連日降り続けていた雨の漸く上がった空を見上げてみる。生憎と空模様は、未だ晴れやかとは言い難い灰色の雲に覆われており薄暗かった。
早朝の空気は降り続いていた雨に因って大気中に塗りたくられた様な湿度で重たく、貯水池にある山際から濃い霧が湧いて流れて来ていた。風も少なく視界不良な上に、体に纏わりつく様な不快感が辺りに満遍なく満ちている。
格納庫のシャッターはそのほぼ全てが大きく開け放たれ、連日の雨で凝りきった空気を外へと逃がそうとしてはいたが、この様子では湿気の流れ込む度合いの方が高そうである。
そんな格納庫の内部には、長い悪天に因って滞った輸送待ちの荷が所狭しと積み上げられている。それを次々輸送用の車両やグスタフの牽引するコンテナへと分配する作業があちこちで同時に進められており、早朝とは思えぬ程の慌ただしさに包まれていた。
「あっちの、RPB-88340号便の荷物は共和国以外にも、ガーディアンフォースから依頼されていた分もまとめて送られて来ていたから、届け先は間違いのない様に注意してくれ。それとこっちの──」
そんな慌ただしさの中で、ぶ厚く書類を挟んだクリップボードを片手に携えたオコーネルもまた忙しく立ち働いていた。積まれた荷物やコンテナをチェックしては荷の仕分けの指示を出したり確認を取ったりしながら、朝も早くから休みなく行ったり来たりし続けている。
首都付近の共和国基地からの輸送隊に便乗して、オコーネルがこの基地を所用で訪れたのがかれこれ五日は前の事になる。雨に降り込められる前で、この輸送隊の中継基地もその時にはこんなに混雑してはいなかった。
荷物を下ろしたら用事を済ませて直ぐに帰るつもりでいたのだが、降り始めた雨が気が付けば嵐と豪雨と言って良い程になった時には既に遅かった。お陰ですっかりと足止めを食らい、当初の予定より長い逗留となって仕舞っている。
雨は強い風を伴って長く降り続け、忽ちに貯水池近くの河川の小規模な氾濫を引き起こした。街道を濁流が流れる有り様では到底輸送路の安全確保は困難と言わざるを得ない。
斯くして、集積されるだけ集積された荷の山が出来上がっていると言う訳だ。
国境付近のこの基地は主に輸送拠点として扱われており、軍事関連以外の民間用の物資も多く集められている。地域や状況に因っては輸送の遅延が命取りになる事もある為、とにかく一刻も早く輸送作業を再開させなければならない。
当初より多くなった荷捌きは当然の様に困難が予想され、オコーネルも人手不足と言う背景に頼まれる形で現場に出る事になったのだが、気が付いた時にはどう言う訳か率先して陣頭指揮を執っていた。執らされていた、と主張したい所ではある。
その経緯はと言えば単純に、大量の荷物の分類、どの輸送隊に任せどこに届けるのかと言う把握を速やかに出来て、指示も的確であった事が現場で重宝された結果であった。
或いは、頼まれれば取り敢えず聞いてみると言う面倒見の強い性分であった事が先かも知れない。
この輸送基地の人員だけで到底全てをこなすのが不可能と判断された事もあって、この基地に所属している訳ではない筈のオコーネルの存在は寧ろ喜んで受け入れられていた。
どうせ乗りかかった船だ、と半ば諦めの心地で荷捌きの指示に励んだオコーネルであったが、早朝から走り回って、少しずつ荷を片付けていく仕事に段々と妙な充実感すら憶える様になって仕舞っていた。
元よりこう言った裏方仕事は得意だし、暇を持て余しているだけよりはマシなので特に不満もない。滞った任務がある訳でもないから、急いで帰らなければならない理由もない。それに何より、山積みになっていた荷が片付いて行く光景が清々しく、結果的にオコーネルは自分でも驚く程に熱心にこの仕事をこなしていっていた。
輸送任に就けずに居た何機ものグスタフの群れが、薄らと霧のかかった駐機場で、誘導灯に囲まれて待機している。その後ろには牽引用のトレーラーが幾つも繋がれ、載せられたコンテナへと荷物が次々積み込まれて行っている。
既に朝一番の便は出発準備も整っていた。こちらは辺境の街の土木作業用の物資などが積載されていて、トレーラーでは積みきれない分は軍のトラックが帯同し輸送を手伝う手筈になっている。
共和国と帝国の物資輸送の中継地点となっているこの基地では大小や種類を問わずに日々大量の荷物が運び込まれて来て、運び出されて行っていた。その作業が幾日も滞ったのだから、現場は忙しさと慌ただしさとでいつにない混雑状況にあった。
第一便の出発を確認したら一旦休憩を取ろうか、と考えながらオコーネルは首元を緩める様軍服の胸元を引っ張って息をついた。湿度が高い所為で、雲の向こうで昇る陽に因って段々と気温が高くなるにつれて、普通よりも体力の消耗を感じ始めている。作業に従事している者らにも一度休憩を促した方が良いかも知れない。
コンテナに積み込んだ荷の識別コードの一覧と、基地に届いた荷の一覧とを慎重に照らし合わせると、荷管理の為の事務スペースに置いてある端末に登録後、基地のチェック用の印を書類に押印する。ミスや手違いは100%防げるものではないが、混雑を極めている現場なだけにより慎重な確認が要される。程よい緊張感であったが、体力の消耗も大きくなりつつある中で継続するのも疲れるものだ。
「オコーネル大尉」
休憩。一度そう考えると意識はそちらに行って仕舞う。一旦現場を誰かに任せて休憩をとる為の手筈を考えていたオコーネルであったが、ふと耳に届く聞き馴染みのある声に自然と背筋が正された。恐る恐るに振り向けば、そこには予想に違えず、この雨の足止めの数日間で否応もなく見慣れた人物の姿がある。
「シュバルツ大佐」
他国のとは言え上の階級の人間だ。慌てて敬礼を取るオコーネルに向けて、畏まらなくて良いと言う手振りをしながら近づいて来るのは、ガイロス帝国の誇るカール・リヒテン・シュバルツ大佐その人だった。
帝国軍第一装甲師団を率いる彼だが、今はオコーネル同様に所用でこの輸送基地を訪れた時に、同じ様にして長い悪天に足止めをされた身の上にある。
なんでも、本当にただの私用でその日の内に帰る予定の所が生憎の悪天に見舞われた、だそうで、部隊どころか部下の一人も伴っていなかった。
軍務に就いている間の将官クラスの人間の単独行動は軍規違反に抵触する事なのだが、幸いにかシュバルツ曰く『私用』である。
とは言っても予定にない将官の不在は何かと問題が生じるのではないかとオコーネルは思い、実際その懸念も口にしてみたのだが、本人曰く「天の気分では人間ひとりにどうこう出来るものではないから仕方のない事だ」…だそうで。余り気にしている様子もなさそうであった。
だが、その一見無責任とも思える彼の態度が、自らの部下や部隊、上官や皇帝陛下に対する絶対の信頼に裏打ちされたものなのだろうと言う事は、そう紡いで見せた横顔からも充分過ぎる程に伺えた。
そんな風に本部を心配する様子も見せないシュバルツであったが、一方で輸送基地内は帝国軍の上級将校の予期せぬ滞在と言う事態に軽く騒ぎになったと言う。
だが、「わたしは悪天に足止めされただけの一軍人に過ぎない」と前置いたシュバルツの、特別な待遇は一切求めないし必要はないと言う配慮ある発言に因って一応は落ち着いた滞在となっている。
オコーネルもそんなシュバルツと幾度か顔を合わせていたし、暇つぶしの世間話(と言えるだろう会話)なども交わしたりしていた。
そんなシュバルツに輸送荷の振り分けの作業などが充てがわれる訳もないので、彼は輸送隊が出た後に、少し遅れた帰還の途につく予定だった。
……の筈が、慌ただしく人員と荷物の移動する現場に姿など現している。オコーネルは内心訝しむのを隠して「何か御用でしょうか」と努めて普通の声を上げた。
「帝国の基地へ輸送予定だった荷の数が合わないと、担当の者たちが困り果てている所に偶々出くわしてな。他の荷と混ざってはいないか確認を頼まれて来た次第だ」
絶対に偶々ではないだろうし、頼まれてもいないのだろうと想像出来る程度にはシュバルツの人となりをオコーネルは把握しているつもりだ。同時に、それを指摘した所で無意味、或いは藪蛇であるとも。
(まあ、実益を兼ねた暇つぶし、って所かな)
基地内に留められていて暇だったのかも知れないと、浮かんだ考えに確信の判を押しながらも、懸命にもそれを表情や態度に出す程にオコーネルは迂闊ではない。つもりである。
「何番の便か解りますか?」
「ああ。IBB-28478便に積まれる予定だった、と」
予め暗記して来たのか、ちらと視線を斜めに走らせたのみで、すらすらと英数字の羅列を口にするシュバルツに了解を示して小さく頷くと、オコーネルはベルトに通して肩から下げていた端末を手に取り、言われた通りの荷番号を入力した。
小さな画面に表示された内容を読み上げようとしたら、近づいて来たシュバルツが端末を覗き込む様な仕草をしたので、オコーネルは彼から見易いように画面を傾けた。別に疑っていると言う訳ではなく、単に興味なのだろう。物珍しそうに目を細めているのが至近に伺えた。
「IBB-28478便はIBBE-43009便とMBBE-0395便の荷物を積んで行く予定ですね。…そう言えばさっき個数が合わないとか言っていたかな…?まだ出発していないので、ちょっと見に行って来ます」
「そうだな」
こんな事に帝国軍将校の手を煩わせる訳にはいかないから、手早く確認に行こう──と思って小走りに踏み出したオコーネルであったが、シュバルツは当然の様にその後ろをついて来た。
上級将校らしく、急いでいる様には見えない程度に、然し常よりも早い歩調でついて来るシュバルツの姿を振り向いて、これは恐らく止めても無駄だろうと判断したオコーネルは、駆けて行こうとしていた足を緩めた。
積荷が今すぐにでも出る様な事はないが、そんなに時間に余裕がある訳でもない。急きそうになる心地を堪えて、手にした端末を意味なく握りしめる。
何も言わずにそんなオコーネルの後を靴音を鳴らしつつ追うシュバルツの姿に、荷捌き作業中の兵士たちが何人か気付いて視線を向けるが、こう言った時は上級将校への敬礼よりも従事する作業を優先する事になっている。一瞬は気になったのだろう彼らの関心は、然しすぐに眼の前の仕事へと戻っていく。
探していた便を牽引するグスタフは本日二度目の便で、既に格納庫の外に出されていた。オコーネルは目当てのコンテナが何両目に積まれているのかだけを、既にコックピットに座っていた輸送隊員から聞き出すと、いつもよりも多く引き摺られている牽引台の間を速やかに移動していく。
牽引台に固定されたコンテナの一つ一つは巨大で、中には小型ゾイドを運搬出来るぐらの大きさのものもある。生活物資だけではなく、ゾイドの整備用パーツや建築資材なども輸送するので、総重量も結構なものだ。
そんな車列の中には、護衛用のコマンドウルフがコンテナと同じ様に牽引台に載せられ、雲を除け始めた日差しの下で大人しくしている様子も遠目に見える。
「えーと、三両目…」
複雑な地形を移動する予定のないグスタフが牽引する台車の数は通常よりも多く連なっている。細かな移動の必要がないからと、操縦出来るギリギリまで繋いでいるのだ。何しろ荷物の遅延は由々しい事で、多少危険があろうとも速やかに解消する必要がある。
目当てのコンテナの載せられた牽引台に登ると、オコーネルはコンテナの扉を開いて中を覗き込んでみる。だが、当たり前なのだが光源などない箱の中身は外からではまるで伺えない。
「出発時間にはまだ余裕がありそうだな。調べてみよう」
腕時計を確認しながら言うシュバルツに促され、オコーネルは端末の画面から発せられる心許ない灯りを頼りにしながら、コンテナ内を手探りで歩いた。
「荷のどこか、必ず見える位置に仕分け用のタグが貼り付けられています。そこにIBB-28478と記載されていれば当たりですね」
説明しながら、オコーネルは薄っすらと発光する端末の画面をぐるりと辺りに向けてみた。僅かの光源だが、真っ暗闇のコンテナの中に積荷の影がぼやりと描き出される。入口付近にはどうやらゾイド用のパーツなどと思しき大型の荷が多い様だ。
シュバルツもオコーネルの持つ端末の小さな灯りに照らされている範囲を見てはいるが、視界不良で余り作業は捗りそうもない。
「これはなかなか骨ですね…」
「んん…」
大型の荷の影に積まれ並べられた木箱の置いてある一角に辿り着いて、そこに付けられたタグを確認しながらオコーネルは思わず呻く。ああ、とも、うむ、ともつかない曖昧な肯定の響きが常よりも随分と抑えた声量で発せられるのを耳に、別に自分の責任と言う訳でもないのに、オコーネルは居心地の悪さを憶えて首を密かにすくめた。早く荷探しを終えようと決意しながら更にコンテナの奥へと進んでいく。
「あ、多分これじゃないでしょうか」
機械部品の箱の山に囲まれ、比較的に小さな木箱が幾つかまとめて積まれているのを発見したオコーネルが照らしたそれに、シュバルツはすぐに顔を寄せた。
指差すタグの文字列を二人して慎重に確認し、間違いのない事を確認すると頷き合う。
「出発前に見つかって良かったですよ。では早速積み替えの指示を──」
荷物が別の場所に配送されるとなかなか面倒な事になる。軍事物資と民間のものが混じったりして仕舞うと尚更だ。出発前に発見出来て良かったと、ほっと胸を撫で下ろしたオコーネルが膝を叩いて立ち上がろうとしたその時であった。
靴底から感じる振動。ほぼ同時に地響きを伴った轟音が耳をついたかと思うと、数秒後にはコンテナ全体ががくんと大きく揺すられた。
「うわっ!」
思わず尻もちをついたオコーネルの横でシュバルツが頭を巡らせるが、揺れる足元に咄嗟に掴んだ、荷を束ねていたロープが解けて彼もバランスを崩す。
まずい、とオコーネルはコンテナの床に両手をついて入口の方を仰ぎ見た。遠目に見える、四角く切り取られた外の風景に向けて無意味に片手を伸ばしながら罵声とも怒声ともつかぬ声をあげるが、それは発進したグスタフの駆動音とそれに牽引されたコンテナの車列の立てる走行音と振動とに敢えなく掻き消された。
がしゃん、と音を立てて光の筋が途切れ、轟音と振動とに満たされるばかりの暗闇になったコンテナ内に「オコーネル大尉!」とシュバルツの鋭い声だけが妙に明瞭に響いた。
それの指す意味をはっきりと理解しない侭、がつん、と頭部に衝撃を受けたオコーネルの意識は浮いて、途切れた。
背中が痛い。まるで衣服越しに何か固いもので断続的に叩かれでもしている様な──痛みを与える為に行われている訳ではなく、ただ嫌がらせの様に続けられている振動と衝撃だ。止めて欲しいと正直にそう思うが、声にすら出ないオコーネルのそんな願いが通じる訳もなく、それが無意味な嫌がらせを止めてくれる気配はない。
振動と衝撃と。そのどちらもが酷く不快である事は間違いなく、百人に聞いたら百人が同意するだろう。そう、到底仰向けに横になった状態で感じるべき感触ではない。強いて言えば眠っているのに近い状況に相応しい環境とは言えない。
つまりこれは、どんなに悪辣な環境であってもなかなか有り得てはいけない状況に違いない。オコーネルは眉を顰めて身を僅かに捩った。途端、がたん、と側頭部が跳ねたのを感じていよいよその違和感に、危機感に似たものを覚えた意識を覚醒させようと、嫌がらせの様に続く肉体への刺激を必死で手繰る。
振動。背骨に当たる固い、断続的な痛み。不快感。そして何よりも異質な──騒音。
「──!」
ばち、と音がしそうに目蓋を大きく開くが、見開いた視界に飛び込んで来たのはいちめんの暗闇。目を開けていないのか、それとも見えないのかと焦りながら幾度も瞬きを繰り返して、オコーネルは不意に我に返った。ただ、暗すぎるだけだ。
胸を撫で下ろしながら上体を起こすと、はらりと額から何かが落下した。足の上に落ちたそれを手に取ってみると、どうやら湿った布の様なものであった。
何故?と首を傾げたところで、中空にぽっと灯りが灯った。ぎょっとなって振り仰げば、浮かぶ光源の正体は端末のバックライトで、その頼りない光量に輪郭を浮かび上がらせていたのは──
「気が付いたか。オコーネル大尉」
「あ……、シュバルツ、大佐?」
思わず間の抜けた声が漏れた。自らの頭部の高さに端末を掲げた帝国軍人は、いつもの目立つ制帽を被っていなかった。それに薄暗い視界も相俟って、一瞬『誰』であるかの認識の遅れた不覚にオコーネルは気まずく視線を彷徨わせるが、当のシュバルツは全く気にする様子もなく、身をかがめて端末を床に置くとその横に膝をついて座る。
がたがたとコンテナを揺らす振動と、それらの立てる轟音との中でも、彼ははっきりと届く声で言葉を紡いだ。
「頭を打っていた様だったから、取り敢えず冷やした方が良いと思ったのだが」
言って、指差されたのが先頃己の頭部から落ちた布である事に気づいて、オコーネルは慌ててそれを額の上に当てた。体温からひととき離れて、ぺたりと湿った冷たい感触が頭髪越しに伝わる。
言われてみれば、記憶の途切れる直前に荷物か何かで頭を打ったのだ、とぼんやりした記憶に行き当たる。濡らされた布──手触りも良いし、恐らくシュバルツの手持ちの手布か何かなのだろう──を左右に動かして、経緯を思い出すと同時に鈍く痛み始めた気のする部位を探ってみるが、特に外傷はなさそうだった。
「大事はないだろうか」
「…ええ、はい。ちょっとコブが出来たぐらいかと。箱の角とか尖ったものが当たった訳ではなかったみたいです。不幸中の幸いと言うか」
「大尉の高身長のお陰かも知れんな。落下距離が衝撃に加算されていなくて何よりだ」
いまいち解り難い事を冗談めいた調子で言われるが、薄暗さの中でそう紡いだ男の表情はよく伺えない。よもや褒められていると言う訳ではないだろうから、お得意の諧謔味ある言い回しのつもりなのか。仕方なくオコーネルは曖昧に「どうも」と小声で相槌を投げておいた。
苦手な訳ではないがやり難い。オコーネルの上官であるロブ・ハーマンとの関係もあって、シュバルツとは他国の将官の中では互いをそれなりに熟知する程度には付き合いもあるのだが、何度相対しても妙な緊張感を伴っていけない。
それはシュバルツの事が個人的に好ましくないとか、帝国が憎いと言う価値観の様な前提があって生じる感覚ではなく、ただ単に、彼の人となりがオコーネルには今ひとつ把握し難いと思えていたからである。
何しろ『帝国の至宝』とまで称される程の軍人である。家系は優れ、皇帝への忠義心も軍功もあり、軍人としての資質もゾイド乗りとしての腕も一流。その上げた功績を以てすれば、バン・フライハイトとはまた違った意味で救国の英雄と数えて良い。正しく、絵に描いた様な立派な──立派すぎる人物と言えた。
但し彼は同時に帝国きっての皮肉屋でもある。迂闊な発言にはやんわりとした、然し鋭く回避困難な針か棘が容赦なく飛んで来る。相手と状況とを選んで放たれる言葉は時に容赦なく心を抉る事も多いのだとは、その針や棘を日常的に受けたり見たりして来たのだろう、彼の実弟の実感籠もった談である。
然しそれは決して悪意に由来した言動ではなく、寧ろ彼と親しい人間ほどにその餌食になり易いと言う──所謂シュバルツなりの気安さの表れの様なものらしく、例えば彼と私的に友人関係を築いているロブ・ハーマンであれば気にせず流して仕舞っている様なものだ。
とは言え、如何に上官がそうであったとして、シュバルツはオコーネルにとっては他国の上官である事に違いはない。親愛に近い表現と前書きされた所で、それなりに緊張感の伴う会話の中ではなかなか気安く振る舞う訳にも行かない。
結果、扱いを持て余しては毎回嫌な汗をかかされる心地になるのである。
「…それで。ええと…、シュバルツ大佐。出来ればなのですが、一言でお願いしても?」
そんなオコーネルなりのシュバルツ評だが、今はそれに少し頼りたい気持ちがあった。いっそ彼の鋭い舌鋒で事実だけを率直に伝えられる方が、回りくどく説明されるよりも的確に現状についての疑問を打破してくれそうな気がしたのだ。
果たしてシュバルツはオコーネルの無茶振りと言っても良い願いに、「一言」と鸚鵡返しにしながらも考えを巡らせる様に目蓋を下ろした。そうして数秒。
「そうだな……。グスタフのコックピットに乗るならばともかく、コンテナになど乗るべきではないと、部下にも広く周知した方が良いと言う見識を得る事が出来た」
「…すみません」
「大尉の謝罪する様な事か?」
さらりと返す声色に責める様な気配は無かったが、かと言って許容かどうかも解らない。どちらにせよ、である。オコーネルは鈍く痛む頭部を手布で押さえながら頭を下げた。
「コンテナに立ち入る時に、扉にストッパーを掛けるのは安全管理と言う意味では当然の手順でした。それを失念したのは俺の責任です」
言葉にすれば改めて、これが実に初歩的なミスから起きた事態である事を痛感させられる。悔いを辿る様に、オコーネルはがたがたと振動する暗いコンテナの中、入口の扉のある方へ視線を投げた。
観音開きの扉は外から閂を掛けるだけの簡易なもので、閂には扉に噛ませる為のストッパーが下げられていた。それを手順通り扉の下に挟んでおきさえすれば、輸送隊の出発は止められずとも、少なくともコンテナの扉が閉まり閂が倒れて内部に閉じ込められるなどと言う事にはならなかっただろうに。
「安全管理と言う問題で論ずるならばわたしも責任逃れは出来ない立場だ。荷を確認する為に輸送隊の出発時刻を遅らせる指示を出した方が、少なくとも安全に事は運べただろう」
「……ただでさえ輸送計画が滞っていた中、遅らせる様な指示を出すのはそれはそれで問題になりますよ」
シュバルツの言う『責任』が、恐らくは己に向けた気休めを由来としているものだと、これは確信したオコーネルは、なんだか情けなくなって少し投げやりに言い捨てた。荷に打たれた頭部のこぶに痛みはまだ少し残っていたが、額から離した手布を畳み直す。
ふと、しっとりと濡らされた布の感触に、おや、と思う。手布を見下ろしたオコーネルの疑問を正しく解したらしいシュバルツは、床に置いた端末を拾い上げると荷物の一角をその薄ら灯りで指し示した。
「申し訳ないが、非常事態だったからな。荷を勝手に開けさせて貰った」
照らし出されたのは床に下ろした段ボールの一つだった。蓋が開かれたその側面には、飲料水を表す絵柄が印刷されている。
「非常事態、ですか…」
「ああ。これが不測の事態以外の何であると?」
果たしてこれは当て擦られているのか。──否。呻くオコーネルにあっさりと頷くと、シュバルツは飲料水の入ったボトルを差し出して来た。開栓されているが重さからしても中身は殆ど減っていない。恐らく手布を湿らせるのに使ったものなのだろう。
「……」
シュバルツの言動にも行動にも他意はない。多少辛辣な人物ではあるが、他者に対する手心がまるでない人などとは思っていない。そうでなければ国の垣根を越えて彼と手を取る途を選んだハーマンに、オコーネルは賛同などしなかっただろう。
幾ら穿っても何ひとつ見えて来ないのは最早明らかだ。だからこそオコーネルは余計に己を情けないと恥じるのだが、露骨に慰められるよりは良いかと思い直し、渡された飲料水のボトルを傾けて水を一口含んだ。
自責に落ち込んでいるぐらいならば、この『非常事態』を打開──する事は難しくとも、もっと建設的な事を考えるべきだ、と、思考を切り替える。
シュバルツが閉ざされたコンテナの扉についてを言及しないと言う事は、開かないかどうかは既に試したと言う事だろう。
グスタフの運転手に気づいて貰いたくとも、このコンテナは牽引台の三両目だ。ここから先頭までの距離、そして荒野をいつもより急いで進む走行音の中では、大声を出してみた所で到底聞き取ってなどくれはしない事も明らかである。コンテナを叩いてみた所で、この轟音の中では結果は同じ筈だ。
試してみましたか、とわざわざ問う必要は無いだろう。シュバルツもいちいち説明はしなかったが、『一言で』と求めた説明に大雑把に「コンテナになんて乗るものではない」と言う旨を返すぐらいだ。既に、暫くここに閉じ込められる事態は避けられないと言う結論に落ち着いているに違いない。
「端末を軽く見させて貰ったが、どうやら完全に、基地内の積荷の管理用のものらしいな」
「はい。基地内の電波でデータベースにアクセスするだけで、外部に繋ぐ機能はないので、現状では灯りぐらいにしかなりませんね」
言いながらシュバルツが差し出す端末を受け取って、オコーネルはこのコンテナの中で唯一の光源となっている液晶の画面を見つめた。言われた通りに有益な情報の何一つ記されてはいないディスプレイの点灯スイッチを一旦切る。
この暗闇の中で灯りは貴重だ。そして、端末のバッテリーは有限だ。どの程度ここに閉じ込められる事になるかは判らないが、その残量には気を配る必要がある。
「携帯用の多目的ライターは持っていますが、コンテナの中は火気厳禁ですからね」
「承知している」
まさか火を点けろとは言い出さないだろうが、ふ、と小さな笑みの気配と共に、シュバルツが床の上に腰を下ろした音がしたので、オコーネルも積荷に寄り掛かる様にして座り直す。
暗闇の中では相手の表情も仕草もよく伺えない。居心地の悪さしかない振動と音の中、取り立てて話すことも見つからずに暫く沈黙の時間が流れた。
そうしてぐらぐらと揺れるコンテナの中で少しの時間が経過し、またしても先に口を開いたのはシュバルツの方だった。
「…この輸送隊は本来基地に荷を運ぶ予定の便で、四日はかかる旅程だった。だが、今回は荷番号を端末で確認した限り、付近の町から支援要請が出ていた分の荷も積んでいる。だからそちらに先に寄るルートを取るだろう。そうなると、三日かかるかかからないか、と言う所ではないだろうか」
「そうですね…、悪天で輸送が滞った分、速度もかなり出している様ですし、もっと早く到着する可能性もあるかも知れません」
気休めでしかないが、とはお互いに思ってはいただろうが、頷き合う同意の気配が闇から返った。
少なくとも飲料水がある事が解っているだけでも希望の持てる話の筈だ。この揺れと音には悩まされそうだが、いっそ気絶でもすれば眠れるのだから、暫く辛抱すればなんとでもなるだろう。
問題は、目的地で発見された時に少々気まずいと言うか、恥ずかしい事ぐらいだろうか。そればかりか、基地ではいきなり姿の消えたオコーネルやシュバルツの行方を巡って騒ぎにぐらいはひょっとしたらなっているかもしれない。
そう思うと些かに気鬱ではあったが、水もなく灯りもなく十日以上の旅程とか、普段ならば有り得たかも知れない最悪の事態を取り敢えず避けられそうだと言うだけでも、幾分気が楽だった。
(こう言う時は希望や楽観材料を引っ張り出した方が良いんだよな。ただでさえ暗闇に不定期に響く振動や音なんて、精神状態を不安定にしかねない環境だし)
よし、と頷いたオコーネルが明るい話題を探してそちらにハンドルを切って行こうとしたその時。シュバルツの動く気配と音とが闇を揺らした。走行音の中にともすれば埋没しかねないそれをオコーネルの意識が拾うことが出来たのは、シュバルツの動きからは明確に、緊張に似たものが感じられたからであった。
「シュバルツ大佐?」
「……側方から別の振動、いや、ゾイドの接近音だ。近づいているな」
なんですって、と問いを発するより先に、突如コンテナを牽引していた台車が大きく跳ね上がるのを、エレベーターの中にも似た一瞬の浮遊感で感じて、オコーネルは咄嗟に近くに固定されていた荷物を掴んだ。
二度目。今度ははっきりと聞こえた。対ゾイド用の砲撃の、着弾音。地面を激しく揺らす、鋭い振動。
「大佐!何かに掴まっ──」
恐らく地面への着弾で、何両目かの牽引台が爆風で跳ね上がったのだ。繋がった車両は一斉に、急制動と衝撃とに大きく撓んで跳ねた。ぐるん、と重力が移動してコンテナ内の、しっかり固定されていなかった積荷たちが騒音を立てて暴れ狂う。
幾つもの荷に体を打たれながらも、オコーネルは咄嗟に掴んだ荷を離さなかった。荷がワイヤーで固定された床ごと横倒しになって倒れ込むのと一緒くたになって転がる。
「っい、ててて…」
どうやら完全に横倒しになったらしいコンテナの、先頃までは壁だった部分を背に、崩れた積荷に埋もれながら何とか身を起こしたオコーネルが、手に掴んだ侭だった端末を点灯させると、薄暗い視界の中、すぐ横で同じ様にして転がっていたシュバルツの仰向けの顔に出会う。
「野盗だな。荷を大量に牽引しているグスタフでは到底逃げられはしない」
「狙われたって事ですか」
少なからず驚きを隠せず呻くオコーネルに是を示して頷きを寄越すと、シュバルツは背を起こした。ひっくり返った箱から、ごろごろと重たいペットボトルたちの転がる音が傾いた床に響き、やがて壁に当たって静かになる。
「悪天の後だ。大量の物資が通るだろうと輸送路で張っていたな。接近は歩行音ではなかったからステルスバイパー辺りだろう」
この三両目のコンテナが横倒しになったと言う事は、他の繋がれたコンテナも同様に横倒しになって転がっている筈だ。先頭のグスタフはバランスが良いから、転ばずに留まっているかも知れないが、どの途最早積荷を牽いての走行は不可能だ。
「輸送隊に護衛のコマンドウルフが積まれていたと思うが」
「……迎撃している気配はないですね。荷物と同様にトレーラーに載せられていたとすると、初動が遅れて真っ先に制圧された可能性が高いかと」
二人してコンテナの外の気配を手繰ってから、僅かな灯りを挟んで顔を見合わせる。
楽観的な要素は今度こそ浮かびそうにない。オコーネルのそんな表情を受け、静かに荷物を退けて立ち上がったシュバルツは、無言で拳銃を抜いた。
急ぎではないない行商の輸送隊などであれば、護衛ゾイドはグスタフと共に移動する事もあるし、輸送台に載せられていたとしてすぐに動ける状況にしておくのが普通だ。だが、今回は急ぎの輸送であった為に輸送隊の速度はかなり出ていた。戦闘用ゾイドがそれに常時追従して走行するのはゾイドにもパイロットにも負担が大きい為、恐らくはコンテナに乗り込む前に遠目に見た通り、コマンドウルフは護衛として輸送台に載せられ他の荷物同様に牽引されていたのだろう。この分だと、速度の早い輸送隊をわざわざ狙う者もいまいと言う油断もあったに違いない。
「戦闘音らしいものはしないな。これは完全に制圧されたと見える」
そんな想像を裏打ちする様に、シュバルツが肩を竦める気配。別に輸送隊の護衛の手配をしたのはオコーネルではないのだが、共和国軍の手配した輸送隊である事には違いない。身内の失態を晒して仕舞った様な心地に思わず溜息が出る。
「面目ないです。でも、民間の輸送隊ですから、いざとなったら荷よりも自己の保全をとは言い含めてある筈ですので、下手な抵抗はしないと思いますが…」
「大人しくしていて呉れると言う確証があるならば、朗報と言って良いだろう」
無抵抗の人間をわざわざ殺すのは手間なだけだからな、と感情の無い声音で付け足したシュバルツは、慣れた手つきで弾倉を確認してから遊底を引いた。薬室に弾丸を送り込む無機質な金属音が雄弁に示すその行動の意味を悟って、流石にオコーネルは泡を食った。
「まさか、打って出るつもりですか?!相手はゾイドなんですよ!」
「ゾイドに生身で挑む命知らずが何処に居る。『わたしが』制圧するのは人間の方だ」
さも当然の様に言って傾いたコンテナの中を、転がった荷を避けながら歩くシュバルツを慌てて追いかけてオコーネルは叫んだ。他国の将官だからとか言う常識よりも、遥かにその認識を越えた非常識の行動を他にどうやって止められると言うのか。
「無茶です!人間の敵だって何人いるかも判らないんですよ!ここは一旦荷を諦め、後で奪還に動くべきです。これだけ大量の荷では野盗も簡単には持ち去れない筈ですから、足取りを追うのは容易です」
突きつける正論に、然し返ったのはシュバルツの、こんな状況とは大凡思えない様に柔らかさを保った微笑であった。
「そうだな。わたしが指揮官であったらそう命じているだろう。だが生憎と今のわたしはただの『積荷』だ」
微笑の表情に良く合う朗らかな声でそう紡いだシュバルツの手がコンテナの戸を強く押すと、転倒の衝撃で歪んだらしい扉が、歪な隙間から外の明るさをコンテナ内部へと引き込んだ。強い陽光ではないと言うのに、暗闇に慣れた目には酷く眩しい。
僅かに出来た歪みの隙間から外へと手を伸ばしたシュバルツがごとごとと音をさせると、数秒足らずで閂の落ちる音がした。元々しっかりと掛かった訳ではなかったものだ、横倒しになった事も手伝って簡単に外せたのだろう。それは望んでいた結果であった筈なのに、今では寧ろ止めてくれと叫びたかった。
「積荷が勝手に転がって外に出る事は命令では止められまい」
閂を落とした腕を引き戻したシュバルツは、外から差し込む光をその身に受けながらコンテナの扉を開いていく。瞬く間にコンテナ内を照らし出していく眩しさと、久々に感じる外気の澄んだ心地よさとに、オコーネルは「ああもう」と小さく呻いた。身に帯びている唯一の武器である拳銃に服の上から触れる動作は半ば無意識であったが、射撃の腕になど元より自信は余りない。出来れば使う事にならない方が良いに決まっている。
「生憎とそんな物騒な積荷はそうそうありませんよ。野盗の連中も恐らくそう思っているでしょうけど!」
往生際の悪さの籠もったオコーネルの皮肉な言い種を小さく笑い飛ばすと、シュバルツは素早くコンテナの外へと出た。オコーネルも続けてそれを追い、一旦倒れたコンテナの影へと身を潜める。
途端、視界に飛び込んで来たのは地平が平らかに見える程の広闊な荒野だった。その一方向にだけ大地を分断する様に伸びた低い岩山があるだけの、だだ広い文明の空白のその中で、人間二人を裡に閉じ込めていたコンテナは無力に横たわっていた。
素早く辺りを見回す。概ね想像していた通りに、輸送隊の牽引台はその隊列の中央から大半が横倒しになっており、護衛のコマンドウルフもその役を成す事なく横伏しているのが見えた。地面に落ちた頭部は斜めになっていてコックピットも空いている様だが、パイロットの安否はここからでは判らない。
横たわって停止させられた輸送隊には完全に近づかず、二機のステルスバイパーが周囲を警戒する様にか、それとも威嚇する様にか、頭部を僅かに起こして身を揺らめかせている。救援や増援の接近を伺いつつ、倒れているコマンドウルフからも離れず警戒を続けている様だ。
「どうやら、無事だったコンテナから荷を奪っている様ですね」
人の気配や動きが、前方のグスタフ周辺と、後方のコンテナの方にしか無い。オコーネルの分析にシュバルツも頷いて返す。野盗が積荷を牽引台ごと他のゾイドや車輌で牽引して奪取を目論んでいるにしても、もっと簡単に中身だけを奪うにしても、地に足がついている方が作業は捗るだろう。
「コマンドウルフは初撃で牽引台ごと倒れたのだろうが、大きな損傷も見当たらないしまだ行動不能にはなっていなさそうに思える。あれを奪えば何とか出来るのではないかと外様の身ながらに思うのだが、大尉の意見を聞かせて貰いたい」
傾いたコンテナに後頭部をことりと預けて、シュバルツ。車列の後方で動き回る人間たちの動きが少しでも見えないものかと、コンテナの後ろ側から首を伸ばしていたオコーネルはそれを聞き流したくなるのを堪えて、その無謀極まりないプランを何とかシュバルツに断念させようと、出来るだけ投げやりに口を開いた。
「訊かないで下さいよ。俺は大佐曰くの『積荷』としては螺子一本みたいなもんですから」
確かにシュバルツの見立て通り、恐らく護衛のコマンドウルフは初撃で牽引台から転がされただけで、損傷度合いは限りなく低い。パイロットが搭乗していたかは判らないが、キャノピーが開かれている以上、中には誰もいない筈だ。
そのコマンドウルフを動かす事が出来れば、ステルスバイパーの一体二体ぐらいはどうにか出来るだろう。一応は共和国軍の正規の兵装を装備しているのだ。そうでなくともコマンドウルフの戦闘能力は極めて優秀な水準だ。
だが問題は、付近をうろついているステルスバイパーが、倒れているコマンドウルフに注意を払い続けている事だ。
野盗がコマンドウルフを真っ先に奪取しないと言う事は、恐らくは満足に操縦出来る者がいないのだろう。そうなると如何に動きを停止させているゾイドとは言えど気は抜けない。シュバルツの提案通りに、パイロットさえ乗って仕舞えば野盗たちは容易に制圧される可能性が高いのだから。
シュバルツの提唱したプランを完遂するには、『ステルスバイパーの警戒を掻い潜ってコマンドウルフまで辿り着いて無事起動させる』と言う手順が必要になるが、その部分がほぼ丸々抜けている。言って仕舞えば理想的な結果の想定だけであって、そこに至る具体的な策がないと言う事だ。
その空白を埋める意見か、はたまた危険性の数々と無謀さをいちいち指摘して諦めさせる為の説明か。求められたのは前者であろうが、残念ながら作戦立案の特技など持ち合わせていないオコーネルからそんなものが出て来る筈もない。
そして後者の説明などシュバルツならば考えずとも解っている事の筈だ。無謀だと、暗にそう伝えたオコーネルの意を果たしてどう汲んだのか。彼はコンテナに預けていた背をすいと起こすと、妙にゆっくりと口端を吊り上げて、そこに笑みの様なものを表す表情を形作る。
「ならば、螺子の働きには大いに期待させて貰おう。生憎とわたしはコマンドウルフを操縦した事がないのでな」
ちっとも残念ではなさそうな調子で芝居がかった様にそう言うと、最早隠さず物騒で不敵でしかない笑みを浮かべたシュバルツは、ぽんとオコーネルの肩を叩いた。
「そう言う事だから、そちらは任せたぞ、螺子の大尉」
ふ、と笑みの残滓を残した吐息と共にそんな事を言ったかと思えば次の瞬間には、表情を鋭く引き締めたシュバルツは、その蜂蜜色の髪に落ちた陽光の照り返しだけを目に鮮やかに残して走り出していた。
「………嘘だろ、」
間の抜けたオコーネルの呻く声だけがそこに取り残された。抗議するどころか引き攣る間もない。程なくして先頭車輌のグスタフの方から乾いた銃声が響き、ステルスバイパーたちの注意は一斉にグスタフの方へと──そちらに向かって走ったシュバルツの方へと向けられた。
(せめてこっちの了承ぐらいは取ってからやってくれって…!)
胸中で罵声を放ちながら、オコーネルは素早く駆け出した。大地に横たわっているコマンドウルフへとあらん限りの速度で地面を蹴って、向かう。
走り出したシュバルツ──否、転がった積荷の勢いは、動きが封じられて仕舞えばそれまでだ。制帽はなくとも見るからに帝国将官の軍服を纏った軍人を前に、野盗が油断や手心を見せてくれるとは到底思えない。
再びの銃声。ステルスバイパーの一機が何事かと向かいはした様だが、グスタフを抑えていた仲間の巻き添えを恐れてか発砲する音はしてこない。──まだ。
その代わりの様に聞こえて来るのは、野盗が攻撃しているのか、自動小銃の甲高い音が断続的に金属を弾く音。シュバルツはコンテナの影を移動しているのだろうが──何にしても長く保たない事など明白だ。
(幾らあの人が『帝国の至宝』だとか言った所で、拳銃の一挺しか持たない生身の人間って言う現実に何か違いがある訳じゃない…!)
幾らなんでも無茶が過ぎる。幾らなんでも無謀が過ぎる。幾らなんでも、
「──莫迦が過ぎる!」
その莫迦を頼もしく思って仕舞う自分もきっと莫迦に違いないのだが!
届かない無意味な罵声と共に、オコーネルはコマンドウルフの頭部に飛び乗った。共和国でよく見慣れた機体の姿に無意識に安堵しつつ、幾つかキーを叩くとシステムが無事起動し始める。コンバットシステムが起動していなかった事から、ひょっとしたらパイロットは最初から搭乗していなかったのかも知れない。
「よし、いい子だ!」
シートベルトを掴みながらキャノピーを閉じれば、オレンジ色のコックピットが辺りの風景を透かして映し出した。コンバットシステムの起動状況は良好。機体の簡易セルフチェック、問題なし。
ぐぐ、と横伏した身を起こすコマンドウルフの姿に、ステルスバイパーたちが慌てて向かって来るのが見えた。後方のコンテナの載せられた牽引台を車輌に取り付けようとしていた野盗たちが、起き上がった護衛ゾイドの姿を見上げてああだこうだと叫んでいる。
仲間や狙った積荷が近すぎて攻撃がし難いのだ、と判断したオコーネルは、素早くコマンドウルフを走らせた。ステルスバイパーの動きは慣れた者が扱うと非常に厄介なのだが、幸いにかパイロットたちの腕は余り宜しくはない。
繰り出される攻撃を持ち前の機動力で回避しながら格闘戦へと持ち込み、ストライククローを振るって程なく沈黙させる。二対一でどうなるかと思ったが、このコマンドウルフの整備状況も良く、オコーネルの思った通りに動いてくれたので何とかなった。
続け様に、後方で牽引台を奪取することを諦めて逃走に切り替えようとしていた車輌付近に向けて威嚇射撃。接近してくる狼の鋭い牙を見上げ、野盗たちはがくりと肩を落としてへたり込んだ。
大佐は、と前方へ頭を向けて望遠モニタで状況を確認する。グスタフの周囲では、突如動き出したコマンドウルフが、虎の子のステルスバイパーを制圧する様子を目の当たりにした野盗たちが呆気に取られて固まっていた。そんな隙だらけの彼らの背後に向けてシュバルツが銃口を持ち上げ歩いていくのを確認して、そこで漸くオコーネルは嫌な緊張から解き放たれて大きく溜息をついた。
すっかりと野盗のリーダーたちを制圧し終えたシュバルツの方へと戻ると、オコーネルの受けた瞬間的な重圧など全く預かり知らない様に、彼は邪気のない穏やかな微笑を向けて来る。
「螺子の活躍だな、オコーネル大尉」
《上手く行って良かったですね、としか俺からは言えませんよ…》
捨て台詞の様なオコーネルの抗議に、シュバルツは忍び笑いを堪える様な態とらしい仕草だけで応えた。
グスタフは辛うじて横転していなかったが、積荷を運ぶ牽引台は見た通りの壊滅的な状況になっていた。この侭輸送作業を続けるのは流石に困難なので、出発地点の輸送基地へと救援部隊の派遣を要請する事となった。到着までに一時間少々かかるとの事で、取り敢えず今は現場で出来る処理作業を行っている最中である。
逃走行動に移っていた野盗を全て残らず捕える事には既に成功している。その野盗たちには無事だったコンテナのひとつに押し込め──もとい入って貰って、後に救援部隊に連行を頼む手筈となっている。
護衛のコマンドウルフのパイロットはグスタフのコックピットに共に乗っていた。それでは護衛の意味がないだろうと言う趣旨をシュバルツに迂遠な言葉運びで指摘されて死にそうな表情になってはいたが、元より輸送隊の叱責は彼の仕事ではない為にか、少なくともオコーネルの基準では随分と手心あるものであった。
精神的に粉砕されたコマンドウルフの本来のパイロットは、作業を手伝っているのかそれとも落ち込んで動けないのかは知れないが、その付近には戻って来ていない。
横倒しにされたと言うのに勇敢に護衛ゾイドの責務を果たしてくれたコマンドウルフの脚部を労う様に撫でながら、改めてこの無謀な一連の流れがよくもまあ成功に程近い結果に終わったものだと思う。
(それが、どこぞの大佐…いや、曰く『積荷』の強引な行動で叶った、とは余り認めたくはないけども)
演習などでシュバルツが後方で指揮を執る姿を見る事は今までにもあった。基本的には大人しい教科書通りの戦術は好まないタイプの人間だとは本人の人となりから推察出来てはいたが、よもやここまで好き勝手に動き回るとは思っていなかった。
涼やかな見た目から受ける印象とはそぐわないと言うか、存外に大胆な行動を取るのは自信家ゆえなのだろうが。その自信を勝手に『信頼』として投げて来るのは堪ったものではない。否、信頼と無茶振りとは似て非なるものである。
だが、信じて任せられた事がオコーネルの背中を思い切り押したのも事実である。それは軍規の面から見ると全面的に良いと判じる訳には決していかない事だが。
それとも彼は、生来思慮深く、それ以上にどこか天真爛漫で楽観的な性質を持つのかも知れない。とは言ったところで、紙一重の命を可能性の裡に組み込む事はやはり到底賛同しかねる事である。
ただ、指揮官の人格やカリスマと言う面では、限定的ではあれど有効な素質なのだろうとは、一応だが思う。ある程度は察していたが、実体験して身に沁みた。
そこで、己がシュバルツの一連の行動についてを肯定する様な理由を探している事に気付いたオコーネルは、顔を顰めて両頬を手のひらでぺちりと音を立てて挟んだ。あれを、微笑ましい行動だと笑い飛ばせる様になってはいけない。
あれは飽く迄、カール・リヒテン・シュバルツと言う人間の持つ性質や力がそうさせただけの結果に過ぎないのだ。彼の並外れた胆力と行動ないし決断力があったからこそに叶った事だ。そこらの者が模倣しようとした所で、破滅しか呼び寄せないだろう。
「オコーネル大尉」
丁度頭の中に居た人物の声が意識の外から届いて、オコーネルは慌てて振り向くと敬礼の動作を取る。雲間からすっかりと顔を出した強い陽光が、再び制帽を被ったその貌に斜めの翳りを落とし込んでいる。
今の帝国では礼装時以外での制帽の装着は特に定められていないそうだが、シュバルツは大体の場合それを手放さない。コンテナの中で最初に転がった時にどこかへ紛失したと言っていたが、どうやらわざわざ探して来たらしい。
その侭一言二言挨拶めいた言葉を投げたシュバルツは「ところで」と言って制帽の鍔を人差し指の腹で少し持ち上げ、横転したコンテナたちを見遣る様な仕草をしてみせる。
「救援部隊の到着まで時間もある。件の、我々が積荷となるに至った荷に関しては予め分類しておいた方が良いと思うのだが、どうだろう」
「成程、そうですね。では輸送隊長に話を通して来ます」
ついでに分類作業も手の空いている者に任せたい。将官の手を煩わせるのも──、と考えながら向かおうとしたオコーネルの後ろを、シュバルツはやはり当然の様について来ていた。
「……何か?」
「いえ。なんでも」
振り向きかけるのを止めてそそくさと、オコーネルは輸送隊長であるグスタフのパイロットの居る前方へと歩き出す。そう。言っても無駄な事は放っておくしかない。
輸送隊の人間はグスタフの中と、最後方をついて来た輸送用ビークルに搭乗していた計11名の人間だ。事が起きた時にはそれぞれ拘束されはしたものの、幸い目立った負傷者は出ていない。
彼らは幾つかの牽引台の横転で損傷した連結部や牽引台の応急手当と言った作業に従事していた。急ぎの荷自体は救援部隊に引き継いで仕舞うが、自分の足で帰る為の修理はまた別だ。
グスタフの傍らで、積荷の一覧と輸送場所との記されたファイルを捲っていた輸送隊長は、オコーネルとシュバルツの接近に気付くと、訝しげな表情を浮かべながらも背筋を正した。民間の輸送隊の人間だからか、基地などならともかく、荒野で軍服に囲まれると言うのは慣れないのだろう。
「どうも、本当に助かりましたよ。荷を奪われてもうちにそのものの損失は無いとは言え、信用は下がっちまいますしね。何より、急ぎの生活物資を届けられないってのはことだ」
そう、肩を縮めて頭を下げる一見殊勝な態度ではあったが、護衛ゾイドの準備を怠っていた輸送隊長の、失態を少しでも誤魔化したい本心がそこからは透けて見えている。
生憎と彼の輸送隊を今後どう扱うかと言う裁量はオコーネルにもシュバルツにもない。彼に胡麻を擂られた所で何の意味もないのだが、それをこの場でわざわざ言う必要も無いと思って頷いて彼の言葉に曖昧な同意だけ返しておく。
果たしてそれはシュバルツも同じだったのだろう、後ろ手を組んでオコーネルの斜め後方に佇んでいるだけの彼の姿が不機嫌にでも見えたのか、輸送隊長は「はは…」と尻すぼみに笑いながら額の汗を拭っている。
「それで、三両目に間違えて積まれた荷を、救援隊の到着の前に別にしておこうと思うんだが、構わないかな」
「はい、すぐに手の空いてる奴を向かわせますんで……って、俺ぐらいしかいないか」
「…なんでも良いから早めに頼みたい」
咳払いと共にそう差し挟んだオコーネルに、輸送隊長はばつの悪そうな表情を寄越した。暇なら意味なくファイルなんて見てないで働けよ、と内心思いながら促すと、彼は「じゃあ、こちらです」と先導する様にして歩き出した。
オコーネルはそれに悠然とした足取りで続くシュバルツの横顔をちらりと見下ろして、制帽をわざわざ探して来た効果もあったのかもなと思った。もちろんこれも口には出さないが。
「ところで、今更なんですが…」
不意に、前を歩いていた輸送隊長がおずおずとそう切り出した。彼は振り向きもせずに目的のコンテナに向かって歩きながら、まるでなんでもない事の様に疑問を口にする。
「なんで軍人さんたちはコンテナの中なんぞに居たんです?」
「「………」」
オコーネルとシュバルツの沈黙は、恐らくほぼ同じ意味から生じたものだろうと思う。野盗を壊滅し荷を守った事で、なんとなく、コンテナに閉じ込められるに至った少々間の抜けた経緯は清算された様な気がしていたのだ。
気まずいことこの上ない。そして勿論のことだが、普通に救助されるよりマシであったとは言え、輸送を滞らせた野盗に感謝する訳にもいかない。
「まあ…、色々あって」
「色々とあったからな」
二人の声はほぼ同時に放たれた。きっぱりとした口調に輸送隊長は、ひょっとしたら興味ぐらい唆られていたのかも知れないが、黙り込んだ方が懸命だろうと思ったのだろう。『色々』の正体について無用な問いを重ねることはなかった。
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”狭所に閉じ込められるにいさんとオコ”
これだけのメモで適当に走り出したからこんな事になるんですよ!(猛省)一年ぐらい漬け置いてたら散らかり過ぎて推敲も侭ならない…未熟。
どうでもいいこと>ラルフと兄さん士官学校時代のお話(『純粋な鶯』)と同じ世界線と言う脳内設定なので、シチュかぶらせて生身でゾイドに挑む訳ないと言わせたりしてみました。実際挑んでいないので流石の兄さんも懲りた様です。自己満!
オコーネル大尉を描きたいと思っても、ハーマンと組ませて何かさせるとただただ有能っぽい男で終わって仕舞うんです。上司が部下を、部下が上司を、普通~に信頼する関係が成立しているので。
なので兄弟、主に兄さんと絡んで貰うと、弟と居ると出し難い兄さんの破天荒大佐っぷりも出せるしそれにひたすら振り回されるオコが出来るぞ!と言う打算が止められなくてですね。
つまり──癖です。以上。
*"What immortal hand or eye*
*Dare frame thy fearful symmetry?"*
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