない陵の問いに、古賀があんぐりと口を開けた。律としてももう少し言葉を選べと思いはしたが、ここはあえて黙っておくことにする。
わざわざ律に相談して、自らこの村を再訪したのだ。陵の怒りも、理解はできる。
「……いや、あの……はい、何て……? いや多分聞き間違いだよな……?」
「ああ、そうですね。間違えました。どうやったら村長のところへ行けますか?」
「……ああ……ええと、いや、村長には今客が来ているから……」
「白い紙に白い和装の子供のことですか?」
躊躇いもなく尋ねた陵に、古賀が頭を抱えた。そこまで知っているのか、とでも言いたげだ。たまたま見掛けただけではあるものの、運は良かったらしい。
「……俺からは詳しいことを答えることはできない」
「役に立ちませんねえ」
「煽るな、大体そんなことを言われる筋合いもない。何で聞かれて正直に答えなきゃいけないんだ」
その言い分はもっともだ。村長に害を為すかもしれない人間の為に、現在村長側の人間となっている古賀が情報を出す義理はない。続く押し問答を聞きながら、律は空を見上げた。
雲一つない晴天。真夏よりは和らいだとはいえ、身を焼く太陽の陽射しはまだまだ熱い。
――そう、待っている間、ただただずっと暑いのだ。これ以上長引くのは、正直に言って勘弁してほしいので。
――ごぉん、
地鳴りのような音が鳴り響く。一瞬の眩い光、何事かと騒ぎ出す村人を横目に、律は腰を抜かした古賀ににこりと笑った。
目の前にいた彼には、分かるはずだ。先程の音は、律が起こした雷鳴であることに。
「この村に関する話を聞かせていただきたいだけですよ。話せないの一点張りじゃ会話になってないじゃないですか」
「そ……うは、言われ、ても……」
「とりあえずは村長のところのお客さんの話を聞かせてもらえるとありがたいなあ」
「若頭がまた脅迫を……。まあでも確かに、話していただかないと次は雷が本当に落ちてくるかもしれませんね?」
「ッ……分かった、話す、話すから……! けど、客人のことは村長の大切な客ということしか聞かされてない!」
「本当に?」
陵の確認に、こくこくと古賀が頷く。どうやら、嘘ではなさそうだ。
質問を重ねてみたところ、古賀自身も自由に村長の家に行くことができるわけではないようだった。新しい住人の案内や、村長からの呼び出しがあれば家に入ることができるだけで、側近というわけではないらしい。いつでも村長に会うことができるのは特別な客人くらいで、あとは招かれなければ村長の家には入れないらしい。
「……うー……って言われても、俺としては村長さんに会いたい……」
「だからそれを俺に言われても……」
「会いに行ける人いるなら、その人を紹介してもらうとかはだめ?」
とうとう黙っていられなくなったらしい恭が、困った表情で古賀に問い掛ける。それは、と言い淀む古賀を黙って睨んでいるのは、『黄昏の女王』だ。その圧に負けたのか、小さな声で古賀が呟く。
「……いやそもそも、村長の客人になるような人に、俺が直接話しかけるわけにもいかないし」
「じゃあ、じゃあえっと、話しかけなくていい! だからその人のこと教えてもらうとか……」
「……今この村には、村長に会いに行ける客人が3人来てる。一人はさっきそこの陰陽師が言ってた子供。あとの二人はその方のお連れだ。お二方ともまだこの村にいらっしゃるとは聞いてるが、それ以上のことは知らない……」
「じゃあ探しに」
「はい勝手に動かない」
「……ハイ」
今にも駆けだしそうだった恭を止めつつ、律は陵に視線を向けた。現状、古賀からこれ以上の情報が得られるとは思えない。情報を元に、村の中にいるらしい二人の客人を探し出した方が早いだろう。
意図を汲み取ってくれたのか、陵は古賀に「情報ありがとうございました」と笑んだ。這う這うの体で逃げ出していく古賀には悪いことをしたなと思うものの、恭やルキの状態を考えると時間をかけてもいられない。
「じゃあ探そうか、客人」
「そうですね。さくっと見つかってくれればいいんですが」
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暫しの捜索の後。村のはずれに、その人物はいた。
人物、という呼称が正しいのかどうかは分からない。その男の姿は、人にしては明らかに整いすぎている。どう考えても村人ではないその男に話しかけようとした恭のことは、律よりも先に『黄昏の女王』が止めていた。
「……確実に客人だと思われますが、どうしましょう」
「ん、俺が行けばいい?」
「いや誰も茅嶋さんに行けとは言ってないですよ?」
てっきり行ってきてほしいという意味かと思ったが、慌てて首を振る陵を見るに、本当にそんなつもりはなかったようだ。
しかし、どうにも雰囲気的に近寄りがたさは否めない。あの村長の客人だ、ほぼ『怪異』であると考えた方がいいだろう。ここで悩んでいても仕方ない。行ってくる、と陵に声を掛けると、陵からは困ったようにお願いします、と返答が返ってきた。恐らくは男から感じる不気味さが、陵を気後れさせているのだろう。こういったことに関しては、律の方が慣れている。
「すいません、少しお話をお伺いしたいんですが」
「何でしょうか?」
男の反応はいたって普通だ。特にこちらを警戒している様子は見受けられない。或いは、警戒する必要もないと判断されている可能性もある。どちらにしろあまり長話をしたい相手ではないので、話は早い方がよさそうだ。
「ここの村長とはどういったご関係で?」
「え」
「貴方はここの村の人ではなさそうだなと思ったので、気になりまして」
「……そもそもあなたがたは何なんですか? 急に話しかけてきたと思ったら、変なことを聞いてきて」
警戒はされなくとも、不審には思われたらしい。素直に話すべきか、それとも仕掛けるべきか。
数秒考えて、律はちらりと恭に視線を移した。できれば相手の正体は把握しておきたい。恭の隣には、変わらず『黄昏の女王』の姿。
イチかバチか。賭けてみる価値はある。
「……ちょっと、ここの住人になりかけている子がいて?」
「へえ?」
口許に浮かんでいるのは、明らかな愉悦の片鱗。ちらりとその視線が恭に向けられる。瞬間、焦ったように『黄昏の女王』が動いた。しかしその判断も虚しく、その『視線』は恭に到達し。
「え、っ……!?」
顔色をなくした恭が、力が抜けたようにその場に座り込む。そしてそれは、律にも陵にも視認できる――この村のものとは違う得体のしれないものが、恭に絡みついた。
「ああ、これは失礼」
恭に『何か』したことに、律が気付いているのは分かっているのだろう。楽し気な声で告げる男に、いえ、と律は敢えて笑ってみせる。あの程度何でもない、と示すために。
幸い、気付いた陵が既に恭の様子を確認してくれているようだ。呪いの類であれば、陵の専門分野。任せておいて問題はない。
「……まあそれで俺たちは村長にお会いしたくて。どうすればいいか御存知なら、教えていただければなと」
「そうですね、うちのボスの話が終わった後なら会ってくれるんじゃないですか? 知りませんけど」
「あー……それっていつ頃終わるかとか、分かります?」
「この村は時間の流れが変わってますからね。まあ2、3日もあれば終わるでしょう」
にこり、と男の笑みは崩れない。前回も何か聞く度に2、3日程度という話が多かったな、とふと思い出す。今すぐと言ったところでどうにもならないだろう。こちらとしては分かりました、と言う他ない。この男に頼らず、ひとまずはもう一人いる筈の相手を探すという手段もある。
「それで? 私に聞きたいことはそれくらいですか?」
「ええ。何も知らない下っ端の方には特に用事もありませんので」
「おやおや、これは手厳しい。それでは」
念の為口にした分かりやすい挑発に乗ることもなく、軽い会釈と共に男は去っていく。緊張を解くように肩の力を抜いてから、律はすぐに陵と恭の元へと戻った。恭はまだ若干の顔色の悪さはあるものの、声を掛ければ大丈夫、と頷くだけの余裕はあるらしい。命に関わるようなものではない。どちらかと言えば、恭を守れなかった『黄昏の女王』の方が顔色は悪い。
「……一度車に戻りましょう。休憩を取った方がいいと思います」
「これくらい……大丈夫っす、よし」
「ホントかなあ……。……あー……じゃあもう一つだけ気になるところ調べに行っていい? すぐ終わるから」
「どこか当てが?」
「当てっていうか、公安が鉄塔の下に何もなかったって言ってたのが気になってて。何かあれば、車戻れば電話もできるし。先にやっておきたい」
鉄塔の下で見つけた、『人造怪異』の証拠。村が見えている律や陵でも見つけられないのか、ということだけは確認しておきたい。
立ち上がろうとする恭に手を貸しつつ、律はこの先の行動を思案するのだった。
---
結論として、鉄塔の下には何もなかった。
しかしあのとき、確かにそれはあったのだ。見つけた後、誰かが再度掘り返して持ち去ったのではないかという陵の推測が最もあり得る可能性だろう。それだけ、この村にとって――或いは村長にとって大切なものである可能性は高い。
恭が疲れているように見えるのか、道中は村人たちがすぐに寄ってきては恭のことを気にかけていた。どう聞いても善意でしかないそれに返事を返せない恭は終始困った顔をしていて、見ていて気の毒になってくる。
「今日はやたらと寄ってきますね、あの人たち。仕事しなくていいんでしょうか」
「それだけ恭くんをこの村の住人にするために必死なのかもねえ」
適宜律と陵、そして『黄昏の女王』で追い払うものの、その回数が増えれば溜め息も出る。何とか車まで戻る頃には、既に陽が暮れ始めていた。水分を補給しつつ、軽食で腹を満たす。食事のお陰か、少し恭の調子も戻ってきたようだった。
「んで、これからどうするんすか?」
「ん-、夜も村の中に入ってみようかと思って。前回は外から見てるだけだったし、次の日はお祭りだったでしょ」
「夜の時間帯なら何か変化があるかも、ということですか?」
「分かんないけど、調べてみて損はないかなって。一通り調査したらまたスーパー銭湯で宿泊になるかな、今日は」
夜通し村にいることになってしまう可能性がないわけではないが、そのときはそのときだ。
完全に陽が落ちるまで休息を取ってから、再び村の中へと戻る。街灯が整備されているような村ではないこともあってか、明かりがついている家はあるものの、外を出歩いている村人はいないようだった。それにほっとした様子を見せたのは恭だ。村人がいなければ話しかけられることもないので、そこに気を払わなくていいというのは今の恭にとってありがたいのだろう。
光源を増やさない方がいいだろうという判断で、暗い中注意しながら村の中を回っていく。そして一番先にそれを見つけたのは、恭だった。
「……あれ? ねえ律さん、なかみー、あの光何か変じゃないすか?」
「ん、どれ?」
「……青い光が見えますね」
「でしょ? あと、あっちに金色の光が見えて」
恭が指差したのは2か所。山側に見えるぼんやりとした青い光、そして森川に見えるきらきらとした金色の光。一見して家の明かりでないことは分かる。
「……青い光、ねえ」
「どうかされましたか?」
「いや……、うーん。とりあえずこっちからかな」
少し考えてから、律は術の構成をくみ上げる。暗い中自分の足で追うよりは、術で追跡をかけた方が確実だ。放った術で近くできたのは、こちらを窺っている何らかの『怪異』の気配が2つ。『陰陽師』のような気配も感じられたので、恐らくは古賀のように『陰陽連』から派遣された結果、村人になってしまった者だろうか。
もう少し詳しく、と思ったものの、そこで術が途切れて霧散する。どうやらこちらが気付いたことが感知されてしまったらしく、見えていた金色の光も消えてしまった。これ以上の追跡は難しい――が、構わない。律としては、本命は。
「なかみー、あっちよろしく」
「青い方ですね?」
「そう」
頷いて、陵がそちらに歩を進める。途端、青い光がゆらゆらと揺れた。逃がすつもりはないので、即座に障壁を作成して動きを封じ。
「何でこっち来るんですか……!」
「あ」
聞こえた声は、聞き覚えのあるもの。
そして陵の視界に入ったのは――上里 信司の姿だった。
---
「あの……命だけは見逃していただけないでしょうか……」
数分後。信司は3人の前で土下座していた。昼に恭に呪いを飛ばした男が纏っていた気配、もう一人の連れ、そして青色の光。そこから推察してまさかな、とは思っていたのだが、残念ながらビンゴだったらしい。青い光は信司と深い縁のある『カミ』――『青行灯』の特徴だ。
「……知ってること全部吐いたら許されますか……?」
「保留する」
「許されるっていう確約が欲しいです……」
「ご存知の通り俺『ウィザード』だから易々と確約しないんだよね」
「上里くんの悪行なら、これを奥さんに通報するという手段もありますし」
「駄目ですそれは本当に勘弁してください! ああもう……何でもお答えします、ハイ……」
嫁の話を持ち出されると弱いのは、どこの家庭も共通らしい。一度信司のせいで桜に心配を掛けてしまったこともあるので、仕返しにいっそ話してしまおうかと律は溜め息を吐く。実際のところ彼の嫁とも縁hがあるので、あまり心配事を増やすようなことはしたくないな、とも思ってしまう辺り自分は甘いのだろう。もっとも、そんなことを今信司に伝えるつもりはないが。
観念したらしい信司が、ええと、と困ったように眉を寄せて。
「とはいえ、俺もボスの付き添いで来てるだけなので、あんまりこう、ご提供できる情報ってないんですけども……。あのですね、人工的に創られた『怪異』の噂はご存知でしょうか……?」
「うん、ご存知ですね」
「あれを本物の『怪異』として認めるか、というのでうちのボスが見に来てるんですよ、今」
「じゃあ……やはり全員塵にするしか……?」
「こわい。それは俺も死んでしまうので勘弁していただきたいです……。実は茅嶋さんや中御門さんが来られたのが見えたので、やめておこうとは言ったんですよ。個人的に敵対もしたくないので一生懸命説得を試みたんですけど、上司には逆らえないじゃないですか……」
「えと……俺が何かヤバいのってどうにかできたり……する……?」
「したいのは山々なんですが、今やると俺も色々支障が……ああ、その横の方、いつもの可愛い笑顔が見たいな、なんて……」
「貴方に可愛い笑顔を見せたことなんてないけれど」
「ひゃい」
機嫌を取ろうとして、『黄昏の女王』の地雷を踏んでいる。無理かあ、としょんぼりした恭を慰める『黄昏の女王』の表情は優しいが、ひとたび信司を睨む際は般若の形相だ。怒らせると怖いよね、と他人事のように考える。
信司が律や陵と敵対したくないのは本心だろう。今後を考えても、特に彼にメリットがあるとは思えない。とはいえ上司命令に逆らえないというのであれば、完全に信頼できる状況ではなさそうだ。
「俺の方からはそんな感じなんですけど、何か質問とかあったら答えますんで、命だけは本当に……」
「うん、じゃあ俺たち村長に会いたいんだけど」
「ええと、俺から会いたいって言ってる人がいるって伝えることはできますが、必ず会わせられるという確約は」
「もう一回言う? 村長に会う方法探してるんだよ、俺たち」
「……あ、これ、はいかイエスしか認められないやつです? あの、ちゃんと俺の方から伝えさせてはもらいますよ、もらいますけど」
「確実に会わせていただけるよう、手配よろしくお願いしますね」
駄目押しのように陵にまで言われて、信司が頭を抱える。律も陵も全く引き下がるつもりがないことが、よく分かったらしい。
実際、このチャンスを逃せば次の手段が見つかるかどうかは怪しい。信司には悪いが、他の方法でどうにかなる問題ではないのだ。ルキについて回る縁も、恭に絡みつく縁も、どちらもその先を握っているのは村長なのだから。
「ああ……だから嫌だったのに……」
「見つからないと思って様子見に来て逃げ遅れたのが悪い」
「おっしゃる通りで……。じゃあ一応、俺の方から村長に会いたいって言ってる人がいることはお伝えしますので……」
「何か他に情報あったらいつでも教えてね」
肩を落とした信司が、山の方へと消えて逝く。恐らく村長の家へと向かったのだろう。
結果がどうなるかは分からないが、ひとまず成果と考えていい。恭の調査はここで打ち切ることとなり、3人は村の外へと向かったのだった。
--
スーパー銭湯は既に夜遅い時間帯であることもあり、あまり人はいなかった。ひとまず汗を流そうと浴場に向かう。真っ先に服を脱いだ恭が、うわ、と大きな声を出して、慌てて周囲を見回す。どうしたのかと声を掛けようとして、すぐにその理由に気付いた。
――恭の肩から腰辺りにかけて、大きな手に握られたような痕がついていた。
おそらく呪いをかけられているせいだろう。その呪いが、こういった形で見えている。簡単にどうにかできるものでないことは明白だ。
「……厄介ですね……呪いの元を断つまではこのままかもしれません……」
「うええ……」
「あんま人いないし大丈夫だと思うけど、さっと入ってさっと出ようか」
何の力もない人間でも、この痕は見えてしまうだろう。そして少しでも力があれば、あまりにも近寄り難い。見た瞬間に逃げ出しかねない代物だ。
人がいない間に入浴を済ませ、開いている売店で食事を取る。しょんぼりと肩を落としながらカレーをもそもそと食べる恭の姿は、見ていて痛々しい。食事の後、ルキと電話をしている陵を眺めつつ、律は口を開く。
「……ごめんね。恭くん、今回本当に大丈夫?」
「うー……正直だいぶしんどいっすけど。でも、大丈夫っす」
「やっぱ留守番の方がよかったんじゃない?」
「でも、俺がいることでできることもあるかもしんないし。あと俺いないと律さん何するか分かんないし……怒ってるし……」
「まあ何するか分からない結果が今の恭くんなんだけどね」
「イテ」
軽く頬を抓ると、元気なく恭は笑う。今日は早めに寝るという恭を見送った頃に、電話から陵が戻ってきた。険しい表情をしているのでどうしたのかと思えば、スマートフォンを差し出される。そのディスプレイを見て、律もさすがに眉を寄せた。――文字化けしていて読めない。
だが、その文字化けの仕方には覚えがある。かつて信司の依頼で向かった『きさらぎ駅』、そこで見たものと恐らく同じタイプだ。となれば相手は信司だろうと当たりをつく。小さく頷けば、陵はスピーカーで電話に出た。
「もしもし?」
『ああ、よかった。つながったってことは、もう村の外にいらっしゃるんですね』
「近くの銭湯にいますが」
『羨ましい。こちらは村で宿泊ですよ』
いいなあ、という信司の声はいつも通りだ。こちらに来ることはなさそうだと判断して、もしもし、と律はスマートフォンに声を掛ける。はい、と向こうで信司が背筋を伸ばしたような声がした。
『ええと、村長さんとの面会取り付けました。……あの、ただ……』
「ただ、何?」
『できれば柳川くん一人……付き添うにしても一人まで、という条件がつけられまして……』
「二人だと何か困るの?」
『それを俺に聞かれても……』
困惑しきった信司の声に、それもそうだなと思い直す。戦力を削ぐのが目的か、それとも。どうしたものかな、と律は陵に視線を向けた。
今回、依頼主としては陵になる。今日のことも心配ではあるし目的でもあるが、主目的はこの村とルキの縁切りだ。律か陵、どちらかしか恭に付き添えないのであれば、陵の方が適任ではないだろうか。
「……なかみー、恭くんと一緒に行ってくる?」
「それなら茅嶋さんの方がいいんじゃないですか?」
「でも村長と戦う気なの、まずなかみーじゃん。あと俺山登りしたくない」
「後半が本音では?」
「まあでも、冗談抜きで。何かあったらちゃんとすぐ助けに行く。恭くんにはアリスちゃんもついてる。大丈夫だよ」
「……いやまあ、あなたに山登れって言うのが酷なのは分かってますし……、……いざというときは本当に頼みますよ……?」
「もちろん」
『あ、あの……お話まとまりましたかね……?』
話の内容は筒抜けのままだ。おろおろとした声の信司にオフレコで、と笑っておく。
「まとまりました。私が付き添います」
『分かりました、じゃあ明日村長の家までお越しください。……あと、あの、これで一応約束は果たしましたので、何卒……』
「それは明日次第ということで」
『えっ』
何か話そうとしている信司を無視して、陵が終話ボタンを押す。まだ何が起きるか分からない現状で、安易に信司にOKは出せない。切れた電話は再びかかってくることはなく、渋々といった手つきで陵はスマートフォンをしまった。その視線はじろり、と律に向けられている。
しかし、やはり今回、律は当事者ではないのだ。直接村長と対峙するべきは、陵と恭になる。――それに。
「……本当に私が行くんです?」
「外に一人。何かあったときの対処。そういうことは俺の方が慣れてると思わない?」
「それは……そうですね……」
「というわけで、明日は恭くんのことよろしくお願いします」
「……分かりましたよ……」
はあ、と肩を落とした陵に、律は笑って。とりあえず寝ようか、と席を立ちあがったのだった。
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