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織音
2025-09-20 11:38:59
2835文字
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一つ、約束と贖い
「これは僕が為すべき贖罪。そして貴方との約束であり、貴方への誓いでもあります」
楽園追放シリーズ『暗赤色の贖い』塗装から生まれた幻覚。元いた世界の指揮官ととある約束をしたリーのお話。
あの人が血を流し、物言えぬ肉塊になった日を鮮明に憶えている。
永く、永く生きている記憶の中で最も鮮烈な赤色に染まった記憶。それがあの人が死んだ夜だった。
しかし、それは一体どれほど前のことだっただろう。数日前のことだったか、それとも数百年前のことだったか、あまりよく憶えていない。重なる時空の往来で記憶が不安定になって、細部が崩れていたようだ。
最初の数日間は数えていたはずだったのですがと空白に近く、今にも抜け落ちてしまいそうな記憶の断片を指先で手繰り寄せる。
しかしこの指先で明確な答えには触れられないまま反転した砂時計のように、時間という砂が世界という器の中に落ちていく。
――
まあ、これは大した問題ではない。人外は朧花色をした目を閉じ、傍らの複合兵装へと手を伸ばした。
幾つもの時空を渡り歩く人外の自分にとって、数日も数百年も大差ない。それよりも大切なのは空白となり、抜け落ちていく記憶達を繋ぎ止め、今も尚僕という形を留めている『約束』を忘れないようにと指先で撫でる。これだけは、忘れてはいけないのだ。
「
―――
」
そっと、あの人が既に意味を失ったと言った名を呼ぶ。これは僕にとって無二の意味を持つ名。
「
…………
行きましょう」
いつか触れたあの人の鼓動を探して永く長い、暗い夜に僕はまた自ら身を沈めていく。
あの人と交わした約束と自身の罪を贖う為に、何千万分の一の奇跡を探して夜の中を歩いている。
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血腥い硝煙の匂いの中、暗い赤を纏った狩人はたった今絶命したばかりの人外を静かに見下ろしていた。
人外を中心に血溜まりが広がる。ぬるい血液の温度だけはやけに鮮明なのに、視界はふわふわと霞んでいて、目の前の景色全てに現実味が欠けている。
「
……
ああ
……
」
足元に散乱した空の薬莢がまた一つ血溜まりに沈む。
ぼんやりとまとまらない思考。狩り、命を奪う高揚とぬるい血液の甘さに思考を奪われてしまわぬように人外たる本能に抗いながら、記憶の中の鮮明な月明かりに浮かんだあの人の輪郭をなぞる。
あの人の側に行くのなら、あの人に贖罪を為すのなら、僕は怪物になってはいけない。忌み嫌う人外の血に濡れた夜を望む本能を抑え込んで、僕は『ヒト』であらねばならない。
そう言い聞かせてようやく冷静さを取り戻した視界で、視界に映る全てをこの目に刻む。赤い海、崩れていく人外の姿、凄惨な死に方をした遺体の山
――
その中に、あの人はいない。
「
……
いない」
時間を超えて、空間までも通り越して辿り着いたこの場所は、人間を食料として生きる人外の住処。
腐敗した肉の匂いと血に塗れた醜い姿の人外。血溜まりに沈んだ遺体の数々。
放っておいても構わなかったが、あの人なら人間と人外の境界線を越えて害を為す存在を放置したりしないだろう。僕はそれに倣った。
殺すのは造作も無かった。手応えさえ感じないまま絶命した人外。この程度で、あの人が苦労することもない。つまり。
「
……
この世界も、違う」
……
此処にもあの人はいなかった。血溜まりの中、雲で隠れた月を仰ぐ。
「今回こそ、貴方がいると
……
思ったのですが」
貴方のいない此処に、もうこの世界に用など無い。返り血に濡れた手で、腰につけた砂時計のような道具を掴む。
「始めましょう」
その言葉に呼応するように、砂時計が淡く光り出す。目の前の景色は消え失せ、 暗い青色で構築された空間へと全てが塗り変わった。
時空を渡る際に来る、超時元空間。腕を伸ばし果てなく広がる空間に砂時計をかざした。
――
刹那。ガラスが割れるような音と共に空間の一点が崩壊する。まるでノイズのように不安定に揺れるそれは、別の世界へと渡る為の所謂、『扉』。
この『扉』は発生する場所が不定、加えてどんな世界に飛ぶのか、どんな時代に飛ぶのかさえ分からない。
何千万と続くこれが早く終わると良い。人間でない僕の時間は幾らでもあるが、人の身で生きるあの人はそうはいかない。
次こそ、貴方に会えると良いのですが。
声に出さずそう呟き、ノイズに手を伸ばすと超時元空間が弾けるように消える。聞こえてきたのは、葉擦れの音。
「
……
まさか、森の中とは」
何処か『懐かしさ』すら感じる青白い月明かりが照らした深い森の中、密かに眉を寄せる。人ならざるものにとって隠れながら移動出来るのは非常にありがたい。多くの面倒事から逃れられるし起こらない
…
のだが、本来の目的である人探しに必要な情報を得ることができないのは致命的と言っても過言ではない。
まずは数日かけて人里を探すべきか、それとも
…
いや、違う。
月明かりのあたらない茂みの、カチリと硬質な音がした方へ視線を向ける。
――
よく聞き慣れた、銃のセーフティが外れる音。
影の中で眼が捉えたのは、こちらへ銃口を向ける人の形をした存在。
人の形をした人外か、それとも人間か。話が通じる相手なら手間が省けるのだが。
「銃を下ろしてもらえると助かるのですが。貴方に害を為すようなことはしていませんし、するつもりもありませんよ」
「職業病みたいなもので。害を為さない、という言葉で惑わす怪物は少なくないでしょう?」
甘言を利用して人を惑わし、害を為す化け物は多い。確かにその通りだ。しかし僕にそんなことをする必要も興味もない。
「生憎、人間を狩ることに興味はありません。僕はただ
……
人を探しているだけですから」
「
……
そうですか。では」
あの日によく似た月明かりの下に、その姿が晒される。
まるで夜を纏うかの如く、全身に黒を纏う
……
その探し求めた姿に、記憶と違わぬ声に大きく心の臓が脈打った。
――
ああ、ようやく。
「問いましょう。こんな森の中で、一体誰を探していたと言うんですか」
「
……
答えなら今、僕の目の前にいますよ」
その人間に向き直り、真っ直ぐにその瞳を見つめる。
刃物の切っ先のような鋭い銀光が湛えられる、警戒の色を強めた瞳と無機質な銃口。いつも敵に向けられていたそれを、僕は静かに微笑んで受け入れる。
そして、一歩。彼が持つ銃のセーフティは既に外されている。引き金に掛けられた人差し指に僅かに力が込められたのが見えた。それでもまた一歩、人間へと近付く。
その銃弾が放たれるよりも、その銃弾がこの身を貫くよりも早く、ただ一言だけ伝えられればそれで良い。
「『はじめまして』指揮官。貴方との約束を果たしに来ました」
そして、僕が犯した罪を贖う為に。
鮮烈な赤色に染まった日から始まった、何千万と続いた暗夜の果て。月明かりの夜夜中、僕はようやく一つの奇跡を手に入れた。
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